『イノセンツ』考察|あらすじネタバレ評価〜北欧版童夢解説

スリラー・SF・アクション

こんにちは、映画好き絵描きのタクです。今回レビューする映画は、ノルウェー制作のサイキックスリラー『イノセンツ』です。




北欧産映画です。子供達が主人公のサイキック系スリラーですが、その怖さは派手な怖さではなく、静かにじわじわ忍び寄るような恐怖感です。

大友克洋『童夢』に影響を受け作られたと言われる、キッズサイキックスリラー『イノセンツ』をレビューしてみます。



『イノセンツ』予告編




『イノセンツ』解説

解説を「映画.com」さんから以下、転載します

退屈な夏休みに不思議な力に目覚めた子どもたちの遊びが、次第に狂気へと変わっていく姿を、美しくも不気味に描いたノルウェー製のサイキックスリラー。

ノルウェー郊外の住宅団地。夏休みに友人同士になった4人の子どもたちが、親たちの目の届かないところで隠れた力に目覚める。子どもたちは近所の庭や遊び場で新しい力を試すが、やがてその無邪気な遊びが影を落とし、奇妙なことが起こりはじめる。

監督は、「わたしは最悪。」でアカデミー脚本賞にノミネートされたエスキル・フォクト。ヨアキム・トリアー監督の右腕として、同監督の「母の残像」「テルマ」「わたしは最悪。」で共同脚本を務めてきたフォクトにとって、自身の監督作はこれが2作目となる。撮影を「アナザーラウンド」「ハートストーン」など北欧映画の話題作を多数手がけるシュトゥルラ・ブラント・グロブレンが担当。




『イノセンツ』スタッフ・キャスト

スタッフ

監督:エスキル・フォクト 製作:マリア・エケルホフド 脚本:エスキル・フォクト 撮影:シュトゥルラ・ブラント・グロブレン 美術:シモーネ・グラウ・ロニー 音楽:ペッシ・レバント

キャスト

ラーケル・レノーラ・フレットゥム(イーダ)/アルバ・ブリンスモ・ラームスタ(アナ)/ミナ・ヤスミン・ブレムセット・アシェイム(アイシャ)/サム・アシュラフ(ベン)/エレン・ドリト・ピーターセン(アンリエッタ)ほか



10秒でわかる『イノセンツ』あらすじ

1.とある団地に暮らす女の子イーダには自閉症の姉アナは、手を触れず物を動かすことができる少年ベンと知り合う。

2.ベンは次第にその力で周囲をコントロールし始めるが、心を読める力を持つ女の子アイシャがベンの力を遮ろうとする。

3.アイシャが邪魔になったベンはアイシャの母の心に入り込み、刺殺、暴走を始める。

4.アイシャやベンのサイキックパワーに共鳴していたアナは妹イーダと共に、暴走するベンを止めるべくサイキック戦が始まる…。

…といったあらすじです



『イノセンツ』の意味は?

「イノセンツの意味?そんなの知ってるよ」と言われそうですが、改めて『イノセンツ』の意味を分厚い辞書で調べてみました。(ネット辞書よりも凡例が多いので)

innosentは形容詞で「純真な・天真爛漫な・あどけない・無分別な」といった訳語が出てきます。

これがイノセンツと複数形担っていますから名詞と考えると「潔白な人・罪のない人・無邪気な幼児・ばか・知恵のない人」が出てきました。

映画のタイトル『イノセンツ』は察するに『無邪気な幼児たち』がハマる感じがします。



『イノセンツ』考察

子供の無邪気さって残酷だ

『イノセンツ』の冒頭、幼いイーダが子死にかけてるみみずを足で踏みつけます。そのシーンは、誰もが子供時代に経験した子供ならではの無慈悲な行為です。

この子供ならではの無邪気な残酷さは、映画中盤でのベンの猫を踏み殺すシーンにも繋がります。

観客は「おいおい…」と眉をしかめると思いますが、しかし、どこか心の奥底から頭をもたげる無邪気で残酷な幼児体験に気づくのです。

少なくとも、ぼくはそうでした。

 

「イノセント」には潔白な、という意味があると書きましたが、この「潔白」とは、「無実の証明としての潔白」ではありません。

幼い子供は、やることなすことに罪の意識がありません。そういう意味での「潔白」です。

ぼく自身、幼かった頃を思い出してみても、そうでした。今にして思えば結構オイオイ!ってことしてたけど、罪の意識なんてなかった。

誰でもそうだと思います。大人としてアウトなことも平気でして、でも、そこには罪の意識ってなかったと思います。

(人間って、社会生活を重ねていく中で、何が罪なのか、何がいけないことなのかを知っていきますよね。幼児時代はその前の段階ですから、オッケーなんです、、、と、自己擁護。)

『イノセンツ』は、今まですっかり忘れていた幼児の頃の残酷さを思い出させてくれたのです。

 

だからこの映画はホラーではあるけれど、同時にアート作品だとも感じました。

 

なぜなら、アートって、「気づいていなかったことに立ち止まらせるパワーを持ったもの」であるからです。




自閉症のアナはなぜアイシャとベンに感応したのか?

『イノセンツ』に登場するのは3人の幼い子供=イーダとベン、アイシャ。そしてイーダの姉=自閉症で言葉が喋れない多分中学生くらいの女の子のアナです。

ベンとアイシャはそれぞれサイキックな能力を持っています。イーダと姉のアナは次第にベンとアイシャのサイキックな能力に感応していきます。中でもアナの感応力がストーリーの後半の柱にもなっていきます。

なぜアナがそれほどまで感応するのでしょうか?

多分にそれはアナの心が社会に閉じてしまっているゆえ、幼児が本来持っている精神のまっさらさがずば抜けている、、、という設定=理由なのでは?と思います。

要は、心に全く垣根がない。

だからすぐに感応してしまうんだな、とぼくは感じていました。




「イノセンツ:無邪気な幼児」は、潔白な精神ゆえに共鳴する

ネタバレになりますが、ラストのアナとイーダ対ベンの静かな戦いのシーンでは、団地の子供達がロングで映し出されます。

この子供達はアナの心に感応していることが暗にわかります。

このことからも、子供たちの心の感応力を表しているわけです。




子供には論理がない。

子供時代当たり前に持っていた無邪気さですが、成長するにつれ、それらって消えていきますよね。

では、幼児の無邪気さを消していくものって、なんでしょう?

それは、友達との関係性や社会生活、教育を通して次第に備わっていく、論理思考だったり道徳観念だったりでしょう。

子供には、論理がないんです。

その怖さを上手にホラーとして結びつけたのが『イノセンツ』のような気がします。



『イノセンツ』をさらに楽しむ、もう一つの考察

ぼくのこの記事に、くさかつとむさんが独自の考察を寄せてくれました。

映画をさらに深く楽しめるコメントですので、以下に転載しますね。(本人了解済みです)

「私が一点象徴的なシーンとして挙げたいのは、初めてイーダがベンのサイコキネシスの能力を見たときに、自分の腕の関節の柔らかさを自慢するところです。通常私たちのような「大人」はサイコキネシスは超常的な能力として捉えるものですが、イーダやベンといった子供はその無垢(イノセント)故に同じような身体的特徴の延長として描いているところが上手いなと思いました。ベンやイーダはサイコキネシス、テレキネシスといった特殊な能力を持ったが故に、その能力の暴走やそれを止めるバトルになり、ここが映画のエンタメ部分になると思うのですが、実はよく考えると人より力が強い、背が高いなどの身体的比較の優劣によって子供たちの間で「けんか」や「いじめ」が起きたり、長じて大人になっても今度は経済的な優劣や地位の上下などで生じる軋轢や、それによる他者を傷つけたり攻撃したりしてしまうことの比喩にもなっているのかな、なんて思いながら観ました。」

くさかさんの指摘した「関節を曲げるシーン」は、実にさりげない、だけど奇妙なシーンです。

そのワンカットが『サイキックパワーを身体的特徴の延長として捉えている』と理解できると、子供たちのドラマがいっそうハッキリしてきます。

『イノセンツ』感想です

『イノセンツ』は『童夢』へのオマージュ?

『イノセンツ』を観て、ある日本の漫画を思い出していました。

それは大友克洋の『童夢

でした。子供のサイキックパワーを描いた漫画です。かつてぼくの本棚にもありましたが、1980年代に書かれた漫画だと思います。

その漫画表現にぼくはかつてなかった衝撃を受けました。

その後の表現カルチャーに影響を与えた漫画だけに、『イノセンツ』の監督は『童夢』へのオマージュとして作ったのではないか?とも思えました。

…と思ってネットをクリックしたら、やっぱりそうだったようです。(随分SNSで話題となっていた模様)

大友克洋の『アキラ』にノックダウンさせられた監督が、他の大友作品を探して出会ったのが『童夢』だったようですね。『童夢』をリアルに楽しんだ世代として、なんだかとても嬉しくなりました。

ですが、『イノセンツ』のサイキックバトルシーンには、『童夢』に描かれるバイオレンス感はありません。

サイキックパワーが使われるシーンの表現が静かです。でも、その静けさと唐突さがオリジナリティを出しています。

静けさと唐突さ」が映画のウリです。じつーにキリッと全体を引き締めていました。




結末ラストへの感想〜ネタバレ閲覧注意

ここからはネタバレになりますので、映画を観る方はご自身の判断でお読みくださいね。

クライマックスはアナ&イーダとベンのサイキック戦です。

サイキック戦と書きましたが、ド派手なVFX表現は一切使われません。

代わりに使われいるのは、抑えのきいた静か〜〜な演出です。

アナとイーダの心に感応した団地の子供達(ロングでカメラにとらえられてる=表情わからないくらい、ロング)、そんなことには全く感応しない大人たちの対比が見事です。

その対比を、平和な公園の日差しを生かした演出が、『イノセンツ』を一級品のサイキックホラーに仕上げているなあ、と感じました。




『イノセンツ』ぼくの評価は?

レビューの中で、何度か「サイキックホラー」と書いてきましたが、ホラーというよりも、「子供ならではの説明できない心のうちを描き出したサイキック心理ムービー」と紹介した方がいいように感じています。

サイキックな映画は多いですが、子供の心理を上手に表現してくれた映画ってなかったように思います。そのオリジナルなトーンに星四つです。

大人のホラー、スリラーを楽しみたい方におすすめしたい一本です。

そうそう、映画チラシのデザインですが、表、裏ともにめちゃくちゃ素敵でした。デザイナー氏に星五つです!





『イノセンツ』配信・レンタル情報

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コメント

  1. くさかつとむ より:

    タクさん、素晴らしいレビュー、一つ一つ頷きながら拝読しました。
    私が一点象徴的なシーンとして挙げたいのは、初めてイーダがベンのサイコキネシスの能力を見たときに、自分の腕の関節の柔らかさを自慢するところです。通常私たちのような「大人」はサイコキネシスは超常的な能力として捉えるものですが、イーダやベンといった子供はその無垢(イノセント)故に同じような身体的特徴の延長として描いているところが上手いなと思いました。ベンやイーダはサイコキネシス、テレキネシスといった特殊な能力を持ったが故に、その能力の暴走やそれを止めるバトルになり、ここが映画のエンタメ部分になると思うのですが、実はよく考えると人より力が強い、背が高いなどの身体的比較の優劣によって子供たちの間で「けんか」や「いじめ」が起きたり、長じて大人になっても今度は経済的な優劣や地位の上下などで生じる軋轢や、それによる他者を傷つけたり攻撃したりしてしまうことの隠喩にもなっているのかな、なんて思いながら観ました。

    こんな子供たちの世界を描いた作品で、最近のもので思い出したのが邦画ですが「雑魚どもよ、大志を抱け!」です。テイストはまったく違いますが、子供たちの視点での世界が垣間見れるところは共通するかもと思いました。ちなみにこの映画の監督は足立紳さんで、「笑いのカイブツ」「百円の恋」の脚本や、NHKの朝ドラの「ブギウギ」の脚本を書いた方です。

    • くさかつとむ より:

      すいません、訂正。特殊な能力を持ったのはイーダではなく「アナ」でした。

    • タク タク より:

      くさかつとむさん、別視点の感想をありがとうございます。とても深い論考になるほど、と、納得しました。もし差し支えなければ、ブログ記事内に「コメントから転載」という形で掲載させてもらっても良いでしょうか?

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