『プラトーン』タイトルの意味からあらすじ評価|正しいのはバーンズかエリアスか?考察からジョニーデップ出演シーンまで解説

戦争・歴史・時代

こんにちは、映画好き絵描きのタクです。今回取り上げる映画は『プラトーン』。ベトナム戦争をリアルに描き出した戦争映画です。(1986年公開・アメリカ映画)

監督は、実際にベトナム戦争に従軍したオリバー・ストーン。配役はチャーリー・シーン、ウィレム・デフォー、トム・ベレンジャー、フォレスト・ウィテカー、他。ジョニー・デップも端役で出演しています。

それまでのベトナム戦争映画とは異なる視点が見ごたえある作品です。


『プラトーン』予告編




『プラトーン』解説

1980年代にベトナム戦争を描いたオリバー・ストーン監督の代表作です。

ベトナム帰還兵であるオリバー・ストーンが実体験を元にえぐり出すベトナム戦争の兵士たちのリアル。

アメリカ軍によるベトナム民間人に対する虐殺や強姦、味方同士での殺人など、ベトナム戦争のリアルを表現しています。

2024年の今見ても、まったく古さを感じさせない戦争映画の名作。




『プラトーン』の意味は?

「プラトーン」は軍隊用語で「小隊」を意味します。

映画の理解の参考になると思いますので、陸軍における部隊の組織編成を書いておきます。(あくまで大まかなイメージ)

師団 (Division)1万~1万5000人で編成。指揮官は少将クラス

旅団 (Brigade) 500~6000人で編成。指揮官は大佐か中佐。

大隊 (Battalion) 400~500人前後の編成。3~4個中隊で構成。指揮官は中佐

中隊 (Company) 120人前後の編成。3~5個小隊で構成。指揮官は大尉

小隊 (Platoon) 30~40人の編成。3~4分隊で構成。少尉あるいは中尉が指揮する。

分隊 (Squad) 最小の戦闘単位。 10人前後の兵士からなる。指揮は軍曹など下士官。

映画『プラトーン』に登場するバーンズ軍曹とエリアス軍曹は、なんとなく小隊の指揮官かな?と思われるかもしれませんが、小隊長はウォルフ中尉。

バーンズ、エリアスは、共に分隊長となります。




『プラトーン』あらすじです

舞台は1967年ベトナム戦争。

カンボジア国境ちかくに駐留するアメリカ陸軍に一人の新兵が配属される。

クリス・テイラー(チャーリー・シーン)。大学を中退し入隊したインテリだ。

彼は、黒人や貧困層が出兵していく現実に憤りを覚え、志願した兵卒だ。

テイラーは、カンボジア国境付近のある小隊(プラトーン)に配属される。

小隊長はウォルフ中尉だが、士官学校出の若い彼は、古参兵からなめられていた。

兵たちが信頼置いているのは、歴戦の分隊長・バーンズ軍曹(トム・ベレンジャー)ともうひとりの分隊長・エリアス軍曹(ウィレム・デフォー)だ。

ジャングルでの戦場の過酷さはテイラーの想像を遥かに超えていた。

配属当日の行軍で、テイラーは入隊したことをを後悔するが、とある戦闘でテイラーは負傷し、後方に送られる。

傷が癒え復帰してきたテイラーは小隊に復帰する。

ある作戦行で部隊は、とある農村に向かう。

村に南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の影はない。

しかし、ベトコンのゲリラ戦に疑心暗鬼になっているアメリカ兵たちは、村に疑いの目を向ける。

村人はただの農民なのか?それとも北ベトナム軍や南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の隠れ蓑なのか?

ついにはバーンズ軍曹が無実の村長の妻を射殺する。

殺気立つ兵士たちは「皆、殺してしまえ」と群集心理に飲み込まれる。

あわや虐殺が始まろうとする寸前に、エリアスが到着、バーンズの非道を止めに入る。が、村は火を放たれる。

バーンズの民間人虐殺は、バーンズに逆らえぬ兵たちと、テイラーはじめ、エリアス派の兵たちに別れてしまう。

バーンズの非道を見兼ねたエリアスは、バーンズを軍法会議にかけようとする。

エリアスが邪魔になったバーンズは、作戦行動中にエリアスを孤立させ、激戦の混乱に乗じてエリアスを撃ち倒す。

テイラーはその直後のバーンズと遭遇するがバーンズは「エリアスは死んだ。お前も撤退しろ」と言う。

しかしテイラーはバーンズの言葉に、バーンズがエリアスを射殺したのでは…との疑念を抱く。

その激戦からヘリで撤退する時、テイラーは一人の兵士がジャングルの中を敵の追撃を受けながら逃げるところを目撃する。

傷を負ったエリアスだ。

取り残されたエリアスはテイラーらが上空から見守る中、敵弾を受け絶命する。

テイラーのバーンズへの疑念は確信に変わった。

人としてバーンズを許すことはできない。

テイラーは報復を仲間達に持ちかけるが、逆にバーンズから「殺せるものなら殺してみろ」と挑発を受ける。

テイラーはバーンズに殴りかかるが逆に組み伏せられてしまう。

そして「死ぬって、どんなことかわかってんのか?」と問いを残し去ってゆく。

翌日、北ベトナム軍の大攻勢が始まった。

夜間の激戦の中、テイラーとバーンズの確執は、はたしてどういう決着になるのか?

…といったあらすじです。




『プラトーン』あらすじ結末ラストまで

ここからはネタバレです。映画を観たい方はスルーしてください。

+ + +

北ベトナム軍は、テイラーたちの防衛線を突破し大隊本部に迫ってくる。

戦いは熾烈を極め、テイラーの属する小隊の兵たちも次々と斃れてゆく。

敵味方はすでに入り乱れ、接近戦だ。

中隊長が味方に犠牲が出ることを覚悟の上で、自分たちの陣地ごと空爆するように要請を出す。

白兵戦のさなか、テイラーは悪鬼の如き形相のバーンズに出会う。

バーンズがテイラーに襲いかかる。まさにその時、味方の空爆が始まり、二人は爆風になぎ倒される。

何時間か立ち、夜が明けた。あたりは静寂に包まれている。

テイラーは目が覚め、自分が奇跡的に助かったことを知る。

立ち上がってライフルを手にとり、あたりを見回すと、重傷を負ったバーンズが目に留まる。

テイラーと目が合ったバーンズは

「衛生兵を呼べ」と命令する。

何も答えないテイラーにバーンズは、今度は「撃てよ」と呟く。

バーンズに向け、無言で引き金を引くテイラー。

数時間後、味方の部隊車両が生存者を救出するために到着。

負傷したテイラーは保護され、生き残った戦友たちに別れを告げて戦場をあとにする。

+ + +

ラストは「ぼくらは皆、バーンズとエリアスの子供だった」という意味深な言葉でエンドロールにつながります。




『プラトーン』感想

日本公開の1987年、ぼくは劇場で『プラトーン』を観たのですが、ひとこと、その戦場のリアルさとストーリーの深さに衝撃を受けました。

その後、何度も見返す映画となっています。時代が変わっても、古さを感じさせることがない、時代を越えた名作だと思います。

どんなところが『プラトーン』を「名作」としているのか?をレポートします。




感想〜大胆な演出とカメラワーク

『プラトーン』をはじめてみた時、ジャングル内を動き回るカメラと演出カットの凄さを感じました。

「こんなカメラと演出、いままで見たことない!」と思ったことが昨日のことのようです。

たとえば、エリアスが部下3人を引き連れてジャングル内を全力で走るシーンがあります。

遠くに走る4人を、ジャングルの木々越しにカメラが同じスピードでフォローしていきます。

今はそんなシーンはいろんな映画で見られますが、当時は本当に驚きました。

そんな手の込んだ撮影を複雑にカットでくみあわせて戦場の怖さを滲ませてきます。

また、クローズアップの使い方も印象的でした。

テイラーが夜間作戦ではじめて敵と遭遇するシーンでは、テイラーがタオルを頭から被り、次のカットではタオルの隙間からのぞくテイラーの目元どアップとなります。

たったそれだけで、テイラーの極限の緊迫感が伝わってきます。

後半、バーンズとエリアスが向かい合うシーンがありますが、二人の目元のアップが重なるそのシーンは、ぼくの中では『プラトーン・ベストカット』。

セリフはないんですが、二人の間の心の相いれなさを感じさせます。

ちなみにその直後、エリアスは撃たれます。

撃たれ倒れたエリアスがじつはまだ生きていて、敵の追撃を受けながら必死に走り、斃れゆく寸前両手を天に広げるスローモーションシーンは、ウィレム・デフォーの演技も含めて、もう、名カットの殿堂入りです。

このシーンは『プラトーン』のメインビジュアルになっていますが、正直、観る前は「ヘンなポスターだな」と思っていました。

映画館から出たあと、「確かにビジュアルはこれしかないよ、、、」と思ったことを覚えてきます。そして、時代がたった今でも、その思いは変わりません。




感想〜戦闘シーンは「動く報道写真」

ベトナム戦争当時は、フリーランスのカメラマンが戦場写真家としてアメリカ軍部隊に同行、現地の戦闘のシーンを写真で多数記録しました。

日本のカメラマンでも沢田教一が、交戦中の兵士の写真や避難するベトナム人一家の恐怖の表情を捉えています。(「安全への逃避」と題されたその写真はピューリッツァー賞をとりました。)

当時の報道写真家の写真の戦場密着度はすごいです。沢田教一の写真をぜひ見て欲しいのですが、『プラトーン』はそんな報道写真が「動いている」という感覚です。

今から50年以上前に出版された「沢田教一写真集-戦場』が書棚にありました。

かなり古い写真集ですが、いい本です。そのページショットを数枚アップしておきますね。




『プラトーン』考察〜主人公バックボーンとジャングルの不快さ

登場人物のキャラバックボーンに厚みがあると、映画に深みが出ますよね。

『プラトーン』のすばらしさは、語り部である主人公テイラーの人となりがきちんと描かれている点に負うところが大きいと感じています。

オープニングからまもなく、チャーリー・シーン演ずる主人公テイラーの入隊理由が、独白として語られます。

テイラーは、大学まで行ったはいいけれど、問題意識を持ったことで中退、軍に入隊しています。

しかし、配属初日から「くるんじゃなかった…」と、後悔の塊となってしまう。

そのように主人公テイラーが「頭はイイけど、理想を追っかけて、勘違いしてたお坊ちゃん」設定がなされています。そう、兵士としてはデキが悪いのです。イイです、この感じ。

映画では、匂い立ってくるジャングル戦の湿気や汚さ、周りの兵士たちの個性が迫ってきます。

なぜ伝わってきたのか?

それは、語り部テイラーの甘さ、弱さがしっかり描かれているからです。

観客はいつのまにか、弱いテイラーとなってジャングル戦を体感しているのです。

「こんなとこにいたくない…」「くるんじゃなかった…」「どうにでもなれ…」「わけわかんねーよ…」

『プラトーン』で描きだされる2時間の戦場は、そんなテイラーの心の内があぶり出した戦場なのだとぼくは思っています。

自分のちっぽけさを痛いほど知り、理想と現実が違っていたことを嘆くテイラー。

その性格設定がしっかりとなされているから、いつ見ても深く突き刺さってくる映画になっている…ぼくはそうおもいます。




『プラトーン』考察〜あぶり出されるナンセンスな善と悪

『プラトーン』は一つの小隊内の二人の分隊長、バーンズ軍曹とエリアス軍曹の対立が柱となります。

バーンズは歴戦の勇者で有無を言わせない空気を持った分隊長です。

一方エリアスはどこか思索的な面を持った分隊長です。

わかりやすく言うならば、バーンズは「悪」、エリアスは「善」という図式。(戦争自体が巨悪なので、そうも言い切れないんですが)

そんな二人の対立が主人公のテイラー(チャーリー・シーン)の視点で描かれます。

結局、エリアスもバーンズも命を落としてしまう結末は、「戦場という大きな悪の中では、善悪そのものが無意味になってしまう…」という暗喩と感じるのは思い過ごしでしょうか。

ここで注意すべきは、あくまで『プラトーン』のバーンズとエリアスの対立に見る善悪は、テイラーの目線を通した図式である、ということです。

たとえば、バーンズにベッタリの立ち回りうまい分隊長が出てきます。(ラスト激戦でもうまく立ち回り「死んだふり」で生還、しかし結果、なりたくもない小隊長になってしまう)

彼の視点からはバーンズとエリアスはどう見えたのだろうか???

そう、立場が違うとモノゴトってウラがオモテになったりします。

ぼくはいつも『プラトーン』を見終わると、善悪図式には要注意だ、とも思ってしまうのです。




バーンズのセリフ「死ぬってどんなことかわかってんのか?」への考察

「死ぬって、どんなことかわかってんのか?」

このセリフはバーンズのセリフです。劇中、ぼくが最も引っかかったセリフでした。

エリアスが死んだ後、エリアスの分隊の兵士たちが「バーンズを殺してしまえ」と、話しているところに、酔っ払ったバーンズがやってきて放つ言葉が「死ぬって、どんなことかわかってんのか?」です。

しかし、そのセリフへの答えは誰も発しません。答えのないままバーンズは去ってゆきます。

何度もその答えを考えましたが、ぼくなりの答えを書いておきます。違っているかもしれないけど。

バーンズの顔に刻まれた大きな傷と兵士たちのウワサ話から、バーンズは瀕死の重傷を何度も(少なくとも7回)経験してきた兵士であることがわかります。

銃槍のみならず、顔立ちが歪むほどの傷をベトコンや北ベトナム軍との交戦で負ったバーンズは、戦闘で生き抜くことの偶然性=たまたま生き延びただけであることを自らの体験で知っています。

「殺すか殺されるか」が戦場のたった一つの真理であり、その真理の前には「建前」や「理想」なんてものはゴミ同然だということも肌で理解している兵士なのです。

バーンズは「死」の到来をもたらす死神は敵味方問わずすぐそばにいることを知っています。

だから、それゆえに女子供や非戦闘員であろうとも、躊躇しない。

あるいはそれが味方であっても、死をもたらす可能性のある存在をバーンズは認めないのです。

「死ぬって、どんなことかわかってんのか?」

以下が、バーンズは「死」をこう思っているのではないか??です。間違っているかもしれませんが、、、。

いいか、「正しい」も「間違っている」も通用しないのが戦場なんだ。泥のような戦場では善も悪もかき混ぜられ形を失ってしまう。

世間では善人でも、銃火を交え死と隣り合わせた瞬間に、善人と悪人をわけていた世間のルールは消し飛ぶんだ。

「死」は敵にも味方にも公平に降り注ぐものであり、唯一間違えようのない答えなんだ。

 

バーンズは、ジャングル戦を生き抜いてきたことで、その心は悲しくもすでに死んでいた…のだと思います。彼もまた戦場の犠牲者だ、とぼくは思いました。




『プラトーン』キャストリスト

チャーリー・シーン/ウィレム・デフォー/トム・ベレンジャー/フォレスト・ウィテカー/ケヴィン・ディロン/ジョン・C・マッギンリー/フランチェスコ・クイン/デイル・ダイ/ジョニー・デップ/キース・デイヴィッド/他

『プラトーン』キャスト〜チャーリー・シーン

テイラー役を演じたチャーリー・シーンですが、全編通してチャーリー・シーンの「どっかあまちゃん」の弱さ演技がとても好きです。

ぼくが一番印象に残ったシーンは、農村で疑心暗鬼になり、自分がわけわからなくなるシーンです。

農民の足元を撃ちながら「踊れよ!踊りやがれ!」と叫び、しまいには泣いてしまう。

その後の呆然とした表情も人の弱さ=強い優しさが垣間見えて、たまらなく好きです。

チャーリーの父親はマーティン・シーン。兄弟はエミリオ・エステベスと俳優一家です。




『プラトーン』キャスト〜ジョニー・デップはどの役?

『プラトーンには』ジョニー・デップが端役で出ています。端役とはいえ、オープニングクレジットにも堂々と流れます。

ガーター・ラーナー役です。…と言ってもたぶんわからないと思います。

農村を焼き討ちするシーンで、子供を抱いて歩いている兵士がジョニー・デップです。

一人だけクローズアップで映るシーンは、それ以外にほぼありません。

兵士たちが散開しているロングシーンなどにはもちろん映っています。

エンドクレジットでもきちんと紹介されています。

ジョニー・デップ、とにかく若いです。

観ててもほとんどデップだ!とは気がつかないんじゃないかしら?

チャーリー・シーンが演じたテイラー役は、当初、ジョニー・デップにも出演交渉があったそうです。

しかしデップは、テイラー役に自分は若すぎることと、まだ俳優駆け出しであることを理由に断ったんだそうです。




『プラトーン』キャスト〜ウィレム・デフォーの名演技

ぼくがはじめてウィレム・デフォーをスクリーンで観たのは『ストリートオブファイヤー』でした。絵に描いたようなヤンキー悪役暴走族の親分でした。

その数年後の再会がこの『プラトーン』。

顔つきがクセあるウィレム・デフォーですから、プラトーンはまさかの善役キャラ設定でした。

その振れ幅が好きです。

エリアスを演じたのがギョロリフェイスのウィレム・デフォーだったから良かったんだと思います。

だって、いかにも善人顔の役者が善人やってもつまんないですから。




『プラトーン』ぼくの評価

いつも観終わると、いろいろと考えさせられます。尾を引く映画です。

ぼくの中で、どれくらい尾を引くか?がとっても大事。

ぼくの『プラトーン』評価は四つ星半です。映画の名作だと思います。




『プラトーン』配信先

U-Nextで配信されています。







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