映画『最初に父が殺された』は、カンボジア内戦下、クメール・ルージュ支配下の実態を描いています。原作は、ルオン・ウンの『最初に父が殺された 飢餓と虐殺の恐怖を越えて』。
当時子供だったルオンの、クメール・ルージュ支配下の実態を描き出しています。監督は女優アンジェリーナ・ジョリー。
7歳の少女の目を通して、狂気に満ちた実態が描き出された映画です。カンボジアとアメリカ合作。2017年公開作品です。
『最初に父が殺された』ぼくの感想・考察、そして評価
クメール・ルージュの虐殺の歴史を知っていたぼくは、『最初に父が殺された』は、もっとドラマチックな作りの映画かと思い見始めましたが、とても静かで内省的な映画と感じました。
静かというと語弊があるかも知れません。
『最初に父が殺された』で描かれるのは、過酷なキャンプへの道のり、そして、辿り着いたキャンプの酷い実態です。
それでも淡々としています。
その淡々さは何を意図しているんだろう?と、途中からぼくは思い始めました。
過去のクメール・ルージュの虐殺をテーマに描いた映画に『キリングフィールド』(リチャード・アッテンボロー監督作品)がありますが、『キリング…』はジャーナリスト目線で描かれたカンボジア内戦です。ある意味報道ジャーナリスティックな目線があります。
しかし、『最初に父が殺された』はまったく異質です。
先にも書きましたが、極めて淡々と、ある意味、心象的にも描かれます。
さらにいうならば、過酷な現場に居る子供たちのセリフが、ほとんどありません。
それは何を意図しているのか?
映画『最初に父が殺された』が伝えたかったことは、「7歳の目を通したカンボジア内戦=クメール・ルージュの仕業」なのです。
みなさん、自分が7歳当時のことを思い返してみましょう。大人たちの会話は、ちんぷんかんぷんだったのではないでしょうか?少なくともぼくはそうでした。
そして、自分の心のうちを整理してきちんと伝えることなど、できませんでした。
何か感じても、伝える言葉を持っていなかった。それが、7歳の目と心です。
そう考えてこの映画を俯瞰すると、全てがしっくりきます。
『最初に父が殺された』主人公の少女には、クメール・ルージュの思想など分かりようがありません。嫌なことだらけなキャンプ生活ですが、それを言葉にするボキャブラリーも子供たちは持ち合わせていません。
劇的に描くのではなく、内省的なトーンでの描き方は、アンジェリーナ・ジョリー監督のそんなこだわりから来ているのでは?と思いました。
劇中ところどころ、ドローン撮影による、人がアリンコのように見えるロングが挟まれます。
これも、起こっている事実を主観交えずに、ただただ「事実はこうだったんですよ。人の命は虫ケラ同然だったのですよ」というメッセージの暗喩だと感じています。
映画冒頭からキャンプに入るまで、時間にして30分くらいでしょうか、正直ぼくは、この映画『最初に父が殺された』をどう捉えて良いか、戸惑いました。
しかし、「そうか、この映画は7歳の心と目で見た恐怖の世界なんだ」と気づいた(思い込んだ)時から映画全てがスッと入ってきました。
ちなみに戦闘シーンや地雷原での目を背けたくなるシーンもありますが、極端にリアルです。それは監督の子供の目に写った戦争をリアルに伝えたいがための表現だったと思います。
『最初に父が殺された』は、自分自身の子供時代と貴重な対話させてもらった映画でした。
ぼくの評価は85点です。
届かなかった15点は、カンボジア内戦の経緯が今ひとつわからなかったことと、ラスト戦場から一転してクメール・ルージュ崩壊の顛末が、ちょっと唐突すぎて、あれあれれ?と、ついていけなかったことによります。
もしみてみたい方いれば、以下の二つの別章にあらすじと、ぼく自身よくわからなかった、カンボジア内戦の歴史的背景をまとめてみました。参考にしてみてください。
『最初に父が殺された』のあらすじを書いておきます
ベトナム戦争がカンボジア内戦に波及したのは1972年のこと。町に暮らす主人公の7歳の少女ルオンは、兄のキム、姉のジュー、は、父母と歳の離れた兄弟たちとクメール・ルージュの隔離政策で農村へと強制移動させられる。
数日間徒歩で歩き続けた過酷な道中のはてにたどり着いたのは、粗末な矯正キャンプだった。
そこでは都市部の住人が主に集められ、自給自足を強いられる。
クメール・ルージュの掲げる理想は極端な原始共産主義だ。西洋文化は服装から否定され、ルオンらの着ていたかわいい服さえも、強制的に草木の染料で紺灰色に染めることを強いられる。
過酷な開墾、そして乏しい食糧。捕まえた昆虫でさえが貴重なタンパク源だ。
ある日父は知識階級だったことが知れ、連れ去られ、帰らぬ人となる。
キャンプでの生活に子供達の命の危険を感じた母は、ルオン、キム、ジューにキャンプから逃げるよう諭す。
闇に乗じて脱出する三人の子供達。しかし、どこへ行けども、クメール・ルージュの支配からは逃れることは不可能。別のキャンプに収容されることになる。
そのキャンプは、開墾耕作はもとより、少年少女を兵士として仕立て上げる練兵キャンプでもあった。
ルオンは、賢いゆえに、兵士育成キャンプへ移送され、少女兵士として教育されてゆく。
内戦の余波は次第にキャンプまで及び、子供たちは逃げ惑い、自らが埋めた地雷で次々命を落とす。
物の良し悪しなどわかろうはずもないルオンの目に宿る驚愕と絶望の色。
ルオンは、戦場の混乱の中、離れ離れになったキム、ジューを探し彷徨う…。
そんな、事実に基づいたストーリーです。
『最初に父が殺された』歴史的背景復習とクメール・ルージュのこと
インドシナ戦争の映画は、『キリングフィールド』『地雷を踏んだらさようなら』と二本ほど観ているけれど、いつも「どしてカンボジアって内戦になって、クメール・ルージュの支配になったんだっけ?」と訳がわからなくなります。
今回もそうでした。なので、観劇後、ベトナム戦争からインドシナ戦争戦争への流れを復習してみました。
カンボジアは1949年にフランス領インドシナから独立、シハヌーク国王によって統治されていた。
しかし、王政に対抗する抗争があり、カンボジア国内の政治は不安定だった。
1965年2月、アメリカがベトナム戦争で北ベトナムを空爆。するとシハヌークはアメリカと断交する。
理由の一つは、カンボジアに北ベトナム軍および南ベトナム解放民族戦線の補給基地が存在していたから。
南ベトナム側のアメリカは、カンボジアにとって間接的に敵国だったわけ。
南ベトナム軍とアメリカ軍はそんなわけで、カンボジア領内をしばしば爆撃。
アメリカはベトナム戦争を遂行のため、カンボジアに親米政権を作る必要が出てくる。
で、起こしたのが、
1970年3月のロン・ノルのクーデター
シハヌーク国王が中国北京を訪問不在中の1970年3月18日、下院で国家元首としてのシハヌークを国王の座から引き下ろすことを満場一致で可決。
将軍ロン・ノルがアメリカの後ろ盾で首相となり、「クメール共和国」の樹立宣言。
新政府はアメリカはじめ、諸外国に承認。
クーデターの数日後、座を奪われ怒り心頭のシハヌークは、北京にて「カンプチア王国民族連合政府」を樹立。ロン・ノルへの抵抗を訴える。
それに応じたデモと暴動が国の至る所で発生するが、ロンノル側の武力で鎮圧された。
1970年3月29日、隣国北ベトナムは、クメールルージュからの要求を秘密裏に受け、カンボジア「クメール共和国」に対する攻撃を開始する。
なぜならクメール共和国はアメリカの後ろ盾政権だからだ。
北ベトナム軍の攻勢の結果、カンボジア東部から北東部にかけての大部分を占領。
カンボジア軍を破った後、北ベトナム軍は獲得した地域を地元の武装勢力へと引き渡していった。
時同じくして、クメール・ルージュは北ベトナム軍からは距離を置き活動。
カンボジア南部および南西部に「解放区」を作る。
北ベトナムの攻勢に対し、ロン・ノルは激しい反北ベトナムキャンペーンを行い、南ベトナム解放民族戦線への支援を疑い、カンボジア在住のベトナム系住民を迫害・虐殺。
このため、内戦前まで50万人もいた在カンボジアベトナム人のうち20万人もが1970年にベトナムに逃げ帰る。
1970年4月、ロン・ノルは、アメリカ軍のカンボジア侵攻を許可する。
北ベトナム勢力を駆逐するために、短期間であるがアメリカ軍が作戦を展開。
短期間とはいえ、投下された爆弾量は第二次世界大戦でアメリカが日本に投下した爆弾の1.5倍にのぼる。
しかし、その後、反ロン・ノル勢力である、北ベトナムに支援された共産主義勢力クメール・ルージュが台頭してくる。
クメール・ルージュの支配
1972年1月、アメリカはロン・ノル政権支援のために南ベトナム派遣軍の一部をカンボジアへ侵攻。
このアメリカ直接介入によって、ベトナム戦争は戦場をカンボジアまで広げ、インドシナ戦争と呼ばれることになる。
同年10月、ロン・ノルは軍事独裁体制を宣言する。
それに対して、中国からの強力な支援を受けたクメール・ルージュは戦闘を続ける。
1973年1月にパリでベトナム和平協定が調印されアメリカ軍がベトナムから撤退。
同時にアメリカという後ろ盾を失ったロン・ノル政権はガタつき始める。
1975年4月、ロン・ノルは国外へ亡命。
ベトナムでは南ベトナムのサイゴン陥落。
北ベトナムが勝利をおさめ、ベトナム戦争が終結。
このベトナム戦争終結のわずか13日前、カンボジアではクメール・ルージュが首都プノンペンを占領。
1976年1月に「カンボジア民主国憲法」を公布し、国名を民主カンプチアに改称。
プノンペン陥落後、クメール・ルージュの指導者ポル・ポトは、「都市住民の糧は都市住民自身に耕作させる」として、都市に暮らす者、資本家、技術者、知識人から財産・身分を剥奪没収。彼らを郊外の農村に強制移住させた。
↑映画はここがスタートラインとなります。
↓以下、映画のバックボーンとなる歴史的事実をWikipediaから転載(一部改稿)しますので、映画のストーリー理解の参考にしてください。
↓映画では、このファクトが描かれますので。
ポル・ポト(クメール・ルージュ)の目的は、原始社会(原始共産制)的自給自足の生活をしているカンボジア山岳民族を範として、資本主義はおろか都市文明を徹底的に廃絶することであった。
知識や教養は、ポル・ポト政策の邪魔でしかない。
ゆえに、「医師や教師、技術者は優遇する」という触れ込みで自己申告させ、選別。連れ去ったのちに殺害した。
連れ去られた者が帰ってこないことが知れ渡ると、教育を受けた者は無学文盲を装って難を逃れようとした。
しかし、眼鏡をかけている者、文字を読もうとした者、時計が読める者など、少しでも学識がありそうな者は殺害された。
また、ポル・ポトは「資本主義の垢にまみれていない」という理由で子供を親から引き離して集団生活をさせ、幼少期から農村や工場での労働に従事させた。10代前後の子供が兵士として教練されていたという事実もある。
『最初に父が殺された』スタッフ・キャスト
監督 アンジェリーナ・ジョリー 脱帽でした。
キャスト/ルオン=サリウム・スレイモック ルオンの父 =ポーン・コンペーク ルオンの母=スベン・ソチェアタ 他
『最初に父が殺された』配信先は?
Netflixで配信中です。
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