『ひめゆりの塔』4作品:感想評価レビュー
1953年版・1982年版・1995年版・『あゝひめゆりの塔』1968年版まで独断比較
こんにちは、映画好き画家のタクです。
今回レビューする作品は、1953年公開の日本映画『ひめゆりの塔』です。
原作付きですが、実話です。第二次世界大戦末期、沖縄戦に動員された「ひめゆり学徒隊」をテーマにした映画は過去数本作られています。
今回は、1945年の終戦から最も早く=戦争の記憶が生々しかった1953年に撮られた『ひめゆりの塔』をメインに、「ひめゆり」全作品も簡単に比較レビューしてみましょう。
『ひめゆりの塔』(1953年版)スタッフ・キャスト紹介
監督:今井正
原作:石野径一郎『ひめゆりの塔』
製作:東映
主なキャスト
津島恵子 香川京子 花柳小菊 田代百合子 北林谷栄 岸旗江
香川京子は、本作で国民的女優としての地位を確立したとも言われています。…ですが、すみません、ぼく自身まだ生まれていませんので知ったフリの聞きかじりです。
『ひめゆりの塔』(1953年版)解説
太平洋戦争末期の沖縄戦において、陸軍病院で看護活動に従事した女子学徒たち、通称「ひめゆり学徒隊」の悲劇を描いた作品です。
原作は石野径一郎の記録文学『ひめゆりの塔』。
映画化にあたり、監督の今井正は実際に沖縄(もちろんまだ日本に返還される前)を訪れ、学徒生存者への綿密な取材を行ったといわれています。
物語は空想ではなくあくまで“事実”に基づいており、淡々と進みます。
それがかえって観る者に強いリアリティを与えているように思います。
『ひめゆりの塔』あらすじ(ネタバレあり)
時は1945年。
沖縄女子師範学校の生徒たちは、沖縄戦が泥沼化していくなか、過酷な状況のなかで看護活動に従事させられます。
次第に食糧も水も底を尽き、負傷兵の叫び、悪化する感染症、崩れゆく壕内での作業――心身ともに追い詰められていく彼女たち。
日常が地獄と化していきます。
『ひめゆりの塔』あらすじラストまで
やがて軍は敗北濃厚とみて撤退を開始しますが、女子学徒たちへの正式な退避命令は出されません。
避難先も与えられず、壕に取り残された少女たちは、米軍の砲撃や機銃掃射で命を奪われていきます。
極限状態のなかで、あるものは狂い、あるものは命を絶ち、あるものは逃げ惑い、あるものたちは射殺され…命を落とすシーンで幕となります。
『ひめゆりの塔』(1953年版)を2025年に観た感想
ぼくは2025年の今まで『ひめゆりの塔』は知っていましたが、みたことがありませんでした。
まず驚いたのは、公開年です。
1953年ということに「ウソだろう?」と思いました。
だって、1953年といえば、映画の舞台となる沖縄戦が終わってから、わずかたったの8年(!)ですよ。
ということは、終戦後5年くらいには企画が立ち上がっていだのではないでしょうか?…憶測ですけど。
でも当時沖縄はまだアメリカ占領下です。
当然ながら、現地ロケはできません。なので、九州阿蘇付近でのロケだったのではないかと…これも映画を観ての推測です。
この作品は、終戦からわずか8年後に公開された映画ですから、当時、戦争を経験して生き延びた多くの人々に、それは強烈な衝撃を与えたと思います。
と、公開年の驚きはこれくらいにしておきましょう。
『ひめゆりの塔』(1953年)は今井正監督によるクラシカルな演出と、当時の若手女優たち(子役と女優の間くらいか)の熱演が、しみじみと伝わってきます。
俳優たちは、録音機材の弱さのせいか、セリフが聞きづらい、軍人のセリフが早口すぎて意味がわからない等々、そんなクラシック日本映画にありがちな「何いってるか聞き取れない…わからないよ…」といったマイナス点も多々あります。
ですが、2025年の今に見ると、逆にそれが戦場の混沌さを表しているようにも感じます。
というのも、多分彼女たちは何が何だかわからないまま、地獄に叩き込まれたんだと思います。
国家総動員の国家総動員の一億特攻の掛け声のもとに、覚悟はできていたんでしょうが、10代の女子たちです。戦場を見たことはありません。
指揮系統も何もかも混乱した沖縄戦で、少女たちは軍人からは怒鳴られる、着弾音は日常化。そして友だちの死も当たり前になっていく…
どう考えても「ナンセンスでわけわからないリアル」に彼女たちは放り込まれていったわけです。
そんな映画のセリフの聞き取りにくさなんて、そんなリアルの現場では当たり前だったように思えてくるんです。
ぼくは、その録音音声の不明瞭さ、早口演出は普通ならマイナスに感じてしまうのですが、この映画においては転じてプラスに作用している、とぼくは思いました。
『ひめゆりの塔』(1953年版)は、戦争ドキュメンタリーでもなく、過度な演出を加えた娯楽戦争大作でもありません。
あくまで事実に寄り添い、亡くなった少女たちの声なき声を伝えるための、真摯な“記録映画”である、ともいえると思います。
正直、見はじめて「古いな、この戦争映画」と思ったのは、事実です。
セリフの録音も良くなく、聞き取りづらい。
物語の展開も淡々としていて“地味”に感じました。
しかし、観ていくにつれその印象は変わってきました。
ひとりひとりの少女たちに顔があり、なりたい未来を持っていたことがスクリーンから伝わってきたのです。
でも平和な時なら当たり前のことが、戦争という巨大な暴力のなかで無慈悲に消されていく。
その現実を描く今井正監督の視線は、決して声高ではなく、派手さもなく、怒りや悲しみを観客の心の奥底にじわじわと浸透させていきます。
極端な演出やヒロイックな戦争美談とは一線を画しています。
1950年代にこうした映画が存在したことは、日本映画史における奇跡とすら思えます。
特筆すべき演技と表現
女学生役たちは、当時、実年齢に近い若手女優が演じており、そこに“演技を超えた”真実味があります。
だって彼女たちは、銃後ではあっても戦争を経験しているのですから。
また敵機による機銃掃射や艦砲射撃や砲撃シーンは当時の記録映像を流用したり、見せずに効果音だけで表現しています。アメリカ兵も出てきません。
このことは1953年当時に出来うる最大限の表現だったのではないかと思いました。
あえてモノクロ撮影であることも、記録性と悲劇性を強めていると感じました。
『ひめゆりの塔』(1953年版)ぼくの評価は?
評価:星5つ:★★★★★(満点)
ひめゆりの少女たちを前に、あーだこーだと言える立場にありません。
終戦直後と言っていい時期に、こんな映画を作ったことに、あえての満点です。
戦争映画にありがちな「英雄譚」や「美談化」もはなく、一人ひとりの命の重さを等しく描いた作品として、本作は非常に誠実で、今なお「強さ」を持っています。
そして何より、これが「事実」に基づいていることが重い、“祈り”のような作品です。
+ + +
さてここからは、以降に作られた3本の『ひめゆりの塔』を簡単にレビューしてみます。
『ひめゆりの塔』(1982年版)簡単レビュー
今井正監督が自身でリメークした映画です。カラーとなっています。
この時点では沖縄が日本に返還されていましたので沖縄ロケで作られています。
ただ、脚本の大枠はほとんど変わりないです。
栗原小巻、古手川裕子、大場久美子といったキャスティング。
しかし残念ながら、ぼくは、リメークの意味を感じとることができませんでした。
構図から話の筋立て、ラストに至るまで、前作を踏襲。まるで新しさを感じませんでした。
1953年版・1982年版のどちらにも米軍機からの機銃掃射で少女たちが倒れて行くシーンがありますが、初作1953年版では機影を映しません。
1982年版は機影を写しますがリアリティが全く感じられないんです。
初作は技術的な足枷ゆえ、そんな音響だけの演出をしたのだと思いますが、それが逆に成功しています。
細かな重箱隅ツツキですけど、1982年版のそのシーンの失敗は「絵で説明するのが良いとは限らない」ことを逆に証明してしまったように思います。
機影を登場させた1982年版は、逆に飛行機を出したことが「ガッカリ感」に繋がっています。
映像がカラーになって、沖縄ロケが入り、オンタイムな女優さんが多数出ていただけ…というのが1982年版のぼくの感想です。
モノクロで録音が悪い1953年版『ひめゆりの塔』の方が、数倍見応えありました。
『あゝ ひめゆりの塔』(1968年版)簡単レビュー
こちらは日活版です。当時日活青春映画のヒロイン吉永小百合を主役に据えた、ひめゆり作品です。
監督は舛田利雄。のちに『大都会』や『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサーもしています。大作向けな絵作りが得意な監督だと思います。
あらすじとしては、今井正監督作品のあらすじと、さほど変わりません。それも当然ですよね、事実ですから。
ただ、演出は今井作品に比べて、けっこう派手目。
合唱が多めに使われたり、砲撃爆撃機銃掃射効果音が派手に延々続いたり。
ぼくはその爆音にメンタルをやられそうになりましたから、監督の思うツボだったかもしれません。
冒頭オープニングは戦後20年のディスコで踊りまくる若者たちのシーンでスタートです。
戦争を知らない子どもたちが、どんな気持ちで遊んでいるのか?という「問いかけ」からはじまります。
ちなみに問いかける青年役を、渡哲也が特別出演で演じています。
先にも書きましたけど、物語の内容自体は事実ゆえに今井監督作品のあらすじとそう変わりません。
ただ、主役の吉永小百合が、飛び抜けてキュートです。
どんな大勢がいるシーンでも、一発でわかります。スターってこういう存在のことかー…と納得していました。
吉永小百合は時代を越えたヒロインだ、というのもわかりますね。
ここから先はラストシーンに絡んでくるのでネタバレになります。映画を観たいかたは、スルーしてくださいね
ウソだろう?な吉永小百合のラストに絶句
はい、ここから先はネタバレです。観てない方は閲覧禁止です。どうしても知りたい方はあくまで自己責任でナナメに読んでください。
+ + +
ラストシーンは、吉永小百合と妹が追い詰められての断崖シーンです。
そんな素敵でキュートな吉永小百合演じる先生が、ラスト、どういう最後を遂げるのか?
多分命を落とすのは間違いないだろう…と、途中から気になっていました。
しかし、ああなって終わるなんて…
それは、手榴弾を抱いてのドカン!と爆死です。
そのシーンで「終」のクレジットが被さります。
…ぼくは呆然となりました。
確かに事実の物語なんです。
だけど、それはそれ、映画ですからドカン爆死でも、ちょっとは違う演出方法があるんでないの??と。
どうも納得がいきませんでした。今思い出しても納得してません。
当時、世のサユリストの皆さんはどう思ったんだろうか…
『ひめゆりの塔』(1995年版)簡単レビュー
ここまで書いたら、もう一本の『ひめゆりの塔』もレビュー書いておきましょう。
こちらは1995年、神山征二郎監督が撮った、【戦後50年】というカンムリのついた作品です。
ヒロインは沢口靖子、後藤久美子。女子挺身隊を率いる先生役を永島敏行が演じています。
こちらは原作が他のひめゆり映画とは違うんです。
仲宗根 政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』 (角川ソフィア文庫)が原作です。
実際に生徒たちを率いて生還した教師:仲宗根 政善さんの手記がベースです。
女学生たちが戦場に巻き込まれてゆく過程と凄惨さはさほど過去作と変わりませんが、1995年版神山征二郎作品はラストが大きく違います。
ラストは?〜ネタバレ閲覧禁止です
教師仲宗根は、投降を促すアメリカ軍の呼びかけに応えて、生徒たちをつれて投降します。
場面は変わって収容所。
仲宗根ははぐれていた生徒たちと再会し、映画は幕となります。
この1995年版以外の作品は、「ひめゆり部隊の生徒たちは全員亡くなったのか…」と思わせるようなラストなのですが、神山作品だけが、いわゆる『一部の彼女たちのその後』を書いているという点で、目指したところが違います。
いやらしくなく、生き残った彼女たちのその後に触れたのが、ぼくはとても清々しく感じました。(他の作品からは、未来が感じられない。)
『ひめゆりの塔』配信情報
(1953年版・1982年版・1995年版)『あゝひめゆりの塔』(1968年版)は、2025年8月現在、すべてU-NEXTで配信中です。
東映チャンネル(CS)や期間限定の特集配信などで視聴可能なこともあり。
DVD化されており、図書館や公共施設でも所蔵されているところもあり。要確認
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