『許されざる者』レビュー
限りなく星4つに近い星3つ半⭐️⭐️⭐️✨✨✨
※一部、あらすじや役柄に関するネタバレを含みます。ご理解の上お読みください。
こんにちは!映画好き絵描きのタクです。
今回レビューで取り上げる映画は、西部劇『許されざる者』(1992年:アメリカ映画)。アカデミー作品賞ほか三部門受賞している作品です。
マカロニウエスタン「荒野の用心棒」などでスター俳優となり、その後、『ダーティ・ハリー』シリーズで大ブレイクしたクリント・イーストウッドが監督・主演です。
『許されざる者』の日本公開年は1992年です。当時ぼくは劇場でみて、今までにないスタイルに感動した記憶があります。
公開当時「最後の西部劇」と称された異色のウェスタン『許されざる者』を、今、改めて見直してレビューしてみます。

このレビューでわかること
『許されざる者』公開当時と2023年再見時のダブルレビュー
『許されざる者』あらすじ〜ネタバレあり
『許されざる者』見どころは?何がすごい?
『許されざる者』タイトルの意味は?
『許されざる者』あらすじは?
物語は1880年代のアメリカ・ワイオミング。主人公の男はウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)。
彼はかつては残虐非道で名の通ったアウトローだった。しかし、美しい妻と結婚、過去と決別、妻は病で亡くなったが、子供達二人と農地を耕し、家畜の世話をする日々だ。
しかし生活は困窮を極めていた。
舞台はワイオミングの小さな町ビッグ・ウィスキーに移る。
町の売春宿で事件が起こる。地元のカウボーイ二人が売春婦の顔にナイフで切りつけ、傷物にしたのだ。怒った売春宿の女たちは有り金をかき集め、二人のカウボーイに1000ドルの懸賞金をかける。
ビッグ・ウィスキーの保安官リトル・ビル・ダゲット(ジーン・ハックマン)は、町に「拳銃持ち込み厳禁」の立て札を立て、町でアウトローたちがトラブルを起こすことをガードしている。
そんなところへ1000ドルの懸賞金を知った、伝説の賞金稼ぎイングリッシュ・ボブ(リチャード・ハリス)が町にやってくる。
リトルビルは「拳銃持ち込み厳禁」の法を破ったボブを蹴り倒し「懸賞稼ぎがこのまちで事を起こすことは許さない」と声を荒げる。
一方、生活に困窮しきったウィリアム・マニーは、二人の子供の行く末を案じていた。
そんなところへやってきたのは、懸賞稼ぎ志望の若い男スコフィールド・キッドだ。
キッドが持ちかけた1000ドルの懸賞金の話にマニーは乗ってしまう。
マニーは、かつての友、ネッド・ローガン(モーガン・フリーマン)を誘い、懸賞金がかけられたカウボーイ二人がいる牧場を目指す。
しかしマニーがアウトローとして名を馳せていたのは、すでに過去の話だった。マニーの拳銃の腕は鈍っていた。
雨の中のライディングで高熱を出したマニーは、保安官リトル・ビル・ダゲットらに暴行を受ける。
一方マニーから声をかけられた荒くれ者だったネッドも、老いは隠せない。
歳を重ねた今、ネッドの心はいつも遠い我が家を見ていた。妻の元で暮らすことがつましいながらも幸せと気づいた彼は、賞金稼ぎから降り、マニーとスコフィールドと袂を分つ。
しかし、ネッドは運悪くリトル・ビルの部下に捕らえられ、暴行のすえ殺される。
友の死を知ったマニーは、かつての残虐マニーの顔に豹変。一人、ビッグ・ウィスキーへと乗り込んでゆく…
という筋立てです。
『許されざる者』あらすじ結末まで〜ネタバレあり閲覧注意!
以下はネタバレとなりますので、映画を観る方はスルーしてくださいね。
+ + +
マニーは断酒していたウィスキーをあおる。…意は決まった。
キッドから銃を受け取ったマニーは、単身、ビッグ・ウィスキーの酒場に向かう。
酒場では、リトル・ビルが、マニーとキッドの追跡隊に手はずを指示していた。
そこへ、銃を携えたマニーが現れる。
銃撃戦が始まった。
激しい銃撃戦の中、リトルビルの部下たちは、一人また一人とマニーの弾丸に倒れてゆく。
残るはリトル・ビルただ一人だ。
マニーは、リトル・ビルと一対一で対峙。
リトル・ビルを一発で撃ち倒す。
ラスト、マニーは、ビッグ・ウィスキーの町の人々にネッドの遺体を埋葬し、娼婦たちをもっと人間らしく扱うように告げ、ビッグ・ウィスキーから去っていく。
’92年公開当時、そして’23年再見時の感想ダブルレビュー
『許されざる者』を、1992年の日本公開当時にぼくは劇場で観ています。
当時のぼくは、『許されざる者』にかなり高得点をつけました。アカデミー作品賞、脚本賞、助演男優賞といくつか受賞した映画でもあります。
「おまえら、ゆるさん」とクリントイーストウッドが静かに「悪魔のマニー」に豹変するクライマックス。そのシーンには痺れまくった記憶があります。
では、ほぼ30年ぶりに配信で『許されざる者』を再見した今回は、どうだったのか?
意外だったのは、思っていた以上に『許されざる者』は淡々とした筋運びだったということ。
「えっ?こんなにも「覚醒前のマニー」はガンマンとしてはダメダメだったっけか?」という印象も強かったです。そこが『許されざる者』の肝でもありますが…。
以下に感想考察を書いてみます。
考察その1〜アイデンティティを考えさせられる西部劇
『許されざる者』は「最後の西部劇」と評されていた——そんな記憶があります。
アカデミー賞受賞の背景には、物語や演技の完成度だけでなく、日本人にはなかなか実感しづらい“アメリカ人の西部開拓時代へのノスタルジー”も影響していたのではないかと思いました。
アメリカは日本に比べ国が若く、さまざまな土地から移民が集まって築かれた国です。
だからこそ、西部劇に描かれる開拓時代というモチーフは、アメリカ人にとって“自分たちのルーツを感じられる原点”なのではないか——これはぼくの推論です。
一方で、ぼくら日本人は縄文の時代から同じ島国で、ずっと共同体で暮らしてきた民族です。
アメリカとは異なり、移民がフロンティアを切り開いた歴史はありません。
では、そんな“開拓者の血”を持つアメリカ人が観る『許されざる者』と、島国農耕民族である日本人が観る『許されざる者』とでは、心に生まれる感動は違うのでしょうか。
アメリカ人のアイデンティティの原点が“開拓する荒野=西部の荒野”だとするなら、
日本人にとっての原点は“ムラに帰る安心感”や“家族のつながり”なのかもしれません。
そんな「人はどこへ帰るのか?」という視点で『許されざる者』を観ると、この映画に隠されたテーマがより鮮明に浮かび上がってくるように感じます。
マニーもネッドも、かつては恐れられたアウトローでしたが、結局は“家族と穏やかに暮らす人生”を求めています。
彼らは荒野の伝説である前に、“帰る場所を求める普通の人間”なんですよね。
旧友ネッドを奪われた瞬間、マニーの“悪魔の顔”が戻ってしまうシーンは衝撃的ですが、あれは単なる復讐の怒りではない。
“帰るべき場所と、心の故郷でもあったネッドとの過去を奪われた怒り”が、彼の中の悪魔を呼び起こしたのだと思います。
「帰る場所」を失うことは、アメリカ人であれ日本人であれ、誰にとっても耐え難いものです。
ぼくらは西部フロンティアへのノスタルジーを持ち合わせてはいませんが、それでも“帰りたい場所”を持っている。
だからこそ『許されざる者』は、日本人のぼくらの心にも深く刺さるのではないでしょうか。
考察その2〜『許されざる者』のすごいところ=生粋の悪人がいない。
生粋の悪人がいない!
『許されざる者』が過去の西部劇と大きく違っている点、それは西部劇アルアルの「極悪非道町のボス」が『許されざる者』には、いない!ということです。
『許されざる者』のマニーはじめ主人公たちは、確かにその昔は極悪非道だったという過去形設定です。
しかし、時代がうつり、誰もが銃を農具に持ち替えているわけで、拳銃さばきも下手くそになり、あげくには馬に乗るのも無様なさまをさらけ出してしまう、ごくフツーの人になってしまっています。
さらには、『許されざる者』には、どこを見渡しても正真正銘のワルが出てきません。
あえているとすれば、あちこちのシーンにちょろちょろと登場する自称出版社の編集者ライターが一番小賢しいワルに見えてくるくらいです。
(当時新しい職業だったであろう「編集者ライター」に悪を透かしているところが、実はこの映画のすごいところだ、と、ぼくは思っていますが…)
敵役リトル・ビルだって善人だ
映画のクライマックスが、町の保安官リトル・ビル・ダゲットとマニーの一騎打ちになるのは、もちろん映画の途中から先読みできます。
保安官リトル・ビルは確かにかなり暴力的なこともしますが、それはある意味、「賞金稼ぎ」という開拓時代の悪癖とアウトローを封ずるため。「ドンパチ開拓史は昔のことだぜ、今は時代が違うんだ」と考えている節があります。
ビッグ・ウィスキーなる小さな町には、町境に『火器は保安官事務所に預けること』と看板まで出しています。
「拳銃ベルトから下げたよそ者が町でフラフラするのは御法度」というルールは、無法者が闊歩していた西部開拓時代が終わりつつあることを示していますし、リトル・ビル・ダゲットは、そんな町の、新時代の法の守護者でもあるのです。
ブリティッシュ・ボブなる、非常に西部劇映えする登場人物が出てきます。名うての賞金稼ぎです。(名優リチャード・ハリスが演じています。)
その彼をリトル・ビルはボコボコにしてしまい、「この町で賞金稼ぎが闊歩するなんぞまかりならん!」とどなります。古い時代への訣別を暗に表しているシーンだな、と、ぼくは感じました。
その後、リトル・ビルは賞金稼ぎのボブを町境まで追放します。そして「町境を越えたなら手錠をはずせ」と命じます。
このシーンもまた、時代は変わったことを暗に仄めかしているのです。
考察その3〜『許されざる者』最大の見どころは?
いろいろ書いてきましたが、要するに『許されざる者』は、古き良き西部劇ではないのです。
確かにリトル・ビルはじめ、登場人物の職業は古き良きアメリカのそれです。
しかしドラマのスジは、今、ぼくらが生きている世界に、まんま置き換えることができるのです。
決して「昔あるところに…」というお話ではないところが、この映画の最大のキモだと思います。
例えば、リトル・ビルは売春宿で悪さをした男たちに罰を課しますが、感情に流されずに、ちゃんと考えて裁いています。
このシーン、現代の法廷なら「アルアル」でしょう。
登場人物たちも、一見すごそうに見えて、いたって普通です。
誰も彼もいい意味で、弱い。非常〜〜〜に人間的です。
何度も書きますが、『許されざる者』の設定は、現代のどこかの小さな町に舞台を置き換えると、まんまハマってしまう物語になっているのです。
多分、クリント・イーストウッドは、「勧善懲悪」、「孤独なヒーロー×悪徳保安官」といった昔の図式にあえてフタをして、今の社会に通じる皮肉も込めてドラマを作ったのではないでしょうか?
その点が、この映画の最大の見どころであり、大きな存在価値だと思います。
『許されざる者』の意味は?
タイトルの『許されざる者』とは誰のことを刺すのでしょうか?
もちろん暗い過去を背負ったマニーが、ラスト豹変、過去のマニーとなり、銃を抜きます。すなわち積み重ねてきた良き行いは崩れ去り、過去の彼に戻ってしまいます。
「許されない者」とは、許されざる過去を負った男マニーという見方が妥当だと思いますが、ぼくはそれだけでないと感じました。
どうしてそう感じたのか?
そのきっかけは、ラストの印象的な夕暮れにあります。
その夕暮れの向こうには、「人は全て罪を負っている、善人はいない。皆全て許されざる者だ。そのことを忘れるな」と、目に見えないクレジットが書かれていた….ように感じたのです。
エンドロールの「セルジオとドンに捧ぐ」の意味は?
『許されざる者』のラストエンドロールが流れる直前、「セルジオとドンに捧ぐ」と字幕スーパーが入ります。
セルジオとドンって一体誰??ってなりますよね? なので、ちょっとだけ知ったかぶりっこ解説です。
セルジオはマカロニウェスタンの巨匠であり、クリントイーストウッドをスターダムにのし上げた監督の、セルジオ・レオーネです。
ドンは、マカロニウェスタンでのしあがったクリント・イーストウッドが、ハリウッドに攻め入った映画『ダーティ・ハリー』の監督、ドン・シーゲルを指しています。
1992年が『許されざる者』公開年ですが、ほんの数年前にセルジオ・レオーネもドン・シーゲルも他界しています。
「セルジオとドンに捧ぐ」という字幕は、クリント・イーストウッドの恩師二人への心からのリスペクトなのです。
『許されざる者』スタッフ・キャスト
| 役名/クレジット | 俳優・担当者名 |
|---|---|
| 監督/ウィリアム・マニー役 | クリント・イーストウッド |
| 脚本 | デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ |
| 製作 | クリント・イーストウッド |
| 撮影 | ジャック・N・グリーン |
| 編集 | ジョエル・コックス |
| 音楽 | クリント・イーストウッド/レニー・ニーハウス |
| リトル・ビル・ダゲット(保安官) | ジーン・ハックマン |
| ネッド・ローガン | モーガン・フリーマン |
| イングリッシュ・ボブ | リチャード・ハリス |
| スコフィールド・キッド | ジェームズ・ウルヴェット |
| W.W. ボーシャン | ソウル・ルビネック |
| ストロベリー・アリス | フランシス・フィッシャー |
| デライラ・フィッツジェラルド | アンナ・トムソン |
| クイック・マイク | デヴィッド・ムッチ |
| デイビー・バンティング | ロブ・キャンベル |
| スキニー・デュボア | アンソニー・ジェームズ |
『許されざる者』ぼくの評価は?
最初に評価点数比較をしちゃいます。
採点とるなら、公開当時劇場感覚は85点印象。30年後再見は75点という感じでした。
この差は、ぼくが歳を重ねたことで、感じるツボが変わったことのせいもあると思います。
ぼくの評価は、限りなく星4つ⭐️⭐️⭐️⭐️に近い星3つ半⭐️⭐️⭐️✨✨✨です
『許されざる者』配信は?
U-NEXTは見放題にラインナップ。
以下はレンタル可能です。
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『許されざる者』おまけ〜マカロニウエスタンのこと
余談ですが、クリント・イーストウッドが主演していた『荒野の用心棒』など初期作品はマカロニウエスタンとよく呼ばれます。
なんでマカロニなのか、気になりません?
マカロニウェスタンとは、イタリアで作られた西部劇の呼び名です。監督もイタリア人が多いです。
1970年代、西部劇は、人件費が安いスペインでロケされ、低予算でたくさん作られました。
実は「マカロニウェスタン」と言って話が通じるのは、日本だけ。外国では当時スパゲッティウェスタンと呼ばれていたらしいです。



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