『グラディエーター2 』古代ローマ好き唸るスペクタクル
観ました、『グラディエーター2 英雄を呼ぶ声』(2024公開)。古代ローマ好きなぼくにとってはどうしても劇場で観たかった作品です。気合い入れてIMAXを選びました。
『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』は『グラディエーター』の後日談、続編映画となっています。
監督は一作目の『グラディエーター』と同じくリドリー・スコット。昨年公開の『ナポレオン』がリドリー・スコット作品としてはぼく的にイマヒトツでした。なので少々不安もありながらの『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』でした。
観終わって、ぼくは心の中でつぶやいてました『リドリー・スコット、86歳でこんな映画撮るなんて、凄すぎる!」
アクション、古代ローマ再現まで、とことん楽しめました。
もう、これでぼくの評価を言ってしまったも同然ですね。
そんな歴史スペクタクル続編映画を、「どんなところがおもしかったのか?」から、前作から本作へ続く気づきまでレビューしてみます。
『グラディエーター2 英雄を呼ぶ声』どんな映画?〜予告編をどうぞ
『グラディエーター』一作目の予告も貼っておきます。
『グラディエーター2 英雄を呼ぶ声』スタッフ・キャスト
簡単に,以下に制作キャスト書きます。
監督脚本
監督:リドリー・スコット 脚本:デビッド・スカルパ
キャスト
ポール・メスカル(ハンノ==ルシアス役)
デンゼル・ワシントン(マクリヌス役)
ペドロ・パスカル(アカシウス役)
コニー・ニールセン(ルッシラ役:前作も同役)
『グラディエーター2 英雄を呼ぶ声』は実話なの?
映画ではカラカラ帝とゲタ帝という歴史上実在の人物が登場します。どこかで聞いたことがある名前なので、「グラディエーター2は「実話なのかな?」と疑問に思う方も多いと思います。
ではリサーチしてみましょう。
カラカラ帝とゲタ帝は実際にいた兄弟皇帝です。
また、マクリヌスという名の人物(劇中ではデンゼル・ワシントンが演じている準主役)も、初の貴族階級でない元老院メンバーとして実在していました。
ヌミディアも北アフリカに実際にあった国です。ローマの属国となった経緯も史実にあります。
しかし、主人公のルシウスが剣闘士だった事実はありません。またマクリヌスが奴隷商人かだったことも不明です。
あくまでそれらの実在の人物や国をベースにして、新たに創作した歴史フィクションと考えて良いと思います。
ちなみに前作『グラディエーター』も同じように実在の皇帝を出しつつフィクションに徹しています。
『グラディエーター2 英雄を呼ぶ声』はつまらない?おもしろい?
もちろんこの手のエンターティメント映画は賛否両論だと思います。ちなみにぼくは歴史スペクタクル好きです。さらに前作『グラディエーター』に、星五つ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️評価を入れています。
さらにさらに、学生時代は史学科で古代ギリシャローマの歴史専攻でした。なので、『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』の舞台である古代ローマ時代にラブ五つ星でもあります。ですので、かなーーーりのラブ炸裂感想です。
では、ずばっといきます。
一言、素晴らしい映画をありがとう!です。
2時間半という長尺ですが、ぼくはあっという間、クライマックスまで一気見、上映時間の長さを全く感じませんでした。
では、あらすじを以下に書いてみますが、その前に、10秒でわかる前作『グラディエーター』のあらすじをどうぞ。
前作『グラディエーター』の10秒あらすじ
一作目の『グラディエーター』を見ていなくとも楽しめると思いますが、簡単に前作=一作目のあらすじを、4行で書いておきますね。(重ねて言いますが、『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』のあらすじではありません)
ローマ帝国の将軍マキシマスは皇帝アウレリウスの強い信頼を得ていた。
しかし、アウレリウス帝の息子コモドゥスの妬みを買い、家族は惨殺、マキシマスも殺されかける。
マクシムスは剣闘士奴隷商人に命を救われ、グラディエーターとして名をあげる。
次期皇帝となったコモドゥス。マクシムスは機会を待ち、ついにコロッセオでコモドゥスと対峙する….。
というストーリーです。
前作を見てみたくなった方はこちらからどうぞ。
では本編あらすじにまいりましょう。公開から間もないですので、あらすじは当たり障りないと思える範囲で簡単に書きます。もちろんネタバレが含まれますので、映画をご覧になる方はスルーしてください。
『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』あらすじ前半
北アフリカの国、ヌミディアに主人公ハンノとその妻アリサットが二人、つましく暮らしている。
そんなある日、ローマ帝国軍が襲来する。率いるは名将アカシウスだ。
ハンノとアリサットは共に戦うが、先陣を切ることを恐れない将軍アカシウス率いるローマ軍の手によりアリサットは戦死。ハンノは捕虜となり、ヌミディアはローマの属国となる。
アカシウスはローマに凱旋。カラカラ帝とゲタ帝から褒章され、ローマの民から絶大な賛辞を得る。
しかし将軍アカシウスは、カラカラとゲタ2人の治世はローマ没落への坂道と見抜き、妻ルッシラにその危惧を告げる。
妻ルッシラは、かつてローマをおさめていた賢帝アウレリウスの娘だ。ルッシラもまたローマの腐敗に懸念を持っている1人だった。
一方、捕虜となったハンノは奴隷の烙印を押され、奴隷剣闘士商人マクリヌスによって戦う才を見込まれ、剣闘士=グラディエーターとして買われる。
+ + +
ローマはカラカラ帝とゲタ帝の兄弟二人によって治められていたが、剣闘士の試合観劇に明け暮れる治世によって、ローマは貧民に溢れ、町は腐っていた。
剣闘士商人マクリヌスはそんなローマへハンノら剣闘士を抱え出向き、試合をプロモートする。
ハンノは、最初の試合からグラディエーターとしての才覚をあらわし、将軍アカシウスへの復讐の念を糧にコロッセオでの戦いの階段を登ってゆく。
そして、商人マクリウスはただの商人ではなかった。とある野望を抱く彼は、商才と政治的才でローマの政治中枢へと食い込んでゆく…。
『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』あらすじ中盤〜ネタバレ少々閲覧注意!
以下はネタバレです。映画を観る方はスルーしてください。
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そんなグラディエーター・ハンノを遠くから見る一人の女性がいた。ルッシラだ。
実はルッシラにはマキシマス(1作目の主人公)との間にもうけてた1人の男子「ルシアス」がいた。
マキシマスは、前々帝コモドゥスとの剣闘で命を落としていた。コモドゥスの政略によって、元名将からグラディエーターに堕とされた男だ。
ルッシラはその確執によって、我が子ルシアスに刺客の手が及ぶことをおそれ、我が子を1人、異郷へと逃していたのだった。もちろん、その後の我が子の消息は知る由もなかった。
ルッシラはハンノに会う機会を作り、ハンノに「我が子であり、前帝の血を引いている」ことを告げる。
しかし、ハンノはその事実を受け入れない。「我が命は、宿敵の将軍アカシウスに殺された妻の復讐のためだけにある」と、実母ルッシラを突き放す。
我が息子の復讐相手が我が夫アカシウスだと知り、運命を呪うルッシラ。
+ + +
そんな中、将軍アカシウスは、腐敗した帝政を倒し民衆を救うべく、軍を率いクーデターを隠密裏に計画する。
剣闘士商人マクリヌスは、元老院の1人の弱みに取り込み、さらには密告者を仕立てあげ、情報を掌握、権力の中枢へと近づいていた…。
しかし、マクリヌスの仕立てた密告者によりアカシウスのクーデター計画はカラカラとゲタ漏れ、アカシウスと妻のルッシラは、捕縛されてしまう。
怒り狂ったカラカラとゲタ。2人を即刻処刑すると息巻くが、すでに帝の側近となっていたマクリヌスが、「神の意志に託す場を設けるべき」と進言、2人の帝は即刻処刑を取りやめ、マクリヌスの言葉を受け入れる。
マクリヌスの言葉とは、ルッシラとアカシウス、そしてハンノの呪うべき宿命を形にしたような提言だった…。
+ + +
『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』古代ローマ好きによる感想です
オープニング・フルアニメの粋
本作も冒頭はリドリー作品恒例の「リドリー・スコットプロダクションオープニングアニメ」からスタートします。
以下、ネタバレ注意発しつつ、書いていきます。観たい方は大人判断でお願いします。
そのアニメは、リドリー映画のアタマには必ず登場する「人が鷲にメタモルフォーゼするショート・フルアニメ」ですが、ショートで終わらずに、なんとなんとアニメの流れで前作のあらすじをイメージさせるオープニングとなっている!のです。
すみません、ネタバレで。
前作『グラディエーター』好きのぼくは、その冒頭プロダクションアニメに涙が出そうになりました、本当に。
本編に入る前から、リドリー・スコットは粋なことをやってくれました。
三段櫂船戦闘シーンのリスペクト
そして続く出だしは、ヌミディア対ローマの戦いで幕を開けますが、ハンノと妻アリサットのヌミディアの砦に迫り来るローマの軍船=三段櫂船との戦いです。
前作『グラディエーター』のスタートシーンは同じく戦闘モードで森の中の「対ガリア戦」でした。その迫力を越える歴史スペクタクル戦闘シーンにはまだ会ったことがありません。
そんな「対ガリア戦」のシーンに負けるとも劣らない戦闘シーンへの感想は「リドリー・スコット、87歳にして縦横無尽に暴れまくってる」でした。
ちなみに「ローマの軍船=三段櫂船」を扱った映画には、歴史的名作『ベン・ハー』があります。
名匠ウィリアム・ワイラーが監督し、チャールトン。ヘストンが主演した大スペクタクルムービーです。(アカデミー賞めちゃくちゃ取った作品)
その『ベン・ハー』の中でも三段櫂船の戦闘シーンが描かれますが、櫂の漕ぎ手が座る船内シークエンスを思い出した人はオールドファンですね。
三段のオールがずらっと外に突き出した軍船を進めるのは漕ぎ手=奴隷による人力なのですが、オールを漕ぐリズムを取る船員の叩き出す太鼓の「ドン!ドン!ドン!ドン!」が”リドリー・スコットのウィリアム・ワイラー監督へのリスペクトだ”と感じたのは、ぼくだけでしょうか?
「つかみはオッケー」にやられました。
グラディエーター剣闘シーンの迫力は?
主人公ハンノがグラディエーターとなってゆく過程もスムーズに描かれ、剣闘シーンも見応えがありました。
一作目がかれこれ四半世紀前の制作です。この二十数年で古代ローマ研究もずいぶん進んだと聞きます。
グラディエーターが戦ったローマの有名史跡「コロッセオ」の作りや、どんな仕掛けがあったのかもずいぶんと研究解明されてきています。
例えば、実際にコロッセオに水を張って海戦再現することが可能だったこともわかっているようです。
「サラミスの海戦の再現」シーンは、ぼくが想像の中で巡らしていた「コロッセオで行われただろう海戦」が実際スクリーンに再現されたわけで、涙モノでした。
まあ、プールコロッセオにサメが登場するのは、史実としてあり得ないでしょうからエンタメサービスご愛嬌でしょうね。ゆるします。
『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』の剣闘シーンは「こういう戦いがなされていたに違いない」という研究をベースに、うまくフィクション構成されていたようにぼくは感じました。
『グラディエーター2 英雄を呼ぶ声』作品がくれたメッセージ
以上、ざっと個人的感想に、ぼくのツボを突いてきた見どころを重ねて書いてきました。
では、アクションシーンやスペクタクル感は以上で終わりにして、ここからは映画『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』に制作陣が託したメッセージについて、ぼくなりに深読みしてみます。
手=mani=が語る映画『グラディエーター』
まず、書いていきたいのが、「手」について。
「手」のアップをこれほど語り部として据えた映画は、あまり記憶にありません。
前作『グラディエーター』でもラッセル・クロウ演じるマキシマスの「手」が印象的でした。「マキシマスの手が麦畑の穂を撫でるカット」は、他の映画でも時々「あ、このカット、マキシマスの「手」へのオマージュだ」とピンときます。それほど影響を与えたシーンです。
ひるがえって、『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』でもやはり、「麦の粒」を愛でる「手」のアップが印象的に使われます。
前作の「マキシマスが手で撫でる麦の穂」と本作での「ハンノ(ルシアス)が手で愛でる収穫した麦」は、二つの物語を語る大切な円環であり、ぼくが今感じている以上に大きな意味を含んでいると思います。(ムギ文化(パン)ではなくコメ文化(ごはん)の日本に生きるぼくにはわからない暗喩があると思う)
また、コロッセオの地面の砂を掴むシーンでもやはり、「手」に「声なきセリフ」を語らせています。
イタリア語で「手」は「mano」と言います。複数形は「le mani」です。なるほど、と調べていくと、腕;活動(力), 労働力;暴力;支配という意味が出てきます。さらには「avere le mani legate|拘束されている」「avere le mani libere|自由な身である」という使い方を見つけてハッとしました。
映画の中で主人公たちグラディエーターは奴隷ですから「avere le mani legate|拘束されている人」です。
また劇中では「自由になれる」という言葉も深いキーワードとして使われます。そう「avere le mani libere|自由な身である」です。
拘束と自由に「手=mani」が見つかったことで、『グラディエーター』と『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』でフューチャーされた「手」のカットの意味がようやくわかりました。
これら2本の映画には「拘束と自由の物語」がテーマの底を流れています。
マキシマスとルシアス=ハンノのそれぞれの物語は「手=mani」が象徴する物語でもあり、「手=mani」で繋がっていたのです。
歴史も人のドラマも繰り返す
「歴史は繰り返す」とはよく言われますが、何も繰り返すのは歴史に限ったことだけじゃないとぼくは思っています。人のドラマもいくつかの物語の「繰り返し」だと、つくづく思っています。
なんでそんなことを書いたかといえば、『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』にはそんなドラマの繰り返しがところどころに見て取れるからです。
名将であるアカシウスが、皇帝=言い換えれば権力者=の手によって、皇帝の言葉を借りるなら「消滅」させられるのも、前作の主人公・軍団長マキシマスの命運と似ています。
しかし、そのアカシウスの命運がただの「消滅」で終わらずに次のドラマに連なっていくという「終わりは始まり」のようなメッセージをぼくは心のどこかで感じていました。
「繰り返す」という視点で見るならば、最初のローマ軍によるヌミディア攻略場面で描かれる「ハンノの水中シークエンス」がありますが、その水の中での出来事は、やはり別の大事なシーン(これ以上はネタバレになるので書かないでおきます)でも繰り返されます。
キケロの言葉
「地獄の門への坂道を転がるのはたやすい。しかし地獄から這い上がるのは大変な苦難を要する」
すみません、劇場内でメモできなかったので、多分、字幕とは違っています。けど、こんな意味のセリフが『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』では何度か登場します。それも、結構大事なシーンで。
それは、劇中、キケロの言葉として使われます。
権力への憧れは誰しも大なり小なりあるのが人間です。別に皇帝のような国家権力者じゃなくたって、「人より上に立ちたい」、「勝利したい」っていうのが人間です。
今風にいうなら「マウント取りたい」ってやつも権力志向の、違った現れ方ですね。もはや人間のもつ業ですよね。
この言葉の「地獄」の意味をぼくは「人の上にあぐらかいてラクチンワガママする」コトって、勝手に置き換えてました。(違っているかもしれないけど)
そう考えたら、多分、日常でもこの「地獄」はあちこちにあると思いました。
ぼくも日々、繰り返し、このキケロの言葉を思い出そう…。そうすればいいことあるかもしれないし。
キケロはローマ末期の政治家、文筆家、賢人です。
以下の名言サイトにキケロの言葉の数々が載っています。いやはや2000年前の人の言葉とは思えない……って感じるということは、人って、2000年前から延々と同じことを繰り返しているんですね。
https://oyobi.com/maxim01/01_14.html
この映画はローマの遺跡たちが語った物語
感想最後になりますが、映画でCG再現された古代ローマのことに触れておきたいです。
四半世紀前の一作目『グラディエーター』のコロッセオCG再現にも度肝を抜かれました。
続編グラディエーターIIでも、同様に古代ローマが、VFXで今に再現され、ローマの街並み、コロッセオ、果ては遠くから眺めるローマの丘(!)まで見ることができ、古代ローマ好きに取ってはシーンのたびに心の中では感動の涙をこぼしていました。
IMAXでみましたので、雑踏の音までリアリティがあり、古代ローマのホコリの匂いまで画面から伝わってくるようでした。
映画がもうすぐ終わる。。。というクライマックスで、ぼくはなぜか「古代ローマの町」が、この物語の語り手だったように感じたんです。
町が語り手、ってヘンな言い方ですが、「一つの生き物として町が存在している」感じを受けたんです。
ローマ帝国はその後滅び、しかし2000年の時を経てなお、遺跡という形で今のぼくらとともに生き続け、さまざまな物語をプレゼンしてくれています。
過去何度も古代ローマは史劇スペクタクル映画という形でスクリーンに再現されてきました。
『グラディエーターII』は、今に生きる人々が持つ「古代への憧れ」に、雄弁に語りかける新たな1ページだ、と、ぼくは感じました。
『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』ぼくの評価
ぼくの評価は、一作目につづいて星五つ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️です。
素敵な映画をありがとうございました。
当サイトで一作目『グラディエーター』もレビューしていますのでよかったらどうぞ
『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』動画サイト
動画が見れるYouTubeサイト(海外予告等)を以下に貼っておきます
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