『許されざる者』解説|あらすじネタバレ〜考察・感想・評価からスタッフキャストまで|エンドロールのセルジオとドンとは?

戦争・歴史・時代

こんにちは!映画好き絵描きのタクです。今回取り上げる映画は、西部劇『許されざる者』(1992年:アメリカ映画)。アカデミー作品賞ほか三部門受賞している作品です。




マカロニウエスタン「荒野の用心棒」などで世界的スターとなり、その後、アメリカハリウッドに攻め入り『ダーティ・ハリー』シリーズで大ブレイクしたクリント・イーストウッドが監督・主演です。

余談ですが、マカロニウェスタンとは、イタリアメイドの西部劇の呼び名です。

低予算で人件費安いスペインでロケされ、大量に作られました。

実は「マカロニウェスタン」と言って話が通じるのは、日本だけ。外国では当時スパゲッティウェスタンと呼ばれていたらしいです。

『許されざる者』の日本公開年は1992年です。当時ぼくは劇場でみて、今までにないスタイルに感動した記憶があります。

「最後の西部劇」と称された異色のウェスタンを今、改めて見直し、レビューしてみました。



『許されざる者』あらすじは?

物語は1880年代のアメリカ・ワイオミング。主人公の男はウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)。彼はかつては残虐非道で名の通ったアウトローだった。しかし、美しい妻と結婚、過去と決別、妻は病で亡くなったが、子供達二人と農地を耕し、家畜の世話をする日々だ。しかし生活は困窮を極めていた。

同じくワイオミングの小さな町ビッグ・ウィスキー。町の売春宿で事件が起こる。地元のカウボーイ二人が売春婦の顔にナイフで切りつけ、傷物にする。怒った売春宿の女たちは有り金を集め、カウボーイの1000ドルの懸賞金をかける。

ビッグ・ウィスキーの保安官リトル・ビル・ダゲット(ジーン・ハックマン)は、町に「拳銃持ち込み厳禁」の立て札を立て、町でアウトローたちがことを起こすことをガードしている。

そんなところへ伝説の懸賞稼ぎイングリッシュ・ボブ(リチャード・ハリス)が町にやってくる。ボブを蹴り倒し「懸賞稼ぎがこのまちで事を起こすことは許さない」と声を荒げるリトル・ビル。

一方、生活に困窮しきったウィリアム・マニーは、二人の子供の行く末を案じていた。そんなところへやってきたのは懸賞稼ぎ志望の若い男スコフィールド・キッド。彼が持ちかけた1000ドルの懸賞金の話に彼は乗ってしまう。

マニーはかつての友、ネッド・ローガン(モーガン・フリーマン)を誘い、懸賞金がかけられたカウボーイ二人のいる牧場を目指す。

しかしアウトローとして名を馳せたのは、すでに過去の話。雨の中のライディングで高熱を出したマニーは、途中立ち寄ったで保安官リトル・ビル・ダゲットらに暴行を受ける。

荒くれ者だったネッドも、老いは隠せない。今は心が遥か遠い我が家だ。妻の元で暮らすことが幸せなことと気づいた彼は、結果、賞金稼ぎから降り、マニーとスコフィールドと袂を分つ。

しかし、ネッドは運悪くリトル・ビルの部下に捕らえられ、暴行のすえ殺される。

友の死を知ったマニーは、かつての残虐マニーの顔に豹変。一人、ビッグ・ウィスキーへと乗り込んでゆく

という筋立てです。




『許されざる者』あらすじ結末まで〜ネタバレあり閲覧注意!

以下はネタバレとなりますので、映画を観る方はスルーしてくださいね。

+ + +

マニーは断酒していたウィスキーをあおる。…意は決まった。

キッドから銃を受け取ったマニーは、単身、ビッグ・ウィスキーの酒場に向かう。

酒場では、リトル・ビルが、マニーとキッドの追跡隊に手はずを指示していた。

そこへ、銃を携えたマニーが現れる。

銃撃戦が始まった。

激しい銃撃戦の中、リトルビルの部下たちは、一人また一人とマニーの弾丸に倒れてゆく。

残るはリトル・ビルただ一人だ。

マニーは、リトル・ビルと一対一で対峙。

リトル・ビルを一発で撃ち倒す。

ラスト、マニーは、ビッグ・ウィスキーの町の人々にネッドの遺体を埋葬し、娼婦たちをもっと人間らしく扱うように告げ、ビッグ・ウィスキーから去っていく。



『許されざる者』解説・’92年公開当時と、そして’23年再見時の感想ダブルレビュー

『許されざる者』を、1992年の日本公開当時にぼくは劇場で観ています。

当時のぼくは、『許されざる者』にかなり高得点をつけました。アカデミー作品賞、脚本賞、助演男優賞といくつかさらった作品でもあります。

「おまえら、ゆるさん」とクリントイーストウッドが静かに「悪魔のマニー」に豹変するクライマックス。そのシーンには痺れまくった記憶があります。

では、ほぼ30年ぶりに配信で『許されざる者』を再見した今回は、どうだったのか?

意外だったのは、思っていた以上に『許されざる者』は淡々とした筋運びだったということ。

「えっ?こんなにも覚醒前のマニーはガンマンとしてはダメダメだったっけか?」という印象も強かったです。そこが肝でもありますが。

最初に評価点数比較をしちゃいます。

採点とるなら、公開当時劇場感覚は85点印象。30年後再見は75点というところでした。

10点の差。これはぼくが歳を重ねたことで、感じるツボが変わったことのせいもあると思います。

以下に今回いろいろ考えさせられた点を書いてみますね。




考察その1〜アイデンティティを考えさせられる西部劇

『許されざる者』は「最後の西部劇」なんて言い方もされていた、と記憶しています。

『許されざる者』のアカデミー賞受賞理由には、多分に日本人には理解が及ばない、アメリカ人の「西部開拓時代へのノスタルジー感」も影響しているのでは?と思いました。

アメリカは日本に比べると国が若く、あちこちから移民が集まり作られた国です。

それゆえに、西部劇に描かれる開拓時代は、アメリカ人のアイデンティティの拠り所なんじゃないか?…と、これはぼくの推論です。

日本人は、太古の縄文の時代からず〜〜〜っと同じ島国に生きてきました。

一方アメリカは日本とは違い、移民が開拓した国です。

そんな開拓フロンティアスピリッツを持って観るアメリカ人と、島国農耕民族日本人では、『許されざる者』は違った感動がある作品なのではないか?と、ぼくは思いました。

『許されざる者』が75点というぼくの数字は、そんなアメリカ的アイデンティティを持っていない部分を差し引いた点数でもあります。




考察その2〜『許されざる者』のすごいところ=生粋の悪人がいない。

生粋の悪人がいない!

『許されざる者』が過去の西部劇と大きく違っている点、それは西部劇アルアルの「極悪非道町のボス」が『許されざる者』には、いない!ということです。

『許されざる者』のマニーはじめ主人公たちは、確かにその昔は極悪非道だったという過去形設定です。

しかし、時代がうつり、誰もが銃を農具に持ち替えているわけで、拳銃さばきも下手くそになり、あげくには馬に乗るのも無様なさまをさらけ出してしまう、ごくフツーの人になってしまっています。

さらには、『許されざる者』には、どこを見渡しても正真正銘のワルが出てきません。

あえているとすれば、あちこちのシーンにちょろちょろと登場する自称出版社の編集者ライターが一番小賢しいワルに見えてくるくらいです。

(当時新しい職業だったであろう「編集者ライター」に悪を透かしているところが、実はこの映画のすごいところだ、と、ぼくは思っていますが…)




敵役リトル・ビルだって善人だ

映画のクライマックスが、町の保安官リトル・ビル・ダゲットとマニーの一騎打ちになるのは、もちろん映画の途中から先読みできます。

保安官リトル・ビルは確かにかなり暴力的なこともしますが、それはある意味、「賞金稼ぎ」という開拓時代の悪癖とアウトローを封ずるため。「ドンパチ開拓史は昔のことだぜ、今は時代が違うんだ」と考えている節があります。

ビッグ・ウィスキーなる小さな町には、町境に『火器は保安官事務所に預けること』と看板まで出しています。

「拳銃ベルトから下げたよそ者が町でフラフラするのは御法度」というルールは、無法者が闊歩していた西部開拓時代が終わりつつあることを示していますし、リトル・ビル・ダゲットは、そんな町の、新時代の法の守護者でもあるのです。

ブリティッシュ・ボブなる、非常に西部劇映えする登場人物が出てきます。名うての賞金稼ぎです。(名優リチャード・ハリスが演じています。)

その彼をリトル・ビルはボコボコにしてしまい、「この町で賞金稼ぎが闊歩するなんぞまかりならん!」とどなります。古い時代への訣別を暗に表しているシーンだな、と、ぼくは感じました。

その後、リトル・ビルは賞金稼ぎのボブを町境まで追放します。そして「町境を越えたなら手錠をはずせ」と命じます。

このシーンもまた、時代は変わったことを暗に仄めかしているのです。




考察その3〜『許されざる者』最大の見どころは?

いろいろ書いてきましたが、要するに『許されざる者』は、古き良き西部劇ではないのです。

リトル・ビルはじめ、登場人物の職業は古き良きアメリカのそれです。

しかしドラマのスジは、今、ぼくらが生きている世界に、まんま置き換えることができるのです。

 

決して「昔あるところに」というお話ではないところが、この映画の最大のキモだと思います。

 

リトル・ビルが売春宿で悪さした男たちに罰を課しますが、感情に流されずに、ちゃんと考えて裁いています。

このシーン、現代の法廷なら「アルアル」でしょう。

登場人物たちも、一見すごそうに見えて、いたって普通です。

誰も彼もいい意味で、弱い。非常〜〜〜に人間的です。

 

何度も書きますが、『許されざる者』の設定は、現代のどこかの小さな町に舞台を置き換えると、まんまハマってしまう物語になるのです。

クリント・イーストウッドは、「勧善懲悪」、「孤独なヒーロー×悪徳保安官」といった昔の図式にあえてフタをして、今の社会に通じる皮肉も込めてドラマを作った。

その点が、この映画の最大の見どころであり、大きな存在価値だと思います。




『許されざる者』の意味は?

タイトルの『許されざる者』とは誰のことを刺すのでしょうか?

もちろん暗い過去を背負ったマニーが、ラスト豹変、過去のマニーとなり、銃を抜きます。すなわち積み重ねてきた良き行いは崩れ去り、過去の彼に戻ってしまいます。

「許されない者」とは、許されざる過去を負った男マニーという見方が妥当だと思いますが、ぼくはそれだけでないと感じました。

どうしてそう感じたのか?

そのきっかけは、ラストの印象的な夕暮れにあります。

その夕暮れの向こうには、「人は全て罪を負っている、善人はいない。皆全て許されざる者だ。そのことを忘れるな」と、目に見えないクレジットが書かれていたように感じたのです。




エンドロールの「セルジオとドンに捧ぐ」の意味は?

ラストエンドロールが流れる直前、「セルジオとドンに捧ぐ」と字幕が入ります。

セルジオはマカロニウェスタンの巨匠であり、クリントイーストウッドをスターダムにのし上げた監督の、セルジオ・レオーネ。ドンは、同じくクリント・イーストウッドがハリウッドに攻め入った映画『ダーティ・ハリー』監督、ドン・シーゲルです。

1992年が『許されざる者』公開年ですが、ほんの数年前にセルジオ・レオーネもドン・シーゲルも亡くなっています。

「セルジオとドンに捧ぐ」という字幕は、クリント・イーストウッドの恩師二人への心からのリスペクトなのです。




『許されざる者』スタッフ・キャスト

監督:クリント・イーストウッド 脚本:デビッド・ウェッブ・ピープルズ 編集:ジョエル・コックス

キャスト:クリント・イーストウッド ジーン・ハックマン リチャード・ハリス モーガン・リーマン フランシス・フィッシャー ジェームズ・ウールベット



『許されざる者』配信は?

U-NEXTは見放題にラインナップ。

以下はレンタル可能です

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