映画『パレード』ネタバレ考察|あらすじ結末解説からロケ地情報・感想・評価まで|Netflix配信中

ヒューマン・ハートフル

こんにちは、映画好きの画家・タクです。今回レビューする映画は、『パレード』。Netflix配信公開中の2024年・日本映画です。




『パレード』のテーマは、「悔いを残し死したものたちの抱く、現世に残された愛するものへの想い」です。誤解を恐れずに言えば「東日本大震災で失われた命へのレクイエム」といっても良いかもしれません。

監督は藤井道人。主役を演じたのは長澤まさみ。脇役をリリーフランキー・寺島しのぶ・坂口健太郎らが固めています。

観ているうちに、「想い」とはなんなのか?「悔いはマイナスなことなのか?」といったことを考えさせられます。

そんな『パレード』を読み解いてみます。Netflixで現在配信中です。




『パレード』まずは予告編を




『パレード』あらすじです

あらすじをざっと書きます。

津波に呑み込まれた視点で映画は始まる。

場面変わって浜辺で目を覚ました女性が一人。彼女は報道記者の美奈子だ。

美奈子は瓦礫の山に離ればなれになったひとり息子の良を捜している。

その途中に一人の男に声をかけられる。男はアキラ。

アキラに連れゆかれた荒れた遊園地で、美奈子は4人の男女を紹介される。

スナックのママ・かおり、元ヤクザの勝利、元映画プロデューサーのマイケル、銀行員の田中だ。

そこで美奈子は、自分がすでに死んでいることを告げられる。

荒れた遊園地は、現世に未練を残し死んだものがその先にゆけずにとどまる「場」だった。

アキラやマイケルたちもまた、さまざまな理由でこの世界にとどまっていたのだ。

やがて美奈子は死者たちが集まるパレードにいざなわれる。

そのパレードは死したものが未練を消すため会いたかった人を捜すレクイエムのパレードだった。

やがて美奈子は、仲間達の過去を明かされる。

彼らの過去、そして未練も人としての強い温度を感じるものだった。

美奈子のかたくなだった心が、そんな彼らとの交流を通して次第に解けてゆく。

…といったあらすじです。




『パレード』結末ラスト解説〜鑑賞する方は閲覧注意!です

映画では、彼らのそれぞれの過去や、死してなお抱き続ける後悔の思いが、オムニバスのように明かされていきます。

ママのかおりは、我が子たちを育てきれなかったことへの後悔。

マイケルの過去は、学生運動で知り合った女性への果たせなかった想い、そして完成させられなかった映画への悔い。

アキラは、父との確執。

ヤクザの勝利には、結婚できなかった一人の女性の未来への悔い…。

そして途中から遊園地へやってきた、いじめを苦に手首を切った女子高生ナナの存在が、ドラマ後半をクライマックスへと導いてゆきます。

主人公の美奈子は、マイケルらの助けで息子の良と再会を果たし、次の世界=あの世=へと旅立つ準備ができます。

クライマックスは自称映画プロデューサー・マイケルの、生前撮りきれなかった映画の撮影完成です。

その映画の完成が、皆を次なる世界へと導くものでもありました。

ラスト、ナナが病院で目をさまします。彼女は生死の境を彷徨っていたのです。

そして時はたち、成長した美奈子の息子、良と映画監督となったナナが再会。

ナナの映画の上映会で映画の幕が降ります。




『パレード』ぼくの考察

「次」を予測させない見事なカメラ

映画が始まって冒頭から、「津波のカットの次に、こうくるか!?と、まずは、オープニング5分で感動したぼくです。 

名画の条件に「冒頭5分のつかみはオッケー」だとぼくは思ってます。『パレード』はまさにその5分を活かしていました。

観客を引っ張ってくれるのは、映画の内容ももちろんですけど、「カットつなぎの妙」も大切です。

『パレード』は、その点がうまいです。冒頭からぼくを映画の中に放り込んでくれました。

 

たとえば、オープニングで、主人公美奈子が浜辺に打ち上げられるシーンがあります。

そのシーンの構成は、立ち目線で捉えた海辺カットの次に、上空から真下を見下ろした、ドキリ!とさせるアングルです。

このカットつなぎでぼくは、シッカリと物語ワールドに連れて行かれました。

 

では、なぜそんな上空から見下ろした、ドキリとさせるカットつなぎを使ったのでしょう?

それは、「実は死んだ美奈子の魂の視点を仮表現してのこと…」と、ぼくは観終わったあとに思いました。(うーん、外れているかもしれないけど…そんなふうにカットを深読みするのも映画を見る楽しみの一つですよね)

はっとさせるのは、その浜辺シーンだけに限りません。

あちこちに「シーンの持つ意味」だったり、「シーンの主役の心情を映し出す構図やアングル」が使われています。

そんなふうに『パレード』は、「カット繋ぎ」に「脚本の行間」をきちんと落としこんで作った映画だなあ…と、ぼくは感じました。




上手に嘘をついています

『パレード』では、津波被害のガレキの山を美奈子が歩き回るシーンが出てきます。

そのガレキのセット再現のリアリティに驚きました。

映画の舞台となっている東日本大震災から、まだ13年しかたっていません。実際に津波被害にあった方がたくさんいるわけです。

ガレキシーンは、そんな方が映画を見た時にどう見えるか?を考えて作ったセットだと思います。

ガレキシーンから美術スタッフの気合が伝わってきました。(VFXかもしれませんが)

そのシーンにぼくは「震災後まもない時にロケはじめたんじゃないか?」と、つい思ってしまいましたから、まさに美術の勝利ですね。

ぼくは当時被災現場を見ていますが、まるで臭い匂いまでしてくるようなセット再現に感服しました。




『パレード』は、現世を生きている命へのレクイエムだ

『パレード』の主人公達は、死者です。

その死者たる美奈子やマイケル、アキラたちの存在を、「廃墟の遊園地という舞台装置」がほのめかしてはいます。ですが、廃墟の遊園地という特異な舞台設定以外は、ごくごく日常的な描かれ方をしています。

また、死者の側から見た、まだこちら側に生きている現世も描かれます。

そのシーンでは、当然、美奈子、勝利、ナナらが、自分らの姿が見えるはずのない「命あるものたち」と同じ舞台に立ちます。

そのシーンが映画の中で繰り返されるにつれて、ぼくは、次のように感じました。

「パレードは、死者へのレクイエムではなく、逆に現世を生きる命あるものへのレクイエムなのではないか?」と。

+ + +

「レクイエム」は、日本語に訳すなら「鎮魂の調べ」です。

「魂は肉体を離れても生き続ける」ことが『パレード』という映画の大前提です。

その大前提で俯瞰し、人の命を「魂としての存在」としてみるならば、死者も生者もなんら変わりはないものだ…と、自然に思えてきます。

さらには、むしろ、現世に生きている者たちの方が慰めを必要としているのではないか??..そんなメッセージが浮かび上がってきます。

「魂のレクイエム」なんていっちゃうと、なんか、あの世へ行ったものだけが捧げられる専売特許のように思えます。

しかし、『パレード』から立ち昇ってくるのは、レクイエムが必要なのは、むしろ現世で苦しむ生者なのではないか?と、いう匂いです。

ぼくはこの映画は現世に残された人々の魂を洗ってくれる鎮魂歌のように感じました。




人生は一本の映画だ

『パレード』の物語を支えるトピックの一つとして「主人公たちによる映画作り」が登場します。

リリーフランキー演じる元映画プロデューサー・マイケルが生前作りかけていた映画を、美奈子はじめ仲間達が完成させます。

この「映画作りエピソード」が『パレード』の主題を強く支えています。

 

「映画」って、「一本の完結した作品世界」ですよね。

マイケルは、現世にさよならした後に、結果的に「一本の完結した作品世界」を完成させます。

そのトピックは何を伝えたかったのか?

以下がぼくの答えです。

+ + +

人の人生って、ドラマです。映画みたいなものですよね。

「映画作りエピソード」が『パレード』の太い幹となっている理由は、もちろん監督の映画へのラブもあると思いますが、それ以上に「人生は映画と同じ」というメッセージであり、同時に

「死は決してエンドロールではない」

「魂のドラマは脈々と続いてゆくのだから、現世の結末を全ての幕引きと考えるのはナンセンスだ」

という監督からのメッセージである……とぼくは受け取りました。




死者が口にした謝罪の言葉が意味するものは?

『パレード』を観て、とても印象的だったのは、主人公たちが、残されたものに対して、謝罪の言葉をつげることでした。

脇道に逸れますが、「謝罪」の言葉にまつわる、こんなエピソードをぼくは持っています。

 

ぼく自身の体験で恐縮ですが、友人に仏教の僧侶がいます。

友人は、小さな祠に何日も何日も生死のギリギリまでこもる修行をしました。

その閉じられた祠の扉が開いた時、彼は何という言葉を口にしたでしょう?

「助かった!」でしょうか?

「ありがとう!」だったでしょうか?

 

彼が光さす世界に戻ってきた時に口をついて出た言葉は

「ごめんなさい」だったといいます。

 

『パレード』の主人公たちが、現世に生きるものたちに伝えたかったのは、「ごめんね」「すまなかった」という思いでした。

ぼくの友人僧侶がココロがギリギリ体験をした後、謝罪の言葉が口をついて出た体験と『パレード』のセリフたちのリンクは、僕には偶然とは思えませんでした。




『パレード』ぼくの感想評価です

「素晴らしい映画を作ってくれたなあ」これが観終わったあとのぼくの感想でした。

時間をおいてあれこれ考えて映画を振り返ると、なおさらその思いが強くなっています。

正直いうと、美奈子が、死者が集まる遊園地に辿り着いたあたりのくだりでは、ちょっぴり登場人物たちのチグハグ感を感じて、「あまり期待しない方がいいかな??」との想いが胸をかすめました。

ところ気がつけばそのチグハグ感は消え去っていて最後まで一気見でした。

役者も素晴らしいです。

監督の脚本も「よくもこんな物語を練り上げたなあ…すごいわ…。」が正直感想です。

藤井道人氏、すごい監督であり脚本家ですね。

調べてみたら映画道まっしぐらのみならず、CMからPVまで様々なジャンルの仕事を猛烈な勢いでこなしている監督でした。

だから、こんな素敵な脚本が書けて、演出ができるんだろうな…。ジャンル問わずの活躍は、あたかも日本のスピルバーグ。

人間へのラブと映画へのラブがぎっちり詰まってて、カメラも美術もとんでもなく素晴らしくて、何度も観てみたい映画となりました。

ちなみにぼくの絶賛フェバリットシーンは、ラストの「荒れ果てた遊園地シーン」です。ずるいほど素晴らしいシーンでした。

ということで、ぼくの評価は、限りなく五つ星に近い四つ星半です。




『パレード』映画のロケ地情報

運営人のぼくは宮城県在住ですが、この映画の美奈子らが集まっている遊園地シーンを観て、あれっ?と、思いました。

「ここ、化女沼レジャーランド跡地じゃないか??」

また、映画の後半で、昔ながらの映画館が登場します。そこでも思いました。「福島南相馬にある古い映画館「朝日座」に似ているな、、、。」(よく一緒に仕事していたクリエイター氏が「朝日座」館主の血筋を引いていることもあり、存在を知っていました)

勘は、アタリ!

気になって調べてみると、『パレード』は宮城のフィルムコミッションがロケ誘致し、宮城を中心に・福島・東京で撮影ロケされていたのです。

劇中、死者たちのパレードが進む、シャッターが降りた商店街シーンも、宮城県白石市の商店街にて撮影されています。

以下、宮城県内のロケ地を記載します(参考:DRA FILM

古川市 化女沼レジャーランド跡
古川市 旧富永小学校体育館
栗原市栗駒 六日町商店街
栗原市栗駒 青雲神社
栗原市 築館高校
白石市 中町アーケード街
石巻市雄勝町 モリウミアス
仙台市 東北放送社屋
仙台市 みやぎ霊園
仙台市 サンモール一番町・南町通以南

以上のロケ地を詳しくまとめたサイトページがあります。実際にロケに参加した方が書いていますので、丁寧で読み応えがあります。以下にリンクを貼っておきます。ロケ地巡りにぜひ宮城へ、東北へどうぞ。

https://filmstar.jp/parade-netflix-rokechi/




勝手にラブコール=藤井道人監督の宮沢賢治が観てみたい

おまけです。

藤井道人監督に惚れたぼくですが、このレビューを書きながらつらつら思っているのは、「彼が宮沢賢治作品を映画化したらどんなふうに換骨奪胎するんだろう?」ということ。

妄想しているのは賢治作品の「銀河鉄道の夜」です。

藤井道人脚本・監督による『銀河鉄道の夜』…いつか観たいものです。思うだけ勝手だし(^_^)




『パレード』スタッフ・キャスト

監督・脚本 藤井道人 撮影:今村圭佑 美術:宮守由衣 音楽:野田洋次郎

キャスト 美奈子:長澤まさみ / かおり:寺島しのぶ / マイケル:リリーフランキー / アキラ:坂口健太郎 / 勝利:横浜流星 / 田中:田中哲治 / ナナ:森七菜 / 大城麻衣子:黒島結菜 / 佐々木博:中島歩 / 佐々木:舘ひろし / 麻衣子:木野花 / 恵介:でんでん /他




『パレード』配信先は?

ネットフリックスで配信中です。







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