『ハリポタ』初代校長役で若い映画ファンの心にも名を刻まれたリチャードハリス。惜しくも2002年に亡くなりました。彼の若い頃から円熟期、そして死因までを追ってみます。シワが増えた顔で登場するリチャードハリスに拍手を送りたくなったのはなぜでしょう?
ダンブルドア初代校長役を演じた名優の人物像にスポットを当ててみたいと思います。
(二代目ダンブルドア校長役を演じたマイケル・ガンボンの追悼記事も別記事でまとめています。こちらです)
『リチャード・ハリス』の生い立ちと俳優への道
なんでリチャードハリスなのかって?
それは、管理人の映画ライフの入り口となった一本、『カサンドラクロス』(1976年作品)で「スターって、2枚目路線じゃなく、シブカッコイイヒトもいるんだー」と印象づけられたから。
Richard Harris: (1930年10月1日 – 2002年10月25日)
リチャード・ハリスはイギリス人かと思いきや、アイルランド生まれ。アイリッシュです。
リムリックというアイルランド西部の街の出身。管理人はかつてアイルランドに旅したことがありますが、そのリムリックも訪れています。シャノン川が悠々と流れ、古城リムリック城を中心に広がる、歴史が刻まれた、それは素敵な町です。
リチャード・ハリスは若き頃、ラグビーのセンスが良かったようで、その道に進もうとしましたが、10代というはやきに結核を患い、断念。
ならば次に好きなことを、と、考えた彼は映像の道を目指しました。そして、監督としての勉強をすべくアイルランドからイギリスに渡ります。
しかし、イギリスには監督スキルを学べる学校はありませんでした。(あったのかもしれないけど、当時はネットなんてない時代、彼の目と耳に入ってこなかったのかもしれません。)
それならば少しでも関係ある分野を…、と考えたリチャードハリスは、「ならば、演劇学校だ」と、受験します。
受けたのはいきなり「王立津演劇学校」。しかし不合格…。
では、二番手の「セントラル演劇学校だ!」と、スクールの門を叩きますが、年齢を理由に門前払いを食らいます。
ここでくじけていたら、ダンブルドア校長は生まれていません。
学校を探しまくった彼は、「ロンドン音楽演劇アカデミー」の門を叩き、ようやく劇の道へと入学が許されたのでした。
今も昔も、演劇はお金がかかります。リチャード・ハリスがどうやってその資金を捻出したのか、というエピソードもカッコいいです。バイトの先は、いったいなんだったでしょう?
なんと、炭鉱です。
真っ黒になって稼いだポンド札握りしめて演劇を上演したりと、下積みしっかりの苦労人です。
『リチャード・ハリス』映画デビュー〜駆け出し俳優の頃
はじめての映画デビューは『地獄で握手しろ』。1958年。28歳ですね。
当然、いろいろ映画に出ますが、最初はほとんど端役です。
ぼくが好きな映画に『ナバロンの要塞』がありますが、それにも出ていたのは知りませんでした。
(主役はグレゴリー・ペックとアンソニー・クイン。リチャード・ハリスのキャストクレジットは端っこの端っこでした。)
この映画は1961年のイギリスとアメリカの合作映画です。リチャード・ハリス31歳。ちなみにどうでも良いけど、ぼくが生まれる一年前の映画です。
『リチャード・ハリス』カンヌとアカデミー賞、そしてハリウッドへ
1963年、33歳のとき、イギリスのドラマ『孤独の報酬』ではカンヌ国際映画祭男優賞を受賞。
アカデミー主演男優賞にノミネートされるとハリウッドにむかいました。
カーク・ダグラスが憧れだったようです。
カークと知り合いになったリチャードは、ダグラスの推薦でミュージカル映画『キャメロット』で主演を張ります。1967年、37歳でした。
彼がカークダグラスに謝辞を述べているクリップがありました。
以降、1970年『馬と呼ばれた男』、1974年『ジャガーノート』、1976年『カサンドラ・クロス』、1987年『オルカ』、1978年『ワイルド・ギース』といったミステリ系、アクション系ムービーに次々と出演します。
『リチャード・ハリス』黄金期
ぼくがリチャード・ハリスにワクワクしたのはこの時期です。『カサンドラクロス』『オルカ』『ワイルドギース』は劇場で観ましたので、毎年リチャードをスクリーンに観ていたことになります。
冒頭も書きましたが、「2枚目ではないのに渋カッコいい俳優だな。」がぼくにとってのリチャード・ハリスでした。
残念なことに1980年代はアルコール依存症で、しばらく映画から遠ざかっています。
依存症を克服したのち、以後は活動の中心は舞台だったようです。
思い返してみると、そういえば、ワイルドギース以降、ぱたっと観なくなり、クリントイーストウッド監督主演の『許されざる者』で久々にスクリーンで会い、「リチャード、懐かしいじゃないか!元気だったのかー。」と勝手に思っていましたが、、、。そういうことだったんですね。
『リチャード・ハリス』復活からさようならまで
そして、『じいさんになっちゃったけど、めちゃくちゃカッコいいじいさんになったなあ…』と震えた作品が、ミレニアム公開のリドリー・スコット監督作品『グラディエーター』です。
賢帝マルクス・アウレリウスの役でしたが、古代ローマを知ってたんじゃないか…と思えるほど重厚な存在感でした。主役のラッセル・クロウとの共演のシーンでは、ほとんどクロウを食っていた、とさえ感じました。
長き下積みと依存症…人生の裏も見た俳優だからこそ出せた妙味だと思います。
『グラディエーター』で決めた渋カッコよさは、その後『ハリーポッター 賢者の石』にも引き継がれ、如実に発揮。若い世代にもその名を知らしめます。いよいよもって、ダンブルドア校長役です。
『リチャード・ハリス』の死因
アルバス・ダンブルドア校長の役は、しかし、2度のハリポタ出演を最後に、2002年に病没。見納めとなりました。72歳でした。
死因はホジキンリンパ腫を患って、、とのことです。
『リチャード・ハリス』とダンブルドア校長
こうして時代を追ってリチャード・ハリスの歴史を見てくると、紆余曲折ジェットコースタームービーのような俳優人生だったのでは?と思います。
魔法学校の校長の役を演じるということ。それは演劇学校を落ちまくり、下積みを山ほど経験したリチャード・ハリスにとって、「校長」という役は、ジョークのような配役、と思ったのではないでしょうか。
ダンブルドアは、死が近くまでやってきていることを知っていた(と思う)リチャードにとって、経験てきた人生の苦さを滲ませ映し出せる、鏡のような役=存在、と理解して演じていた…そうぼくは思いたいです。
『リチャード・ハリス』 主役ムービーはそう多くない
当然ぼく自身、「リチャード・ハリスの映画を全部観てます!」なんてことはないわけで、そこで主演映画を調べてみましたが、決してそう多くはありません。
『潮風とベーコンサンドとヘミングウェイ』
『ジャガーノート』
『荒野に生きる』
『孤独の報酬』
『馬と呼ばれた男』
『サウスダコタの戦い』
『輝きの大地』
『クロムウェル』
『オルカ』
主役級の映画はもちろん多数あります。クセある役者さんって、得てしてそういうものかもしれません。
「オレがオレが!」の主役バリバリより、ダンブルドアやマキシムアウレリウスのように、表向きは脇に立ちつつ、ドラマの中では絶大なオーラ発している感じ…がリチャード・ハリス的なのかもしれません。
ちなみにアイルランド出身の彼は、ハリウッドで成功したのち、アイルランド文化を広めることにも熱心だったようです。2006年に、アイルランドクレア州キルキーに、彼の銅像が立てられました。
追記 歌手でもあった『リチャードハリス』
彼は歌手でもありました。
1968年に発表した「マッカーサー・パーク」は全米2位、全英4位。
YouTubeにないかな、と探しました。以下に一本のミュージッククリップを貼っておきます。
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