久々に、抱きしめたくなる映画を観た。
いや、別に、ブルーレイを買って抱きしめるという意味ではない。
抱きしめることで、その印象が胸にすうっと染み入ってくるのではないか…という感覚での、「抱きしめたくなる」だ。
その映画は『ウェンディとルーシー』。(2008年アメリカ公開)
静かだけどドラマの起伏もあり、余韻のある映画はないものか…と探していたのだが、映画の配信の森に迷い込んでしまい、手探りでつかんだのが、この一本だった。//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js?client=ca-pub-3431414631151047″ crossorigin=”anonymous”>
『ウェンディ&ルーシー』どんな映画?
監督はケリー・ライカート。主演はミッシェル・ウィリアムズ。2008年アメリカ映画。
上映時間は1時間半ほどの心地よい長さ。
アラスカを目指す一人の若い女性ウェンディ(ミッシェル・ウィリアムズ)が、旅の途中、お金がないことでトラブルを起こし、泣き面に蜂の四重奏。その間に愛犬ルーシーは姿を消してしまう。
足止めを食ったまま、ウェンディはできること全てをし、ルーシー探しに奔走するが…
目的と現実の大きなギャップが人生の機微をちらつかせる、そんなインディペンデント系の映画だ。行間から覗けるのは、アメリカの現実でもあるのだろう。
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『ウェンディ&ルーシー』あらすじ(前半)
アラスカを目指し、古びたホンダ・アコードに乗って愛犬ルーシーと旅を続ける若い女性ウェンディ(ミシェル・ウィリアムズ)。
仕事も家もなく、わずかな貯金だけを頼りに「アラスカで仕事を見つければ人生を立て直せる」と信じている。
オレゴン州の小さな町で立ち寄ったウェンディは、車が故障して身動きが取れなくなってしまう。
スーパーで犬ルーシーの腹の足しを盗もうとしたところを警備員に見つかり、警察に通報されてしまう。
ウェンディは短時間の拘留で済んだが、釈放後に最愛のルーシーの姿を見失ってしまう。
車も故障、金もなく、ウェンディは一人で犬ルーシーを探し歩くことにる。
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『ウェンディ&ルーシー』あらすじ〜ネタバレ結末まで
町の掲示板や動物保護施設をまわっても、ルーシーの行方は分からず。
不安と疲労、孤独に押しつぶされそうになりながらも、ウェンディはただひたすら愛犬の名を呼び続ける。
次第に、親切な警備員(ウォルター・ダルトン)の助けを借りて、ルーシーがある家族に保護されていることがわかる。
しかし、その家族はルーシーを大切に世話しており、ウェンディはその穏やかな光景を見、胸を痛める
お金もない、車もない、目的地へも辿り着けていない、そんな自分の現状ではルーシーを幸せにできないと悟ったウェンディは、涙ながらに愛犬の幸せを願い、彼女をその家族に託す決断をする。
夜明け、ウェンディは一人でアラスカへ向かう貨車に飛び乗る。
後ろに流れてゆく当たり前な線路沿いの風景はたぶん、ウェンディの新しい一歩。そして、エンドロール。
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『ウェンディ&ルーシー』考察
見終わってから、自分自身との対話が次々始まる映画に、駄作はない、と思う。
『ウェンディとルーシー』もまさしくエンドロールを見終わって、その後に次々とぼくはもう一人の自分と話し始めていた。
「なんなんだこのすごい女優は?ミッシェル・ウィリアムズ?初めて知ったよ。セリフほぼ無しでこれだけ物語を語れるものか?」
「ミッシェル・ウィリアムズってさ、調べてみら結構出演作を観てるんだよな。たとえば『フェイブルマンズ』の母親役。『グレイテストショーマン』にも出ている。『スピーシーズ〜種の起源』にもクレジットされてるよ」
「主人公を「ポン!」と、ちょっとだけ突き放したようなカメラと演出がいいね」
「ひとり旅でドツボにハマった時って、こんな感じなんだよな。世界にただひとり…って感じでさ。わかりすぎる。泣ける」
「ひとの旅はさほどおもしろいものではないよね、だけど、面白くないと感じる理由は客観的にその旅を見る、距離の違いだけだと思う」
そんなふうに次から次へと心の中で対話が生まれてくるのだから、ぼくにとっては、当たり🎯だ。
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ロードムービーのもうひとつの真骨頂だ
本作はロードムービーと銘打ってはいるけれど、いわゆる主人公たちのA地点からB地点への途上の出来事を見せるタイプではない。移動型ロードムービーを期待してみると肩透かしを食うだろう。
主人公ウェンディはアラスカを目指してはいる。だがオレゴンのポートランド近郊だけで『ウェンディ&ルーシー』の話は、済んでしまう。
目指すアラスカ州までは、まだ日本列島縦断分くらいは残っている、道半ばも半ばだ。
今、「済んでしまう」と書いた。
普通ロードムービーでは、A地点からB地点へと向かう中で、運のアップダウンをみせながら、人生の機微をちらつかせ、見知らぬ人との繋がりの粋を説き、明日への希望をちらつかせ締めくくるものだ。
ところがそれが、無い。
無いと言えば、語弊が生まれてしまう。
ポートランドでのウェンディのひとつのトラブルが次のトラブルにつながり、泣き面に蜂の四重奏となっていき、大団円的な解決を見せることもなく、静かに終わる。それもポートランドで。
話はほぼポートランドだけに終始しているのだから。ロードムービーをイメージさせるような移動のシーンが見られるのは、オープニングとエンディングのみだけだ。
それでもあえてぼくは言いたい。
この移動なき『ウェンディとルーシー』には、ひとり旅なら誰でもが体験しうる次々降りかかってくる非日常での孤独感、どん詰まり感。
人には話しかける相手がどれだけ必要か、ということや、助けや答えは意外なところからやってくるという旅の真理。
それらが全て、見事に詰まっているのである。
ふと自分の生きてきた道を振り返ってみると、なんとこのドラマにそっくりなことか!
トラブルがトラブルを招き、あっ、もしかしてこの人は助けてくれるかも…という出会いはただのすれ違いで終わり、思ってもいなかった人が助け舟を出してくれて、その先に答えはなくとも、やはり日々は続いていく…みたいな。
こう捉えると、もはや『ウェンディとルーシー』は『旅の神話』である。
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ロケ地は見事なまでの普通の風景
『ウェンディとルーシー』の何がそんなに良かったのか?を上げていくとキリがないのだが、内容、主役、犬、映像、全てが心地よい体温と湿度を持っだ美しさで構成されているということ。
映画に登場するシーン(ロケ地)は、最初から最後まで、見事に「なんてことない風景」オンパレードである。
しかし、品がある。
打ち捨てるしかないような風景さえも「絵として残してやるから安心しろ」という撮影カメラマンの呟きさえスクリーンの向こうから聞こえてきそうだ。
美しいとフォトジェニックは同義語ではないのだ。オレゴンの国立公園に行けば、絵になるところはいくつもあるのだ。しかしあえてそうしない。
この映画は、ポートランドの生活者の見る普通の風景の中に異邦人たる主人公たちを置くことで、ひとり旅の持つ「風景と心象の距離感」を測り、ひねり出しているようにおもえてならない。
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ウェンディのメモがステキだ
ぼくが好きなシーンが、ウェンディが旅支出兼日記帳の余白に飾り罫をつけていたところ。こんなシーンを挟んでくれるのは、女性監督ならではのセンスのような気がする。
もし、仮に、男性監督だったとしたら主人公が女性であっても、多分飾り罫は、つけない演出を撮ると思う。
「人生の余白をどんな模様で埋めるのか?」という問いを、監督からさらりと投げかけられたような気がしてならない。
ガードマンの渡してくれたもの
ショッピングセンターか何かの駐車場で車を停めて車中泊していたウェンディを「ここは寝泊まりできないから公道に出てくれ」とさとす初老のガードマンが登場する。
2人の関係なくしてこの物語は語れないのだが、初老の日勤ガードマンはほんとうに小さな「自分がしてあげられること」をウェンディに少しずつ、少しずつ渡していく。
それに対してウェンディの取る姿勢は、決して感謝の気持ちが表れたものではない。(日本人ならこんな演出は絶対に取れないと思う。道徳観の違いは大きい。)
でも、それでいいのだ。
ガードマンが渡した善意にウェンディが涙して感謝したカットなんてものを挟もうものなら、この映画はただのワンちゃん探しの善意お涙ドラマで終わってしまうだろう。
あの数ドルをウェンディは、エンドロール後、ドラマの続きで何に使うのだろうか??
たぶん、近い将来、ウェンディは、その数ドルを元手にお金を稼ぎ、ルーシーとの再会を果たすため、ポートランドに戻ってくるに違いない。
強く、そうあって欲しいと思う。
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『ウェンディとルーシー』評価は?
『ウェンディとルーシー』は、人生に必要なものなんて、さほどない。そう思わせてくれる珠玉の小品だ。
ぼくの評価は星四つ半。
ぼくは、アメリカ人は、もともと生きる糧を求めて移動するDNAを持っているように感じている。スコットランドやアイルランドからアメリカ大陸へ渡ってきたように。スタインベックの『怒りの葡萄』に見る農民たちの西への移動もそうだ。
かれらは、仕事を求めて移動していくという体質を生まれながらに備えているように思う。
そんな理解がないと、この映画は(主人公の行動は)ピンとこないかもしれない。
星半分✨かけた理由は、そこ。
でもいいんですよ。欠けたって。
わからない人はそれはそれで放っといていいや…という映画でもあるので。
・地味目なロードムービーが好きな人
・ひとりが苦にならない人
・予定を決めない旅が好きな人
・自分の人生、余白が必要…と思っている人
そんな方にオススメの一本。
ぼくにとって、時々取り出してはそっと見たくなる、そんな一本になった。
映画『ウェンディ&ルーシー』スタッフ・キャスト一覧
修理工場のボス
役職/役名 | 名前 | 備考 |
---|---|---|
監督 | ケリー・ライカート(Kelly Reichardt) | ミニマリズム的演出で知られるアメリカの女性監督 |
脚本 | ケリー・ライカート、ジョナサン・レイモンド | 短編小説「Train Choir」を基に共同脚本 |
製作 | ニール・コップ、アン・ロスリーニ | 『オールド・ジョイ』の製作陣 |
撮影 | サム・レヴィ(Sam Levy) | 自然光を生かしたリアルな映像が特徴 |
音楽 | なし(環境音による構成) | 劇伴を排し、静寂と音のリアリズムを追求 |
主なキャスト | ||
ウェンディ | ミシェル・ウィリアムズ(Michelle Williams) | 愛犬ルーシーと旅する若い女性。 |
ルーシー | ルーシー(Lucy) | 監督の実際の愛犬が出演。 |
警備員 | W・アール・ブラウン(W. Earl Brown) | ショッピングセンターの日中警備員 |
店員 | ジョン・ロビンソン(John Robinson) | ウェンディを万引きで補導するスーパーの若い店員。 |
整備士 | ウィル・パットン(Will Patton) |
『ウェンディ&ルーシー』配信は?
ユーネクスト AmazonPrime(2025年10月時点)
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