『レヴェナント:蘇えりし者』感想考察評価
圧倒的自然美と復讐のゆくえ
こんにちは!映画好き絵描きのタクです。
今回取り上げる映画はレオナルド・ディカプリオ主演の映画『レヴェナント:蘇えりし者』。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督による本作は、壮絶な自然との闘い、そして復讐をめぐるサバイバルドラマです。(公開年:2015年)
映画の背景には、19世紀アメリカを生きた実在の探検家ヒュー・グラスの実体験があり、物語は事実と神話の境界を行き来します。
本レビューでは、レヴェナントの意味から、あらすじ見どころ、撮影技法の巧みさ、そしてこの映画が放つ“自然の中での人間の存在”への問いまで、ぼくの視点でレビューします。
『レヴェナント:蘇えりし者』予告編
『レヴェナント』の意味は?
タイトル「レヴェナント(Revenant)」は、フランス語で「再び来る者」「亡霊」「幽鬼」などを意味しています。主人公のヒュー・グラスが、瀕死の状態から生還し、復讐のために過酷な環境を生き抜き、幽鬼のごとく再起する姿を暗示しているのでしょう。
また、「revenir(再び来る)」から、死にかけた状態から再び来た=「蘇った者」という意味でしょう。
レヴェナントは実話?
レヴェナントは実話かどうかですが、ヒュー・グラスは実在の人物です。
クマに襲われ生還したことも、手記として残っているそうです。
ただ、全てが実話か?というと、あくまで脚色したフィクションと捉えた方が良いでしょう。
『レヴェナント:蘇えりし者』あらすじ~血と雪にまみれた、復讐のサバイバル
舞台は1830年代、未開のアメリカ大陸。
白人開拓者たちは毛皮を求めて先住民の領地へと分け入り、緊張状態は常に爆発寸前。
レオナルド・ディカプリオ演じる主人公、ヒュー・グラスは狩猟隊のベテランガイドとしてその最前線にいました。
ある日、グラスの隊が先住民の襲撃を受けて壊滅的な打撃を受けます。
逃走中、グラスは森で熊に襲われ瀕死の重傷を負い、隊はやむなく彼を見捨てることに。
さらにグラスの息子も、仲間のフィッツジェラルド(トム・ハーディ)によって殺害されてしまいます。
息子を殺され、瀕死のまま置き去りにされ、絶望の淵に置かれたグラス。
しかし、彼は、生き延びることを決意します。
血と雪にまみれながら這いずり、木の根をかじり、冷たい川に身を沈め、ただひとつ——復讐を果たすために、生を前にすすめます…。
『レヴェナント:蘇えりし者』この監督がすごい!
シームレスな戦闘シーンの衝撃
『レヴェナント:蘇えりし者』が始まってすぐ、観客は荒々しい自然と暴力の世界に引きずり込まれます。
狩猟隊と先住民との壮絶な戦闘シーン。矢が飛び交い、斧が振り下ろされ、馬が倒れ、人が駆ける——その混沌をカメラは、どう見てもワンカットのようにシームレスに追い続けます。
そのカットは実際には複数のショットをつなぎ合わせたものですが、その繋ぎ目はほとんど分かりません。
この技法は「シームレス・カット」と呼ばれ、俳優の動き、背景の一致、カメラの揺れすら計算され編集されたものなそうです。
リハーサルを重ね、実際の長回しを可能な限り取り入れ、編集で違和感を消す。
その結果、冒頭でぼくは『レヴェナント:蘇えりし者』の世界に飲み込まれました。
監督が仕掛けたこの10分。映画史に残る名シーンだと思います。
熊との死闘:痛みが画面から滲み出す名場面
グラスが熊に襲われるシーンは、『レヴェナント:蘇えりし者』のハイライトの一つでしょう。
咆哮とともに現れる熊。重い体重で押しつぶされ、爪で引き裂かれるグラス。
このシーン、息をのむどころか、息をするのを忘れるレベルです。
もちろん、熊はCGとの合成によるものですが、リアルすぎて目を覆いたくなるほど。
クマの爪で切り裂かれボロボロになったグラスが必死で息をする姿は、「生きること」とは何かを問いかけてくるようです。
このシーンの後のストーリーは、彼のサバイバルとリカバリーの軌跡であり、グラスの肉体の痛みがすべてを支配しています。
「蘇えりし者」というサブタイトルは、まさにこの瞬間からの生還劇を意味しているんですね。
監督の仕掛け「壮大な自然と“ミクロな人間”という構図」
『レヴェナント』は、復讐劇であると同時に、大自然との対話でもあります。
画面には、雄大な山脈、流れる川、静寂に包まれる雪原が幾度も登場します。
それらはただの背景ではありません。むしろ、もう一人の登場人物として存在しています。
グラスの存在はあまりに小さく、自然は巨大で無慈悲です。
その自然の圧倒的なスケール感が、観る者の感情を根本から揺さぶります。
仕掛けた監督イニャリトゥが意識したのは、「人間もまた自然の一部である」という感覚でしょう。
グラスの幻影として現れる亡き妻や、語られない精霊的な描写には、東洋的な自然観や循環思想が感じられます。
一見、敵対する先住民たちも、けっして「敵」としては描かれません。
彼らは彼らの“正義”のもとに生きており、むしろ自然との共生を貫くその姿勢は、白人開拓者よりよほど“倫理的”と感じました。
ロケーションの力:カナダとモンタナの極限風景
の映像美は、自然の過酷さをそのまま映し取るためにロケーション撮影にこだわった成果でしょう。
カナダのアルバータ州、アメリカ・モンタナ州など極寒地での撮影だったそうです。
一部シーンは−20℃を下回る中で行われたといいます。
ディカプリオは撮影中、実際に生魚や生肉を食べたり、氷水に飛び込んだりという役作りにチャレンジしています。
彼の肉体的な苦悩がダイレクトに伝わってくるのは、こうした本気の現場によるものなのでしょう。
これだけのリアリティに満ちたサバイバル映画が作られた背景には、監督、撮影クルー・キャストの執念があるのだと実感します。
フイッツジェラルドの勝利宣言
以下は、ネタバレ謎解きになります。映画を見ていない方は重ねてご注意くださいね。
ヘンリー隊長(演:ドーナル・グリーソン)が、フィッツジェラルドがグラスを見捨てたという真実を知り、フィッツジェラルドを追撃するシーンは、物語を急転直下ひきしめて、後半を盛り上げています。
そのシーンの流れの中、ヘンリー隊長はフィッツジェラルドに射殺され頭の皮を剥がされるのです。そう、フイッツジェラルドがかつてそうされたように。
このフイッツジェラルドがわざわざヘンリー隊長の頭皮を剥ぐというサインは、一体何を意味しているのでしょう?
ここでいったん、頭の皮剥について調べたことを書いておきます。
頭皮を剥ぐという行為は、もともとはインディアンがやっていたのではなく、入植者の白人が始めたことのようです。勝利の印として皮を剥いで頭皮を持ち帰ったのが最初なのですね。
そんなことされたインディアンが報復のために目には目をと復讐したことが、いつの間にか「インディアンが皮剥をした」とすり替わっているようです。(いやはやインディアンはいい迷惑だ)
ということから察するに、「皮を剥ぐ」という行為は「俺は勝者だ」という宣言だったのでしょう。
皮剥ぎが「勝者のしるし」であると考えると、追われる身となったフィッツジェラルドがヘンリー隊長を射殺したときに、わざわざ時間をかけヘンリー隊長の死体の場所まで戻り、頭皮を剥いだ理由が見えてきます。
フィッツジェラルドは多分自分が殺されることをわかっていて、そうしたように思います。
論理的思考のカタマリのようなフィッツジェラルドによるラストの皮剥ぎ行為は、
「グラスよ、言っとくけどな、どうあろうと勝者は俺なんだよ..」
という、無言の宣言=捨て台詞=メッセージだったようにぼくは解釈しています。
あらすじネタバレ〜結末:復讐の先に見えたものとは?
さて、物語のクライマックス、グラスはフィッツジェラルドを追い詰め、格闘します。それは二人とも残されたすべての力を振り絞った格闘です。
結果、フィッツジェラルドは深傷を負います。
ですが、グラスはフィッツジェラルドにとどめを刺すことは、しません。代わりに、追い詰め現れたインディオたちに彼の命を委ねます。
インディオは自然と共にあり、ある意味自然そのものです。
この選択は、「復讐の手を自分では汚さない」という意味ではなく、命を自然の流れに任せた、、、という理解をぼくはしています。
映画はそうすることで、“復讐とは、虚無を引き寄せる行為なんだ”というテーマを、ここで締めくくっているのだと思います。
そしてグラスの前に現れる、幻影のような妻。彼の表情が少しだけ穏やかに緩むラストカット。
その表情は、生き延びた者が背負う“命の連鎖”を、どうにか受け入れよう、、、という祈りにも見えました。
格闘シーンのバック山並みに差す陽光の意味
感想最後に書いておきたいのは、格闘シーンの背景のことです。
戦う二人の背景にある険しい山並みが、さーっと陽光に照らされるのです。まるで「空」と「実」は一つなのだ、と言わんばかりの陽光です。
撮影中に偶然陽光がさしたにしては出来すぎの感があります。けれど、表現者目線でそのシーンを考えると、「ある、ある!そういう偶然!」と思うのです。
全力での表現作業は自然や宇宙とつながり思ってもいない必然具象が現れるものなのです。
ぼくは、監督、撮影カメラマン、役者の精魂が自然につながった結果だと、あえて信じています。
『レヴェナント:蘇えりし者』評価は?
自然と魂を描いた絵画的な映画
『レヴェナント:蘇えりし者』は、復讐劇であり、サバイバル映画であり、精神の旅でもあります。
視覚、聴覚、感情、あらゆる感覚が試される2時間36分だと感じました。
ぼくの評価は星4.5。
何度も観返したくなるほどの力がありますし、大スクリーンで観る価値は今なお色あせていません。
特に自然と人間の関係を描いた映画が好きな方や、ディカプリオの真骨頂を観たい人には強くおすすめしたい一本です。
コメント