『地獄の黙示録』ネタバレあらすじ・感想評価|狂気とホラーの光と影

戦争・歴史・時代

 『地獄の黙示録』
狂ってるのは一体誰か?

こんにちは、映画好き絵描きのタクです。

今回ご紹介するのは、1979年に公開されたアメリカ映画『地獄の黙示録』(原題:Apocalypse Now)です。監督はフランシス・フォード・コッポラ。あの『ゴッドファーザー』シリーズで知られる監督が手がけた、戦争映画の金字塔です。

この映画は、ベトナム戦争を舞台にしながらも、単なる戦争映画ではありません。人間の心の闇や狂気をテーマにしていて、見る人にさまざまな問いを投げかけてきます。

主演はマーティン・シーン。共演にはマーロン・ブランド、ロバート・デュヴァル、ローレンス・フィッシュバーンなど、名優たちが勢ぞろい。

この記事では、『地獄の黙示録』のあらすじ、見どころ、考察ポイントを、公開から45年たった「今の目線」でわかりやすくレポートしてみます。


『地獄の黙示録』原題の意味は?

『地獄の黙示録』の原題は、『Apocalypse Now』です。apocalypseは黙示と訳されますが、「破滅的な状況や、世界の終末などを示したもの」の意味でもありますが、聖書のヨハネの黙示録を指しているとも思われます。それにナウ=「今」という言葉が添えられています。

「現代の黙示録」…考え方によって、いろいろな意味にとれる原題で、とても意味深です。

この言葉は、英語の中にも書き殴られた文字として、チラッとだけ登場します。

そのカットは、主人公たちの乗る哨戒艇がカーツ大佐の王国に辿り着くシーンに登場します。目を凝らしてよーく見ててください。



『地獄の黙示録』3つの編集バージョンの違い

『地獄の黙示録(Apocalypse Now)』には、以下の3つの編集バージョンがあります。簡単に違いをまとめてみました。


① オリジナル版(1979年公開)

  • 上映時間:約153分

  • 一般劇場で公開された初期バージョン。

  • 比較的テンポよく編集されており、最も多くの人に知られているバージョン。


② リダックス版(Apocalypse Now Redux/2001年)

  • 上映時間:約202分

  • オリジナル版に約49分の未公開映像を追加した長尺版。

  • フランス人プランテーションの場面、ウィラードとプランテーションの女性とのロマンスなどが追加されています。

  • より重厚なストーリー展開となりますが、テンポが落ちたという意見も。


③ ファイナル・カット版(Final Cut/2019年)

  • 上映時間:約183分

  • フランシス・フォード・コッポラ監督が「これが最もバランスが良い」として完成させたバージョン。

  • リダックス版の一部追加シーンはカットされ、映像と音声も最新技術でリマスターされています。


まとめ表

バージョン 公開年 時間 特徴
オリジナル版 1979年 約153分 初公開版。テンポがよく、編集もタイト。
リダックス版 2001年 約202分 長尺。追加シーン多数で物語に厚みがあるがテンポは落ち、饒舌のきらいあり。
ファイナル・カット版 2019年 約183分 コッポラが理想形とした最新版。中間の長さで映像も最良。

このレビューは、ぼくが個人的に良いと思っている「オリジナル版」を基本として進めていきます。



『地獄の黙示録』あらすじ

舞台は1960年代のベトナム戦争。主人公はアメリカ陸軍のウィラード大尉(マーチン・シーン)。

彼は、軍から極秘の任務を受ける。その内容は、カンボジアの奥地で独自の王国を築き、指揮系統を無視し暴走したカーツ大佐を暗殺せよという命令だった。ウィラードは小型の哨戒艇に乗り、艇の兵士たちとともに川をさかのぼっていく。

途中、ウィラードたちは激しい戦闘や理不尽な暴力、狂気に満ちた戦場の現実に直面する。

彼らの護送を頼んだキルゴア中佐は、ベトコンが拠点としている村を、自身の指揮するヘリ部隊で急襲。ワルキューレの騎行をヘリのスピーカーから流しながら攻撃を仕掛け、壊滅させる。理由はサーフィンを楽しむためだけのために、だ。

川を遡るにつれ、哨戒艇の兵たちはひとり、ふたりと命を落としていく。

やがてウィラードは、カーツの王国にたどり着く。

『地獄の黙示録』あらすじ結末まで

ここからはネタバレです。映画を観たい方はスルーしてください。

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あちこちに死体が転がり、白い土をカラダに塗りたくった男たちが立つ。そこは混沌の極みのような地だった。

そこではカーツが現地の人々から神のように崇拝され、王の如く君臨していた。

カーツはウィラードに対して、静かに自分の思想や戦争の本質について語りかける。ウィラードはカーツの語る真意を探りながらもカリスマ性に戸惑う。流されそうになるウィラード。しかし、彼は任務を果たす決意を固める。

ウィラードは、カーツを山刀で斬り殺す。

カーツは「恐怖だ…」という言葉を残して息絶える。

ウィラードは王国の住民たちから新たなリーダーとして迎えられそうになるが、生き残った哨戒艇の兵士とともにその場を去る。

ウィラードの心には、何が刻まれていたのか?戦争の狂気?人間の闇か?

そんな問いを残しながら、エンドロール。



『地獄の黙示録』〜ワルキューレの騎行とラッパ手の意味

『地獄の黙示録』の傑作シーンは、一にも二にも、ロバート・デュヴァル演じるキルゴア中佐が率いるヘリ部隊による戦闘シーンです。今更、という声も聞こえますが、何がすごいのか?を書いておかなければなりません。

キルゴア中佐のクレイジーさ

ロバート・デュヴァルの演技がすごいです。サーファーでもある中年男のキルゴア中佐が、作戦中に兵役についている有名サーファーと会い、ジャングルを流れる川にサーフポイントがあることを知ります。

そのポイントは、とある村のそばにあるのですが、ベトコンが支配しているらしいことを知ったキルゴア中佐はサーフィンをするためだけに村へヘリ部隊を出動させます。ただただサーフィンをしたいがために村を攻撃殲滅するのです。

村に降り立ったキルゴア中佐は、周りに着弾があろうと微動だにせず、頭にあるのはサーフィンのことだけ。周りの兵たちはもちろんビビりまくっているのですが、その対比がクレイジーさを倍加させています。会社や組織においてもリーダーにありがちな「自分は神」タイプです。

伝説中の伝説:ワルキューレの騎行

キルゴア中佐が率いるヘリ部隊がベトコン村を襲うときにヘリのスピーカーから大音量で流されるのが「ワルキューレの騎行」(ニーベルングの指環:第二幕/リヒャルト・ワーグナー作曲)です。

「このシーンが『地獄の黙示録』の全て」、といったら怒られるかもしれませんが、それほど完成度が高く、何度見ても唸ってしまいます。

クラシックの名曲に合わせて村を攻撃制圧するなんて、他の戦争映画で見たことありません。BGMではないんです。ヘリのスピーカーから流すのです。何度見ても絶品です。

公開当時はそのシーンの凄まじさがクローズアップされ、その後もテレビラジオいろんな媒体で「ワルキューレの騎行」が使われ、誰もが知る曲となりました。それは間違いなく『地獄の黙示録』のおかげでしょう。

ワルキューレとは?

では、「ワルキューレの騎行」ってどんな意味でしょう?ちょっとだけ解説を加えておきます。

ワルキューレ(ドイツ語: Walküre)は、北欧神話における、戦場で生死を決める女神とその軍団のことです。「戦死者を選ぶもの」の意味もあります。

選曲の意味づけが実にはっきりしていますよね。

ちなみに『地獄の黙示録』のベースとなった原作はコンラッドの「闇の奥へ」です。そしてその「闇の奥へ」の底本となったなのが「ニーベルングの指環」だそうです。

その点を考えると、フランシスフォードコッポラ監督が、キルゴア中佐のヘリボーン急襲シーンに「ニーベルングの指環」の「ワルキューレの騎行」を選んだ意味が、よくわかります。もちろん、その襲撃シーンのクレイジーさが戦場の狂気を暗に示しているのはまちがいないでしょう。

ヘリ部隊攻撃シーン〜編集の巧みさ

ワルキューレの騎行に合わせた攻撃シーンは、編集の巧みさが際立っています。複数のカメラで撮影したフィルムを繋ぎ合わせていますが、ワンカットワンカット無駄なくタイトにつなぎ合わされ、見ている自分がヘリの風を受けているような錯覚さえ覚えます。

もっとも撮影自体、フィリピンの軍のヘリを使っての撮影だったそうですが、カメラが回っている最中に、軍の命令が入り突然引き返すヘリもいたそうです。

そんな問題を抱えながらの撮影だったからでしょうか、編集で見事にパッチワークして出来上がった「ワルキューレの騎行戦闘シーン」は映画史に残る名シークエンスとなっています。



進軍ラッパを鳴らす兵

キルゴア中佐の部隊が離陸するシーンにちらっとだけラッパ手が2カットだけ映り込みます。

そのうち1カットは一瞬です。なので見落としてしまいがちですが、このラッパ手、ぼくは「ヨハネ黙示録における7人のラッパ手の暗喩」ではないかと思っています。

ヨハネ黙示録ではラッパ手が吹くたびに破滅が起こります。

進軍ラッパが村を殲滅させるトリガーとなっていると考えると、ヨハネ黙示録を意図した演出なのではないか?と、これはぼくの考えです。

『地獄の黙示録』〜カーツ大佐と生贄の牛

ヘリコプター部隊の戦闘シーンで終わってしまってはレビューとしてなんなんだ?となってしまいますので、話をクライマックスのカーツ大佐の王国へと進めます。

川を遡り、王国へと達したウィラードは、あっさりとカーツと対面します。ウィラードは、自分の任務をカーツが見透かしていることを知ります。しかしウィラードは殺されません。ここで軍からは悪と見なされていたカーツが、実に常識的な人間であることがわかります。

しかし、ウィラードはカーツを山刀で切り殺します。

そのシーンに重なるように「牛の屠殺」シーンが入ります。牛は、言うなれば、狂った世界に殺される悪意なき存在ではないでしょうか。

カーツ大佐は、狂気の世界においては逆に純粋なるものであり、しかしそれゆえに生贄にされなければならない存在だった、、、という意味を、ぼくは屠殺される牛から感じとりました。

もちろんこの考察はあくまで一つの考察です。

後半クライマックスは前半の派手な戦闘シーンの連打とは違い、色々考えなければならないシーンばかりです。それぞれに意味を感じていいと思います。

牛はちなみにキルゴア中佐のシーンにも使われています。ヘリに吊り下げられて行って、次のシークエンスではTボーンステーキとして登場します。やはり牛は、この映画を読み解く上で大事なアイテムだと思います。



『地獄の黙示録』〜まとめと評価

この映画を初めて見たのは公開当時、高校生の時でした。

学校をサボって公開初日の1回目に見たことを覚えています。

初日1回目に映画館に行ったということは、当時、他の戦争映画とは違うだろう、絶対に見逃したくないと思っていたからです。

しかし、印象は、「ワルキューレの騎行シーンはすごかったけど、あとはよくわからないや」でした。

今回、久々に再見しましたが、戦争の狂気を表現しようという意図が全編から伝わってきました。

確かにクレイジーさはめちゃくちゃ際立っています。

しかし、映画として面白かったか?と言われたら、正直言葉に詰まります。

前半キルゴア中佐のワルキューレシーンまでは100点。後半の王国での妙に哲学くさいシーンは50点。

慣らして75点。ぼくの評価は星4つにわずかに及ばず…🌟🌟🌟✨✨✨✨でした。

『地獄の黙示録』配信先は?

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