映画『グラン・トリノ』評価感想レビュー
~イーストウッドのアウトサイダー讃歌〜
こんにちは、映画好き絵描きのタクです。今回レビューで取り上げる映画は『グラン・トリノ』2008年公開・アメリカ映画です。
戦争の負の記憶を引きずる男と、アジア系移民=モン族の少年のドラマをクリントイーストウッドが味わい深く演じつつ、監督しています。
映画の時代設定は「今」ですが、たクリント・イーストウッドの『荒野の用心棒』、『ダーティハリー』、『アウトロー』そして『許されざる者』といった作品に連なるアウトサイダー美学が滲み出ています。
そんな映画人イーストウッドの集大成のような作品『グラン・トリノ』をレビューします。
『グラン・トリノ』予告編
🎬 映画『グラン・トリノ』スタッフ
| 名前 | |
|---|---|
| 監督 | クリント・イーストウッド |
| 製作 | クリント・イーストウッド/ロバート・ロレンツ |
| 脚本 | ニック・シェンク |
| 音楽 | カイル・イーストウッド/マイケル・スティーヴンス |
| 撮影 | トム・スターン |
🎭 登場人物・配役・キャスト(性格・物語上の役割付き)
| 登場人物 | キャラ・役割 | 俳優名 |
|---|---|---|
| ウォルト・コワルスキー | 頑固で差別的な退役軍人。過去の罪と向き合い、隣人のために変わっていく主人公 | クリント・イーストウッド |
| タオ・ヴァン・ロル | 内向的で気弱な青年。ウォルトの変化を引き出す存在 | ビー・ヴァン |
| スー・ロル | 快活で聡明な姉。異文化をつなぐ“橋渡し役” | アーニー・ハー |
| マーティン神父 | 若く未熟だが誠実。ウォルトの内面を引き出そうとする聞き役 | クリストファー・カーリー |
| バーバラ | ウォルトの息子。父との断絶を象徴する存在 | ブライアン・ヘイリー |
| ミッチ | 同じくウォルトの息子。父の価値観を理解できない側の象徴 | ブライアン・ハウ |
| スパイダー | ギャングの一員。暴力の連鎖を体現する存在 | ダオ・チャン |
『グラン・トリノ』解説
本作のタイトルに冠されている”グラン・トリノ”って、なに?と思われる方もいると思います。そこからお話をはじめますね。”グラン・トリノ”は、アメリカの自動車メーカー・フォードブランドの車種名です。
‘フォード・トリノ’と呼ばれるシリーズのうち、 1972年から1976年の間に生産されたバージョンが”グラントリノ”と呼ばれるようです。描いてみました。こんな車です。

グラン・トリノ
インクにデジタルペイント
クリント・イーストウッド演じる主人公:ウォルト・コワルスキーは、人に心を開かない頑固な老人。朝鮮戦争従軍後にフォード・デトロイト工場で、組立工として働いていたという設定です。
ウォルト・コワルスキーのガレージにある一台のグラントリノをアジア系の若者たちが盗みに押し入ります。盗難は未遂に済みますが、その中の1人、少年タオはウォルトに謝罪。渋々謝罪を受け入れたウォルトとタオの間に微妙な関係がはじまります。
朝鮮戦争で心に傷をおったウォルトの心の変化、モン族の少年の成長、そしてウォルトの「人生の最後を、どう決めるか?」が映画のテーマとなります。
モン族とは、中国の雲貴高原からベトナム、ラオス、タイの山岳地帯にすむ少数民族です。マイノリティと言って良いでしょう。
クリントイーストウッドが演じるウォルト・コワルスキーは、朝鮮戦争で心に傷=PTSDを負ったアウトサイダー…見方によってはマイノリティです。
モン族移民もアウトサイダーと考えるなら、ぼくは、『グラントリノ』は、社会からはみ出した居場所のない者同士のドラマのように捉えています。

『グラントリノ』は実話か?
グラン・トリノは実話か?という疑問がネット上にありますが、グラン・トリノはフィクションです。実話ではありません。
『グラン・トリノ』10秒あらすじ
簡単にストーリーを知りたい方のために『グラン・トリノ』公式サイトのあらすじテキストを省略転載します。
妻に先立たれ、一人暮らしの頑固な老人ウォルト。人に心を許さず、自宅の芝生に一歩でも侵入されれば、ライフルを突きつける。そんな彼に、息子たちも寄り付こうとしない。
学校にも行かず、自分の進むべき道が分からない少年タオ。彼には手本となる父親がいない。二人は隣同士だが、挨拶を交わすことすらなかった。
ある日、ウォルトが何より大切にしているヴィンテージ・カー<グラン・トリノ>を、タオが盗もうとする――。
盗難は未遂に終わり、ウォルトがタオの謝罪を受け入れたときから、二人の不思議な関係が始まる。ウォルトから与えられる労働で、男としての自信を得るタオ。タオを一人前にする目標に喜びを見出すウォルト。しかし、タオは愚かな争いが家族に危険を招くとは思っていなかった、、、。
という筋です。しかしもちろん映画のキモは、書かれていない部分にあります。
『グラントリノ』あらすじ前半
舞台はデトロイト。主人公のウォルト・コワルスキーは郊外に一人暮らしている。
朝鮮戦争に第一騎兵師団の兵士として従軍した彼は、退役後にフォードの自動車組立工を務め上げ退職、その後妻を亡くし一人住まいだ。
ガレージには一台の磨き上げられたクルマがある。
車種はグラントリノ。彼自身が組み立てにたずさわった名車だ。
しかし執拗なまで頑固な彼は、息子たちからも嫌われ、ビールを一人、デッキで飲む日々が続いている。
そんな彼の家の隣に東洋人一家が引っ越してくる。モン族の少年タオとその一家だ。タオは内向的でほとんど口も聞かない。自分の進むべき道など見えているはずもない…そんな少年だ。
タオには従兄弟にはストリートギャングのボスがいた。タオを仲間に引き入れようと家に立ち寄り始める。
そんな隣家の様子を苦虫を噛み潰した顔で見ているコワルスキー。
タオはいとこのボスからギャングに入るよう強引に誘われる。
断りきれずにタオは、いとこの命令のまま、ウォルトのグラントリノを盗み出そうと夜の闇をつきガレージへと忍び込む。
しかし、ウォルトに見つかりそうになり逃げ去るタオ。
ウォルトはアジア系のタオ一家を毛嫌いしていたが、その後、ギャングからからまれているタオや姉のスーを、通りすがりに助けることになる。
そんないきさつで、ウォルトはタオ一家との交流が始まる。
タオの家族は、グラントリノを盗もうとした罪の償いとして、タオにウォルトの家の雑務をこなすよう命じる。
二人の不思議な関係が始まる。
ウォルトはタオに対して、男としてすべきさまざまなことを教え、そして土木仕事を口利きする。タオは一人の男としての自信を持ち始める。
同時に、明かされるのは、ウォルトを頑なにした理由が明かされる。それは朝鮮戦争従軍時の罪の意識だ。
さらにまた、ウォルトの体は病気に蝕ばまれていた。
『グラントリノ』あらすじラスト結末まで〜ネタバレ閲覧注意
以下は結末までのネタバレとなります。映画を観る方はスルーしてください。
+ + +
ある日、タオのいとこが率いるギャングが、タオに嫌がらせを加える。
ウォルトはギャングの一人の家で待ち伏せし「タオ一家に近寄るな」と痛めつける。
事態はしかし悪化。
ストリートギャングは、コウォルトとタオ一家への嫌がらせをエスカレートさせ、タオの家に銃を乱射。スーは手ひどくレイプされてしまう。我を忘れ反撃を主張するタオ。
ウォルトの怒りに火がつく。
ウォルトはしかし復讐を叫ぶタオを家に閉じ込め、何かを深く考え始める。
そして、意を決し、単身、ギャングの根城に向かう。
ギャング団の根城の家の前で、ウォルトは彼らと対峙する。
ウォルトは、「タオたちに二度と近寄るな」と静かに凄む。
手元にマシンガンを握った、いとこはじめとするワルたちは聞く耳を持たない。
騒ぎに気づいた近所の住人たちが「いったい何事か?」と窓越しに覗いている。
緊張が走るストリート。
一人静かに立つウォルトは、意を決したかのように、
一本のタバコを取り出し、咥える。
そして、ゆっくりと上着の内ポケットに右手を入れるウォルト。
右手の先の内ポケットにあるものは銃に違いない、と、恐怖に駆られたギャングたちはウォルトに向け一斉に銃を乱射、ウォルトは蜂の巣となり絶命する。
しかし、倒れたウォルトの右手に握られていたのは、銃ではなく、第一騎兵師団マークが刻まれたジッポーライターだった。
近隣住人の通報で警察が到着、ギャングたちは、傍らウォルトを射殺した角で拘束されている。
そこにやってくるタオとスー。
ウォルトが収められた遺体袋に駆け寄るが警官が制止する。そして警官は現場で起こったことをタオに早口で伝えた。
「ウォルト・コワルスキー氏は武器は持たずにギャングに向かっていった。近隣住人が、丸腰のコワルスキー氏が一方的に撃たれたところを見ている。ギャング達は皆、監獄で長期刑だな」
その言葉にタオとスーは、ハッとする。
そうか、ウォルトは、自らの命と引き換えに、タオとスー家族からギャングたちを引き離したのだ。
教会で葬儀がすみ、場所はとある弁護士事務所。
弁護士が、ウォルトの息子たち遺族を前に、彼が残していた遺言書を読み上げる。
その文面の一節にはこうあった。「グラン・トリノはタオに譲ることとする」
場面は変わって、どこかの美しい海辺。
走るグラントリノのハンドルを握るのはタオだ。
ハイウェイの彼方、遥かに小さくなっていくグラントリノ。
エンドロール。
『グラン・トリノ』考察感想
幾つものアウトサイダーを越えて
さて、あらすじをラストまで紹介しましたが、これまでクリント・イーストウッドは『荒野の用心棒』『ダーティーハリー』『アウトロー』『許されざる者』と、社会からはみ出した人間、すなわちアウトロー、広い意味ではアウトサイダーの生き様を演じてきました。
しかし、クリント・イーストウッドが演じてきたアウトサイダーたちは、どの作品でも、ラストで主人公が死ぬと言う事はありませんでした。しかし、『グラン・トリノ』のラストでは、主人公ウォルトが自らの命と引き換えに未来ある若者を助けます。
クリント・イーストウッド監督作品の中では、年長者が命と引き換えに若者を救うというテーマは、『グラン・トリノ』公開に先立つ2年前の2006年にも、戦争映画『硫黄島からの手紙』でも”日本軍司令官と若い兵卒”という形でさりげなく表現されていました。
また、2021年公開の『クライ・マッチョ』でも、命の引き換えはないにせよ、栄光を引きずる老人と、生き方に迷う少年の物語でした。
これは何を意味するのでしょうか?
クリント・イーストウッドはこれまでも様々な映画を作ってきました。
その彼も齢80歳を越え、それでもなお老いを感じさせないペースで精力的に映画を取り続けています。
しかし同時に、イーストウッドが演じている人物像も変わってきているように感じます。
どういうことでしょうか?
アウトサイダーを演じさせたらかっこよさ天下一品のイーストウッド。その彼が敢えて『グラン・トリノ』でこう問いかけているように、ぼくには思えます。
「普通の暮らしの中で、価値ある生き様、価値ある命の使い方とは?」
シリアスな過去を背負いながら老いたコワルスキーの生き様に、その答えをにじませて世に送り出したのが『グラントリノ』だと、ぼくは思っています。
80を越えた年齢となったクリント・イーストウッドだからこそ発することができたメッセージといってもよいかもしれません。
あぶり出される異民族集団国家アメリカの実像
映画『グラン・トリノ』の中では、移民問題の言葉ははっきりとは出て来るわけではありませんが、ドラマでは暗にアメリカが移民が押し寄せる多民族国家であり、白人のアジア系に対する差別意識にも切り込んでいます。
ハリウッド映画ではメキシコ系移民はよく出てきますが、アジアからの移民が物語の主役級となっている映画は、あまり見たことがありません。
主人公ウォルト・コワルスキーの家はデトロイト郊外という設定ですが、その地域にアジアからの移民が増えていることが映画では描かれます。
モン族はラオスの山岳民族です。インドシナ戦争でフランス・アメリカに協力しますが、のちに反体制民族として弾圧されます。その結果、アメリカが受け入れを決めたことにより移住してきたことが明かされます。
朝鮮戦争従軍経験があるウォルトは、朝鮮でアジア人と砲火を交えています。それゆえに、暮らす町デトロイト郊外にアジア系が入ってくることにも腹を立てているのです。彼にとっては朝鮮人もモン族も、ただの黄色人種”アジア人”でしかないのでしょう。
しかし彼が異民族の暮らし=異文化に触れて、心を少しずつ開いていく過程を見ていると、「異文化がやってきたら、まずは飛び込め」という真理を暗に伝えているように思います。
ぼくらが暮らしている日本は、島国ゆえに異文化に対してコンプレックスが強いのは事実でしょう。
異民族が隣にやってきて暮らしはじめたら、あなたならどうしますか?
国の施策や主義主張も絡み合い、答えは簡単には出ないでしょう。『グラン・トリノ』は、視点を変えると、ぼくをはじめ異民族異文化に耐性が弱い多くの日本人に、がつんと問いをくれる映画だと思います。
少年への命のバトン
イーストウッド演じるウォルト・コワルスキーの偏屈爺さんぶりは見ものです。…というか、これまでのイーストウッドの演じるキャラで”偏屈じゃない役柄”ってあまり記憶にないんですが…。
でも、今回は西部劇や刑事モノといったアクション系偏屈野郎ではなくて、ごくごくフツーの人の偏屈役柄というところがヨイです。「こんな爺さん、近所にも実際住んでそうだよな。そんな爺さんの隣には、絶対住みたくないよね」って思います。
測ったわけではありませんが、ほぼウォルトの苦虫噛み潰し顔は総出演時間の9割を占めるでしょう。後半、ところどころ優しげな表情見せますが、そこでは見ているこちらがホッとするほどです。
大事なのは、そんな偏屈爺さんだからこそ、クライマックスで少年にバトンを渡せた、、、という点です。命のバトンを渡すのは偏屈な爺さんでなければならないんです。
ぼくのように周りの顔色伺って生きているような人間が主人公では、タオとの関係を通して命のバトンを継ぐストーリーにはならなかったはずです。
老害と頑固の違い
老害という言葉がほぼ流行語になっています。
高齢者が「老害野郎だった」と呼ばれて終わるか、「最高の頑固爺さん(婆さん)」と栄誉を受けるかどうかは、その命と引き換えに、時代を継ぐ若者に何を渡せるか?なのかもしれません。
あ、”バトン”とはモノではないです。あくまで心のあり方、です。
ウォルトはなぜアジア人が嫌いなのか?
映画では、なぜにウォルトがアジア系隣人を嫌いまくっているのか?という理由も明かされますが、その明かされ方が、憎いほど小出しなのです。その脚本と演出が、うまい。
ただの”アジア人嫌い爺さん”ではないんですね。
その遠因は、朝鮮戦争での従軍にあるのです。
ある作戦で、ウォルトが一人だけ生き残って帰ってきたことや、タオと同じ歳格好の朝鮮兵を射殺した過去です。
「人を撃ち殺すことがどういうことなのか?」をウォルトはつぶやきますが、その声からは、ダーティハリーの放つ44マグナム弾と同じ威力を感じました。
ウォルト自ら選びとったエンディング
さて、クライマックスへの駆け上がりで、姉がレイプされたタオは、激昂し復讐を叫びます。ウォルトも同様の念にかられるのですが、そこからの展開が秀逸でした。
まず、ウォルトが”嫌っていた牧師”が現れ、あろうことか「復讐という選択肢」を言葉にします。
その言葉がウォルトを思索へと向かわせるんですね。そして、単身ギャングの根城に乗り込んでゆくクライマックスへとなだれこむのですが、「そうくるか!?」となる脚本の妙に、ぼくはこの映画は時代を越えるに違いない、と、思いました。
自ら、死を決意しギャングの根城に対峙するコワルスキー。
そのシーンからぼくが受け取ったのは、「人生のエンディングにケリをつけるのは、他でもない自分自身だ」という強いメッセージでした。
ウォルトが銃弾に倒れたシーンに、ぼくも「まさか!」と、呆然となったのは事実です。
しかし、その倒れたウォルトからぼくが感じたのは、クリント・イーストウッドが過去演じてきた「強いアウトサイダー像」への決別であり、「真の強さとは何か?」という問いかけでした。
ラスト5分のカタルシス
映画は銃弾に倒れたシーンで終わらずに、間をおいて葬儀のシーンへと転換します。
そして、さらに弁護士事務所のシーンへとさらなる転換です。
そのラスト構成が、悲しい結末であってもカタルシスを生み出します。
映画のクライマックスでどんなカタルシスをもらえるか?
それってとても大事なことだと思います。
『グラン・トリノ』が言いたかったのは、結局、「老いた人間が、これからの若者にどんなバトンを渡せるのか?」だったように思います。
ラスト、グラントリノを運転するタオが遥か道の彼方に消えてゆく。
そして広がりがある構図で映画が終わります。なぜそんな構図で終わらせたのか?
広がりあるアングルで描き出したかったのは、バトンを受け取った若者の持つ無限の可能性を表現したかったからではないか、と、ぼくは思うのです。
『グラン・トリノ』と『ダーティハリー』
クリント・イーストウッドの演じた過去作品に『ダーティ・ハリー』シリーズがあります。
『グラン・トリノ』でウォルト・コワルスキーが人差し指を銃口に見立てて、ワルたちに向かって撃つ仕草をします。それも何度か。
このシーンは明らかに『ダーティハリー』への自己オマージュでしょう。
その手の仕草が、ぼくにはマグナム44に見えてしょうがなく、ニヤニヤして見ていました。
(シナリオ上必須のシーンですけど、明らかにファンサービスでもあった、と思います。)
また、『ダーティハリー3』(1976年公開作品)で、主人公のハリー・キャラハン刑事が新米女性刑事を載せていた車がグラン・トリノなそうです。
そんな裏も知るとますますニヤニヤしてしまいます。
『グラン・トリノ』ぼくの評価
ぼくの評価は、星五つ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️です。
クリント・イーストウッド監督作品の中で、もっとも好きな作品です。2時間以内という上映時間も観ていて心地が良いです。
多くの方に見てほしいです。
『グラントリノ』が気に入った方へオススメ映画はこちら!
『グラントリノ』の老人ウォルト・コワルスキーが少年タオにあれこれ教えるくだりがありますが、ぼくは、そのシチュエーションがたまらなくすきです。
もしそんなシチュエーションが気に入った方にオススメできる映画があります。それは『とらわれて夏』。
こちらは脱獄囚と少年の関係ですが、しみじみと心に迫る佳作です。
当サイトでもレビューしていますので、もし、アンテナが立った方はご覧いただけると嬉しいです。

『とらわれて夏』の公式サイトはこちらです↓
https://paramount.jp/torawarete/
『グラン・トリノ』配信先は?
以下サービスで配信、またはレンタルできます。(2024年7月現在情報につき、配信停止になっている場合もあります。ご注意ください)
プライムビデオ/U-NEXT/TELASA/Netflix/クランクインビデオ
『グラン・トリノ』DVD/ブルーレイは?
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