『バード・ボックス』ネタバレ解説評価
”それ”の正体と”見ても大丈夫な人”の謎解き
こんにちは!運営人の映画好き画家・タクです。今回のムービーダイアリーズレビュー作品は『バードボックス』。2018年公開のアメリカ映画です。
「 ”それ”を見たら、目隠し外したら即、死。」という限定シチュエーションスリラー映画がNetflixプレゼンツの『バード・ボックス』です。
人は聴覚、視覚を奪われることに恐怖を感じるものですよね。『バードボックス』で描かれるのは「謎の ”それ”を見ると死が訪れる…」という”視覚がもたらす恐さ”です。
監督はスサンネ・ビア。主演はサンドラ・ブロック。
”『バードボックス』は面白い?それともつまらない?”と聞かれたら、ぼくの答えは「 面白かったです!」
しかし…『バード・ボックス』は、なぜ「 ”それ”を見たら即、死んでしまうのか?」また「”あれ”って一体なんなのか?」へのネタバラシがハッキリ明かされないという、スッキリしない部分もあります。
なので、そんな疑問へのぼくなりの考察と答えも交えながらレビューしてみます。

このレビューでわかること
『バード・ボックス』あらすじ結末まで(ネタバレ注意)
『バード・ボックス』なぜ「見たら即、死」なの?
『バード・ボックス』見ても大丈夫な人は?
『バード・ボックス』 ”それ”の正体は?
『バード・ボックス』謎を解くカギは?
『バード・ボックス』盲目の男の謎解き
『バード・ボックス』レンタル配信先は?
それでは『バード・ボックス』をレビューしてみます。
- 🟦 『バードボックス』解説〜どんな映画?
- 🟦 『バード・ボックス』あらすじ(途中まで)
- 🟦 『バード・ボックス』ネタバレラストは?閲覧注意!
- 🟦 『バード・ボックス』ネタバレ考察1〜 ”それ”の正体は?
- 🟦 『バード・ボックス』ネタバレ考察2〜 ”それ”を”見ても大丈夫な人”の謎解き
- 🟦 『バードボックス』ネタバレ考察3〜謎を解く鍵はメーテルリンクの「青い鳥」?
- 🟦 『バード・ボックス』ネタバレ考察4〜ラストの盲目の男
- 🟦 『バード・ボックス』の伝えたかったメッセージは….
- 🟦 『バード・ボックス』キャストの魅力
- 🟦 『バード・ボックス』ぼくの評価は?
- 🟦 『バード・ボックス』続編は?
- 🟦 追記:”あれ”の「正体」解明のヒント=オーストラリアのウサギ大量自死事件
🟦 『バードボックス』解説〜どんな映画?
『バード・ボックス』の物語の舞台は、「謎の集団自死が蔓延した世界」です。
映画の中で、ある日突然、町中で人々が自殺しはじめます。しかし、理由は一切明かされません。死んだ人は ”それ”(あるいは”あれ”)と呼ばれる「何か」を見たことだけがほのめかされます。この謎めいた感じが映画全体を霧のように包みます。
主人公の女性マロリー(サンドラ・ブロック)と、成り行きで一緒になった7人が、一軒の家に閉じこもることで「自死へと誘う”あれ”」を遮断し、なんとか生き延びようと試みます。
”それ”を見たら自死が訪れる…そんな狂った世界での恐怖と、新天地への脱出行がこの映画の見どころです。
主演はサンドラ・ブロック。『スピード』でブレイクし、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』『ゼロ・グラビティ』など様々なジャンルをこなす俳優です。
監督はスサンネ・ビア。デンマーク出身の映画監督・脚本家・プロデューサーです。2010年公開の『未来を生きる君たちへ』でアカデミー外国語映画賞を受賞している実力派。
『バード・ボックス』スタッフ:配役/キャスト
| 監督 | スサンネ・ビア |
| 脚本 | エリック・ハイセラー |
| 原作 | ジョシュ・マラーマン |
| 製作総指揮 | サンドラ・ブロック / スサンネ・ビア / エインズリー・デイヴィス / アレクサ・フェイジェン / ライアン・ルイス / エリック・ハイセラー |
| 撮影 | サルヴァトーレ・トティーノ |
| 編集 | ベン・レスター |
| 音楽 | トレント・レズナー / アッティカス・ロス |
| 出演 — マロリー | サンドラ・ブロック |
| 出演 — トム | トレヴァンテ・ローズ |
| 出演 — ダグラス | ジョン・マルコヴィッチ |
| 出演 — ジェシカ | サラ・ポールソン |
| 出演 — シェリル | ジャッキー・ウィーヴァー |
| 出演 — ルーシー | ローサ・サラザール |
| 出演 — オリンピア | ダニエル・マクドナルド |
| 出演 — チャーリー | リル・レル・ハウリー |
| 出演 — ゲイリー | トム・ホランダー |
| 出演 — フェリックス | コルソン・ベイカー |
| 出演 — グレッグ | B・D・ウォン |
| 出演 — リック | プルイット・テイラー・ヴィンス |
🟦 『バード・ボックス』あらすじ(途中まで)
では、あらすじをまとめてみましょう。ネタバレを含みますので映画をまだ観ていない方はスルーしてください。
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主人公マロリーが2人の子供に「今から川を下る。決して目隠しを取ってはならない」と告げ、3人は目隠しをしたまま、ボートに乗り、漕ぎ出す。
なぜ、目隠しをしたままなのか?
物語は過去に遡り、謎の集団死が世界に蔓延した様子を描き出す。
どうやら、 ”それ”と呼ばれる「何か」を見る行為が自死へと繋がるようだ。
みごもっていたマロリーはなぜか発病せず、一軒の家の男ダグラス(ジョン・マルコビッチ)に助けられ、家の中に招き入れられる。
家は、窓が全て新聞紙やカーテンで覆われている。外の ”それ”を目にしないためだ。
外部と隔絶された一軒家の中で、家主のダグラス、トム(トレヴァンテ・ローズ)はじめ、7人の見知らぬ男女が閉ざされた生活を送ることになる。
しかし、食糧は尽き、スーパーへとクルマで向かうことに。
当然目隠しをしたままだ。
なんとかスーパーまで辿り着き、食料を入手する彼ら。
そんなところへ一人の男が助けを求めてくる。
「精神病院の患者が脱走した様子を見た。彼らは自死する奇病にかからない」という。
男の言うことは本当なのか??
疑心暗鬼のまま、男を家に招き入れてしまう。
そんなさなか、身重だったマロリーと、もう一人の妊婦が産気づく。
出産の苦しみの声が家に響く。
赤子出産と同時に、招き入れた男の目の色が狂気に変わり、狂ったように窓の遮蔽を剥がし始める。
外の ”それ”を見たが最後だ。
目隠しをしたままで、男と戦うダグラスとトム。
しかし、遮蔽を剥がされた室内で、マロリーと2人の赤子、そしてトムを除き、戦いの果てにダグラスは命を落とす….。
それから5年が経った。
マロリーとトム、二人の子供たちは郊外の一軒家に逃げ延び、目隠しした中で生き延びる術を鍛錬していた。
はたして世界には、彼らの他に生き残った人間はいるのだろうか?
無線機を使い、外界とコンタクトを取り続けるマロリーとトム。
そんなある日、マロリーの無線機による呼びかけに、
『川をくだれ。聞き耳を立てろ。小鳥のさえずりの先に、安全な場所がある』
と、レシーバーの雑音の向こうにかすかな声が答える。その声に一抹の希望を見るマロリーとトム。
そこへ数人の男たちがマロリーらを探し当て、殺そうと迫る。
なんと、彼らは目隠しをしていない。
そう、精神病院から抜け出した患者たちだ。
彼らは”あれ”を見てもなんら影響はないのだ。
目隠しをしたまま、男たちと戦うトム。
しかしトムは、マロリーと二人の子を逃し、自死。命を落とす。
ここで物語は、映画冒頭の川べりシーンにリンクし、マロリーと二人の子供がボートを漕ぎ出す。
流れの先に待つのは激流。
果たして彼ら3人は、目隠しをしたまま、安全な場所までたどり着くことができるのか?
そして、レシーバーの向こうから聞こえた「安全な場所」とは、本当に実在するのか??
といったストーリーです。
🟦 『バード・ボックス』ネタバレラストは?閲覧注意!
以下は『バード・ボックス』のネタバレ結末です。『バード・ボックス』を未見の方は閲覧禁止!です。
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激流でボートから放り出される3人は、奇跡的に助かり、岸辺で抱き合う。
目の前に立ちはだかるのは鬱蒼とした森だ。
目指す場所はどうやら森の向こう側らしい。
目隠しをしたまま森の中を進む途中、マロリーは崖から転げ落ち、3人は散り散りになってしまう。
目隠しの闇の中、子供たちを案じ、探すマロリー。
そのマロリーの頭の中に、どこからともなく”謎めいた声”が響き始める。
マロリーはその声を必死に振り払い、子供たちを探し当て、一軒の建物にたどり着く。
ドアが開き、中にいざなわれるマロリーと子どもたち。
そこにいたのは笑顔でくらす大勢の人々。
助けの無線の声の主は、そこにいた。見ると、盲目だ。
青い鳥に誘われた場所は、盲学校だった。
目が見えない故に彼らは楽園を作りあげることができたのだ。
🟦 『バード・ボックス』ネタバレ考察1〜 ”それ”の正体は?
見たら即、死の「正体」考察
『バード・ボックス』では、『自死を招く謎の「何か」= ”それ”』は、最後まではっきりと明かされません。観客にクエスチョンを残して終わります。
形のあるヒントとして示されるのは、家の中に招き入れられた男が、おかしな光を目に宿しながら描いている「バケモノのようなものを描いた十数枚のスケッチ」のみです。そのスケッチに『自死を招く謎の ”それ”』が隠されているように思えます。
では、ここからは、そのスケッチを踏まえてぼくなりに考察し、推理してみます。
推理〜スケッチは心を病んだ男が見る光景だ
結局、その男は精神病院から脱走してきたひとりだったわけで、心を病んでいるゆえに、「自分自身の心の中の、作り上げた光景しか見えない」ために”あれ”の影響を受けることがなかったのでしょう。
では、彼が描いていた「十数枚のバケモノを描いたスケッチ」は、何を意味していたのしょうか?
実は人は、心を病んでいなくとも、誰もが心の中に「狂気」という「バケモノ」を隠し持っていますよね。
別の言い方をするなら「悪魔的な心」です。
推理〜人間は狂気にフタをする
普通人々は、生きにくいこの世界で生き抜くために「常識」という後付けの力で、「バケモノ」にフタをし心の闇に閉じ込めています。「何か」は心の闇に閉じ込めた「狂気」なのではないでしょうか?
西欧には一般的に「悪魔」という概念がありますよね。
日本なら魑魅魍魎やキツネツキ的なもの…といっても良いでしょう。
それらは人の外の世界にあるものではなく、実は人の心の奥底に潜んでいるものです。
それが『バード・ボックス』の「明かされないバケモノ」の正体ではないか?…とぼくは思いました。
推理〜狂気のフタのストッパーが外れた時
世界になんらかの歪みが生まれることで、「普段なんともない光景を見ること」が、普通の人々=健常者の心のフタを取っ払ってしまい、即座に狂気、すなわち悪魔、魑魅魍魎が溢れ出てしまう….
『バードボックス』の ”それ”とは、そういう、人の心に本来隠されている狂気なのではないか、、、とぼくは理解しました。(あくまで推測です。)
だって、普段暮らしていても、「日常において、実はまともと狂気は、紙一重で、あやういものだ」…と思いませんか?ぼくは思います。
🟦 『バード・ボックス』ネタバレ考察2〜 ”それ”を”見ても大丈夫な人”の謎解き
『バード・ボックス』は、謎が多いドラマですが、「精神病院から抜け出した患者たちが、モンスター(らしき何か)を見ても大丈夫で普通に生きていられる」ことが、一つの物語を解くキーワードになっていると思います。
では「 ”それ”を見ても大丈夫な人たち」はどんな人なのかを考えてみました。
先にも書きましたが、精神病院から抜け出してきた人は、外で平気で行動し、 ”それ”のなんの影響も受けていません。
精神病院から抜け出してきた心を病んでいる人々は、そもそも『”あれ”すなわち『モンスター=心の中の悪魔』を常に抱え「見て」います。言い方変えれば、いつもスタンダードに悪魔と共存している…なので、大丈夫なのでしょう。
だからちょっとしたはずみで歪んでしまった世界=光景を見たときに、おかしくもならずにいられる…逆に彼らは「美しい世界」とまで思っています。
彼らは、「 ”それ”によって視点が変わり、それまでのワールドと逆転して「健常者」になっている。だから、”あれ”を見ても大丈夫…と、ぼくは理解しました。
クライマックスでトムに襲いかかる男たちは、”あれ”が見えていても狂わない=いたって普通です。間違いなく心を病んだ人たちなのでしょう。
しかし、「光景」がなぜ、人間の精神、常識をひっくり返すのか?については語られません。
どうもその点が、ぼくは引っかかっています。
ウィルスや何かそんな外的な要因ではない、、、と、ぼくは思っています。
ここで鍵となるのが、バードボックス内に閉じ込められた「青い鳥」です。
🟦 『バードボックス』ネタバレ考察3〜謎を解く鍵はメーテルリンクの「青い鳥」?
青い鳥といえば、メーテルリンクの童話「青い鳥」が思い出されます。
ご存知、チルチルとミチルが青い鳥を探す物語です。
どんなお話だったか覚えていますか?
要約すると、主人公チルチルとミチルが幸せを呼ぶ「青い鳥」を探してくれと頼まれて旅にでるお話です。
いろんな国で青い鳥を探し求める彼ら。しかし、青い鳥を捕まえることができずに家に戻ってきます。
結末は、家の白い鳥が青い鳥に変わっている、という物語です。
童話の持つメッセージを簡単にいうなら以下になります。
「幸せとはどこか他のところにあるのではなく、身近にある。そしてあまりに近ずぎて幸せとは見えないものだ…。」
「求めていたものは、スイッチを変えれば、手元に光って存在している」。
…という、実に示唆に富んだ童話です。
鳥篭ならぬ鳥箱に入れられた青い鳥が最後に箱を開けられ羽ばたく姿は、どうも童話の示唆に掛かっているような気がしてなりません。
「いつも見ている光景は、あまりに普通で見ているように思い込んでいるだけで、実は本質の美しさを見ていないんだ」
目で見て目を閉じたあと、心に映る美しい光景があるでしょう?それは何にも変え難い宝物なのだよ」
「心に残る光景を見ることができないという状況は死んでいるも同然なのだ…」
と、気づかせるための突然の自死蔓延シチュエーションだった…。とぼくは思いたいです。(これもぼくの推測ですが。)
🟦 『バード・ボックス』ネタバレ考察4〜ラストの盲目の男
『バード・ボックス』の ”それ”にはじまる全ての答えは、主人公たちが助けられたラストにある…ぼくはそう思います。
それは、どういうことかを最後に書いておきます。
マロリーを助けた男は盲目なのです。
盲目の男が、何でもって「世界を見る」のか?
そう、それは「心の目」です。
先にも「世界は健常と狂気は紙一重」と書きました。
健常と狂気という言葉を、ぼくらの常識と非常識という言葉に置き換えるとわかりやすいかもしれません。
常識と非常識は紙一重、ひとつのことがらのオモテとウラです。
たとえば、今、行われているウクライナ戦争を例に取るとわかりやすいかもしれません。
西側のぼくらはロシアを非常識であり狂気の対象としてとらえます。でも、ロシア側から見れば、ぼくらが狂気なのです。
第二次世界大戦の時もそうでしたよね。日本はアメリカを鬼畜と呼んでいましたから。戦争終わってのちの今はあっさり逆転。
要は、ぼくらは、悲しいかなさまざまな情報や常識に囚われて生きています。
立場が違えば、当たり前と思っていたことが狂気となり、狂っているよ、と決めつけていたことが実は真っ当だったりするのだと思います。
🟦 『バード・ボックス』の伝えたかったメッセージは….
長々と書いてきましたが、「心の目で世界をみなさい」それがこの映画のメッセージだとぼくは受け取りました。
ちなみにメーテルリンクの『青い鳥』では、チルチルとミチルが見る夢に、次のようなエピソードがあります。
チルチルは老婆の姿をした妖精ベリリウンヌから与えられた帽子の額に付いているダイヤモンドを回すことで、頭のコブが押され、「心眼」が開き、森羅万象の元素が魂を持っているのがわかる。
「青い鳥」にも「心眼」すなわち心の目が大事なキーワードとして登場しています。
ここで、心の目について考えてみましょう。
心の目が曇るってよく言いますよね。心の目で見なさい、ともよく聞きます。
仮に、心に目があったと仮定してですが、では、「心の目」はどういった時に「曇る」でしょうか?
それは、「こうしなければならない!」とか、「なんとしても護らなければならない」といった、皮肉にも「自分を奮い立たせる時だったりします。
「流れに逆らわなければならないとき」「自分を信じ込ませるとき」といっても良いかもしれません。
ラスト、森を逃げるシーンで、「子供たちをなんとしても護らなければ!」と必死になるマロリーに、「謎の声」が降りかかります。
それは、「心の曇り」へといざなうマロリー自身の声であり、
マロリーを追い詰めるように見える森は、「追い詰められているマロリーの心の絵」だ、と、ぼくは考えています。(ちなみに西欧の昔の概念によると、森は、魔女や妖精たちの居場所であり、人間のすむところではないんですね。かろうじて世俗から離れる必要があった聖職者だけが修道院をたてたそうです。)
「心の目」「立ち位置が変わるとモノゴトの見え方は逆になる」というキーワードをこの映画に差し込むと、全ての謎が解けるような気がします。
以上いろいろな角度から『バードボックス』を考えてみましたが、この映画が伝えたかったメッセージを、ぼくはこう受け取りました。
「心の目で世界を見なさい。そうすれば全てうまくいくんだよ。目で見えている世界は本当に大丈夫なの?あなたに見えている世界を、そしてあなたの目を疑いなさい」
そのメッセージを観客に届けるために、深く考えてもらうために、『バードボックス』は「ホラーサスペンス」というカタチをとったのではないでしょうか?
「世界がいっせいに狂ってしまう」という謎のシチュエーションを設定しつつ、実は深く啓蒙的な映画…そう、ぼくはそう思いました。
🟦 『バード・ボックス』キャストの魅力
マロリー役のサンドラ・ブロックは久しぶりにスクリーンで観ましたが、母親になる前と後の違いが素晴らしい。良い味を出していました。
ジョン・マルコビッチも同じく久々の再会に嬉しくなりました。そういえば、マルコビッチは、その昔『二十日鼠と人間』で「知恵遅れの心のきれいな男」の役を演じていました。とっても印象深かったです。(『二十日鼠と人間』1992年のアメリカ映画・監督:ゲイリー・シニーズ)
今回の『バード・ボックス』では『二十日鼠と人間』の役回りとは真逆の性格を演じています。マルコビッチの『バード・ボックス』出演は、1992年の『二十日鼠と人間』出演から30年の時を経ての”必然”だったように、ぼくは思っています。
『二十日鼠と人間』、すごくよかった印象あります。もう一回見てみたいな。
🟦 『バード・ボックス』ぼくの評価は?
『バード・ボックス』へのぼくの考察を長々と書きました。
観終わってから、いろいろ考えさせられました。深い考察を求められたという点で、観る価値が大いにあった映画でした。
でも、スッキリ明快映画が好きな方には「みても大丈夫」とは言えないかな、、、。
また、目隠しシーンが続くのは、個人的に正直、精神的に結構きつかったかな、、、。
なぜ産婦人科の女医が助かってラストに登場するのか、をはじめとして、説明不足だな…と感じるところも、いくつかありました。(産婆さんは聖職者に通じる気もする…だから森の中の建物=修道院に居る必然か???…なんてもつらつら考えています…)
ということで、ぼくの評価は75点としました。
シチュエーションスリラー、気に入った方はこちらもオススメ!
似たようなシチュエーションスリラーには「音を立てたらクリーチャーに襲われる」という『クワイエット・プレイス』がありますね。面白い映画でした。
🟦 『バード・ボックス』続編は?
『バードボックス』は続編2作目も制作されました。『バードボックス・バルセロナ』です。続編と言っても制作国もスタッフキャストも違い、内容も続いているわけではないので純粋な続編ではありません。『バードボックス・バルセロナ』もレビューしていますので、よかったらご覧ください。
🟦 追記:”あれ”の「正体」解明のヒント=オーストラリアのウサギ大量自死事件
最後に一つ、 ”それ”の「正体」を探るための一つのヒントを書いておきたいと思います。(あくまでヒントで明確な答えではありません)
以前、オーストラリアのウサギたちが、ある時突然大量に自死する、というドキュメンタリーを見たことがあります。
元々オーストラリア大陸にはウサギはいませんでした。大陸に移住したイギリス人が狐狩りのために持ち込んだのがウサギでした。
ところがウサギたちは新天地で大繁殖します。理由は天敵がいないから。
しかし、繁殖に繁殖を重ねたうさぎたちは、ある時、突然、大量に自死し始めるのです。そして、多分、生きていくにちょうどいい数に戻る。
ウサギ大量自死の明らかな理由は不明だったと思います、それが多分、自然の「摂理」=理(ことわり)と言うものなのでしょう。
ぼくは『バードボックス』を観ながら、実は「オーストラリアのウサギたちの大量自死」のドキュメンタリーエピソードを思い出していました。
自死は、仮にウサギたちの気持ちになれば、「訳わからないけど死ななければならない!」と思っての行為だと思うのです。
人間に置き換えるならば、こうなります。
「自然の何かに摂理の臨界点に達した人間たちの存在が、なんらかの理でオーストラリアのウサギたちのように自死し始める。」
すなわち ”それ”とは「大いなるものの摂理」であり、人間たちの成してきた何かが理の臨界点に達した。これがぼくの中では一番スッキリする”自死”への考察です。(ハズれているかもしれませんが、「一つの考察」ということで…)


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