『ワイルドバンチ』
評価:星四つ半🌟🌟🌟🌟✨
贅肉なし!血と埃のバイオレンスウェスタン
画家タクの運営する映画ブログ・ムービーダイアリーズ、今回取り上げる映画は、1969年公開のサム・ペキンパー監督作『ワイルドバンチ』。
当時、西部劇の価値観をひっくり返し「バイオレンス・ウェスタン」という新しい言葉を生んだ『ワイルドバンチ』は、今なお映画史、とくにアクション映画の歴史に足跡を刻んだ作品と言っていい。
描かれるのは、時代遅れに気づいた銀行強盗稼業の男たちが、自分の居場所を求めて最後に選ぶ、血と砂埃にまみれた道だ。
その道を辿る彼らの潔さが、50年以上経った今でも胸を打つ。
しかしペキンパーはクセがある監督だ。決して万人オススメタイプとは言い難い。
でも、ペキンパーは”人間を置き去りにする「時代」への毒針”を持つことで、時代を超えて映画史に刻まれる監督だと思う。
平たく言えば、万人オススメの映画に、おおよそ毒はない。しかしペキンパーの『ワイルドバンチ』には、それがある。
この記事では、そんな『ワイルドバンチ』の魅力を、あらすじに感想と考察を交えながら、探ってみたいと思う。
『ワイルドバンチ』解説|どんな映画?
公開年:1969年(アメリカ)
監督:サム・ペキンパー
ジャンル:西部劇/アメリカン・ニューシネマ
銃撃スローモーションを「美学」に高めた傑作
『ワイルドバンチ』は確かに西部劇だ。しかし華やかなハリウッド西部劇の勧善懲悪的快感はない。
監督サムペキンパーは、独特のバイオレンス美学を貫き、ウエスタンとヒーローの消滅をリアルに描きだしたと言われている。
ペキンパーといえば、ガンアクションシーンのスローモーション描写を「美学」まで高めたことでも有名だ。
「スローモーションによる銃撃戦」の演出は、のちのアクション映画はもとより日本の世界に誇るMANGA=漫画まで多大な影響を与えたと言っていいだろう。
「時代から取り残される」というワードの持つ意味
『ワイルドバンチ』の物語の舞台は1913年。すでに西部開拓時代が終わりを迎え、無法者たちが”居場所をなくしていく時代”だ。
同時に英雄パンチョビラ率いる民主革命が隣国メキシコでは発火する。
行き場所を失った主人公たちは、火に引き寄せられる蛾の如くメキシコ革命という時代の流れに引き寄せられ、スローモーションを多用した銃撃戦描写による名クライマックスへとつながっていく。それは『死のダンス』とも呼ばれる名ラストシーンだ。
ペキンパー監督は、ハリウッドで問題児扱いされていた異端の監督でもある。
映画の主人公たちが時代から取り残されてゆく悲劇をここまでクールに描き出せたのは、自己投影であったからに違いない。
「時代から取り残される」というワードは、過去を振り返り懐かしむためのものではない。
それは変化のスピードが半端なく速くなっている今、自分たちを顧みるためのワードでもあると思う。
暴力とは、なにも血まみれの銃撃戦や殴り合いだけではない。
いま、ネットには、仮面を被った言葉の暴力が溢れている。
また、無力な者、スピードについていけない人を無視することも、暴力の一つの顔だ。
そんな目線で今に観るバイオレンスムービー『ワイルドバンチ』は、半世紀前の公開時とは違った感想を抱かせると思う。
時代についていけない人間が、それでも前に進もう…と、自らの道を探し出す。彼らのあがく結果をバイオレンスとして表出させた映画が『ワイルドバンチ』なのだとぼくは思う。
『ワイルドバンチ』スタッフ・キャスト
監督:サム・ペキンパー
脚本:ウォロン・グリーン、サム・ペキンパー
撮影:ルシアン・バラード
音楽:ジェリー・フィールディング主なキャスト
パイク・ビショップ … ウィリアム・ホールデン
ダッチ … アーネスト・ボーグナイン
ディーク・ソーントン … ロバート・ライアン
ライル・ゴーチ … ウォーレン・オーツ
テクター・ゴーチ … ベン・ジョンソン
エンジェル … ジェイミー・サンチェス
サイクス … エドモンド・オブライエン
マパッチ将軍 … エミリオ・フェルナンデス
『ワイルドバンチ』あらすじは?
時は1913年、ところはテキサス州南部の町サン・ラファエル。隣はメキシコだ。
パイク・ビショップ率いる強盗団の“ワイルドバンチ”は、騎兵隊を装い鉄道事務所の銀貨強奪を図る。
その町の家の屋上にはパイクらを待ち伏せている賞金稼ぎたちがいた。
賞金稼ぎたちをまとめているのはパイクのかつての仲間、ディーク・ソーントン。かれは牢獄からの釈放を見返りに鉄道事務所のオーナー社長に雇われていたのだ。
パイクらは銀貨強奪に失敗。
賞金稼ぎたちとの銃撃戦で生き残ったのは、パイク、ダッチ、ライルとテクターのゴーチ兄弟、メキシコ人の若者エンジェルの4人だけだった。パイクらはメキシコへと逃げのびる。
合流地点で仲間のサイクスと合流したパイクたちは、メキシコの南部、エンジェルの故郷の村に辿り着く。
村が政府軍のマパッチ将軍に脅かされていることを知るエンジェルは、恋人テレサまでもマパッチ将軍に連れて行かれたことを知って怒りを露わにする。
一方でソーントンの指揮する賞金稼ぎたちの追跡は執拗だった。
逃げる場所のなくなったパイクたち一団は、マパッチ将軍のメキシコ政府軍が本拠地とするアグアベルデに逃げ込むことになる。
そこでエンジェルは、テレサがマパッチと酒を飲むところを目の当たりにし、彼女を射殺してしまう。
エンジェルはマパッチ暗殺を企てたとして政府軍に捕らえられるが、誤解は解け釈放される。
エンジェルを引き取ったパイクは、アメリカの軍用列車から武器を奪うようマパッチから依頼される。報酬は1万ドルだ。
列車強盗は難なく成功。すべてはうまくいったかに見えたが…
『ワイルドバンチ』あらすじラストまで〜ネタバレ閲覧注意
パイクらは、約束通り政府軍にライフルやガトリング銃を引き渡そうとする。
武器を一度に渡すと、金は払われずに殺されておしまいだと踏んだパイクらは、武器を小分けに渡すことで身の安全を図る。
渋々報酬を支払うマパッチ。
しかし、ダッチとエンジェルが交渉に向かった時に問題が起きる。
エンジェルが武器の一部を反政府ゲリラに渡したことがマパッチ将軍に漏れていたのだ。
マパッチはエンジェルを捕らえ、容赦ないリンチを加える。
パイクは、ワイルドバンチの残党、ダッチ、ライル、テクターの4人でメキシコ政府軍の砦に向かう。
エンジェルの解放を求めるパイク。
しかしマパッチはパイクたちの目の前でエンジェルを切り殺す。
すかさずパイクはマパッチを射殺。
マパッチの相談役参謀が拳銃を手にするが同時にパイクら4人の銃口が火を吹く。
そして、映画の歴史に残る名シーン、数百人のメキシコ軍対4人の銃撃戦=死のダンスが始まる。
戦闘後に砦に到着するソーントンら賞金稼ぎたち。
砦はメキシコ政府軍の兵士たちの死体の山となっている。
四人は皆、斃れてしまった。パイクは機関銃の銃把を握ったまま息絶えていた。
ソーントンは惨状を見渡すと、城門に呆然と座り込む。
するとそこにサイクスがメキシコ革命派のメンバーを引き連れ現れる。エンジェルが守ろうと願っていた故郷の村の農民たちだ。
サイクスはソーントンに「共に来ないか?」と誘う。ソーントンはニヤリと笑い、サイクスや農民たち革命派と共に、砂塵の向こうに去って行く。エンドロール。
『ワイルドバンチ』感想
映画の舞台は、アメリカとメキシコ国境付近。時代はメキシコ革命を起こしたパンチョビラがセリフに出てくることから推測するに、1910年から1913年あたりだろう。今から100年くらい前の設定だ。
日本では大正デモクラシーなんて言葉が当てはまる頃だ。(確認したところ、時は1913年です)
万人にオススメできない5つの理由
先にも書いたが、サムペキンパーの映画はぼくは大好きだ。「血と埃のペキンパー熱烈ラブ」である。ということを明かしておきつつ、決して万人オススメ!と言えるタイプじゃない。
この映画も評価こそ高いけれど、「万人プリーズ♩是非見てムービー」とは言いがたい。
好きな映画なのにオススメできないとは、これまた奇妙なことを言う…と思われるかもしれないが、オススメできない理由を以下にまとめてみた。
1〜主人公が悪党
まず、主人公たちは、銀行強盗でしか生きていけない、人さまの金に手をつけないと生きていけない、いわゆる人の道に外れたギャングだ。
2〜主人公たちは時代の乗り遅れている
さらには、彼らは、時代遅れだ。
舞台は、すでに西部開拓時代も終わり、メキシコでは英雄パンチョビラが反乱を指揮していたアメリカメキシコ国境のあたりだ。主人公たちをを一言で言うなら、時代に乗れずに、隣の国の革命のおこぼれに預かろうという、食い詰めギャングといったところ。
3〜追手たちも時代遅れ
ついでに言うと、そのギャング団を追う追手たちも時代遅れだ。
おおかた映画において「追手」というのは、人を寄せ付けないキリングマシーンやその道のプロというのが定番だ。だけど、追ってだって主人公となんら変わりない食い詰め者たちだ。イケイケの鉄道会社の社長から金で雇われた、これ、また時代遅れのはぐれ者だ。
4〜清潔感がない=汚い
おまけに汚い。清潔感なんてまるでない。
全編どこまでも埃っぽさや汗の匂いがくっついてきて離れない、そんな感じ。
(それがまたペキンパースパイスなのだ。一度ハマると抜け出せない)
5〜クライマックスはバッドエンド(ネタバレ注意!)
極めつけは、死の舞踏とまで呼ばれる血と銃撃がクロスファイアするクライマックスだ。
ネタバレになるけれどこのラストシーンでは、主人公たちは皆死んでしまう。それまでのハリウッド映画西部劇に反旗を翻すような終わり方と言ってもいい。(まあ、これはアメリカンニューシネマの時代に作られているから、当然といえば当然なのだけれど)
というように、オススメできないとは書いたけれど、、、この記事にアンテナを立て読んでいる方ならすでにわかっていてくれると思う。そう、この五つのマイナスポイントは、透かしてみると全てがプラスの魅力につながっており、要はオススメポイントの裏返しなのだ。
血まみれサムと異名を取るペキンパー監督の全力投球作品なので、尖がりかたが半端ではないのが、この映画『ワイルドバンチ』でもあるのだ。
それでも愛して推してしまう5つの理由
実は、『ワイルドバンチ』は何度でも繰り返し観ている映画の一本だ。(たぶんぼくのツボにハマっているのだろう。)
では、どこがそんなにイイのか?を考察しつつ挙げてみよう。
1〜それは主人公たちが、自分たちが何者か?を知っている。すなわち潔い。
ギャング団の面々は本当にクソくだらないような連中ばかりだけれども、彼らは自分たちが全然大した人間でないことを、しかと理解している。
要するに潔よいのだ。
逃げていないのだ。
人間って、ちょっとばかりお金を持ったり有名になったり賞をもらったりすると、途端に「ひとかどのニンゲン」になった「つもり」になるものだ。
社会的名声?資金力?受賞歴?ちょっと待ってくれ、勘違いも甚だしい。
仮に死んだあの世で神様にあったとして、神様から「あなたは立派なことやってきましたね」と褒め称えられるニンゲンなんて、いるだろうか?いたとしても、たぶんほんのひと握りだろう。
「自分が何様か?」をわきまえているかどうかが人間いとっては大切なことであり、それを「潔い」というんだとぼくは思う。
『ワイルドバンチ』のギャング団の面々はそう言った意味で、自分が何様でもないことを知っているのだ。
時代の進み方が極端に速くなりすぎた今、SNSで「オレ、すごいだろ」「ワタシってなんてステキ」的なシャワーを浴びつづける呆れた時代だからこそ、自分達が何様でもないことを知っているパイクたちに会いたくなるのかもしれない。
2〜ペキンパー流ワンフォーオール&オールフォーワン
舞台がメキシコ付近、そしてメキシコ革命が絡んでくるのが『ワイルドバンチ』なのだが、メキシコ革命なんて、日本人は知らない人の方が多いだろう、たぶん。
パンチョビラという一人の英雄が農民や貧しい層を率いて立ち上がった民主革命だ。
映画の登場人物に、メキシコの貧村の出の若者エンジェルがいる。エンジェルには、他のメンバーと違って、お金を故郷の貧しい村に分け与える…という、金を得る大義がある。(実は村人たちは革命派であることがラストでわかるのだが)
メキシコ革命の大義に感応したエンジェルが物語のハブの一つになって、パイクら四人は時代の流れに、否応なく呑み込まれていくのだ。
その流れは、ともすればクサくなりがちな「一人の仲間のために、主人公たち4人が敵の巣窟に乗り込む」という、よくある流れだ。
そうなんだけど、まったくクサくない。
だけどかっこいい。
ソコが、いい。
これはもう見事な脚本と演出というしかない。
ペキンパー流ワンフォーオール&オールフォーワンが光っている。
3〜世の中のあれこれすべて笑い飛ばせ
『ワイルドバンチ』の面々はクセのある6人だ。何かにつけてぶつかり合いケンカとなる。
だが、彼らはすべて「笑い飛ばす」ことでケリをつけてしまう。
どこまでも、なんであっても「ゲラゲラと笑い飛ばすこと」で何事もなかったかのように元に戻るヤツらなのだ。
これを「ステキ」と言わずなんと言おう。
ここでもう一つ「笑い」で見てほしいポイントを書いておきたい。
こちらの笑いはゲラゲラ笑いではない。アーネスト・ボーグナイン扮するダッチのニヤリとした笑顔だ。
アクの強い俳優アーネスト・ボーグナインのスマイルが、不思議とこの映画の大いなる救いとなっている。
特に後半の列車強奪時にダッチが見せるニヤリスマイルがあるのだが、妙に心に刻まれるニヤリなのだ。
パイクたちの笑いがイイのが『ワイルドバンチ』だ。
4〜馬に乗れないヤツはもうダメだな
過去、主人公が馬に乗る時にコケる西部劇なんて、あっただろうか?そんな前代未聞のシーンが『ワイルドバンチ』にはある。
ギャングのリーダー格のパイクが、痛めた古傷のせいで乗馬時にコケるのだ。
ウィリアムホールデン演じるパイクに仲間からかけられるセリフがこの「馬に乗れないヤツはリーダーの資格がない」という冷めた言葉だ。
アメリカ人にとって、西部劇の主人公は最後までカッコよくあらねばならない存在だろう。そんな常識にさえペキンパーはNoを突きつけるのだ。
実は『ワイルドバンチ』の時代を「移動手段」という視点で深読みするとうっすら見えてくるものがある。それは1913年あたりは移動手段が馬から自動車に取って代わられる節目の時代だということ。
その視点でもって、落馬するパイクにかけられる言葉を考察すると、ひときわざっくりと心に刺さる言葉だ。
当然この言葉「馬に乗れないヤツはリーダーの資格がない」の「馬」を、今の時代の必須アイテムに置き換えると、『ワイルドバンチ』の隠れメッセージ=今の時代だから見えるメッセージが浮かび上がってくる。
それはどういうメッセージだろうか?
人間は新しい便利なものへ盲目的に追従してしまうという哀しいサガがある。
しかし新しきものはすぐに次の新しきモノに取って代わられる。便利ツールが技術革新で半世紀もすれば過去の遺物になる、、、そんなことをぼくらだって体感している。
「馬に乗れないヤツはリーダーの資格がない」というセリフは、「新しいものへの従属は、永遠に続くゲームにすぎない。」という意味の反語だとぼくは感じている。
その冷めた視点が、好きだ。
ネタバレになるけれど、メキシコ人の仲間エンジェルがメキシコ軍に捕らえられ、市中引き回し(引き摺り回し)のリンチに遭うのだが、エンジェルを引き摺り走り回るのが、馬ではなく当時最新のモービル=自動車なのだ。
2025年の今、手紙やファクスがメールやメッセージアプリに取って代わられた。それと同じように、100年前は馬が自動車にチェンジしていく時代だったのだ。
パイクが馬から滑り落ちるシーンは、永遠に続くツールのチェンジを見透かした上でアンチメッセージとして忍ばせた脚本のように思えてならない。思い過ごしかもしれないけれど。。。
もちろんペキンパーが50年後の今の変化まで考えていたはずはない。
だけど、ワイルドバンチの時代を生きている男たちの「道具」に対する心情をしっかり考えて描いていると、ぼくは思う。
5〜何度見ても空前絶後なラスト「死のダンス」
はい、ここからは思い切りネタバレです。映画を見たい方はスルーすること。
クライマックスへの序章となる、4人の敵陣への乗り込み方がイイ。
何度見てもステキすぎる。
『仲間揃い踏みで敵地へ乗り込む』というシークエンスは、ウェスタンやアクションでは定番だろう。
本作クライマックスのソレも『真昼の決闘』や他、過去の西部劇クライマックス対決に敬意を評してのシーンだと思うのだが、西部劇の決闘シーンにあるような定番BGMは、インサートされていなかったと思う。
何を言いたいかと言えば、パイクら4人は、さも近所に買い物にでもいくかのように、死地にむかい歩いていくのだ。
その様はクール以外のなにものでもない。
そしてはじまる大銃撃戦はペキンパー監督の面目躍如だ。
時代からはみ出てしまった男たちが、弾丸を身に受けながら、最後まで引き金を引き続ける。
スローモーションと細かなカット割で畳み掛けるその「死の舞踏」は、やはり映画史に刻まれる名シーンだと思う。
おまけに壮烈激烈な血まみれシーンの中にあっても、あるカットが胸を打つ。
それは、パイクが射殺をためらった女から逆に撃たれるシーンだ。
きちんと伏線を回収しつつ激烈クライマックスを構成している。
ちなみにこの大銃撃戦でキモになる兵器が、当時、兵器市場に出回ったばかりでメキシコ軍に手渡された機関銃というところも、ペキンパーのこだわりだろう。
1発ずつ激鉄を起こして引き金をひく”ピストルやライフルの時代”を生きてきたパイクは、銃弾を大量にばら撒く機関銃のグリップを握ったまま絶命する。
その姿から滲んでくるのは、時代の変化にすり寄ることをしなかった男たちの潔さでもある。
死のダンスクライマックスは絶叫阿鼻叫喚につつまれるのだけれど、「セリフ」は、ただ一言だけと記憶している。
それは、体じゅうに銃弾を浴びたパイクに駆け寄りダッチが叫ぶ「パイク、死ぬな」だけだ。
この言葉は、時代を越えて、「潔く生きて死ね」という裏メッセージとして発せられているように、ぼくは思う。
以上がぼくの感想だけれど、やはり、ほぼ「オススメできない」の裏返しとなってしまったようだ…。そう、ぼくはただ文句なしにパイクたちとこの映画が好きなのだ。
『ワイルドバンチ』画家的ペキンパー考察
ペキンパーと子どもたち
絵本画家として仕事をしたり、子どもの絵を描いたりしていると、子どもへのラブアンドピースに満ちたヒトと思われがちだが、それは大きな誤解、勘違いだ。
ぼくは子どもは天使なんかじゃない、と思っている。
子どもは生き抜くエゴ、残酷さ、理不尽さ、大人のウソへの鋭いアンテナを併せ持って持って生まれてくる。逆にそれがあってこそ、子どもらしいのだ。
だから彼らの前ではウソがつけないのだが。
ペキンパーの映画では、そんな子どもたちがさまざまな暗喩を含んで登場する。
たとえば第二次世界大戦を舞台にしたペキンパー作品『戦争のはらわた』では、オープニングからかわいい子どもの歌声ではじまり、また中盤では敵の少年兵が鍵となるし、『わらの犬』でも子どもこそ出て来ないけれど、子どもの知能で発達が止まった男がキーマンとして存在する。
『ワイルドバンチ』の冒頭シーンは、なんとサソリをアリの大群に襲わせる子どもたちの無邪気な好奇心丸出しの眼だ。
また、マパッチ将軍を憧れだけの眼差しで純に見あげる幼年兵の存在もまた強いスパイスとなっている。
ハリウッドで問題児とされ、最後はアルコールに溺れてズタボロになっていったペキンパーだけれど、彼は「子どもこそウソをつけない怖い相手だ」と思っていたに違いないとぼくは思う。
この映画のオープニング、サソリとアリをもて遊ぶ子どもたちから伝わってくるのは、「子どもは、人の命をもて遊ぶ神の別の姿だ…」という暗喩のような気がしている。
もちろんその”アリにたかられて死んでゆくサソリ”とは、クライマックスにおけるパイクたちとメキシコ軍の銃撃戦への伏線だ。
サソリはワイルドバンチのギャング団であり、群れとなってサソリを殺すアリたちは、次々と射線に繰り出されてゆく大勢のメキシコ軍兵士を意味している。
ペキンパーは、多勢に無勢のラストシーンを、子どもたちの無邪気で残酷な冒頭シーンにぐるりと円環させているのだ。
ペキンパーの決めポーズ
「スローモーションを美学まで高めた」と言われるのがペキンパー作品だ。
彼の作風がその後の映画人やジャンル違えど漫画家に与えた影響ははかりしれないだろう。
ぼくは絵描きだ。絵を描くということは一瞬を切り取る行為なわけだけれど、ぼくが人間を描くとき、そのポーズに対するこだわりは、実はペキンパー作品から影響を受けている…といってもいい。自分自身がそういうのだから間違いない。
ペキンパーのスローモーションカットで使われるヒトの動きは、すべからく「想定外」なポーズなのだ。
「ナルホド、こんなふうに倒れていくとは思わなんだ」
「慌てて走るって、考えているような走りポーズじゃないよ」
と、目をさらのようにして見てしまう。何度見ても発見がある。
そこにリアルがある。
ペキンパー作品は、「決めポーズの宝庫」といってもいい。
ちなみに『AKIRA』や『童夢』の巨匠として知られる漫画家・大友克洋も、ペキンパーのスローモーションシーンを目をサラにして見入った一人じゃないか…とぼくは思っている。…本人に聞いたわけじゃないからわからないけれど。
ペキンパーの埃と絵画的空気感
スクリーンから汗や埃のにおいが匂ってきそうだな、と、ペキンパーの映画を観るといつも思う。
絵の描き手として絵を見てくれた人からの最高の褒め言葉は、「音が聞こえてきそう」とか「この絵からは描かれた森のの匂いがしてきそうだ」といった、実際にはありえない五感を揺らぎを伝えられたときだったりする。
まさしくペキンパーの映画には、それがあるのだ。.,..あまりいい匂いじゃないけれど。
もちろんそれはペキンパーひとりの力なんかじゃなく、衣装やメイク、カメラマンの腕による総力戦の結果だと思うけれど、匂ってくる映画って、そうあるものではない。
世間には「血と汗の結晶」という褒め言葉がある。
ペキンパー作品も、映画スタッフキャストのそんな結晶なのだ。しかし、もしペキンパーが生きていて、彼にそんな言葉を伝えたならどういう反応を示すだろう?
「知ったような口きくんじゃねえ!オマエなんかに何がわかる!」と怒鳴られ、アルコールくさいパンチで追い出されるのがオチなんだろうな。
『ワイルドバンチ』ぼくの評価は?
評価を前に最後に最も心に残るセリフを一つだけ挙げておきたい。
それはパイクはじめ、登場人物がよく発する「レッツ・ゴー」というシンプルなセリフだ。
多分、訳すなら、「さあ、行こうぜ」「まあ、行こうや」「とにかく進もうぜ」という感じだと思う。
ぼくはこのシンプルな言葉に込められたのは、時代から取り残されても、傍流、亜流人生になっても、それでもなお「さあ、とにかく、前に進めよな」というメッセージに思えてならない。
と、最後まで長々と書いてしまった『ワイルドバンチ』、ぼくの評価は、星四つ半🌟🌟🌟🌟✨
万人うけする映画ではないことでの半欠けです。
でも、推しの傑作映画であることに変わりはありません。
『ワイルドバンチ』配信情報
U-Next・Prime Videoで配信中です。(2025年8月現在)



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