『さらば愛しきアウトロー』ネタバレ実話・あらすじ・考察|ロバート・レッドフォードと「永遠の少年」トム・ソーヤー
こんにちは!映画好き画家のタクです。
今回レビューする映画は、ロバート・レッドフォード主演『さらば愛しきアウトロー』。
2018年公開のアメリカ映画です。上映時間は93分。
長尺の映画が多い中、いいですね、この一時間半は!
主人公は、実在した銀行強盗フォレスト・タッカー。
老人でありながら銀行強盗を繰り返し、しかもその犯行ぶりはどこか紳士的。そんな不思議な男をロバート・レッドフォードが、なんとも渋く、なんとも楽しそうに演じています。
相手役のシシー・スペイセクも、とーってもいい味を出しています。
しかし、ぼくがこの映画を大好きになった理由は、「老いた名優が演じる実話犯罪映画」だからではありません。
それは、この映画の中に、ひとりの少年を見つけたからです。
少年の名前は、トム・ソーヤー。
そして映画を観終えたとき、フォレスト・タッカーだけでなく、ロバート・レッドフォード自身もまた、心のどこかに少年を住まわせ続けてきた人なのではないか。
そんなことを思いました。
ここからは実話、ネタバレあらすじ、キャスト、そしてぼくなりの「現代のトム・ソーヤー考」まで、『さらば愛しきアウトロー』をじっくり読み解いていきます。
『さらば愛しきアウトロー』は実話?フォレスト・タッカーとは何者だったのか
『さらば愛しきアウトロー』(原題:The Old Man & the Gun)は実話をもとにした映画です。
アメリカに実在した銀行強盗フォレスト・タッカーをモデルにしています。
彼は、ただの銀行強盗ではありません。
少年時代から犯罪と脱走を繰り返し、刑務所から何度も逃げ出した「脱獄の名人」でもありました。
映画の原案となったのは、ジャーナリストのデヴィッド・グランが2003年に『The New Yorker』誌へ発表した記事「The Old Man and the Gun」です。
実在のタッカーは15歳のころから脱走を始め、サン・クエンティン刑務所から仲間と手製の船で脱走したこともあります。
そして驚くべきことに、70代になっても銀行強盗をやめませんでした。
「老いてなお現役」。
なんとも映画向きの人生です。
映画のタッカーは、とてもチャーミングなアウトローとして描かれています。
ただし、ここ、忘れていけないところですが、実在の人物である以上、その犯罪によって恐怖を感じた人がいたはずです。
また実在のタッカーには家族があり、長い犯罪人生の陰で傷ついた人たちもいました。
つまり『さらば愛しきアウトロー』は、実在のフォレスト・タッカーをそのまま再現した伝記映画ではありません。
実在の人物から「自由を求め続ける男」という部分を取り出し、ロバート・レッドフォードという俳優の人生まで重ね合わせた、ひとつの映画的寓話だ、と、ぼくは思います。
『さらば愛しきアウトロー』作品情報・キャスト
原題:The Old Man & the Gun
公開:2018年
監督・脚本:デヴィッド・ロウリー
撮影:ジョー・アンダーソン
編集:リサ・ゼノ・チューリン
音楽:ダニエル・ハート
上映時間:93分
主なキャスト・登場人物
フォレスト・タッカー/ロバート・レッドフォード
70代になっても銀行強盗を続ける主人公。武器以上に笑顔と話術を使う、不思議な魅力を持った老人。
ジュエル/シシー・スペイセク
タッカーが逃走中に出会う女性。タッカーと穏やかな時間を過ごし、やがて彼にとって大切な存在になっていきます。
ジョン・ハント刑事/ケイシー・アフレック
タッカーを追う刑事。追う者と追われる者でありながら、やがて二人の間には奇妙な共感のようなものが生まれていきます。
テディ/ダニー・グローバー
タッカーとともに銀行強盗を行う「黄昏ギャング」の仲間。
ウォラー/トム・ウェイツ
同じく黄昏ギャングの一員。名優たちが並ぶだけで、もう嬉しくなってしまう配役です。
『さらば愛しきアウトロー』あらすじ・ネタバレ
1981年。
70代のフォレスト・タッカーは、今日も銀行へ入ります。
しかし彼の銀行強盗は、ぼくらが「銀行強盗」という言葉から想像するものとは、かなり違っています。
怒鳴らない。
暴れない。
むやみに銃を振り回さない。
むしろ笑顔で銀行員に話しかけ、静かに金を持ち去っていくのです。
逃走途中、タッカーは牧場で暮らすジュエルという女性と出会います。
二人は意気投合。
タッカーは彼女に惹かれていきます。
一方、タッカーはテディ、ウォラーという高齢の仲間たちと銀行強盗を繰り返していました。
いつしか彼らは「黄昏ギャング」と呼ばれるようになります。
捜査に乗り出したのが、ジョン・ハント刑事。
調べれば調べるほど、この老人が普通の犯罪者ではないことがわかってきます。
少年時代から続く犯罪歴。
何度もの脱獄。
そして何より、金そのものよりも「銀行を襲うこと」を楽しんでいるように見える。
やがてタッカーは逮捕されます。
しかし服役を終え、ジュエルとの穏やかな生活を手に入れたはずのタッカーは、それでもじっとしていられません。
彼は再び電話を取ります。
電話の相手は、かつて自分を追い続けたハント刑事。
そしてタッカーは、また銀行へ向かうのです。
感想|『さらば愛しきアウトロー』はレッドフォードからのプレゼント
心根マイルドなワル讃歌
銀行強盗が主人公の映画。
そう書くと、ドンパチ激しい犯罪アクション映画を想像するかもしれません。
しかし、『さらば愛しきアウトロー』は違います。
世紀の二枚目俳優ロバート・レッドフォードが、老いを隠すどころか逆手に取り、演じたフォレスト・タッカー。
これがもう、映画を観ているぼく自身さえ惚れてしまうような魅力なのです。
もちろん銀行強盗は犯罪です。
そこを美化してはいけません。
でもこの映画が見つめているのは、「犯罪者としてのタッカー」だけではないように思います。
この人はなぜ、こんな年齢になってまで銀行へ向かうのか??
そこに、この映画の面白さがあります。
フォレスト・タッカーの仕事観
おおかた、大人ならば、世間の誰もが「仕事」を持っていますよね。
仕事が楽しいかどうかはひとまず脇に置いて、「やっていて楽しいことに仕えるのが仕事だ」と仮定するならば、タッカーにとって「やっていて楽しい仕事」が、銀行強盗だったのです。
もちろん、それって、社会的にも道義的にも、法律的にも間違っています。
だって、「人様のものを強いて盗む」のはどう考えても反社会的行為だもの。
銀行強盗を認めているわけではありません。
そこを一旦脇に置いて映画の中のタッカーを見ていると、彼が銀行強盗を繰り返す根っこには、子供が楽しいことやスリルに夢中になるのと似た感覚があるように思えてきます。
少年院時代から逮捕と脱獄を繰り返してきたタッカー。
世間的に考えるなら、間違いなくワルです。
でも、ほら。
ぼくらの周りにもいるじゃないですか。
ワルでもイイヤツ。
優しいヤツって。
『さらば愛しきアウトロー』にあふれる幾つものラブ
シシー・スペイセク演じるジュエルに想いを寄せるタッカーの物語が、映画のかなりの部分を占めています。
二人の会話とタッカーの表情からは、ワルの片鱗がほとんど見えません。
ジュエルに向けるタッカーの視線からぼくが感じるのは、とてもナチュラルな愛です。
だからぼくは、
『さらば愛しきアウトロー』は、純粋な大人のラブストーリーなのだ。
と思っています。
でも、この映画に描かれる「ラブ」は、ジュエルへの愛だけではありません。
「君はどう生きるか?」
そんな問いに対する愛ある答えも、この映画には含まれています。
そして、ぼくが大好きなのが、タッカーを追うハント刑事とその妻、そしてタッカーとジュエルがダイナーで接近する場面。
観ているこちらは、
「タッカー、こりゃ逃げるか?? クライマックスか???」
と思います。
ぼくは思いました(笑)。
ところが、さにあらず。
タッカーはハントに声をかけます。
このシーンには、いくつものラブがあります。
ハント刑事が妻へ寄せる愛。
タッカーがジュエルへ寄せる愛。
そしてもうひとつ。
追う男と、追われる男。
タッカーとハントという二人の人生が偶然交差したことへの、奇妙な愛です。
さらに、その場面そのものを楽しんでいる、映画製作者から観客へのラブ。
そしてぼくには、ロバート・レッドフォードから長年自分の映画を観続けてくれた観客へのラブまで、そこに重なって見えました。
ラブ丸出しなのです。この映画。
原題『The Old Man & the Gun』がくれる別の視点
原題は『The Old Man & the Gun』。
直訳すれば「老人と銃」。
このタイトルを見たとき、ぼくはどうしても、ある文学作品を思い出してしまいます。
ヘミングウェイの『The Old Man and the Sea』。
そう、『老人と海』です。
では『The Old Man & the Gun』は『The Old Man and the Sea』へのオマージュなのか?と言うと、はっきりそうは言い切れない。。。
『The Old Man & the Gun』という題名が『老人と海』への直接的なオマージュである、とは、ぼくは確認できませんでした。
でもね、映画を観たあとでは、この二つを並べて考えたくなってしまうんです。
『老人と海』では、老いた漁師が巨大なカジキと格闘します。
老人にとっての海はカジキとも言えます。
ではタッカーにとっての「Gun=銃」とは何なのか?
劇中の彼を見ていると、銃そのものより、笑顔や話術、人を惹きつける魅力こそが彼の最大の武器だったように思えます。
そう、「銃」を「武器」と置き換えるとすっきりときます。
「あなたにとっての武器は何ですか?」
そう聞かれたら、あなたはなんと答えるでしょう。
技術かもしれない。
経験かもしれない。
もしかすると、「笑顔です」と答える人もいるかもしれない。
その人が人生の中で身につけてきた「人となり」も武器なんですね。
そんなふうに原題を眺めてみると、『さらば愛しきアウトロー』は、ロバート・レッドフォードが映画人として積み重ねてきた「なり」を「映画」という形で包んだ、観客へのラブレターのようにも思えてくるのです。
『さらば愛しきアウトロー』と「トム・ソーヤーの冒険」
さて。
ここからは、完全にぼく自身の映画考察です。
そして、ぼくがこの映画を五つ星にした理由のかなり大きな部分でもあります。
映画を観ていて、ぼくはあることに気づきました。
「これ、トム・ソーヤーじゃないか?」
と。
その瞬間、フォレスト・タッカーという老人の中にいた「少年」を見つけたような気がしました。
そして同時に、タッカーを演じるロバート・レッドフォードの中にも、ずっと消えずにいた少年性を探し当てたような気がして、なんだか嬉しくなったのです。
映画を観た直後、ぼくは思いました。
「『トム・ソーヤーの冒険』、今、読まなきゃ後悔する!」
そして本棚の奥にあった『トム・ソーヤーの冒険』を探し出し、読み直しました。
以下は、映画製作者が公式に語った「正解」ではありません。
あくまで、映画を愛したひとりの観客としての、ぼくの「トム・ソーヤー考」です。
壁を塗る少年たちへ託されたもの
映画冒頭。
タッカーが銀行へ入っていくシーンがあります。
そこでほんの一瞬、ペンキの缶と壁塗り用の長い柄のハケを持った少年たちが画面を横切ります。
そして壁を塗ろうとする。
そこでカットが変わります。
この「ペンキと壁塗り」。
『トム・ソーヤーの冒険』を知っている人なら、ピンと来ませんか?
物語の中でトムは、板塀を白いペンキで塗る仕事を言いつけられます。
もちろん、そんな単調な仕事はやりたくない。
そこでトムは知恵を働かせます。
壁塗りをまるで特別で楽しい遊びであるかのように振る舞い、周囲の少年たちに「そんな楽しそうなことなら、自分にも壁塗りやらせてくれ」と言わせてしまうんですね。
トムの取った行動は、大人の言葉で平たく言えば「悪知恵」でしょう。
でも、そこにあるのは同時に、少年の遊び心です。
そう考えた瞬間、ぼくにはフォレスト・タッカーが、年老いたトム・ソーヤーに見えてきました。
笑顔と話術で相手の心を動かし、自分自身が何よりその「ゲーム」を楽しんでいる。
タッカーの中には、年を取ることを拒否した少年がいる。
いや。
肉体は老いても、少年だけはずっと残っていた。
ぼくにはそう見えてしょうがなかったのです。
「チャプチャプ号」はトムとハックのイカダだ
そしてもうひとつ。
タッカーが過去に何度も脱獄していたことを示す場面があります。
その中に、脱獄に使った手製の船が登場します。
どう見ても、その船は、大人が人生を賭けた脱獄のために作った船というより、子供が夏休みに夢中になって作った秘密基地のようなシロモノ。
先ほどの壁塗り少年を見たあとだったこともあって、ぼくの頭にはすぐにトムとハックが浮かびました。
「これ、トムとハックのイカダじゃないか」
と。
脱獄。
冒険。
手作りの船。
自由への憧れ。
タッカーにとって刑務所から逃げることは、単に「捕まりたくない」ということ以上の何かだったのではないでしょうか。
塀の向こうには、まだ知らない世界がある。
だったら行ってみたい。
この単純極まりない衝動。
それこそ少年の冒険心です。
ジュエルはトムの恋したベッキー
そして極めつけは、タッカーがジュエルへ抱く淡い想いです。
『トム・ソーヤーの冒険』では、トムがベッキーに少年らしい恋をします。
ジュエルとタッカーの老人らしい恋――失礼!(笑)――をスクリーンで観て感じる微笑ましさと切なさ。
ぼくには、それがトムとベッキーのやり取りを読んだときに感じるものと、どこか重なって見えました。
好きな人の前では、いくつになっても人間は少年になり、少女になる。
タッカーがジュエルを見る顔は、「伝説の銀行強盗」の顔ではありません。
ひとりの少年の顔なのです。
ロバート・レッドフォードの中にも「少年」がいた
ここまで来ると、ぼくにはもうフォレスト・タッカーだけの話とは思えません。
タッカーを演じているロバート・レッドフォード自身が、21世紀を生きたトム・ソーヤーのように見えてくるのです。
レッドフォードは本作公開前、この作品を最後に俳優業から退く意向を語りました。
その後、自ら「引退について話したのは間違いだった」という趣旨の発言もしています。
だから、この映画を厳密に「レッドフォード最後の出演作」と断定する必要はないでしょう。
でも、ですよ、長い映画人生を歩んできた男が、80歳を超えてなお、こんなにも楽しそうにアウトローを演じている。
その事実だけで十分です。
『明日に向かって撃て!』や『スティング』でスターの仲間入りをし、
そしてサンダンス映画祭を通じて、新しい映画人たちを支え続けてきた人生。
ロバート・レッドフォードは、既存の枠の外へ行こうとする人に見えて仕方ありません。
新しい場所を探し、安全な場所に悠々と座ってなどいられない。
そんなふうに見えるレッドフォードの人生そのものに、ぼくは「少年」を感じます。
だからこの映画を観て、タッカーの中のトム・ソーヤーに気づいたとき、ぼくは嬉しかったのです。
ロバート・レッドフォードの中に、ずっと生き続けてきた少年を見つけたような気がしたから。
それが、ぼくがこの映画を愛している大きな理由です。
映画と実話の違い|自由に生きることには影もある
ただし、繰り返しになりますが、ここでひとつだけ忘れたくないことがあります。
実在したフォレスト・タッカーの人生は、映画ほどロマンチックなものではありません。
犯罪を繰り返したことで、当然ながら周囲には傷ついた人がいました。
彼を待ち続けた家族もいました。
だから「好きなことをやり続けた自由人」とだけ受け取ってしまえば、実在したタッカーの人生の半分しか見ないことになります。
それでも映画は、彼の人生から「自由を求め続ける心」を拾い上げました。
ここが、映画というものの面白さだとぼくは思います。
事実をそのまま並べるのではなく、ひとりの人間の人生から何かをすくい上げ、別の角度の光を当てる。
すると、その光の中に、ロバート・レッドフォード自身の人生まで重なってくる。
だから『さらば愛しきアウトロー』は単なる実話犯罪映画ではなく、「人はどう生きるのか」を描いた映画になったのではないでしょうか。
『さらば愛しきアウトロー』心に残ったセリフ
この映画には、ぼくの心をつかんだ言葉があります。
ジュエルとの会話の中でタッカーが語る、
「今の自分を、子供だったころの自分が見たら誇りに思うだろうか?」
という問いです。
これですよ。
ここにも「少年」がいる。
人は歳を取ります。
仕事をする。
家族を持つ。
失敗する。
何かを諦める。
でも心の奥には、「こんな大人になりたい」と思っていた子供の自分が、まだどこかにいる。
その子に今の自分を見せられるか??
この問いは銀行強盗であるタッカーだけのものではありません。
ぼくら自身への問いでもあると思うのです。
そしてもうひとつ。
タッカーが求めていたのは「楽な人生」ではなく、「楽しい人生」でした。
だから彼は止まらない。
もちろん銀行強盗をしろ、という話ではありません(笑)。
そうではなく、
自分は何をしているとき、本当に生きていると感じるのか?
その問いだけは、タッカーから受け取ってもいいのではないでしょうか。
『さらば愛しきアウトロー』ぼくの評価
五つ星です。
この評価は変わりません。
実話犯罪映画として観てもいい。
老境のラブストーリーとして観てもいい。
ロバート・レッドフォードという映画人の長いキャリアに思いを馳せながら観てもいい。
でもぼくにとって『さらば愛しきアウトロー』は、
少年の心を持ったまま老人になった男の物語
です。
壁を塗る少年。
手作りの船。
ジュエルへの恋。
笑顔で人を煙に巻くタッカー。
それらをつないだ先に、ぼくはトム・ソーヤーを見つけました。
そして、そのタッカーを演じるロバート・レッドフォードの中にも、同じ少年を見つけた気がしました。
だからこの映画が好きなのです。
映画って、すべからく素晴らしいものです。
それは、人それぞれ違う人生が、それぞれに輝いているように。
そんなことを、この小さな93分の映画から教えてもらった気がします。
こんな素敵な映画をくれたロバート・レッドフォードと製作陣に、ありがとうを伝えたいです。

