こんにちは!映画好き絵描きのタクです。今回レビューする映画は、『フェイブルマンズ』。スティーヴン・スピルバーグ監督作品です。
『フェイブルマンズ』は、巨匠スティーヴン・スピルバーグ監督が自らの幼少期から映画界入りするまでを描いた、事実を基に創作した自伝的映画ということで大きな話題となりました。
『激突』を撮り、監督としての才を認められ、『ジョーズ』や『未知との遭遇』でヒットメーカーの仲間入りを果たし、『シンドラーのリスト』『プライベート・ライアン』で早くも「伝説」となり、『ウェストサイドストーリー』で、ほぼ『神』と言われておかしくない地位まで登り詰めたスピルバーグです。そんな天才の彼の少年時代〜若き日はどんなドラマがあったのでしょうか?
時は、1950年代のアメリカ、ニュージャージー。ユダヤ系移民の家庭で育った大の映画好きの少年サミー・フェイブルマンは、映画監督を志します。
描かれるのは両親との確執、ぶつかり合い、そして家族の危機…。さらにはクラスメートのいじめ、そして自己の尊厳。
すでに映画界の伝説となったスピルバーグが、あえて今、作品として撮る意味がある、と、脚本を書き、映画化した作品です。
はたしてスピルバーグが映画『フェイブルマンズ』に託した思いはなんだったのでしょうか?では、僕の感じたことをあらすじ解説踏まえてレビューしてみます。
『フェイブルマンズ』予告編
『フェイブルマンズ』あらすじは?
あらすじはさらりと紹介しておきます。
少年が家族と映画館で目を輝かせながらスクリーンをみている。
少年の名はサミー・フェイブルマンズ。
映画の魅力に取り憑かれ、母から一台のムービーカメラをもらったサミーは、映画作りに没頭するようになる。
家族旅の途中もサミーの興味はファインダーの向こう側だ。
好きが高じて、サミーは友達らと自主映画を作るようになる。
しかし、一流ビジネスマンの父親はサミーが映画というクリエイティブに熱中することを、快く思っていない。
そんな父が会社を移ることになり、一家はすみなれた街を離れることに。
そしてサミーの偶然ムービーに収めたワンシーンが、サミーの心を悩ませ、別れ道を作ることになる、、、。
引っ越した先の学校で、ことごとくうまくゆかないサミー。フェイブルマンズ一家とサミーはどんな人生を選びとっていくのか??
というストーリーです。
『フェイブルマンズ』ネタバレラストです
ここから先はラストネタバレですので、観たい方はスルーです。
どうしても映画の世界に踏み込みたいサミーは、とある映画会社に面接に行き、
泣く子も黙る名監督に会います。
その監督の名は、伝説の監督「ジョン・フォード」。
ジョン・フォード監督は、サミーに二言だけ尋ねます。そして答えるサミーに、映画にとって大切なのは「アングルだ」ということを暗に伝えるのです。
その言葉を胸に、映画撮影所を歩き始めるサミーで映画は終わります。
『フェイブルマンズ』スピルバーグ解説
ところでスピルバーグって、どんな人?
映画ファンは、ここはスルーしてください。たぶんそんなん当たり前だよ、誰でも知ってるだろ…ってなりますから。
「あんまり映画は詳しくないし、そんな観ないよ…でも、観てみよっかな…」という方に向けて、「スティーブン・スピルバーグってどんな人?」ってこと、ぼくなりに書いてみます。
世界に名監督、巨匠、名匠と呼ばれる監督は、実はたくさんいます。
黒澤やゴダール、コッポラを知らない人はいても(知らないから悪いということはぜんぜんない)、スピルバーグを知らない人はたぶんいないでしょう。
しかし、たぶん、スピルバーグほど、作品の数が多く、しかもほぼハズレを作らず(ここがすごいとこ)、興行収入にしっかり貢献する監督はいない、と思います。
おまけに、「子供に見てほしい」ってファンタスティックな映画も作れば、「こりゃ子供に見せられないな」というドギツイリアルな戦争映画も作りますし、はてはミュージカルまで。
老いも若きもシンプルなコドモもヘンクツなオトナも納得させるという稀有な監督です。
名匠と呼ばれる監督は多いけど、今、書いたように、オールマイティターゲットで仕事ができる監督は、他にいない…と、ぼくは思います。
スピルバーグの監督した作品本数
その数、なんと39作品です。
初監督作品『四次元への招待』が作られた1969年から2023年の『フェイブルマンズ』まで、1~2年に一本ペースで監督してます。
監督業以外に制作総指揮=プロデュースした作品本数は、67作品。
この本数にて、めちゃ高い作品クオリティ…。たぶん彼は、ぼくと同じ人間であるはずがなく、人間の姿をしたオバケ、妖怪、あるいは宇宙人に違いない…とぼくは思っています。
しかし、百歩譲ってスピルバーグが人間だとしたら、彼だって人の子。家族がいるはず。
スピルバーグの作品はさんざん観て知っていても、彼自身がどんな家庭で育ち、どうやって映画界に入ったのか???
スピルバーグの歴史を知ってる人はほぼいないわけで、
「それを明かす映画を作ります」と本人が言うんですから、観ないわけにはいきませんよね。
おまけにぼく自身の映画ライフ黎明期は、ほぼスピルバーグが活躍し始めた時代とかぶってる。
『ジョーズ』を観たのは中学生時代の映画の沼にハマりかけてすぐの映画でしたし。
映画の申し子を作り上げたのは…
正直に言います。『フェイブルマンズ』は観るのに勇気がいる映画でした。二の足、三の足を踏みました…。
だって、映画『フェイブルマンズ』観て、「なんだ、やっぱりコドモん時からスーパーマンの宇宙人だったんだ…」でエンドロールが流れたら、つまんないじゃないですか!
『フェイブルマンズ」ぼくの感想
描き出される主人公サミーの心のスキマ
人が何かに打ち込むって、大事だと思います。
主人公サミー(いわゆるスピルバーグ)は小学生から映画作りにハマり、映像制作に打ち込みます。
当然最初は可愛いムービーですが、徐々に友達を引き込んで、大がかりな自主制作ムービーになっていきます。
とにかくカメラを回すことが好きでたまらない10代の頃が描かれます。
しかし、途中からは、「おや?ちょっと様子が違うぞ…」という感覚になりました。
何が違ったのか?
たぶん、ぼくはスピルバーグの『フェイブルマンズ』に、無意識のうちに、「サクセスストーリー」を求めていた。
べつの言い方をするならば、
「こうすればあなたも映画人になれる!的サンプルストーリー」を心のどこかで求めて、見ていたんだと思います。
中盤から家族の間に転機が訪れる、また、学校でいくつかの事件が起こります。
サミーの受けるいじめと尊厳
劇中、主人公サミー(スピルバーグ)は、学校で、執拗ないじめを受けます。
そのいじめをどう乗り越えるか?もまた映画では描かれるのですが、いじめと人間の尊厳を嫌が応にも考えさせられるエピソードになっています。
サミーの気質、体験ともに、ぼく自身の若い頃がオーバーラップするところもありました。
ぼく自身は執拗ないじめには合わなかったけれど、「学校に馴染めない感=異邦人のようなかんじ」をいつも持っていました。(今だから書けることですが)
ぼくの場合は「映画を観ること」「マンガを描くこと」にハマった10代でしたが、それが自己肯定に繋がって、さらにはちっぽけであるけれど心の支えにもなっていきました。
多分、表現好きで、没頭タイプな人は『フェイブルマンズ』を観て、「わかるわかる!」とうなずくと思います。
サミーは「映画を撮る」という、自分を出せる拠り所を持っていたから、自分自身を肯定できて、いじめや軋轢を乗り越えられたのでしょう。
しかし、そのシーンが映画では決して道徳的に描かれるわけではない。
そこが、『フェイブルマンズ』は秀逸です。
サミーは、両親との確執と、そして自分とどう向き合うか?
サミーは、実は映像制作を通して、母親のとある出来事を無意識に撮影してしまい、心に痛み抱えることになります。
そして、父親との生き方においてのすれ違い。
さらには、他の人が普通に持ちあわせている、周囲と歩調を合わせる才や処世術が自分には欠けていることに気づきます。
クライマックス近くまで、そんな痛みを無理矢理に広げられるシーンが続きます。
観客は、その姿に観ている自分を重ね合わせることで、『フェイブルマンズ』は見る人それぞれのオリジナル作品になっていくように思えました。
人生、誰しも紆余曲折ありますよね。
サミーが映画の世界に飛び込む寸前まで、決して「思えば叶う」的な安易さは見当たりませんでした。
サミーにとって、カメラを回す行為は、サミーの抱える心の痛みを和らげるクスリだったように思えます。
人生はフィルムのネガとポジだ
映画『フェイブルマンズ』は自伝的とはいえ、フィクションです。
映画人の社会的な役割とは、「メッセージを物語に載せて世に送り出す」ことだと思います。
スピルバーグは、「ぼくはこんなことして映画界に入りました。あの時あーで、こーして、その結果、こーなったんです」なんて事実の羅列はしたくなかったんだ。
『自分の過去をフィクション物語にします。でも、事実を忍ばせます。その事実は皆さんの世界にもフツーにありますよね。ぜひ、僕の体験から、観る人それぞれが自由にメッセージをすくいとってほしいです』
映画を見終えて、スティーブン・スピルバーグのそんな「声」が聞こえた気がしました。
『フェイブルマンズ』考察・評価〜芸術家の孤独
最後にドキッとなったセリフを書いておきます。
劇中、親族から嫌われている変わり者のお爺さんがサミーにこう言います。(実は、少年と老人の出会いの物語でもあるのです。)
「芸術は麻薬だ。オレたちはジャンキーなんだよ
芸術は輝く栄光をもたらす、だが一方で胸を裂き孤独をもたらす」
少なからずぼく自身、芸術の世界に身を浸して生きています。
いつか光り輝くと信じて創作を続けています。
その作業は『フェイブルマンズ』のセリフにある通り、まさに孤独です。
しかし、昨今、SNSや新しい情報伝達ツールが次々登場することで、世間と作品がすぐに繋がる錯覚に陥り、孤独を薄めているように思えます。
「胸を裂く孤独を抱えてこそ、真の芸術家たりえるのだ。」
ぼくにはそのセリフが、スーパー映画人になってしまったスピルバーグの、どこまでも続く暗闇で、つい、孤独に耐えかねてしまった、「嗚咽」に聞こえてなりませんでした。
人間、弱さをさらすのが、真の勇気だと思います。
劇中、母が別の男性を愛してしまい、離婚に至り、そのきっかけを作ってしまったのがサミーだったという切なくも苦しい展開も語られます。
『フェイブルマンズ』はスピルバーグが自分の弱さや苦しさを晒した勇気にあふれた映画だとぼくは思いました。
『フェイブルマンズ』のラストに拍手〜評価にかえて
『フェイブルマンズ』のラストは、ぼく自身の心に深く響きました。ここもまたラストネタバレシーンと絡んできますので、観たい方はスルーしてくださいね
ラストシーンのジョン・フォード監督が「アングル」の大切さをサミーに教えるシーンがあると書きました。
ぼくは絵描きを生業にしています。アニメーターからイラストレーターと進み、画家となりました。
その経歴の中で、映画からたくさんのことを学んでフィードバックさせてきました。その中でも最も大切な表現エッセンスの一つは「アングル」でした。
そんな意味でラストシーンのジョン・フォード監督が「アングル」のことに言い及ぶシーンには、「まさに!」と手を打っていました。
もう、このラストだけでも長年アングルと格闘してきたぼくは、高評価なのでした。
ちなみに、ジョンフォード役を誰が演じていると思いますか?
僕は映画館で、「確か、この人、監督だったはずだ….思い出せん、、、誰だっけ???…」となりました。
エンドロールで、判明。
なんとなんと、名監督の一人、デビッド・リンチでした^_^
『フェイブルマンズ』で拍手したくなるシーンはこのラストシーンのみ。
逆にいうと、決して派手なサクセスストーリーではないのです。
けれども、幼年時代から青年時代までの表現者の赤裸々な姿を世に送り出したことに、拍手喝采を送りたいと思います。
ぼくの評価は五つ星中「星・四つ」です。
というわけで、レビューを終わりますが、この映画、以下の人にはオススメしません。
この映画をオススメできないヒト
1.シンプルハッピーサクセスストーリーが好きなヒト
2.迷わず進めが人生さ!と、迷うこと苦手な体育会系イケイケのヒト
3.アーティストになりたいけど、一歩踏み出せません….でも考えることは得意です、、、というどこまでも文系なヒト
4.名刺に肩書として「アーティスト」と書いちゃってるヒト
そんな方は『フェイブルマンズ』はスルーした方が良いかもね。
『フェイブルマンズ』の理解を深めるドキュメント映画『スピルバーグ!」配信
『フェイブルマンズ』で描かれたスピルバーグ監督のドキュメントムービー『スピルバーグ!』がU-Nextで配信されています。合わせて観ること、おすすめです。
『スピルバーグ!』レビュー記事は別記事でこちらに書いています。
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