映画『戦火の馬』解説|あらすじ感想評価レビュー|小説・舞台「War Horse」映画化〜光る馬の演技力

ヒューマン・ハートフル

この映画は第一次世界大戦を舞台に、一頭のサラブレッド、ジョーイと、育ての親少年アルバートの友情、そして最前線に送られたジョーイと英独両軍兵士たち、さらにはのちに従軍したアルバートとジョーイの邂逅が描かれます。



「戦争と動物」は、昔から物語の題材になっています。ぼくがかつて読んだ本では、小説では『兵士の鷹』、児童文学では『兵士になったクマ ヴォイテク』がありますが、人の心を荒らしてしまう戦争と人の心を癒す動物とは良いタッグなのでしょう。

本作はもともと舞台作品の『戦火の馬』(原題:War Horse)をスティーブン・スピルバーグが監督・映画化したものです。

舞台は、まだ戦車が世に出る直前、騎兵が輝いていた最後の時代です。

ノスタルジックも織り込みつつ戦争の悲惨さもありの映画作品。ぼくなりの『戦火の馬』レビューをどうぞ。






 

『戦火の馬』のあらすじは?

まずは簡単にあらすじを書いておきますね。

舞台はイギリス、時代は1910年代。

貧しい小作農テッドは、村の広場で行われた馬の競り市で、一頭のサラブレッドに一目惚れする。

結果、領主と競り合い、法外な値段で競り落とす。

しかし、農耕馬ならぬサラブレッドだ。なかなか懐かないその馬にテッドの息子アルバートはジョーイと名付け、懸命に愛情を注ぐ。

ある日、地代を払えないテッドに領主は「荒野一角を耕したら支払いに猶予を与えよう」と条件をつける。

アルバートはジョーイと共に懸命に耕し、荒野を農地に変える。

そんなさなか、ヨーロッパには第一次世界大戦の足音が忍びより、イギリスも参戦を表明。

困窮を極めたテッドは、息子に黙ってジョーイを軍馬として売ることにする。

息子アルバートの願いも虚しく、ジョーイは騎馬隊に買われ、ヨーロッパへ。

心ある騎兵隊将校の馬となるが、作戦中に将校は戦死。ジョーイは敵国ドイツ軍に捕獲され、運搬馬として過酷で数奇な運命をたどる。

悪名高い「ソンミの塹壕戦」で逃げ出したジョーイはしかし、両軍の向き合う塹壕の真ん中で鉄条網に絡め取られ、息絶え絶えとなってしまう。

その塹壕戦で最前線に配置された若者、それは志願した若年兵アルバートだった。

塹壕戦真っ只中、アルバートの運命は?そしてジョーイは助かるのか??

….といったストーリーです。

ネタバレになりますが,ストーリーの核となるのはジョーイのたどる「数奇な運命」です

ジョーイを主役に、敵味方それぞれに視点が移り、物語は展開します。



『戦火の馬』解説〜馬の演技がすごい

監督のスティーブン・スピルバーグはこんなことを語っていたと言います。
「驚いたのは、馬だって自分の感情を表情豊かに伝えるんだ….と知ったことだ。」

もちろん、映画の2時間の中で、主人公の少年の成長に合わせて、馬も成長していくわけです。

だから、その撮影のために、年齢ごとに何頭もの馬が準備されたようです。

それってすごいと思いませんか?

だって、馬だって一頭一頭性格が違うでしょう?

そんな馬たちを映画の中では「一頭」の存在として印象付けるわけですから…。

撮影、本当に大変だっんじゃないかな。

だって、この映画では馬こそが主役と言っても良いわけですから。




『戦火の馬』解説〜どんな話?

一頭の馬ジョーイと、ジョーイに関わる人間たちの話です

『戦火の馬』は、少年アルバートとサラブレッド・ジョーイの友情物語なのかな?と思っていたのですが、描かれるのは友情だけではありませんでした。

この映画を一言で表すなら、馬のジョーイのこんな心の声に尽きます。

「ぼくはどこからきてどこへ行くんだろう?ぼくの前に次に現れるのは、一体、だれ?」

 

そうなのです。

映画の中で、第一次世界大戦が始まりイギリスからフランスの前線へ送られた馬のジョーイには、じつにさまざまな人間たちが絡んできます。

最初はイギリス軍騎馬隊将校です。

戦場で将校は戦死、ドイツ軍に捕獲されたジョーイはドイツ軍兵士兄弟やフランスの農家の少女と祖父に愛されます。

しかしそれも束の間、重量級の大砲を引く役割をになわされ、苦難の道へ、、、

と、目まぐるしくも次々と軍人、民間人が絡んでくるのです。

 

もちろん友情物語は大きな柱になっています。

しかし、むしろ、それ以上に、人間の人生に現れる「一期一会」の不思議さを、馬を主役にしつつ、馬の目線で描いた映画のように思えます。

 

一期一会を描いた名作に「フォレスト・ガンプ 一期一会」という映画がありますが、あたかもその映画の主役ガンプを馬に置き換えたかのような、出会いの目まぐるしさなのです。



目まぐるしいほどの出会いの連続

目まぐるしい、と何度も書きました。

映画の中でジョーイに関わる人々は、次々変わっていきます。

「将校とジョーイの物語になるのかな??」

と思っていると、ジョーイは次の章に登場する人物に「バトンタッチ」されます。

「では、次に出てきたこの人がキーマンになるのか!」

と思っていると、また「次にバトンタッチ…」という具合に、本当に目まぐるしいのです。

「うーん、このジョーイに絡む人物チェンジの目まぐるしさで、映画は一体何を伝えたいんだろうか?」

と、実は、ぼくは、ずーーっと思って観ていました。

そして最後まで、出会いの慌ただしさは消えませんでした。

 

結局ぼくが導き出した「この映画は一体何を伝えたいんだろうか?」への結論はこうでした。

「敵味方問わず、絡む相手は、全て未来へ向かう縁なのだ」

「意識する、意識しないに関わらず、さまざまな繋がりが人を未来へ道を進ませるのだ」

そんなメッセージが聞こえてきたように思えました。



目まぐるしさの意図はどこに?

この「目まぐるしさ」は、意図して演出したものだと思います。

人の一生も、目まぐるしい出会いの連続ですよね。自分自身を馬のジョーイに置き換えてみると、よくわかります。

就職、転職、歳を重ね、次々と変わる環境のなか、自分の前に現れては消えていく人々。

ぼくの一生(まだ終わってないけど、還暦オーバー、すでに後半戦)は、まさに戦地を運命に翻弄され転々とするジョーイの「人生ならぬ馬生」と同じようなものだなあ、と、思えました。



『戦火の馬』解説〜「プライベートライアン」カメラマンが塹壕戦を再現

戦地といえば、『戦火の馬』では第一次世界大戦の塹壕戦が描かれます。

この映画の戦場描写は、めちゃリアルです。

で、ふっと、こう思いました。

「このリアルさは、もしかしてあのカメラマンかな、、、?」

 

と、エンドロールに目を凝らすと、納得の名前が。

撮影はヤヌス・カミンスキー。

そう、『プライベートライアン』の撮影でアカデミー撮影賞に輝いた名カメラマンです。

ヤヌス・カミンスキーが他に撮った作品としては『シンドラーのリスト』『宇宙戦争』『ロストワールド・ジュラシックパーク』などがあります。スピルバーグファミリーと言っても良い凄腕カメラマンです。

まさに『戦火の馬』の塹壕戦シーンは『プライベートライアン』の戦場の「色」がありました。

「ソンムの戦場シーン」が映画のクライマックスですから、今回も「戦場撮影なら彼しかいない!」と、スピルバーグご指名だったに違いありません。

さらには、戦場描写とイギリスの田舎の風景が「別の色調」で撮られています。そのギャップが不思議なトーンを映画に与えています。



『戦火の馬』ぼくの評価は?ネタバレあり

『戦火の馬』のぼくなりの感想、視点を書いてきました。

「目まぐるしい出会いの連続」を。言葉を持たない馬を主役に描いたことは、果たして成功だったのかどうか?ぼくは疑問のまま終わりました。

 

馬と少年の友情を描きたいのか?

出会いの不思議さがテーマなのか?

戦地という逆境でも希望を持ち続ける大切さなのか?

はたまたクライマックスのアルバートとジョーイの再会(ネタバレですね)が柱だったのか、、、?。

…どうも全体がぼんやりしていたように感じます。

 

もう一つ、厳しいこと言うと、「音楽」がぼくはダメでした。

映画音楽担当は名手ジョン・ウィリアムズです。

『スターウォーズ』から『フェイブルマンズ』まで綺羅星の如き映画音楽を書いていますが、シーンごとの音楽が饒舌すぎて、気持ちが引いてしまいました。

ラストも定番的ビューティフル映像でハッピーエンドに終わりますが、ぼくはなぜかそのビューティフル映像がスッキリ入ってこないままに終わった映画でした。

 

小説も読んでいませんし、舞台も観ていないぼくです。

なので、映画オンリーで評価するしかないのですが、ぼくの評価は、 6.5/10 でした。

でもね、悪い映画なんかじゃないですよ。ぼくの心から微妙にずれていたということです。

評価なんて人それぞれでガラッと変わります。観る時は、とことん馬の名演技を楽しんでくださいね。




『戦火の馬』スタッフ・キャスト

監督:スティーブン・スピルバーグ 脚本:リー・ホール リチャード・カーティス 撮影:ヤヌス・カミンスキー 音楽:ジョン・ウィリアムズ

キャスト:ジェレミー・アーヴァインズ ピーター・マラン エミリー・ワトソン 他



『戦火の馬』配信は?

Prime Videoで配信中です。





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