アカデミー賞国際長編映画賞にもノミネートされ、世界中の映画祭で評価を受けたインドの映画監督が自らの子供時代の思い出をもとに映画を作りました。映画の国インドらしいムービーです。インド映画というと、歌あり恋ありアクションありというイメージですが、そんなインドスタンダードとは一線を画し、自分の幼少期を俯瞰したくなる映画ですよ。
『エンドロールのつづき』どんなあらすじ?
主人公は小学生のサマイ、9歳。サマイは貧し家に育ち、父親が駅でチャイを売る手伝いをしている。学校以外は、駅に停車した列車に「チャイはいかが?」と声を張り上げる日々だ。。
ある日、サマイは家族と映画を観る。スクリーンのなかに新しい世界を見つけ衝撃を受けるサマイ。
しかし、映画を見るには金がいる。お小遣いがないサマイは、ギャラクシー映画館の映写技師ファザルに、あるものを交換条件に映写室に入れてもらうことに成功する。交換条件とは、料理上手なサマイの母が作ってくれている「お弁当」だ。
サマイは映画を観るだけでは飽き足らなくなり、仲間たちを集めて映画を上映、さらには作ることにチャレンジし始める。
しかしその映画の上映は、サマイたちがこっそりとフィルム保管倉庫から盗み出したものだった。そのことが警察にばれてしまい、サマイは捕まってしまう。
しかしサマイの映画への夢はそんなものでは潰えない。留置所内でのふとしたことから、映画制作の大きなヒントをつかまえる…。
しかし、父親の反対と、映写技師ファザルの失職を機に、物語は急転する…。
そんなストーリーです。
『エンドロールのつづき』なんでこの映画を観ようと思ったのか?
よくあることですが、予告編です。そう、トレイラーに引っ張られました。
予告で流れた、スクリーンに釘付けになる少年の表情がそれは素敵でした。
その顔を見た時、自分が子供時代に映画館に行った時のワクワク感と、劇場内の暗闇のちょっとした怖さ、子供の居場所の無さ…を急に思い出したのでした。
今こうしてブログを書いていますが、「そうだよ、ぼくも子供時代、マサイと同じ体験をしたんだっけ」…と思ったら、これはもう観ずに居れるか…だったわけです。
映画って、記憶の奥底をくすぐったり、何かを引っ張り出してくれたりするじゃないですか。
『エンドロールのつづき』の予告は見事にぼくの映画ゴコロをくすぐってくれたのでした。
『エンドロールのつづき』で、ぼくの感想は?
この映画は、パン・ナリン監督が子供時代の体験を基に、描かれた物語です。遥かな幼少期へのノスタルジーがベースにある由縁でしょう、ドラマ自体、また、映像も非常にポエティックです。
インド映画のノリを期待して観ると「外れ」となります。
この映画は先にも書いた通り、今をときめく映画監督の「過去体験へのオマージュ」です。
そう割り切って、視点を変えて観ることで、この映画はきらめいてきます。
ってことは、ぼくはこの映画に最初、戸惑った、ということ???
はい、その通りです。そう、予告編を観た印象と本編は、違っていました。
ぼくは勝手に、この映画は「映写技師と子どもの心の交流ストーリー」とおもいこんでいたのです。
では、どう違っていたのか?
この映画を一言で言うなら、「光を捕まえようとする子どもの、子ども時代だから成立するイノセントなお話し」
なのです。
『エンドロールのつづき』の勝手な考察
主人公たちは、映画好きが高じて、子供のくせに映写機まで手作りで作り上げようとします。「道具なんてなくても、作ってしまおう」というめちゃくちゃな勢い。
しかしその手作り具合が、超がつくほど子供らしくイノセント=無邪気です。ぼくの子供時代を思い返してしまうほど、切ないほどによくわかる。
映画好きが高じて、フィルムを盗み出す(ぶっちゃけ犯罪ですね)子供達ですが、そこにも罪悪感はありません。やはり超イノセントです。
「おとななら善悪考えてやらないことを疑問思わずやってしまう」子どもだけが持つピュアさが全編に溢れています。
『エンドロールのつづき』料理とスプーン考察
母親がサマイの弁当を愛情込めて作るカットが何度も登場します。しかし子どもはそんな愛情に気づきもしません。その弁当を映画を見せてもらうために映写技師にあっさりと渡します。
これまたイノセントです。
残酷なまでのイノセントが全編貫いてます。
「イノセント」を「本能」という言葉に置き換えてこの映画を俯瞰すると、新しい視点が生まれてきます。
母が弁当を作るシーンが丁寧に、しかも何度も登場します。
そのカットはすべからく、「観客の食欲、すなわち本能」に訴える、他のカットには無い撮り方をしています。
また、食事のシーンはインドの食卓ゆえの「手掴み」です。
なんでそんなにも料理のシーンと手で食べるシーンにこだわっているんだろう?と、不思議に思いながら観ていましたが、答えは、クライマックスにありました。
少々ネタバレになりますので、要注意。本編を観たい方はこの先は飛ばしてください。
クライマックスは、時代の流れでフィルム上映からデジタル上映に変わり、不要となった映写機が鉄屑となります。(同時に話の鍵となっているアナログ映写技師も解雇される)
それは溶鉱炉で溶かされ、あるものに生まれ変わります。
それは、なんと「スプーン」なのです。
なぜ映写機のメタモルフォーゼをわざわざスプーンにしたのか?
映写機がスプーンに生まれ変わった意味をぼくは以下のように捉えました。
アナログからデジタルへの、時代のハッキリとした移り変わりを暗示しつつ、少年の、「イノセント&手で食べる=本能の時代」から、「スプーン=理性の時代」への移行した、と。
料理が「本能の象徴」と捉えるならば、スプーンは「理性の象徴」と考えることで、この映画は主人公の新しい旅立ちの意味を明確にする、とぼくは思いました。
マサイの本能の時代から理性の時代への「旅立ち」のお話しだったのだ、と思います。
『エンドロールのつづき』ぼくの評価
全編通して美しい映像の映画です。かつてインドを旅したことがありますが、現地の空気感はまさに映画の色なのです。カメラが見事だなあ、と思っていました。
いいセリフもあります。
「英語ができること。そしてこの町を出ることだ。」
「発て、そして学べ」
…監督は、自己体験を投影した映画で、この二つの絶対的なメッセージとして世に広めたかったに違いありません。
以上、勝手な考察まで書いてきましたが、本作はぼくには監督の「ノスタルジック&思い入れスパイス」が利きすぎて、正直きつかった。。。と言うことで、ぼくの評価は10点中6点でした。
『エンドロールのつづき』スタッフ、キャスト
監督/パン・ナリン キャスト/バヴィン・ラバリ リチャー・ミーナー バヴェーシュ・シュリマリ 他
『エンドロールのつづき』配信先は?
レンタルのみですが、U-NEXT、RAKUTEN TV、TELASAでレンタル可能です(2023年7月現在)
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