『プラン75』ネタバレあらすじ結末・キャスト・感想考察・評価|実現してほしい?それとも…??超高齢化社会の現実を近未来が打ち抜く。

シリアス・問題提起

『プラン75』ネタバレ感想レビュー
評価星四つ⭐️⭐️⭐️⭐️
 

この記事はネタバレを含みます。その点ご留意の上お読みください。
こんにちは!映画好き絵描きのタクです。今回レビューで取り上げる映画は『プラン75』日本映画です。
高齢者が自ら死を選ぶ権利を認め支援する制度「プラン75」を導入した近未来の日本を舞台にしています。現実の超高齢化社会がもたらす「もしも」を描いたフィクションですが、そのリアルさは特筆モノです。
「65歳以上の高齢者 29.4%で過去最高 働く高齢者も最多」 という、総務省が発表したデータがあります。
『プラン75』は、”ほぼ3人に1人が高齢者”という、超高齢化社会の日本に対して「この映画を見たあなた、現実問題として、この国のこれから先をどう思う?」とクエスチョンを投げかけます。




映画は、78歳の独居老人ミチを軸に、老いとはなにか?老いゆくものの尊厳とは?を炙り出します。
プラン75』は、今をいきる日本人老若男女必見ムービーだと思います。





『プラン75』予告編




『プラン75』解説〜どんな映画?

監督は、この作品が長編第一作という、早川千絵監督です。ちなみに『プラン75』は、カンヌ映画祭で新人監督賞特別表彰を受賞しています。
ぼくは、「世界中が高齢化の波に現れつつある中で、各国が注目している国が、実は他国より長寿国家であり、少子化が進む国の日本だ」と、何かで読んだ記憶があります。
頼りない読みかじりではありますが、意味がわかるような気がします。
それを頭に置いて『プラン75』が「世界のカンヌ」で賞をとった理由を考えるなら、世界各国が高齢化への高い問題意識を抱いているから…のようにも感じます。
映画『プラン75』の舞台設定は、高齢化が進んだ日本です。時はごく近い未来。日本では、国家施策「プラン75」なる法律ができます。
その「プラン75」は75歳以上の個人が望むなら、安楽死が法的に選べる…という法なんですね。
『プラン75』の主人公は、78歳の角谷ミチ(倍賞千恵子)。彼女は働いていたホテルでの仕事を失い、家賃を払えなくなってしまいます。
収入を失い、住まいまでも無くしてゆく角谷ミチの寂しい日常と、「プラン75」を推し進める公務員ヒロム(磯村勇斗)のドラマが同時に進み、安楽死施設に働き口を見つけた外国人労働者女性マリア(ステファニー・アリアン)の視点を絡めつつ、ドラマは進みます。
プライベートな話になりますが、ぼく自身かなり高齢な父母をかかえています。なので、現実の老齢介護のいろいろな問題もリアルに実感しています。
そんな介護の現場に身を置いてこの映画を見ていると、未来をどうしたらよいのだろう…と、考えさせられます。




『プラン75』スタッフ・キャスト

監督・脚本:早川千絵/撮影:浦田秀穂

キャスト:倍賞千恵子(角谷ミチ…ホテル清掃員)/磯村勇斗(岡部ヒロム…市役所職員) /ステファニー・アリアン(マリア…「PLAN 75」関連施設従業員) /たかお鷹(岡部幸夫…ヒロムの叔父)/河合優実(成宮瑶子…PLAN 75コールセンター職員) 他



『プラン75』あらすじネタバレあり

ネタバレありですので閲覧注意です。
最初のシーンは、血まみれになった手でショットガンを持った一人の男が、介護施設らしき建物内を静かに移動しているところから始まります。
そして超高齢化社会への国の無策を断じる男の声がかぶさり、彼はショットガンを口にくわえ引き金を引きます。その男の問いかけから物語ははじまります。
以下のあらすじは公式サイトからの転載します。
夫と死別してひとりで慎ましく暮らす、角谷ミチ(倍賞千恵子)は78歳。ある日、高齢を理由にホテルの客室清掃の仕事を突然解雇される。
住む場所をも失いそうになった彼女は<プラン75>の申請を検討し始める。
一方、市役所の<プラン75>の申請窓口で働くヒロム、死を選んだお年寄りに“その日”が来る直前までサポートするコールセンタースタッフの瑶子(河合優実)は、このシステムの存在に強い疑問を抱いていく。
また、フィリピンから単身来日した介護職のマリア(ステファニー・アリアン)は幼い娘の手術費用を稼ぐため、より高給の<プラン75>関連施設に転職。利用者の遺品処理など、複雑な思いを抱えて作業に勤しむ日々を送る。
果たして、<プラン75>に翻弄される人々が最後に見出した答えとは―――。




『プラン75』ネタバレ結末・閲覧注意!

以下はラストまでのネタバレとなります。映画を観る方は必ずスルーしてくださいね。
+ + +
市役所職員のヒロムの叔父が現れる。長い間会っていなかった叔父はプラン75に申し込む。
身内がプラン75に申し込んだことで、それまで事務的に申請受付をしてきたヒロムの心に、プラン75を実行する施設を運営する企業への疑問が生まれる。
疑問を抱いたまま叔父を75施設に送り届けるヒロム。
時期同じく角谷ミチもまたプラン75を申請していた。コールセンターの遥子は角谷を日々サポートするが、遥子は仕事として割り切れない命の繋がりを感じてしまう。
そしてやってくる「その日」。
角谷が死を迎えるため横たわったベッドの隣にはヒロムの叔父が横たわり、先に命の火を消した。
ヒロムは自らの手で叔父を火葬場に届けたい、と、無理矢理マリアの手を借り、叔父の遺体をこっそりとクルマにのせ、火葬場へと電話を入れる。
火葬場は「今日なら空きがあり、受け付ける」と事務的に答える。
助手席に遺体をのせ、火葬場へとクルマを急がせるヒロムだが、白バイに速度違反で停められてしまう…。
ヒロムの叔父の臨終を偶然にも隣で見てしまったミチは、死を拒否。生き続けることを選び、プラン75施設を後にする。
当てもなく歩き続ける角谷。
ふと角谷は町を見下ろす丘の上で立ち止まる。
夕焼けが角谷と丘を照らし、エンドロール。
…というオープンエンディング=その先をはっきりわからせない=の結末となっています。




『プラン75』〜「誰かと話したくなる映画」

『プラン75』観終わっての感覚。それを、ひとことで言い表すなら、
「自身の心の内をまさぐられるような感覚になり、誰かと話したくなった」
…このひとことにつきます。
この映画を観たきっかけは、実は偶然でした。
妻からこう尋ねられました。
「倍賞千恵子が出てる、現在の姥捨山みたいな映画、知らない?」
「現在の姥捨山?、、、知らないなあ、、、調べてみるよ」
…と、検索して行き当たったのが『プラン75』でした。
そんな経緯で、前情報などまったく知らずに観たのですが、すごく深く考えさせられる映画でした。

『プラン75』実現してほしい?それとも…

そして誰かと話したくなる映画でもあったのです。
もし、映画のテーマとなっているこんな法律が実際にあったら、、、
あってもおかしくないような、、、、
怖いような、実現してほしいような、してほしくないような、、、
つまりは、そんなことを考えてしまう人間としての自分を問われるような、、、
誤解恐れずに言えば、そんな複雑な感想は、ぼく自身が超高齢の両親を抱える世代になってしまい、介護の現場に身を置いている一種の”閉塞感”から来たものだと思います。
また介護の現場に身を置いてみると建前とは異なる感情も生まれてきます。
だからこそ、他の人の感想や意見を聞きたくなったんだと思います。
とても考えさせられる映画です。
ではどんなふうに考えさせられたのか??を書いてみます。




考察『プラン75』〜78歳のミチの静けさ〜ネタバレあり

さくらの老後か? 倍賞千恵子演じる78歳

主人公の独居老人角谷ミチを演じたのは、倍賞千恵子です。

倍賞千恵子といえば、「寅さんシリーズ」はじめ、監督山田洋二作品に欠かせない庶民派女優という印象です。

寅さんシリーズで「明るく優しいさくら」を演じて50本という倍賞千恵子だから演じられた「独居老人ミチ」のようにも思えます。

ミチは、ホテル清掃員の職を辞めなければならなくなり、78歳という高齢を理由で収入の道が閉ざされます。

78歳の女性を再雇用する会社は見つからず、家賃が払えなくなり、四面楚歌。不安に押しつぶされてゆく、、そんなくだりがリアルです。

会社員で一生過ごして来れた方には、たぶんわからない不安でしょう。

ぼく自身、老後に支払われるのは国民年金のみフリーランス絵描きなので、ほんと、ミチの不安はリアルに感じてしまいます。

頼る親族のいないミチは、やるせない思いをぐっと心に抑え込みつつ、結局「プラン75」書類にハンコを押します。

この「心を抑え込む」って、日本人大多数の得意技でもあり、これまたリアリティがあります。

そんなミチの姿はまるで、寅さんを見守っていた優しい妹さくらの、別の老後=一つのパラレルワールド=のようにも思えてしまいました。

一人で生きたその果てに待つものは…

劇中で、一人暮らしのミチは、過去には結婚していた時期もあったことが明かされます。

しかし、様々ないきさつの結果、一人で生きていくしか道がなかった女性がミチなんですね。そんなキャリアの人は女性に限らず男性にも大勢いると思います。

そんな人たちが、老いの先に選ぶ選択肢が、「行政が法的に75歳以上の安楽死選択を認めるプラン75」しか残されていない。もちろん映画の中の架空の話ではありますが、映画で描かれる老後の選択肢の少なさは現実とさほど変わらないのではないでしょうか。

もうすぐ高齢者の仲間入りとなるぼくは、”老後の選択肢の無さ”を見せつけられたようで、心底ゾッとしました。

「プラン75」へ続く一本道の怖さ

人って、人生の中で、誰もが「分かれ道」を体験しますよね。

でも、「分かれ道」は、2本あるから「分かれる道」なんですよね。

ミチが「プラン75」書類にハンコを押した理由は、”捺印しなければ路上生活者になるしかなかった”から…なのです。

そう、ミチのような働き方をし、一人で生きてきた人間にとっては、分かれ道はなく、ほぼ一本道だったのが怖いんです。

ネタバレになりますが、ミチは、クライマックスにおいて「プラン75安楽死施設」で安楽死することにギリギリで「No」を突きつけ、「それでも生きる」というもう一本の細い細い道に賭け、歩き始めます。

しかし、それって道なき道=イバラの道に他ならないじゃないか、、、と、ぼくはやるせない思いになりました。

そして、こう思ったのです。

「どん詰まりにぶち当たり、どうしていいかわからなくなった人々に対し、彼らが気がつかなかった何本かの道を指し示してくれるのが行政=国ではないか??」

ぼくは映画『プラン75』のラスト、ミチの姿からそんなメッセージを受け取りました。

そんなメッセージは、実はミチを囲む3つの視点が絡み合って伝わってきたものです。

その3つの視点とは…を、次の考察で書いてみます。



考察『プラン75』〜3つの視点がくれたもの〜ネタバレあり

以下の考察にもネタバレが含まれますので、映画を見終わってからお読みくださいね。

先にも書きましたが『プラン75』は、ミチが主役です。そして、ミチを取り囲むこととなる2人の人物=市役所職員のヒロム・プラン75コールセンターの遥子。そしてミチには直接は関わらないけれど「プラン75」施設で働く外国人労働者マリア=それぞれ3人の立場と視点が絡み合いながら物語が進んでいきます。

この角谷ミチをとり囲む3視点の絡み合いが、決してベタつかずに距離を置きながらも一本の幹になっていく様は見事でした。

それはひとえに早川千絵監督が練った脚本の素晴らしさだと感じました。

特に「プラン75」を普及させる市役所職員の役回りのヒロム役=磯村勇斗が、物語に深みを与えているなあ、と感じました。

では、3つの視点をバラして、ぼくなりに読み解いてみます。



一つ目の視点〜ヒロムの目

一つ目は、磯村勇斗演じる役場職員ヒロムの視点です。

ヒロムの仕事は、「プラン75」を勧める窓口職員です。彼は人の命に関わる「プラン75」を、まるで介護保険や金融商品と同サービスのように、自然に平々凡々と勧めるんですよね。

その自然さが、怖いです。

磯村勇斗は「お役所ならではの一線引いた優しさ」を見事にまとい、演じきっています。

役場窓口って、会社窓口にはない、行政独特のスマイル空気って、あるじゃないですか。それです。

磯村勇斗の市役所職員演技は、ほんと、見ものです。

さて、そのヒロムは「プラン75施設」の運営母体が”産業廃棄物処理業者”だと知って、一抹の疑問を感じるのですが、感じた疑問をセンセーショナルに問い叫ぶわけではなく、自分なりの行動をとり始めます。(この”産業廃棄物処理業者が運営という設定が、現実にありそうで怖い)

その行動は、縁遠かった伯父のプラン75での死に寄り添っていく行動となるのですが、その行動も、ごく普通っぽくて、ヨイです。

ヒロムが叔父に寄り添っていった過程で、ヒロムの中に”何か”が芽生え、命絶えた伯父を自らの手で火葬に付すべく、「プラン75」施設からこっそりと運び出します。当然、役場職員が近親者の遺体を勝手に運び出すなど非合法な行動ですよね。

では、この行動が暗に示しているのは、なんでしょう?

それは、ヒロムが行政からの「ハミダシモノ」となった…ということでしょう。

しかし、ヒロムのとったハミダシ行動は「役所ならではの優しさ」を越えた、人として真の優しさを勝ち取った男に変わっていくメタモルフォーゼだ、と、僕は感じました。

勝ち取った、なんて書くとヒロイックな感じがして誤解を与えるかもしれませんね。

映画で描かれるヒロムの行動にはヒロイック感がまったくなくて、とても静かなんです。

ですが、ぼくはそんな静かなメタモルフォーゼが、「人は疑問を感じたら静かにでも、ヒロイックじゃなくても行動を起こせるんだ」という監督からの隠れメッセージのように思えました。

ネタバレになりますが、ヒロムはクルマで運び出しますが、警察官に停められます。「警官すなわち権力:対:ヒロム」の絵は、ヒロムがハミダシ者になった証拠だとぼくは考えています。

では、次に二つ目の視点です。



二つ目の視点〜マリアの視点

二つ目に視点は、脇役として登場する外国人労働者マリアの視点です。

マリアは、低賃金にあえぐ外国人労働者という設定です。

彼女は家族を養わなければならない切実な現実があります。

そんなマリアが、より高い収入を得るために選んだ仕事は「プラン75」施設の職員となることでした。

確かに高い収入を得る職員ではあるけれど、仕事自体はいわゆる「クサイものにはフタ施設」の、フタの内側での仕事です。

異文化の中で苦戦する一人の女性マリアを登場させたことは、日本という、人類史上稀に見る清潔クリーンこのうえない国家のもつ「クサイものにはフタ」への批判でもあるでしょう。

劇中、マリアが主人公ミチと縁が触れ合うシーンは、ほんの僅かです。

しかしマリアエピソードが加わることで、『プラン75』からぼくは次のメッセージを受け取りました。

「一見クリーンに見える日本という国は、はたして本当にクリーンなのか?答えはNO。その裏側は汚泥にまみれている国なんだ、、、」

では三つ目の視点へ移ります。



三つ目の視点〜瑶子の視点

「『プラン75』の脚本はホント、よくできているなあ、、、」

ぼくは『プラン75』のあちこちでそう感じたのですが、その一つが、『プラン75』のコールセンターの存在をしっかり設定していることです。

コールセンターでのキーマンは、河合優実演じる若い女性の成宮瑶子です。その遥子の視点が三つ目です。(しかし、河合優実はいい女優さんです。大好きです。小さな呟きのような喋りだけで場を支配しちゃう。。。)

遥子はコールセンター職員です….正式採用のヒロムとは違い、契約職員だと思いますが、彼女のドラマの中での存在が、大きな歯車となっています。

ぼくらの日常でも、人口の三分の一が高齢者となり、高齢者との関わりが当たり前になってきていますよね。

そんな高齢者と若者の会話のズレや、逆に若者の持つ優しさを、成宮瑶子は体現しているようにも思えました。

さらにいうなら、「主人公ミチがどんな過去で、どんな人なのか?」が、より観客に深く伝わってくるのは、遥子との電話での会話からなのです。

いくつかのミチと話す遥子のシーンから察するに、若い遥子は、多分核家族で育ち、祖父母との交流もさほどなかったんだと感じます。

ミチは独居老人となり話す相手がいなくなり、結果的にコールセンターの遥子のみが”社会との繋がり”となってしまいます。その設定から滲み出てくるのはミチの孤独感です。

そこで交わされる会話でミチも救われるのですが、逆に遥子は、それまでに考えてもいなかった新たな思索を得ることになります。

思索をもたらしてくれた相手が、今から死に向かう老人なのです。

逆にいうならば、遥子の存在がぼくらに教えてくれるのは、孤独で、死を目前にした人間でも、誰かに大きな影響を与えているのだ、ということではないでしょうか。

ミチは知らず知らずのうちに、若い世代の遥子に対して、目に見えない影響を与えていたのです。

しかし、そんなミチの「その後」がとても気になりつつも、観客の想像に委ねて終わっていくのがこの映画なんです。



『プラン75』ラストの「その後」を考える

この章もネタバレです。ご注意ください。

『プラン75』を見終わった誰もが、多分「ミチのその後」に思いをはせずにいられない、、、と思います。

だって、ミチは身寄りもお金も、収入源もないゆえに一旦は死を選んだのですから。

そんなないないづくしのミチが、「それでも生きてみよう」と考えたわけです。

生活保護を受けながら生きていくことを選んだのだろうか??と考えましたが、それは安易すぎる気もしました。

もしかするとミチのその後のヒントは、ラストのミチが口ずさむ歌にあるのかも?と、歌われる「林檎の木の下で」がどんな歌詞なのかを調べてみました。



「林檎の樹の下で」はこんな歌詞です

林檎の樹の下で

明日また会いましょう

黄昏 赤い夕日

西に沈む頃に

楽しく頬寄せて

恋をささやきましょう

真紅に燃える想い

林檎の実のように



「林檎の樹の下で」の歌詞から推測するその後

ミチはラスト、黄昏の夕日に染まりながらこの歌を口ずさみます。

まさに、ミチは、この歌から、残されている時間はあと僅かではあるけれど、「人生という恋」をささやき続けることが、自分が生きた証になる、と思ったのではないでしょうか?

林檎の実は熟し切ると、ポトリ、と落ちます。

ミチは、たとえ生活保護を受けたとしても、路上生活者になろうとも、ポトリと落ちるその時まで、「明日の太陽に会おう」「生に恋をしていこう」と思ったのだ、と、ぼくは思っています。

「明日の太陽に会おう」「生に恋をしていこう」という言葉からは笑顔しか生まれません。その後のミチはどんな状況になっても笑顔で人生を愛し尽くす覚悟を決めたんだと、ぼくは思っています。



『プラン75』は怖い?意味不明?実現してほしい?賛成?反対?

冒頭から最後まで一気見でした。観てよかったです。

『プラン75』ほど、世代や自分のいる環境で受け止め方が変わってくる映画は、なかなか無いのではと思います。

怖い?意味不明?実現してほしい?賛成?反対?ネット口コミはそれはもう陰陽混濁でしょう。

昭和の生まれか、平成に育ったかでも違うと思います。

両親が何歳か?でも違うでしょう。

祖父母と同居している人と核家族育ちでも全然違う感想を持つでしょう。

介護地獄に追われている人は、『プラン75』をいったいどう受け止めるのでしょうか?

そんなふうに、観る人それぞれで受け止め方は違ってくる映画が『プラン75』だと思います。

でも、、、今の時代、大事なのは「多様性を認めること」であり「まずは声を発すること」でもありますよね?

『プラン75』は、「あなたはどう思いますか?」との問いが、どこまでも背中を追いかけてくる映画でした。

ちなみに高齢者介護のリアルに差し掛かってるぼく(介護する方です)は、自分の内面をざらざらやすりで擦られるようで、怖い映画でもありました。



『プラン75』ぼくの評価は?

ロイターでのインタビューで監督がこんなことを話しています。

「いかに死を迎えるかは個人的なもの。それを国がコントロールする恐ろしさを表現したかった」。そして疑問も持たず制度を受け入れる人たち、携帯電話の契約のように淡々と「最期」の申請手続きを進める職員。「決まったことに従う、あらがっても何も変わらないという日本人的キャラクターも描きたかった」

見終わった後でぼくはこの記事を目にしましたが、監督の思いはスクリーンを通じて観客に届くと思います。

ぼくの評価は星四つ⭐️⭐️⭐️⭐️です。

深く考えさせられる、いい映画をありがとうございました。




『プラン75』配信先

2024年5月現在、Prime Videoで配信中です。

ブルーレイはこちらで購入できます

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