映画『マジェスティック』ネタバレ解説あらすじから感想評価まで。フランクダラボン×ジムキャリーの贈る心のリボーンストーリー

ヒューマン・ハートフル

『マジェスティック』ネタバレ解説〜小さな町と大きな奇跡のリボーンストーリー

こんにちは!映画好き絵描きのタクです。今回取り上げる映画は『マジェスティック』。フランク・ダラボン監督の2001年公開アメリカ映画です。

フランク•ダラボン監督って、駄作がないですよね。

『ショーシャンクの空』のような「オススメムービーベストテン」にほぼランクインする作品から、感動大作『グリーンマイル』、さらには賛否両論ホラーの『ミスト』まで、守備範囲も広いです。つぎはどんなストーリーで驚かせてくれるの??って感じの監督さんです。

『マジェスティック』は、そんなフランク•ダラボン監督が、ジム•キャリーを主演に迎え、第二次大戦後のアメリカに吹き荒れた赤狩りレッドパージと、戦争後遺症に悩む小さな町を舞台に作った、小さな町と人々の再生物語です。そんなリボーンムービーをレビューします。(※当記事にはネタバレが多く含まれますので、ご注意ください)

『マジェスティック』解説〜どんな映画?

『マジェスティック』のテーマは、「信じる力の偉大さ」、そして時代とともに変わってゆくもの、変わらないものはなんなのか?という問いでしょう。

ちなみに『マジェスティック』とは、劇中、舞台の一つとなる映画館の名前ですが、直訳すると「威厳のある」「堂々とした」「偉大な」という意味があります。

信じるパワーの偉大さ、人は知らず知らずに誰かの支えになっている…ということを気づかせてくれる映画だと思います。

『マジェスティック』スタッフ・キャスト

監督:フランク・ダラボン

キャスト:ジム・キャリー(ピーター・アプルトン/ルーク・トリンブル)

マーティン・ランドー(ハリー・トリンブル)

ローリー・ホールデン(アデル・スタントン)

ジェームズ・ホイットモア(スタン・ケラー)

デヴィッド・オグデン・ステアーズ(スタントン医師)

ルークの生前の声をマット・デイモンがアテています。

『マジェスティック』あらすじは?

舞台はアメリカ。1951年。
自由の国と呼ばれるその国で、自由を奪われた男がいました。

ピーター・アプルトン。

ハリウッドで脚本家として夢を追う青年は、思いがけない過去に足をすくわれます。
学生時代、ほんの気まぐれで参加した反戦集会。それが“共産主義者”の疑いを生み、政府の赤狩りの目が彼に向けられました。

映画はお蔵入り。名前も消され、スタジオとの契約も打ち切りに。
一夜にしてすべてを失った彼は、酒に逃げ、車を走らせ、やがて橋から川へと転落します。

そして目を覚ましたのは、小さな町“ローソン”。
記憶をなくした彼は、自分が誰かも分からないまま、町の人々にこう受け入れられます。

「ルークが帰ってきた…」

ピーターは戦争で行方不明になった若き英雄ルークにそっくりだったのです。

名前と記憶を失い、“ルーク”として生き始める日々。
やがてピーターは、ルークの父が営んでいた映画館「マジェスティック」の再建に心を注ぎます。
そして、映画館は町の人々の思いも受けて再建。スクリーンに灯る映画が、傷ついた町の人々の心を癒し始めます。

しかし、赤狩りの政府公聴会は、ドーソンの町に暮らす、記憶をなくしたピーターを見つけます。

ルークの力で明かりが灯されたかにみえたドーソンの町は?人々は?そしてピーターは?

…というあらすじです。

『マジェスティック』感想です

好きか嫌いか?ジム・キャリー

俳優の好き嫌いって、誰だってありますよね。別に他意はないけど、あの役者さんなら、ゴメン、パスかな…ってヤツです。

ぼく、ジム•キャリーがダメなんです。(ファンの方、ごめんなさい)

理由は分かりません。

元々コメディアン出身で何かと笑かしてくれる映画で地位を築いてますから、その何かを見てツボが合わなかったんだと思います。

なのでこの映画『マジェスティック』も「ジム・キャリー主演かあ、やめとこう…」って避けてました。

ところでフランク・ダラボンは好きでして、「フランク・ダラボン+映画」括りで探してたら『マジェスティック』がヒット。

見始めたらこれがよかったわけです。

派手さはないんだけどじわじわと2時間半、ジム・キャリー・オン・ステージ。素晴らしかったです。やはり食わず嫌いはいけませんね…。

ソワソワし通しなストーリー展開

ハナシは、記憶喪失になった謎の男が町に流れ着いて…って、よくある筋書きなんです。

だけど、町に着いた途端に謎が謎じゃなくなって「行方不明になってたアイツが帰って来たぞ!」と、「とある人物」に置き換えられしまいます。

そして町の人にその「ある人物」として期待されてしまう…

バレたらヤバいだろ、って見てる方はソワソワと引っ張られます。

そのたなごころ効かせ練った脚本もさることながら、ルーク=ジム・キャリーの複雑な心境の見せ方まで、うまいんです。

ぼくはあっという間に、ルークを迎え入れるドーソンの町の住人に仲間入りしていました。

感情移入のさせ方=演出の波の作り方が上手なんだと思います。

そしてもう一つ、ドーソンの町の人々のキャラクター設定が、ヨイのです。

キャラ立つドーソンの町の人々

ルークに主に絡んでくる大事なキャラの町医者スタントン、そしてその娘のヒロイン、アデル。この2人は物語の良心ですよ。

また、ルークを昔からいけすかないヤツと思っていた戦傷で義手となった同級生の存在。彼がまたいいスパイスを効かせてます。

書き出したら止まらないほど、皆、キャラが立っています。

名シーン連発の『マジェスティック』

最近、歳をとったせいか「名シーン」にやたらとトリハダが立つようになってきました。

歳をとると涙もろくなる…という、アレでしゃうか?

誰かその謎解き明かしてほしいものですが、『マジェスティック』はそんな名シーンが連発なんです。

一つ一つ挙げていればキリがないので3つだけ書きます。

1つ目、『キスシーン』♡

ルークとアデルのキスシーンの美しさは、ルーク、すなわち映画の脚本家ピーターが撮りたい心象を代弁させたんだと思います。

映画に「美しいキスシーン」を「復権」させたといってもいいくらいです。

2つ目、『即興ピアノ演奏シーン』♩

ふと流れ出す音楽がドラマと噛み合ってシーンを盛り上げるテは、感動を生み出す映画というエンタメの必殺技のひとつです。

ドーソンの町の人たちがセッティングした『ルーク帰還祝賀パーティー』で、壇上に上げられたルークが、かつては上手だったピアノの演奏をリクエストされるシーンがあります。

もちろんここでも映画を観ているぼくはソワソワし始めるんですが、「そうくるか♩」という見事なシーンに展開していきます。そのピアノ演奏が町の人々を一つにまとめていく…。そしてそれだけではない意味がそのシーンには込められていだことがクライマックスでは明かされる、ダブルの仕掛けを組み込んだ名シーンだと思います。

3つ目『赤狩り聴聞会演説シーン』

マッカーシズムで共産党員の濡れ衣着せられたポールはクライマックスで聴聞会に召喚されて、ウソ八百のシナリオを読むことを強制されます。しかしドラマは聴聞会が用意したシナリオ通りにはなりません。

このシーンでのポールの演説もまたトリハダ必至の名シーンだと思いました。

どんな演説なのか?

ネタバレになりますが、あえて書いておきましょう。

それは戦争において戦地に赴いた若い兵士が、何を思って死んでいったのか?を語るシーンです。

「国を思う若者たちがどんな思いで死に向かっていったのか?彼らが命をかけた国になっているのか?答えはノーだ。」

と、ポールは語り、その時々で都合いいようにふらつく政治、そして国への強烈なパンチシーンとなっています。

まとめ『マジェスティック』は、町と人の再生物語

映画のタイトルにもなっているマジェスティックとは、映画館の名前なのです。

シアターマジェスティックは、ボロボロの廃墟寸前の姿で登場するんですが、その昔、実は町の人々の心のシンボルでもあったんですね。

それがピーター=ルークの思いつきで、町の人たちをも巻き込んで、町が再生していく。それが一つのうねりとなっていくところは物語の大事なポイントになってるんですが、見落としちゃならないのが、町の人々の「心」の再生と、ルークの関係です。

第二次世界大戦で子どもたちを戦地で失った年老いた親世代、そして傷ついて帰ってきた若者。そんな彼らのコンプレックスを、降ったように現れたルークが、まるでかさぶたのようになり癒します。

そして、癒した後、赤狩り聴聞会召喚というネタバレの手がピーターに及び、ルークというかさぶたは、ポロリと剥がれ落ちてしまいます。

町の人々は、その時、癒してもらったことに気づかずに剥がれ落ちた「かさぶた」にばかり目が行って、騙されたと思ってしまう。

ある意味、ルークというかさぶた役割を終えたピーターは、クライマックスの赤狩り公聴会召喚で、今度はアデルの渡してくれたとあるものによって、新たな形でリボーン再生するんです。

まるでキズからかさぶたが落ちてキレイな肌に生まれ変わったかのように。

ドーソンの人々のキズ、そしてピーターのキズがクライマックスで二重らせんを描くように再生する様子には、ホントに拍手喝采です。

ただ、この映画はアメリカ映画です。

1950年代のマッカーシズムとも言われている赤狩りの時代、そして第二次世界大戦に勝ったとはいえ、大勢の若者たちを戦地で失ったアメリカ人のスタンスが、映画のベースにはあります。

そのベースには日本人のぼくらには分かり得ない地層みたいなのがあると思います。

ぼくは、『マジェスティック』を、純粋に一本のエンターテイメントとして楽しみ、感動をもらえました。

しかし、アメリカ人がこの映画を見るときの感動とは、多分どこか違うものなのかもしれない…という寂しさも残りました。

『マジェスティック』ぼくの評価は?

『マジェスティック』、ぼくの評価は星四つ🌟🌟🌟🌟です。

いい映画をありがとうございました。

ちなみに、「アメリカの憲法では何人も言論の自由、表現が保障されている」というようなことが映画で話されます。

でも、共産主義国家ロシアの憲法でも次のように、条文があるそうです。

「何人なんぴとも思考と言論の自由を保障される」(第29条第1項)

「検閲は禁じられる」(第29条第5項)

そう記されていると知ってる人、あまりいないのでは??

今のロシアで、この憲法のお約束を言葉どおりに受け止めるロシア国民は、ほとんどいないようです。

この映画で暗に言いたかったのは、

「国というのは時として憲法解釈を都合よく変えて国民に脅し騙してくるものだ。気をつけなよ」ということでもあったと、ぼくは思っています。

そんなことも記しておきますね。

 

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