映画『キャタピラー』ネタバレレビュー|どんな話?から、あらすじ結末まで〜食べて寝て愛国心のグロと銃後の狂気〜

戦争・歴史・時代

『キャタピラー』評価星4つ〜異形の傑作戦争映画

この記事はネタバレが含まれます。その点をご留意の上ご覧ください。
こんにちは、映画好き絵描きのタクです。
今回取り上げる映画は、『キャタピラー』です。
『キャタピラー』って奇妙なタイトルですよね?
パッ!と連想するのは、戦車やブルドーザーのキャタピラだと思います。実は、「キャタピラー」って日本語に訳すと「イモムシ」のことなのです。
英語ではcaterpillar=芋虫・毛虫=という意味があります。戦車が初めて開発されお披露目された時、その足回りを見た将軍が「芋虫みたいだな」と言ったのがルーツになっているとかいないとか…。重機などに使われる「無限軌道の足回り」を指す用語です。
言葉のルーツはそれくらいにしておきます。

『キャタピラー』は、太平洋戦争中国戦線で負傷し四肢を失い、軍神として崇め祀られる黒川久蔵とその妻の物語です。

「キャタピラー」は手足をもがれ、「イモムシ」のようになった「黒川久蔵の姿」を指しています。

監督は若松孝二。脚本は黒沢久子・出口出。出演寺島しのぶ・大西信満。

内容は、戦争で手足を失い「生ける軍神」として帰還した夫(大西信満)と、その妻(寺島しのぶ)との関係を描いた戦争映画です。




『キャタピラー』どんな話?

映画の物語の核は、手足を戦場でもがれ声帯も失った黒川久蔵(大西信満)と、その妻シゲ子(寺島しのぶ)の生活です。
描かれるのは、食べて、寝て、排泄し、性行為を繰り返す姿。その日常が延々と映し出されるうちに、久蔵は「軍神」として崇められながら、戦争の醜悪さを体現する負の偶像となっていきます。

表現されるのは、寒村の一組の夫婦の姿を通しての、戦争の愚かさと、静かに迫る残酷さでしょうか。

戦争の狂気と、国家が「英雄」として祭り上げながら個人の尊厳を奪っていくようす、そして夫婦の愛憎がテーマです。

2010年・ベルリン国際映画祭コンペティション部門で寺島しのぶが最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞しています。

『キャタピラー』あらすじは?

あらすじはWikipediaから転載します。(一部改稿)ネタバレを含みますので、映画を観る方は閲覧禁止、スルーしてください。

1940年、とある農村に住む青年、黒川久蔵は日中戦争の激化に伴い徴兵を受け、戦地へと赴いた。それから4年後、久蔵は頭部に深い火傷を負い、四肢を失った姿で村に帰還する。

戦線で爆弾の爆発に巻き込まれた彼は、声帯を傷つけて話すこともできない上、耳もほとんど聴こえない状態になっていた。

「不死身の兵士」と新聞に書き立てられ、少尉にまで昇進した久蔵を村人は「軍神様」と呼び崇め称える。

しかし親戚たちは彼の変わり果てた姿に絶望し、妻であるシゲ子に世話を全て押し付けてしまう。

シゲ子は無理心中を図り久蔵を殺そうとするが思い留まり、軍神の妻として献身的に尽くすようになる。戦地に赴く前は表向き好青年として通っていた久蔵はしかし、実は欲深く暴力的な性格の男だった。

彼は体に残された知覚で意思を伝え、美味な食事、自身の名誉の誇示、そして性行為をシゲ子に要求し続けていく。

1945年、久蔵はたびたび発作的な錯乱に見舞われるようになり、次第に勃起不全になっていった。彼は戦地で炎に焼かれる屋敷内で中国人の少女を強姦、虐殺した記憶に苛まれていたのだ。

それを知らないシゲ子は、かつて暴力によって自分を支配していた夫への憎悪や怒りを爆発させ、気性が激しく性欲が旺盛な本性を露わにする。

四肢を失い一切の抵抗ができない久蔵は、シゲ子のその姿が過去の自分の姿と重なるようになり、日に日に正気を失っていく。

夏になり、畑仕事をしているシゲ子の元へ村人の間では変人として敬遠されている男・クマが現れ日本が降伏したと伝える。

戦争を忌み嫌っていたクマは「戦争が終わった。万歳」と叫び、シゲ子も晴れ晴れとした表情でそれに続く。

2人が喜びの声を上げるそのすぐ傍で、家から芋虫のように這い出した久蔵は庭の池へと向かっていた。

 

『キャタピラー』感想〜芋虫と軍神と

四肢を戦場でもがれ声帯も失った芋虫のような存在となった黒川久蔵とその妻、シゲ子の日常が映画『キャタピラー』の核になっていますが、描かれるのは、食べて寝て、排泄し、性行する姿。映画ではひたすらにその行為を繰り返し見せつけられます。

そんな銃後の日常を繰り返し見せられていると、軍神久蔵の姿は、戦争の持つ醜悪さを具現化した負の偶像のように見えてきます。

『キャタピラー』で妻しげ子は久蔵はリヤカーに乗せ、村を引きまわし、村人から軍神様と手を合わせられます(表向きは)。久蔵のその姿は、ぼくらから見ると愚かな戦争の権化でしかありません。ナンセンスとさえ思ってしまいます。

そして『キャタピラー』の舞台となっている農村は、どこまでも絵になる、ひたすらのどかな茅葺き集落です。これまたナンセンスの極みです。

そんな景観の中をリヤカーで引き回される久蔵の姿は、ある意味、戦地で人の道に外れてしまった久蔵が、市中引き回し磔の犯罪人に等しい刑罰を与えられているようにも、ぼくには見えました。

要は『キャタピラー』でこれでもかと見せつけるのは、「太平洋戦争時の国民皆兵・銃後のリアルのナンセンス」なのだと思います。

あまりのナンセンスさにぼくは吐き気がするほどでしたが、それは映画『キャタピラー」』製作陣の意図するところだった…と思います。見事です。


『キャタピラー』感想〜食べて寝て、やるせなさと愛国ポーズの虚しさ

『キャタピラー』で描かれた時代から80年経った今でも、世の中の空気を作っていく「ポーズ」って、怖いな、と思います。

なんとなーく右に流されて知らず知らずに時代が変わっていき、ナンセンスなことが「当たり前」になっていく怖さです。

今から80年前の太平洋戦争時、映画で描かれた、軍人たちを送り出す「万歳三唱」。今みるとコメディのように見えてしまう、笑っちゃう「イケイケポーズ」ですよね。

しかしその「イケイケポーズ」は、日本のどんな田舎でも当たり前に見られた風景であり、映画の中で旗を振っていた子供達や母親、妻たちは、、、実はぼくらの両親祖父母にあたります。

そう、彼らが時代の空気の中で当たり前にやっていたことなんです。

今、隣にそんな両親祖父母がいるならば、ぜひ聞いてみてほしいです。

彼らこそ、喜劇(悲劇)のような1940年代の生き証人であり、『キャタピラー』と深い関係性を持つリアルな肉体なのです。

彼らがどんなカタチで愛国心を発していたのか?

映画に描かれるクレイジーな農村風景の生き証人は、意外にもすぐそばにいる、、、ということを忘れたくありません。

『キャタピラー』ぼくの評価は

ぼくの評価は星四つ。決して好きなタイプの映画ではないけれど、胸を鋭く突いてくる作品です。

とくに寺島しのぶの演技は圧巻でした。卵を久蔵の顔に叩きつけ、泣き叫ぶシーンは忘れられません。「食べて寝て」という映画の根底にある行為を、絶望と怒りに変えた名場面でした。

好き嫌いを超えて、時代と観客の心を突き刺す、戦争映画の佳作だと思います。

いい映画をありがとうございました。

『キャタピラー』の配信先は?

Prime Videoで配信されています。


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