『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』はジョナサン・グレイザー監督による2014年公開のスリラー映画です。
ジョナサン・グレイザー監督の2024年作品『関心領域』は各国映画祭で受賞多数となった話題作でした。じゃあ、「ジョナサン・グレイザーって他にどんな映画を他に撮っているの?」と思われる方も多いのでは?? 何を隠そう、ぼくもその一人でした。
「スカーレット・ヨハンソン演じる美形エイリアンが男たちを捕食していく…」という謳い文句にボクをはじめ、世の男はクラッとくること必至ムービーですが、そこは『関心領域』の監督、、、ただの美形エイリアンアクションなはずはないよな…と、観てみました。(いや、ただスカーレット・ヨハンソンのヌードを見たいだけだろ…)
『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』の音楽は『関心領域』と同じくミカ・レヴィです。
『アンダー・ザ・スキン』解説
監督は、『関心領域』でカンヌグランプリを取った、英国人監督ジョナサン・グレイザー。スカーレット・ヨハンソンが妖艶な黒髪エイリアン=地球外生命体に扮し、地球の男たちを捕えるという異色スリラー。
公開当時、初のフルヌードということでも話題となったみたいです。
原作はミッシェル・フェイバーの同名小説。
スコットランドの街で、ヨハンソン演じる美形エイリアンに誘惑された男た違う姿を消す。
そのエイリアンは顔に障がいを持つ孤独な男との出会いをきっかけに、「何か」が変わり始めます。
独特のトーンと斬新な映像で各国映画祭で高評価を得た作品です。
『アンダー・ザ・スキン』スタッフ・キャスト
監督:ジョナサングレイザー/脚本ウォルター・キャンベル ジョナサン・グレイザー/音楽:ミカ・レヴィ/撮影:ダニエル・ランディン/編集:ポール・ワッツ
キャスト:スカーレット・ヨハンソン/アダム・ピアソン/マイケル・モアランド/ドギー・マクコーネル/ジョー・スズラ/ポール・ブラニガン/リンジー・テイラー・マッケイ/クリシュトフ・ハーディック/ジェレミー・マクウィリアムス/D・ミード 他
『アンダー・ザ・スキン』予告編
『アンダー・ザ・スキン』あらすじ
あらすじはWikipediaから転載します。
冬のスコットランドグラスゴー。バイクの男が脱力した若い女を道外れから連れ出して白いライトバンの荷台に載せる。裸の女(スカーレット・ヨハンソン)が若い女の服を脱がし自ら身にまとう。ショッピングセンターで服と化粧品を買った後、町から町へとライトバンを運転する女は、1人で歩いている男に次々と声をかける。彼女と親密な雰囲気になった男たちは廃屋に招かれるが、服を次々と脱いでいく彼女の後ろを付いていくと、彼らは暗闇の中で黒い液体のなかに沈み込む。
海岸にて、女はウェットスーツを着て泳いでいた男を引っかけようとするが、溺れている2人組に邪魔される。男は夫の方を救い出すが、夫は妻を助けようとまた海に戻り2人とも溺れる。ウェットスーツの男が疲れ切って海辺で横たわっていると、女は石で男の頭を殴り、ライトバンに男を引きずり込む。女は溺れた夫婦の幼児には目もくれず車を出す。夜遅く、バイクの男がウェットスーツの男の衣類を回収するが、まだ浜辺にいた幼児は放置する。
女はナイトクラブに行き、また別の男をひっかける。廃墟にて、男は女を追って暗闇に入り込み、液体の中に沈み込む。液体中に浮かんでいる男は、目の前に今や全裸になったウェットスーツの男を見つける。ウェットスーツの男は生きてはいるものの、膨らんでいてほとんど動かない。男が彼に手を伸ばそうとするが、ウェットスーツの男の体は破裂して、赤い物体がといを伝って流れ出す。
翌日、女は通りの花売りから、同じく渋滞の中にいる男からの贈り物だというバラを受け取る。ラジオからは海岸で行方不明になった家族のニュースが流れている。女は暗い部屋に入り、バイクの男から念入りにチェックされる。
女は歩道を歩いている際につまづいて転び、通行人らに助け上げられる。数多くの街の暮らしや人同士のやり取りの場面が映る。
顔の変形した一人ぼっちの男が、女に声をかけられる。人付き合いを避けている彼は、女性と付き合ったことがないと言う。女は男を家に招き入れるが、鏡を見て自分を確かめた彼女は結局、彼を逃がす。
バイクの男は彼を捕まえ車に押し込み、バイクを乗り捨てて車で立ち去る。スコットランド高地地方。
女は霧の中、ライトバンを乗り捨てる。レストランにて女は、ケーキを食べようとするが吐き出してしまい、周りの客に怪しまれる。
雨の中を歩く彼女に、バス停近くの男が声をかける。バスの中で、彼は女に支援の申し出をし、女は受け入れる。
彼は自宅にて女に食事を用意しテレビを見る。あてがわれた部屋で1人になった女は鏡で体を確かめる。バイクの男は他の3人のバイク乗りと一緒に女を追いかける。
日は変わり、男は水たまりを女を抱えて通り過ぎ、2人で廃城を訪れる。女は男の助けを借り数段階段を下る。男の自宅にて、2人はキスをしセックスを始めるが、女は途中でやめ股間を確認する。
『アンダー・ザ・スキン』あらすじ〜結末ラストまで
女は森の中を歩いている。女を抱いた男の姿は、ない。
避難小屋を見つけ、眠り込む女。
気がつくと林業作業員の男の手が女の体を弄っている。
女は森の中へと逃亡しトラックを見つけ車中に逃げ込む。しかし男がトラックに辿り着き、女に乱暴をはたらく。
女の衣服を引きちぎる男。だが、何を見たのか驚愕の表情で男は逃げ出す。
むしり取られた半裸の女。その皮膚の下に、「真っ黒い何か」がのぞいている。
衣服を脱ぐように上半身の皮膚を剥ぎ取る女。すると真っ黒な本体が現れる。
そこへ逃げ去った男が焦燥した顔でガソリン缶を手に戻ってくる。
ガソリンをかけられる皮膚を脱ぎ捨てた女。男は躊躇せずに火を放つ。
炎に包まれた女は走り出すが、森から原野へ出ると、力尽きたように倒れ込む。
倒れた女から立ちのぼる煙を追うカメラ。
そのカメラに雪片が舞い降りる。
たぶん、近くの丘の上。バイクの男が立ちすくみ、エンドロール。。。
『アンダー・ザ・スキン』感想
妖艶女性エイリアンが男たちを次々捕食…という謳い文句を受けて、エイリアンものによくあるアクション、スプラッターを期待すると、それはしっかり見事に裏切られますよ。
ストーリーの始まりから、もう、ナゾ。
ヨハンソン演じる女が何者なのか、バイクを駆る男=たぶんエイリアン=がどんな役割なのか?その正体も一切明かされません。
エイリアン女(スカーレット・ヨハンソン)が声をかけて引っかかった男たちは、その気になって半裸で誘う女に近づいていきます。ガブリと捕食されるか?と思いきや、抽象的な表現に切り替わり、男たちはタールのような水に飲み込まれていきます。
「なんでタールに飲まれるんだ?」
「水中で呼吸できないのに、男はなんで生きてるんだ?」
「捕食って、むしゃむしゃ食べるんじゃないの?」
と、正しい答えを求めたくなりますが、答えが欲しいところに限って答えがない。
そんな演出を「ま、いいや。監督、そんなふうに表現したかったんだ…」と、軽くスルーできなければ、この映画、寝ます、きっと。
スカーレット・ヨハンソンはエイリアンという役回りですから、演技もほとんど無表情です。
途中挟まれる街ゆく人々の様子やレストランで食べる人々のカットも、淡々オンパレード。
確かに口コミ評価は「つまらない!」「意味不明」が続々です。
でもそんな口コミ寄せた方は「わけわからない」と感じたから、言葉に置き換える時、つい「つまらない」というワードを選んだんだと思います、きっと。
この手の映画の楽しみ方は、そんな淡々とした間合いに身を委ねてユラユラ見続けるにかぎります。
ぼくはデビッド・リンチ監督作品が「よーわからんけど好き!」なタイプなので、ラストまでユラユラ観てました。
感想を一言でいうなら、「大スキ!」です。
観終わった翌日にこの記事書いていますが、独特の余韻に「もう一回観よう」という気分になってます。
「わけわからない」はぼくの場合「つまらない」ではなくて、「なんだかわからんけど、観た時間、ソンしなかったなー」となったらお 御の字なんです。
『アンダー・ザ・スキン』ぼくなり一考察
皮膚の下の見えないココロの物語
結局『アンダー・ザ・スキン』で何を言いたかったかと言えば、自分と親しい人、すれ違う人みな、皮膚の下=ココロっていうものはわからないもんだ、ということでしょう。
映画のあちこちに意味がないと思われるような人々がインサートされます。それも結構しつこく。
もちろん監督はあえて「意味がないように」見せて撮影したはずですが、その平凡な日常を過ごす人々カットのしつこさは、逆に映画を読み解く鍵になっているように思えます。
中盤に、女が顔が崩れていく病気を持った若者を誘い対話シーンがあります。
その対話シーンが語りかけてくるのは多分、「男の顔は崩れているが、心は崩れていない。しかし一見まともに見える顔立ちの人々の、その皮膚の下に隠された「ココロ」は奇怪なドロドロしたものだ」…ということじゃないかしら?
その対話シーンを絵画に例えるなら、かな〜〜り美しい風景画です。
この映画自体、「抽象画」作品だとぼくは感じていますが、唯一「風景画」として描かれているのが、崩れた顔の若者と女のシーンだと思います。
ベルトコンベアを流れてゆくドロドロした何か
タールのような水中に捕われた男が一瞬で皮だけになりクラゲのように漂うシーンがあります。結構シュールレアリスティックなシーンです。(やっぱり、この映画、抽象画ですよ)
その直後、なぜかベルトコンベアが現れてドロドロした奇怪な何かがパックリとあいた光の向こうに吸い込まれて行くのですが、これこそ女の捕食したのは、「皮膚の下=under the skinの中に隠された奇怪なココロ」だ、と、これはぼくの推測です。
「醜い顔の男」との対話で、人間の純粋な心に波長があってしまった女エイリアンの葛藤が始まります。
under the skinにある意味をわかってしまったエイリアン
ケーキを食べてみようと考えたり、セックスまでしてみようと、人間らしい行動をとり始めますが、結局叶いません。
最後は一見美しいと見えるスカーレット・ヨハンソンの皮膚を脱ぎ捨て、真っ黒な本体を見せます。
でもね、その目が、とっても美しかったんですよ。
ということは、「醜い顔の男」との対話を経て、徐々に皮膚的な=表面的な「美しさ」には意味がないと理解してしまったエイリアンの心の動きだ…と思いました。
女エイリアンは人のココロを捕らえていた….と考えると、ぼくはすっきりしたのでした。
『アンダー・ザ・スキン』ぼくの評価
なんだなんだ??と首かしげさせくれてくれるし、見終わって考えを巡らしたくなるし、皮膚感覚で「好き」な映画です。「アンダー・ザ・スキンってそういう意味も許してくれそうなタイトルだし…。
そしてスカーレット・ヨハンソンの全裸シーン…いやはや、綺麗ですよ。パーフェクト!って言いたくなる。
『アンダー・ザ・スキン』を一言で評するなら、「ハッと惹かれる抽象画を見つけた気分」です。
ぼくの点数、85点です。
『アンダー・ザ・スキン』配信は?
現在配信サービスでの配信はありません。
Blu-ray DVDで販売されています。
コメント