ネタバレ感想『侍タイムスリッパー』あらすじ結末・評価考察〜笑いと涙と映画ラブ

ヒューマン・ハートフル

こんにちは!映画好き絵描きのタクです。今回レビューする映画は『侍タイムスリッパー』(2024年公開・日本映画)。会津藩士が現代の映画撮影所にタイムスリップしてしまい、流れで殺陣斬られ役となってしまうという、笑いあり涙ありの2024年話題作です。

主人公の侍を演じた山口馬木也さんの渾身の演技と殺陣は、今や誰も見たことがない本物の侍と思い込むほど、迫真。見終わって幸せな気分にされる映画、久しぶりに出会えました。

ではそんなハッピーサムライムービーをレビューしてみます。(映画の感想自体がネタバレを一部含みます。ご了承ください。)





『侍タイムスリッパー』予告編




『侍タイムスリッパー』解説

自主制作映画が単館公開から口コミが口コミを呼び全国劇場公開へと広がった『侍タイムスリッパー』。その流れはやはり自主制作でありながら爆発的ヒットを記録した『カメラを止めるな!』(2017年公開)や、世界中の映画祭で多数の受賞を受けた後に口コミで全国公開へと広がった『最後の乗客』(2024年公開)にも似ています。

監督は安田淳一。コメ農家と兼業で本作を作った異色の経歴です。

出演は、山口馬木也、冨家ノリマサ、沙倉ゆうの、峰蘭太郎、他。

公式サイトの解説を以下転載します。

映画「侍タイムスリッパー」は、「拳銃と目玉焼」(2014年)
「ごはん」(2017年)に続く未来映画社の劇場映画第三弾である。

幕末の侍があろうことか時代劇撮影所にタイムスリップ、「斬られ役」として第二の人生に奮闘する姿を描く。
コメディでありながら人間ドラマ、そして手に汗握るチャンバラ活劇でもある。
「自主映画で時代劇を撮る」と言う無謀。
コロナ下、資金集めもままならず諦めかけた監督に、「脚本がオモロいから、なんとかしてやりたい」
と救いの手を差し伸べたのは他ならぬ東映京都撮影所だった。
10名たらずの自主映画のロケ
隊が時代劇の本家、東映京都で撮影を敢行する前代未聞の事態。
半年に及ぶすったもんだの製作期間を経てなんとか映画は完成
2023年10月京都国際映画祭で初披露された際、客席からの大きな笑い声、
エンドロールでの自然発生的な万雷の拍手に関係者は胸を撫でおろしたのであった。
初号完成時の監督の銀行預貯金は7000円と少し。
​「地獄を見た」と語った。

『侍タイムスリッパー』公式サイトはこちらです





『侍タイムスリッパー』あらすじ

公式サイトより以下転載です。

時は幕末、京の夜。
会津藩士高坂新左衛門は暗闇に身を潜めていた。

「長州藩士を討て」と家老じきじきの密命である。
名乗り合い両者が刃を交えた刹那、落雷が轟いた。
やがて眼を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所。
新左衛門は行く先々で騒ぎを起こしながら、
守ろうとした江戸幕府がとうの昔に滅んだと知り愕然となる。
一度は死を覚悟したものの心優しい人々に助けられ
少しずつ元気を取り戻していく。
やがて「我が身を立てられるのはこれのみ」と刀を握り締め、
新左衛門は
磨き上げた剣の腕だけを頼りに「斬られ役」として生きていくため撮影所の門を叩くのであった。




『侍タイムスリッパー』あらすじ結末ラストまで〜ネタバレ閲覧注意!

以下はネタバレとなりますので、映画を観る方はスルーしてください。

+ + +

斬られ役として徐々に現代の撮影所に溶け込んでいく新左衛門に新作映画の敵役抜擢の声がかかる。

主役はかつては時代劇を背負って立っていた映画スターの風間恭一郎だ。

新左衛門が挨拶に向かうと、風間恭一郎は自分の正体を明かす。

それは新左衛門にとっても驚愕の言葉だった。

風間恭一郎は、偶然ではなくあえて、新左衛門を相手役を指名してきたのだった。

新左衛門は出演するかどうか悩み抜き、一つの演出提案をする。

それは、映画撮影では前代未聞の、真剣を用いた殺陣という、新左衛門が真の侍だからこその提案だった。

映画関係者は二の足を踏むが、風間恭一郎は新左衛門のその提案を受けいれ、そして撮影の日がやってくる、、、。

はたして、真剣で本当に立ち回り撮影をするのか?

二人の関係、そして映画撮影の顛末はいかに???

すみません。公開からまだ間もない2024年10月現在の今、これが結末ネタバレギリギリラインです。




『侍タイムスリッパー』傑作誕生・感想考察

最初に言っちゃいます。五つ星です。久々にハッピーになる映画と会えました。観終わってのハッピー感持続度が半端ないです。

そうだ、そういえば最近の映画に足りないのは、この「幸福感」だった!オススメです。

と、ここで終わってはレビューにならないので、どんなところが突き刺さってハッピーになったのか?を書いてみます。

タイトルの語感がヨイ!

まず、グッドなのはタイトルですよ。映画って、タイトルはめちゃくちゃ大事だと思います。

で、『侍タイムスリッパー』の語感、響きの良さは最近の映画タイトルの群を抜いています。

世の映画祭にもし「タイトル響き賞」なんてものがあれば、イチオシで票を入れます。

サムライの「サ」が母音のアではじまり、最後の「パー」も母音のアで終わりますよね。この「ア」母音って、人のココロに効きますね。

公開前何かで『侍タイムスリッパー』のことをしったとき、「いい響きだなー」と思ったことを覚えてます。

『明日に向かって撃て!』や『ポセイドンアドベンチャー』『リトルダンサー』など「響きの良いタイトルの映画に駄作ナシ!」とはぼくの勝手に思っていることですが、『侍タイムスリッパー』も同様、語感に違わず気持ち良い作品でした。

監督もこのタイトルを思いついた時、その響きに『オレって天才かも!?』って思ったんじゃないかなあ。



見事に表現されたタイムスリップへの戸惑い感

タイムスリップモノの映画で大事なのは、主人公が暮らしたていた時代(過去、あるいは未来)とタイムスリップした先の時代との「ズレ感」を、どう表現するか?ですよね。

その部分をしっかり描かないと、残念ムービーとなってしまいます。今まで観たタイムスリップモノでその点残念だった映画に『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』がありました。時代の「ズレ感」が全く描けておらずドラマがペラペラに薄かったのです。

しかし、『侍タイムスリッパー』はこの点も描き方が見事でした。

幕末の会津の侍・高坂新左衛門が現代にタイムスリップするわけです。彼の、120年タイムラグから押し寄せるショックと驚き、心の混乱をどう演出するか?

その点を『侍タイムスリッパー』では、饒舌にならないけれど画面構成をうまく活かしつつしっかりと表現していました。

タイムラグへの高坂新左衛門の心の混乱は、ある意味、抑えた表現を使っています。「何がどうなったんだ?」という説明セリフをほぼ使っていません

が、その「抑え感」は、侍が武士道精神を持っているがゆえの美徳=「これ以上は言わない」というところでセリフの塩梅を決め、うまいさじ加減で表現。その演出はさすがです。

予告編でも流されるカット「助太刀いたす!」という短いセリフにもそんなさじ加減は表れており、同時にタイムラグからクスッとさせるところ、好きです。

一方、会津藩士、高坂新左衛門を受け入れる現代の人々は、どうなのか?

重要な脇役でヒロインでもある助監督山本優子はじめ、新左衛門の世話をすることになる寺の住職や殺陣師関本も、新左衛門がタイムスリッパーだなんて「これっぽっちも」思わずに、”記憶喪失患った変なサムライ映画オタク”として受け入れます。

例えばですよ、スターウォーズフェスでキャラに扮するヤツが記憶喪失になったら…って、考えると、サムライ時代劇ファンくらいならフツーに居そうじゃないですか。そんな記憶喪失サムライオタクとしての認識設定におおいにナットクでした。

高坂新左衛門が困惑したりショックを受けるシーンは、演じる山口馬木也さんの演技力でもって前半から徐々に畳みかけられ、かつ効果的に映画中盤へと盛り上げていきます。

いちごショートケーキで泣かせる

前半で主人公の高坂新左衛門がいちごショートケーキを初めて目にし、食べるシーンがあります。

このシーンは、たぶん、間違いなく後世に語り継がれる名シーンでしょう。

目を丸くした新左衛門はケーキの味に驚き、誰でもがフツーに食べていることを知り、そのことに感動、涙するのです。

幕末から140年後の未来ニッポンが、誰でもが美味しい菓子を食べることができる時代になっていたことを知り、感動、涙するのです。

新左衛門役の山口馬木也さんのとことん幕末サムライになりきっての、未来に感動する演技は、必見。「ぜひ見てください」としか言えません。そしてショートケーキを食べたくなるのです。

『山口馬木也さんと共にいちごショートを食べながら時代劇を観るお茶会』なんてあったら、素敵だなあ…。ドレスコードはもちろん和装ね。

高坂新左衛門の生と死

高坂新左衛門が「タイムスリップによる心の迷い」にどうやって折り合いをつけるか?そのシーンの描き方も、嫌味なく自然に描かれます。

そのシーンはこんな具合↓

新左衛門は寺の住職の厚意で住み込みとして寺の雑務を任されますが、急遽寺でのロケが発生。斬られ役に一人欠員が出ます。

新左衛門が山本優子になんとな〜く好意を寄せ始めるシーンです。

侍役のエキストラはそう簡単に手配できず困り果てた助監督優子と監督。

そこに居合わせるのが、髷を結っているモノホン侍・高坂新左衛門。撮影スタッフはちょうどいいとばかりに、斬られ役を頼みます。

実は撮影の内容は「坂本龍馬」。

元々会津藩士の新左衛門にとって、龍馬は仇敵中の仇敵です。

新左衛門、何が何だかわからぬうちに衣装を着せられ竹光持たされ監督の「スタート!」の声。

役者の「坂本龍馬!」の声に我を忘れてしまう新左衛門はしかし、結果迫真の殺陣をこなすことになります。

ここで龍馬にピストルで撃たれ、新左衛門の羽織からは血糊が吹き出します。本気になってしまっていた新左衛門は、撃たれたと勘違い。走馬灯のように過去が駆け巡り、意識が遠のきます。

「カット!」の声で目を覚まされる新左衛門。

長く書いてしまいましたが、この一連のシーンは「幕末1880年代に生きていた新左衛門の死であり、21世紀に新たに生まれ変わった」ことを表しています。

坂本龍馬に撃たれ死ぬシーンは、新左衛門の”過去への決別と未来への覚悟”を暗に表現しているんですね。

新左衛門本人だけ本気で死んでしまった(でも生きてる)笑いが起こるシーンですが、「新左衛門の死と再生」と理解した時、ぼくは鳥肌が立ちました。

その後、新左衛門は寺の住職に刀立ち回りの才能を見出され、殺陣師関本の門下生となり、新生高坂新左衛門が誕生します。

「拙者は赤子のようなものでござる」というセリフが出てきますが、誕生したばかりの新左衛門を表す名セリフだと思います。

殺陣の魅力

時代劇ファンなら「たまらない!」となる殺陣シーンが『侍タイムスリッパー』では頻繁に出てきます。

ぼくは「時代劇ファンか?」といわれると、正直、そうでもありません。好きでも嫌いでもない。劇の内容が良かったらいい、くらいの時代劇への接し方をしてきました。

だから「あの殺陣、すごかったねえ」というような感想は、比べる基準を持っていないのでなんだかんだという資格は持ってません。

しかし、山口馬木也さんの刀を持っての芝居、冨家ノリマサさんの殺陣の表情、そして殺陣師関本演じる峰蘭太郎さんの立ち居振る舞いには、本気で感動し、手に汗でした。

クライマックスの山口馬木也さんと冨家ノリマサさん立ち回りには、劇場にいることさえ、忘れていました。

『侍タイムスリッパー』の殺陣を見た後は、時代劇の見方が変わると思います。

「こうくるか!」というセリフ回しが粋!

役者同士が交わす「セリフの掛け合い」は、映画の愉しみの妙の一つです。

その「掛け合い」ですが、「自分が思っていないセリフ」のやり取りがあれば、マル!そんな映画は大概面白い映画です。

逆に観ているぼくが「こう答えるだろうな…」と思ってしまう「間」が生まれて、その通りのセリフが発せられる映画は、大方「残念ムービー」となります。

『侍タイムスリッパー』は、そんなセリフの掛け合いもとことん楽しむことができ、見事に前者でした。

ラストは絶品のセリフ掛け合いシーンでした。これはあまりにネタバレなりすぎるから伏せておきます。ぜひ劇場で楽しんでください。



全編ひたすらに溢れる映画ラブ

『侍タイムスリッパー』は映画の撮影所やロケ地が主な舞台となります。いわゆる「劇中劇」というやつですね。

この劇中劇スタイルって、昔から舞台や映画でよく使われてきました。シェイクスピアも使っていたそうで(ぼくはシェイクスピアはよくわからん)、劇中劇は佳作を生むメソッドの一つとも言われています。

つかこうへいの『蒲田行進曲』やフランソワ・トリュフォーの『アメリカの夜』や『雨に唄えば』、『コーラスライン』なんてその一例。『愛と哀しみのボレロ』でも、クロード・ルルーシュがその手法を一部に用いてます。

これまたぼくの敬愛する監督ジョージ・ロイ・ヒル監督も好んで劇中劇スタイルを取り入れていました。『スティング』『華麗なるヒコーキ野郎』『リトルロマンス』と映画の撮影シーンや、「主人公が映画を観ている」という構造をうまく活かしています。

と、話がそれました。劇中劇が好きなもんで。。。話を戻します。

映画撮影所が舞台だ….ということは、映画の撮影舞台裏がドラマの舞台になるということです。

これ、映画ファンにとっては「映画の舞台裏覗き見」という愉しみにも繋がっているんですよね。

最近、インスタやSNSリール動画で頻繁に映画撮影舞台裏クリップが流れてきますよね。ぼくはついついニヤニヤしながらそんなリール動画を見てしまうんですが、『侍タイムスリッパー』の面白さを爆発させているのは、そんな「舞台裏覗き見」の愉しみが全編に流れているから、とも言えると思います。

重要な登場人物に殺陣師関本と斬られ役の殺陣の面々が登場します。

普通時代劇ドラマで「斬られ役」って意識しませんよね?

そんな意識しない役回りの裏の顔やそのまた舞台裏を覗き見できるわけですから、映画好き、エンタメ好き、ドラマ好きだったら引っ張られるのも当然です。

しかし、舞台裏を正面切って描けるかどうかは、製作陣の「映画ラブ」があってこそです。

『侍タイムスリッパー』がなぜにこんなにも世間に広まっていっているのでしょうか?

理由の一つは、映画の作り手の「映画撮影現場ラブ」が溢れているからだ、と、ぼくは思います。

ラブロマンスとしての『侍タイムスリッパー』

映画ラブに満ちた『侍タイムスリッパー』ですが、「斬られ役でござる」と武士の本文まっしぐらながらも、ほのかなラブロマンスでもあるとこが、ヨイですね。

タイムスリップしてきた高坂新左衛門は、次第に静かに山本優子に惹かれていくのですが、新左衛門は会津武士の矜持が染み込んじゃってます。なのでに 、そうそう、惚れたはったの心を表に出しません、否、出せません。

その「出さない」具合が、イマドキ逆に新鮮でヨイ!のです。

ほんと、数ミリずつしか進まないラブロマンス映画を見ているようで、その数ミリという遅々とした穏やかさが『侍タイムスリッパー』をイイ映画に仕立てています。

優子の優しさに次第に傾いていく自分の心に「ダメダメ、イカンイカン!」と、まったくもって素直実直な新左衛門ですが、自己表現力が弱い彼の姿にオノレを重ねてしまう世のオジサン方、多いんじゃないかなー。

そんな新左衛門と優子がラストで向き合うシーンでの展開に、「よくぞ、そう締めくくってくれた!」と拍手してました。

何言ってるかわからないですよね、すみません。

ようは、人間にはやっぱりリトルロマンス^^が必要で、『侍タイムスリッパー』はラブロマンスさえもうまい具合にスパイス効かせている…ってことを言いたかったのです。




恋心を翻訳する冨家ノリマサさんの目力

そんな新左衛門がヒロイン山本優子に対して抱くほのかな恋心を、うまい具合に観客に伝え支えているのが、風見恭一郎役を演じている冨家ノリマサさんの「目」です。いつも一瞬なんですけど、まるで新左衛門の心を翻訳してくれているかのよう。

実はぼくは、冨家ノリマサさんご本人を、これまた公開中のオススメ映画『最後の乗客』試写会で実際にお見かけしたことがあります。その目がとーっても印象的でした。握手までしてもらっちゃったし。(『最後の乗客』では冨家さんは主役を演じています。当サイトでもレビューしてます。こちらです)

新左衛門役の山口馬木也さんといい、風見役の冨家ノリマサさんといい、そして、優子役の沙倉ゆうのさんといい、侍の恋心を楽しんで演じているようで、観ているこちらも幸せな気分になりました。

さりげなく込められた維新後140年への問いかけ

『侍タイムスリッパー』のもう一つの魅力は、確かにエンタメ映画ではあるけれど、歴史への洞察がきちんと加えられていることです。

会津藩が敗軍となり斗南藩として僻地に追いやられた悲劇や、明治維新の結果が今の日本であることへの問いかけが、さりげなくドラマの曲がり角で語られます。

特に会津戦争敗戦後の様子が説明されるシーンは説明っぽくなく挟まれて、うまい!)

新左衛門が命を張って守ろうとした彼なりの「未来」が、明治維新であっさり潰され、その結果の時代に生きなくてはならなくなったことは、彼にとって悲劇だったのです。

強烈なタイムジレンマの中で生きている新左衛門が、後半風見恭一郎と出会うことによって、その問いかけが噴出します。

それは悩み苦悶する新左衛門の姿を通して観客に投げかけた問いでもあると思っています。

だから『侍タイムスリッパー』はとことんエンターティメントではありながらも、ちょっと異質な重量があるのです。



粋な設定のラストにハナマル!

ラストでは二つの粋なシーンが待っています。

一つ目は、クライマックスでは高坂新左衛門と風見恭一郎の殺陣シーンに助監督山本優子の絡むシーンです。

泣けるセリフとともに、新左衛門と優子の未来にふっと想いを馳せさせる演出は、超絶に粋です。

ああ、これ以上、書けない、、、映画館に行ってください。これはもう映画史に残る名シーンでしょう。

そして二つ目〜クライマックスを越え、ドラマが終わったかに見せつけて、最後の最後、とっておきラストが待っています。

ここではまたまた明かせませんが、たとえて言えば傑作名画『ダイ・ハード』のラストのラスト、「一人だけ生き残ってマシンガンを振り上げる悪役に、訳あって銃が撃てなくなっていた警官が引き金を引くシーン」の快感に匹敵する?拍手必至の締めくくりが待っています。

ニクイ!ニクすぎる!そうだよ、このラストがあってこそ、観客は笑顔で劇場を後にできるってもんだ!!…と、ぼくは終演後、笑顔で席を立ったのでした。



『侍タイムスリッパー』名言

「しかし、まだ今ではない」

「しかし、まだ今ではない」←このセリフは、風見恭一郎と高坂新左衛門が時代劇の行く末を語るシーンで出てきます。

『作った映画も全てはいずれ忘れ去られるかもしれないれど、しかしそれは、今ではない。』

そんなニュアンスで使われるのです。

そして、別のシーンでもやはり新左衛門が「まだ今ではない」と口にします。

ぼくは、この言葉は今を生きることの大切さを、軽く嫌味なく表現した名セリフだな、と感じました。

全てはいずれ忘れ去られる運命にある。けれどもだからといって精一杯生きなくて良いという理由にはならない。

時代から忘れ去られたとしても、それでも必死に生きよう。

幕末に時の彼方に放り投げられ、時代から忘れ去られた侍が語るセリフとして、玉のような言葉だ、と、胸に迫ってきました。



『侍タイムスリッパー』ぼくの評価
ぼくは劇場から家に戻りドアを開けるなり、家人にこう叫んでました。

「生きててよかった!こんな映画作ってくれてありがとう!だよ〜!!」

ということで、ぼくの評価は星🌟🌟🌟🌟🌟5つです。

映画を観た後にハッピーな晴れやかな気持ちになれる映画が少なくなってきた気がします。時代劇と同じように。『侍タイムスリッパー』を観た後、気持ちが日本晴れになり、幸せな気持ちをもらえました。

ぼく自身、画家という表現で食う世界に身を置いています。ジャンル違えど、クリエイティブの裏側の苦労は痛いほどわかっているつもり。

「この映画の完成の時、ぼくの通帳預金残高は7000円だった」と、監督はパンフレット解説に書かれていますが、この一行は、世の表現者へのエールでもありますね。

『侍タイムスリッパー』は、そんな表現の路地裏に生きるぼくにとっては、たまらなく眩しく輝いている作品となりました。

また観に行くと思います。

いい映画をありがとうございました。

『侍タイムスリッパー』スタッフ・キャストのこと

私財をほぼ投じてこの映画を作った監督への読み応えあるインタビュー記事(Yahoo!ニュース)があります。こちらをご覧ください↓

「自主映画だと怪しい配給会社に騙されて…」単館上映から大ヒットした「侍タイ」監督が自分1人で映画館と交渉を始めた“切実な理由”(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
たった1館の上映からスタートし、SNSなどの口コミを中心に人気に火がつき全国138館まで拡大している『侍タイムスリッパー』。“インディーズの時代劇”という異例の快進撃で、『カメラを止めるな』の再来

スタッフ

監督・脚本・撮影・照明・編集・デザイン/安田淳一

特別協力/新藤盛延

殺陣/清家一斗

時代劇衣装/古賀博隆:片山郁江

床山/川田政史

照明/土居欣也:はのひろし

キャスト

山口馬木也(役/高坂新左衛門)

『戦場に咲く花』でデビュー後、『雨あがる』『告白』『母 小林多喜二の母の物語』などの映画をはじめ、『NHK大河ドラマ』や『剣客商売』『水戸黄門』など数多くのテレビシリーズに出演。

映画『侍タイムスリッパー』で話題沸騰! 52歳 山口馬木也って、どんな俳優?【侍タイムスリッパー】
#海外の評価ご視聴ありがとうございます!ぜひ、あなたのコメントをお聞かせください。チャンネル登録もよろしくお願いします →▼素材サイト一覧pixabay:
冨家ノリマサ(役/風見恭一郎)

1982年の映画『OH! タカラヅカ』および1983年の『おしん』で俳優デビュー。『最後の乗客』『覇王 シリーズ』エトロフ遥かなり  伝七捕物帳 他多数に出演。

沙倉ゆうの(役/山本優子)

東映京都撮影所所属。兵庫県西宮市出身

浴衣のコンテストがきっかけで業界入り、安田淳一が撮影するイベント用のオープニングムービーへの出演が初・芝居体験。その後、安田が監督する『拳銃と目玉焼』『ごはん』の撮影中に他の俳優に紹介され、芝居への道へ入る。

峰蘭太郎(役/殺陣師関本)

東映京都撮影所東映剣会所属。東映剣会の役員を務めていたが、現在はOB。16歳で芸能界に赴き、大川橋蔵に弟子入り。7年間の付き人生活を経て東映入り、俳優デビュー。

紅萬子(役/住職の妻節子)

18歳でタレント養成所に入所して1972年にデビュー。小劇場を経て、24歳で「男と女」を創立・主宰し、アングラ女優として活躍。その後、「別嬪倶楽部」「素面共済会」を経て、庶民的な役柄を中心に演ずる。現在は「浪花人情紙風船団」を主宰。『大奥』『必殺! III 裏か表か』『あまろっく』といった映画をはじめ、 NHK連続テレビ小説から民放各局のテレビドラマまで多数出演している。

福田善晴(役/西経寺住職)

関西を中心にテレビ、映画へ出演。舞台俳優としての顔も持つ。

(以上俳優のプロフィールはWikipediaから一部を転載・改稿掲載)

『侍タイムスリッパー』レンタル・配信先情報

2024年10月現在劇場公開中につき、レンタル・配信サービスは未定、不明です。

 








コメント

  1. モスラの息子 より:

    2回観ました。今後もまた、観るかもしれない。
    ショートケーキのくだりは泣きますね。それとあの「静寂」は、映画館でなければ味わえないもの。あの時、観客は「一つ」になってた。この感覚を味わうためだけでも、劇場で観るべき。

    怪獣映画と時代劇は日本の宝であり、大切にすべきもの。去年の『ゴジラ-1.0』から始まって今年は『SHOGUN 将軍』そして『侍タイムスリッパー』。
    良い波が来てます。このまま行け!

    • タク タク より:

      こんにちは。おっしゃる通り、静寂もいい映画でしたね。
      劇中劇で時代劇を取り上げるスタイルを取ったことで、時代劇をあまり観ない客層にもそのよさを伝えているように感じました。

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