『オールド・オーク』ネタバレあらすじ考察評価|なぜ人は他者を拒むのだろう?〜分断から希望への扉を開けて

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映画『オールド・オーク』ネタバレあらすじ考察・評価
「なぜ人は他者を拒むのだろう?」 

当レビュー記事にはネタバレが含まれます。映画をご覧になる方は、鑑賞後にお読みください。また感想評価はあくまで一個人の印象です。ご了承ください。


こんにちは!映画好き絵描きのタクです。

『オールド・オーク』を観ました。本作は、イギリスにおける難民問題と地域社会の分断を描いた社会派ドラマです。

『オールド・オーク』が心の中に残したのは「問題提起」だけではありませんでした。人が人と向き合うとき、そこに何が発火し、何が生まれるのか???

産み落とされていたのは、静かな希望の物語でした。

ケン・ローチ監督が「これが最後の作品」と世に送り出した、厳しいけどあたたかい…そんな『オールド・オーク』をレビューします。

『オールド・オーク』作品解説|どんな映画?

監督は、ケン・ローチ。イギリス映画界の誇る社会派リアリズムの巨匠です。

舞台はイングランド北東部。ダーラム近郊のとある村。

主人公は、町一軒のパブ「オールドオーク」を切り盛りする初老のオーナーT J・バランタインです。

T Jと町にやってきたシリア人難民アラの交流、そして地域住民=イギリス人たちの難民への偏見と難民達を田舎に押し付けた国への憤り。

そしてそんな綻びから噴き出す分断が描かれます。

まるで、世界中の分断のスープの上澄みをすくいとったような作品。

ちなみにケン・ローチ監督自身、本作『オールド・オーク』を引退作と表明しています。



『オールドオーク』あらすじ〜前半

舞台は英国イングランド北東部。北海に面したダーラム近郊のとある町にシリア人難民がやってくる。

かつては炭鉱で栄えていたのも今は昔。さびれきった町の男たちは、町にある一軒のパブでビール片手に愚痴を言い合うのが日課だ。

パブのオーナーTJ・バランタインはボランティアで難民受け入れのサポートドライバーをしているが、どこかなげやりだ。

そんなところへ一人の難民女性ヤラが地元住民の一人から嫌がらせを受け、大切にしていたカメラを壊されてしまう。

失意のヤラを慰めるTJ。成り行きでTJは、シリア難民と地元常連客との板挟みとなっていく。

そんな時、TJを悲劇が襲う。愛犬マラの死だ。

ヤラと母親はシリア料理を手にTJを見舞う。

食事に心を癒されるTJ

ある時、ヤラとボランティアリーダーのローラが、TJに相談を持ちかける。

パブの奥にある古い部屋を食堂として貸して欲しいというのだ。

その熱意に押され、TJは無料食堂をオープンさせるのだが



あらすじ〜後半・ネタバレあり

以下はネタバレです!ご注意ください。

オールドオーク無料食堂には、シリア人難民や、困窮した街の人々や子供達が集まり、

笑顔が溢れる場所となっていく。

しかし、もともとその部屋を会合の場所として使いたがっていたのは、TJの親友チャーリーら常連だった。

彼らは面白かろうはずがない。

ある日、パブの食堂でとトラブルが起こる。

奥の部屋の古いキッチンシステムが漏水で水浸しになってしまったのだ。

トラブルを仕掛けたのはチャーリー達、町の常連だった。

その事実を知ったTJはチャーリーに真意を問う。

結果は決別だった。失意のTJ

そんな時、ヤラの父親がシリアの収容所で命を落としたと知らせが入る。

悲嘆に暮れるヤラ一家を慰めようとTJが彼女の家を尋ねると、親族が喪に伏していた。

するとドアを叩くノックの音が。

開くと、そこには献花をもった大勢の町の人々の弔問の列が

中にはチャーリーの姿も見える。

TJはヤラとともに、引きも切らず訪れる献花の列を見送る。



あらすじ〜結末~ラストまで・完全ネタバレ

ある晴れた日。

ダーラムの祭典が街を上げてとりおこなわれている。

祭典の列には、TJとヤラの姿が見える。

TJの手には、シリア人難民たちからオールドオークに贈られた、

大きな旗章が輝きはためいていた。

エンドロール



感想|この映画がくれたもの

「とってもよかった!」です。

ぼくの感想は一言でいうと、これ。

冒頭のシーンから引っ張り込まれます。

ポスタービジュアルにもなっている静かなパブの外でのカットですが、

ただ、斜めった『K』の字を棒で支えて直すシーンから、良い!のです。

ここからは、ぼくの心にサクサクザクザクと刺さってきた、

そんな『オールド・オーク』の感想を書いてみましょう。

登場人物の体温

登場人物の温もりがスクリーンから感じられるんです。

さびれた町で進む先も見いだせなくなっている住人たち。

そして、突如としてやってくるシリア人難民たち。

当然そこには、軋轢から難民への嫌がらせが生まれるんですが、

それでも誰も彼もみな、血が通っていて体温が伝わってくるんです。

嫌なやつでさえ、変な言い方ですが温もりがある。

『オールドオーク』にはヒーローはいません。

でも、そう、冷血漢もいないんです。

いま、嫌なやつ、と書いたけれど、

仮にドラマの街の中に自分が暮らしていると仮定してみると、

ぼく自身が「嫌なやつ」になっているかもしれないって思ってしまうんです。

何を言いたいかと言えば、

人は、どんな立ち位置をとるかで、ものごとの見え方が変わるってこと。

嫌なやつ、といっても、嫌なやつ側に立てば、いいやつの方が嫌なやつに変わるわけ。

本作のドラマの舞台は、

「炭鉱閉鎖でにっちもさっちもいかなくなってしまった村」なんですね。

皆、やり場のない怒りをいつも抱えてて腐ってるんです。

主人公のTJでさえ、じつは腐ってる。

この映画を観ていると、どうしても主人公TJ側の目線で見てしまいますよね。

でも、観ていて突然ハッとなりました。

「この場にいたら、オレも町の住人たちと一緒にパブに入りびたって、たぶんクダまいてるよな

と。

そんなふうに視点の転換をくれたのは、俳優陣の持つ体温の温かさあってこそでしょう。

俳優達の、あたたかい演技が光る映画、と、ぼくは思いました。



そのあたたかさはどこから来るのか?〜キャスト紹介に変えて

「あたたかい演技」と書きましたが、それは一体どこから来るんだろう?と思って俳優陣のキャリアを調べてみました。

・主役TJ・バランタインを演じたデイヴ・ターナーは、元々映画の舞台となった地で労働組合役員をしていた方でオーディションで選抜。

・チャーリー役のトレヴァー・フォックスも、出身は映画の舞台となったイングランド北東部出身。

・シリア人難民ヤラを演じたエブラ・マリも、出身地はシリアゴラン高原。オーディション選抜。

・ボランティアコーディネーターのローラを演じたクレア・ロッジャーソンは、慈善団体に勤務しており、オーディション選抜。

そう、俳優のみなさんがそれぞれに自分の役のアイデンティティを体でわかっている人たちなんですね。

その他大勢の村の人々やシリア難民達も、舞台となった町(ダーラム近郊)の人々が演じているとのこと。

だから「あたたかさ」を感じたんだと思います。



分断はどこから生まれるのか?

「あたたかい」と書きましたが、内容は決して暖かくはありません。シビアです。

村の住民からすれば、貧困 vs 外部から来た存在=シリア難民=のダブルパンチが、村の人々に打ち込まれるんです。

貧困 vs 外部から来た存在の分断がリアルに描かれます。

描かれている様子を一言で言うなら、

奪われる側の恐怖です。

「奪われる側」と書きましたが、つい、居場所を奪われていく村の人々と思いがちですが、

国を追われて、イギリスにやってきたシリアの人々も、自分の居場所を奪われた人々なんですね。

そう、裏の人々も、シリアの人々も、どちらも奪われる側の恐怖を味わっている。

イギリスの村の人々は、

「炭鉱も閉鎖されて、仕事もを失い、右を向いても左を向いても貧しさだけ。

そんな俺らの村に、政府は、難民を押し付けやがって

と、訳のわからない言葉を話すエイリアンだとして、壁を作る。

そんな彼らを見ていると、

つい、ドラマの中の悪役的な立ち位置に考えてしまいがちです。

何が怖いかと言うと

そういう表面的な思考をしてしまう自分が怖い。

もっと大きな視点に立ってみると、

シリアの人々も、自分の国、そしてアイデンティティーを失っている。

無理矢理、イギリスの片田舎に押し込められているんですね。

その押し込められている感覚は、

多分、強制収容所に入れられた人間の持つ感情とどこか似たものがある。

僕はドラマを見ていてそう感じました。

「分断はどこから生まれるのか?」という問いを本作は突きつけますが、

その答えは、そう、「理解できないものに対する恐怖」でしょう。



善意だけでは越えられない現実

『オールドオーク』の魅力は、ストーリーと人物キャラを善意だけに寄せないところです。

『オールド・オーク』の主人公キャラクターTJの魅力は、

一言でいうと、人間としての不完全さです。はい

子供には袂を分たれ、妻には離婚され、店の経営はギリギリ。

難民たちを受け入れるボランティアは確かにしているんですが、

決して自発的なものでないことが描かれます。

無料食堂をオープンさせ、それがうまくいくかと思いきや、

漏水トラブルで頓挫してしまう。

普通のドラマなら、そのトラブルを乗り越えて、主人公の成長が描かれる

のが映画としてはよくある定番ですけれど、

本作は違います。

トラブルで失意のどん底に叩き落とされたTJは、

「ラストにちょっとだけ、顔を上げた」ところで、

その先を観客の想像に委ねます。

そこがケン・ローチ監督のうまいところです。

分断の中に善意を見せつつ、また分断。

そして、わずかな善意をちらつかせて終わるのです。

僕は、こう思いました。

「日常で僕らの周りで起きている、混乱と失意、そしてそれでも前に進まざるを得ないこの世界と同じだ」

ケン・ローチ監督は、ざらついた分断と絶望を見せながらも

しっかりとほのかな希望を灯しています。



考察|なぜ“食卓”が描かれるのか?

『オールド・オーク』のクライマックスの一つが、シリア人、そして町で困窮した人々を招いて無料食堂オープンするシーンです。。

食卓を囲んで、大勢が食事を取る。

なぜ食卓が描かれるのでしょう?

僕の結論は、「食事は心の分断=溝を埋めてくれる」から。

「食を通し、同じ時間を共有する食卓には、他者との距離を縮めていく力がある」と映画は教えているように思います。

食卓で共に食べると、人は対話を求めます。

対話は、お互いの理解のスタートラインです。

すなわち、食卓は分断を再び結びつける力が、ある。

もっと大きな視点で考えるなら、

食卓を囲むとは、共同体を結びつける上で欠かせない儀式です。

『オールド・オーク』のクライマックスに無料食堂エピソードがはめ込まれたのは、

本作のテーマ=「分断」をなくす一つの装置としてのサンプリングでしょう。

食卓は、分断に再接続を促す象徴として機能しているのです。



画家目線で見る『オールド・オーク』

色について:寒色・灰色→希望の色の変化

本作を見ていて、気づいたことがあります。

それは、ドラマ前半と後半の映像の色合いの違いです。

前半は色合いが寒色系。そして後半に進みに従って暖色系が多くなる。

この変化は何を意味しているのか?

寒色は「引っ込んでいく色」です。

暖色は逆に「前に出てくる色」。

ぼくはその変化を「希望の色」への変化ではないかと思いました。

ドラマを追っていくうちに、気持ちも高揚してきます。

それは、カメラマンのストーリーを考えての色彩表現に違いないと僕は推測しています。



構図について:人物の距離=心理的距離の表現

登場人物の心の向き合い方、そして分断の溝を、

人物の距離として配置しているところです。

狭いパブの中で、イギリス人住人チャーリー達と、TJ、ヤラとの絶妙な配置=距離感にうなりました。

そして、クライマックスの食堂シーンでは、難民たちとイギリス人たちが狭いテーブルで肩を並べる。

人は心の有り様を、知らず知らずに相手との距離に表してしまうのは誰でも感じることですよね。

『オールド・オーク』では、登場人物たちの心が狭いパブの中で見事な配置で表現されていると感じました。



空間=”間”について:“キャンバスの余白が語るもの”

いい絵って、どんな絵でも余白が活きています。

『オールド・オーク』も、ラストはオープンエンディングで、「後は見る人が考えてね」という終わり方です。

絵に例えるなら、余白の残し方言い方変えれば「余白をどう形作るか?」が見事に活かされた映画でした。

最後に、本作の”空間”についてのぼくの感想で終わりにします。

「この映画は隅々まで塗り込められた絵じゃない。

映画の余白として塗り残された部分=語られなかった白地に感じた部分が、

ぼくらの現実そのものだ。」

画家って、結局、「余白好き」…なんですよね。



『オールド・オーク』ぼくの評価

ぼくの評価は星四つ半です⭐️⭐️⭐️⭐️✨

いい映画をありがとうございました。

こんな人におすすめ

『オールドオーク』はこんな方におすすめ🎯

  • 社会問題系が好き
  • 余白~考える間が好き
  • 人間が好き
  • イギリス🇬🇧が好き



『オールド・オーク』からのおすすめ映画リンク

『オールド・オーク』が刺さった方へおすすめ映画のリンク3本です。

『リトルダンサー』

『オールドオーク』と同じくイングランド北東部(ダーラム)が舞台。空気間まるで一緒。炭鉱閉鎖の現実も被る。分断激しい炭鉱町で、バレエダンサーへの道を進む少年はどう生きるかーー?

『リトルダンサー』映画レビューはこちら→https://www.movie-diaries.com/little-dancer-321

『ベルファスト』

カトリックとプロテスタントの分断=アイルランド独立闘争が舞台。実話。少年の目を通してみる、紛争に揺れる家族の姿とはーー?

『ベルファスト』映画レビューはこちら→https://www.movie-diaries.com/belfast-291

 

『すばらしき世界』

社会復帰した実直な元ヤクザが、社会の偏見と自分の流儀の狭間に悩み生きる姿を描く。正直に生きるとは、社会との溝、心の溝を生むことなのかーー?

『すばらしき世界』映画レビューはこちら→https://www.movie-diaries.com/subarasikisekai-1751



まとめ|それでも人はつながれるのかも…

『オールドオーク』を観て、こう思いました。

「これは、イギリスだけの話じゃない。」

「日本にもあるし、世界の至る所で起こっている話だ。」

「人と人のつながりはもはや望めないのか?」

「どうやったら、つながっていけるのか?」

ケンローチ監督・生涯最後の作品と言われている本作は、

まさに、今、世界中の人に見てほしい一本です。

 






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