『怒りの葡萄』映画のあらすじ結末まで・解説・考察・評価レビュー|「葡萄」の意味は?

ヒューマン・ハートフル

今や古典的名作となったロードムービーの元祖的な一本『怒りの葡萄』を取り上げます。1930年代の大恐慌時代のアメリカが舞台です。資本主義が拡大し、中西部の農地が荒れたことにより、農民一家が新天地カリフォルニアを目指します。




主人公は、代々支えてきた農地を大企業に追われた農民ジョード一家。一台のポンコツトラックに一切合切を詰め、ルート66をひたすら西に進みます。

その姿は、混迷を深める21世紀の令和の今だからこそ見る意義がある映画です。

文学の巨人、ジョン・スタインベックのピューリッツァー受賞原作『怒りの葡萄』を、『駅馬車』の巨匠ジョン・フォードが監督しています。

時代を越えて様々なメッセージを発している映画をレビューします。(製作:1939年 劇場公開1963年:アメリカ映画)



映画『怒りの葡萄』予告編




映画『怒りの葡萄』監督・スタッフ・キャスト

監督:ジョン・フォード 脚本:ナナリー・ジョンソン 撮影:グレッグ・トーランド 音楽:アルフレッド・ニューマン

キャスト:ヘンリー・フォンダ ジェーン・ダーウィル ジョン・キャラダイン 他



映画『怒りの葡萄』あらすじ〜結末まで

はじめに、『怒りの葡萄』のあらすじを、以下簡単に紹介します。ネタバレ含みますので映画を見る方はスルーしてください。

時代背景

舞台は1930年代のアメリカ。

オクラホマ州は、干ばつと砂嵐で農作物が壊滅的な被害を受け、多くの農民たちが土地を失っていた。

主人公一家

主人公のトム・ジョードは、殺人罪で4年間服役していた男だ。

刑期を終えて故郷オクラホマに戻ると、古くからの付き合いの元説教士ケーシーと会う。

二人が家に着くと一家はすでに土地を追われていた。

意を決したジョードの父母、祖父母、子供たち家族は、農場労働者募集のチラシを頼りにカリフォルニアを目指して旅立つ。

過酷な旅路

ジョード一家は、オンボロトラックでルート66を西へ進む。

しかし、旅路は過酷を極める。

食糧不足、劣悪な衛生環境、排他的な地元住民など、様々な困難に直面する。

祖父母もそんな過酷な旅に耐えられるはずもなく、道中命を落とす。

カリフォルニアでの苦難

ようやくジョードらはカリフォルニアにたどり着く。

しかしそこもまた楽園ではなく、現実は厳しいものだった。

ジョード一家は、とある流民たちが肩を寄せ合うコミュニティに辿り着く。

元説教士ケーシーは、怒りに任せ保安官を殴ったジョードを庇い、逮捕される。

そのコミュニティを抜け出し、また旅を続けるジョードたち。

彼らはある農場に働き口を見つける。

しかし賃金は低く、劣悪な労働環境で働かされるジョード一家。

その農場の郊外の一軒家でジョードはケーシーと再会。

ケーシーは農民解放運動に加担していた。

喜ぶのも束の間、家は農場に雇われたガードマンたちに包囲され、ケーシーは死亡。

ジョードは傷を負う。

新たな地へ

お尋ね者となったジョード。

家族に迷惑をかけられない、、、と、彼は一人で農場を抜け出す決意を固める。

一人旅立とうとするジョードの意を、しかし母親が見抜く。

家族で新たな地へ旅立とう、、、と、ジョード一家は静かに農場を抜け出し新天地へと向かい、未来への希望を見出していく。

というストーリーです。



映画『怒りの葡萄』解説

映画『怒りの葡萄』は、1940年に公開され、アカデミー賞7部門を受賞。原作は文豪ジョン・スタインベック。初版は1939年に出版され、1940年ピューリッツァー賞を受賞しています。

スタインベックは1962年にノーベル文学賞を受賞しますが、その受賞理由には本作の素晴らしさも挙げられているとのことです。

映画、小説ともに大恐慌時代のアメリカ社会の矛盾と、それにあがなう農民たちの姿が描き出され、メッセージ性の強い作品です。

資本主義による搾取、階層差別、社会の底辺に生きる人々の苦難など、様々な問題を提起しています。

時代が変わった今見ても、今の社会の「おいおい、この世界はどうなってるんだ?」を映画『怒りの葡萄』に透かし見ることで、映画のメッセージはダイレクトに伝わってくるとぼくは感じました。



『怒りの葡萄』の葡萄が意味するものは?

『怒りの葡萄』の「葡萄」って、一体なんのこと?って思いませんか?

映画の中でカリフォルニアの農場で収穫するのが葡萄なのかな?と思うかもしれませんが、差にあらず、桃です。

調べてみたところ、「神にふみつぶされる人間」というキリスト教世界の比喩のようです。日本人にはわかりにくいですよね。

いくつかの解釈ができる言葉ですが、「搾取され踏み潰されても、それでも生きる農民たちの怒り」を現しているのかもしれません。

以下、Wikipediaからも転載します。

怒りの葡萄(grapes of wrath)という表現は、同じくヨハネの黙示録に題材を得たアメリカの女流詩人ジュリア・ウォード・ハウの1862年出版の『共和国の戦いの歌』(リパブリック賛歌)の歌詞からとったものであり[5]、当時としても広く知られているものであった。

映画『怒りの葡萄』考察

作られた時代は1939年ですから、太平洋戦争の開戦前です。

モノクロ映画でセット撮影も多いですが、名匠ジョン・フォード監督の力強い演出が古さを感じさせません。

ぼくは原作(上下2巻)も読んでいますが、2時間の映画でどう表現するのだろう?と思って観たのですが、柱をしっかり据えて、原作小説の持つ深いメッセージ性を2時間の中に、たくみに描き込んでいる、、、と感じました。

主演の若きヘンリー・フォンダはもちろんですが、母親役マー・ジョード役のジェーン・ダーウェルの熱演が、印象に深く焼き付きました。

母親役のジェーン・ダーウェルが素晴らしいです。

映画はもちろん主人公ジョードの物語なのですが、ジョード一家の旅を支えている母親の強さ、子供への理解が、映画の柱と、ぼくはあえて言いたいです。

過去見た映画の中で理想の母親像の一人として刻まれました。



映画『怒りの葡萄』ぼくの感想です

「ダイジェスト感」がなかった良さ

長編文学を2時間にまとめたとはいえ、そのテによくある「ダイジェスト感」が全くありません。その点に驚きました。

原作文学を読んで、ぼく的に印象深いシーンがいくつもあるのですが、そんな印象に残っているシーンは一つも出てこない。だけど最後まで波のように筋を引っ張ってゆきます。

そのことは映画としての脚本がよく練られている、、、ということなんだと思います。

原作で印象に残っているシーンって、多分に人それぞれです。出てこないから残念がること自体ナンセンスですしね。

ポンコツトラックの存在感が素晴らしい

家族を運んでルート66をひた走るポンコツトラックの存在感が秀でています。

原作においてもそのポンコツ具合にハラハラさせられた記憶があります。

しかし、本を読んでの印象ですから、あくまでぼくの脳内想像力の産物にすぎません。

そのイメージが実際に映画の中に大道具として登場してきた姿を見た時、素直に納得しました。

「なるほど、大家族で移動するトラックって、こんな姿だよな、間違いなく!」が、映画のトラックを見た時の印象でした。

あくまで大道具に過ぎないトラックが「登場人物」になっています。

もう、美術スタッフの勝利ですね。





映画『怒りの葡萄』評価は?

歴史越えて今に残る名作を評価をするなんて、おこがましいです。

描かれているのは「時代を越える映画に必要なのは、人間が人間らしく生きるために必要なのは、『希望』だ…という普遍的なテーマ」です。

そして逆境は乗り越えるためにある、というメッセージでもあります。

ロードムービーとしてみても、通りすぎてゆく人々とのホロリとさせるエピソードや、ハラハラさせる場面と、緩急富んでいます。

令和の今、改めて見直して、映画に描かれている「怒り」は「今」にもしっかりと通じるよなあ…とはっきり思いました。

悲しいかな「歴史は繰り返す」んですね。

負の歴史は決して繰り返されてはいけないはずですけど、今なおリピートされている。その事実に気付かされました。

これがぼくの評価です。

『怒りの葡萄』と合わせて読みたいロードムービーに『ノマドランド』があります。『ノマドランド』レビューはこちらからどうぞ。




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