『プライベート・ライアン』アパムはなぜ嫌われるのか?ネタバレ徹底考察
『プライベート・ライアン』を観終えたあと、多くの人が忘れられなくなる人物がいます。
それは英雄でもなく、敵兵でもありません。
通訳の特技兵:アパム伍長です。
「イライラする」
「なぜ助けなかったのか?」
「アタマにくる」
「なぜ最後だけ撃てたのか?」
「彼は臆病者だったのか?」
インターネット上でも、アパムに対しては今なお様々な声が聞かれます。
でもぼくは、この映画を何度も観返すたびに思うのです。
アパムは、ネットで吊し上げられるような、”弱い人間”を描いたキャラクターでは決してない、と。
むしろ彼は、戦争という極限状態の中に放り込まれた、ごく普通の人間=ぼくらのアイコンそのものだったのではないでしょうか。
本記事では、『プライベート・ライアン』におけるアパムという存在を、彼の行動や心理、そしてラストシーンの意味まで掘り下げて考察します。

『プライベート・ライアン』とはどんな映画?
『プライベート・ライアン』(1998年)は、第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦を舞台に、一人の兵士を救出するため集められた小隊の旅を描いた戦争映画です。
監督はスティーヴン・スピルバーグ、主演はトム・ハンクス。
圧倒的な戦場描写で知られる作品ですが、その本質は「戦争が人間をどう変えてしまうのか」を静かに問いかけるヒューマンドラマでもあると思っています。
中でも通訳兵ティモシー・E・アパム伍長(演:ジェレミー・デイヴィス)は、ぼくをはじめ、多くの観客の心に最も複雑な感情を残した人物でしょう。
本記事では、そんなアパムだけに焦点を当てて考察していきます。
※映画全体のレビューはこちら

『プライベート・ライアン』のあらすじやラストの意味、実話との違いなどをまとめています。
アパムとはどんな人物だったのか
──戦場にもっとも向いていなかった兵士
アパムは特技兵です。わかりやすく言えば、裏方の専門職なんです。
そしてミラーたちとは違って、上陸戦が一段落ついた後に配置させられてきた、戦闘を知らない兵士です。
数か国語を話し、鉛筆をライフルよりも大切にしている様子からは、インテリで作家志望というキャラクターが見て取れます。
登場人物の中では、もっとも戦場に向いていない兵士という位置付けです。
なぜアパムは敵兵を撃てなかったのか
──それは弱さからくるものか?
ぼくらが突然戦場へ放り込まれたら、はたして躊躇なく引き金を引けるものでしょうか?
彼は訓練場を出て、たぶんノルマンディがはじめての戦地、、、という設定なのでしょう。
彼の危なっかしいライフルの持ち方に、メリッシュたちが辟易する様子が、それを示しています。
そんな彼はミラー隊と共に行動する中で、いやがおうにも実際の戦闘を体験していきます。
しかし彼は1発の銃弾も放ちません。
常に彼の立ち位置は、他の兵士たちと一線を引いていた感じをぼくは受けました。
たぶん、彼には、敵を殺すのが役割の兵士という自覚はなかったんだと思います。
頭の良い、たぶんにクラスで一、ニ番の成績の学生のまんま、戦地に来てしまった。
だからアパムは、戦場にあっても、銃より一本の鉛筆を大切にしていたのでしょう。
ぼくらのような平和な人間がそのまんま戦地に連れて行かれたら?…その反応を映画ではアパムの行動に置き換えているのです。
階段で泣き崩れた本当の理由
──彼は「兵卒にも劣る」と知ってしまった
弾薬が切れた重機関銃に取り付いているメリッシュが、こう叫びます。
「アパム!弾切れだ!早く弾をもってこい!」
しかし、アパムは、首に弾帯を巻き付けてはいるのですが、右往左往するばかり。メリッシュの所へたどり着けません。
弾切れのままメリッシュはドイツ兵とナイフで格闘し、刺し殺されます。
階段下で足がすくんで動けないアパムはメリッシュを刺殺したドイツ兵と出会います。
しかしですよ…
ドイツ兵はアパムが目に入らないかのごとく、さらっとスルー!
立ち去ってしまうんです。
このシーンは、何気に、すごい。
ドイツ兵にとって、うずくまり泣くアパムは、殺意、戦意がない空気のような存在だったのではないでしょうか。
ドイツ兵は、アパムと会う寸前まで、メリッシュと殺るか殺られるか、ギリギリの文字通り修羅場にいたのです。
彼からすれば、激戦地を右往左往するのでせいいっぱいな、殺意などからきし無いアパムは、兵と認められないほど矮小な存在だったんです。
限界まで殺意の気が上がっているドイツ兵にとって、アパムは網膜にすら写っていなかったんだと思います。
アパムがなぜ泣き崩れたのか?
もちろんメリッシュを助けられなかったこともあるでしょう。
それ以上に、
「自分は殺されるにも値しないんだ、戦場においては、認知さえされないカスなんだ」と、おもったから、、、。
そう、ぼくは思っています。
最後のシーン、アパムはなぜ撃てたのか
──その瞬間、彼は兵士になってしまった
アパムがかつて助けたドイツ兵が、再びラストで戦線復帰した兵士として登場します。
その彼がミラーに対しライフルを撃ち、その後投降してきます。
このシーンのアパムの表情は、それまでの顔=と一変します。
そのシーンのアパムには、もはや「戦場での友情を本にしたい」と言っていた青年の顔はありません。
あるのは無表情な兵士の顔…。
アパムはラストシーンにて、兵士になってしまったのです。
なった、ではなく、なってしまった…
アパムの行動は、ぼくら観客の立場を映し出したものなんです。
そう考えると、アパムの表情の変化は、『プライベート•ライアン』の持つ悲劇と言っていいでしょう。
アパムは本当に臆病者だったのか
──最後まで人間であろうとした青年
アパムは本当にクズで臆病者だったのでしょうか?
ぼくはそうは思いません。
彼はチビた一本の鉛筆を大切に扱います。
隊長のミラーにも「大事に扱ってくれ」というくらいですから、よっぽどなんです。
兵士にとってはライフルが命を預ける道具です。
それと同じくらいに、アパムにとっては一本の鉛筆が自分の分身であり、同時に支えだったのでしょう。
彼は戦場ジャーナリストのように、「鉛筆こそ自分の武器だ」と、本気で思っていたのだと思います。
アパムは、最後まで「人間らしさ、すなわち弱さ」を失わずに激戦地に身を投じることになりました。
だから腰が抜け、涙を流しました。
しかし戦争という狂気は、彼を特別視しませんでした。
その結果、ラストシーンの彼の変貌があるのです。
ぼくたちは、本当にアパムを責められるのだろうか
ぼくは『プライベート•ライアン』を観るたびにこう思います。
「アパムを責めることは簡単だ。
けれど、もし自分が彼の立場だったら、本当にメリッシュを助けられただろうか。
引き金を引けただろうか。」
ぼくには、その自信はありません。
アパムを見ているつもりで、じつは自分自身を見ている…のかもしれません。
彼の全ての行動は、心がまだ暖かかったから…ぼくはそう思っています。
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