安藤サクラ×柄本佑『今日子と修一の場合』評価:星4つ⭐️⭐️⭐️⭐️
今回のムービーダイアリーズのレビューは『今日子と修一の場合』(2013年公開:日本映画)を取り上げます。
『今日子と修一の場合』は、東日本大震災を背景に、故郷の宮城県南三陸町を離れて暮らす男女2人の心の傷と再生を描いたヒューマンドラマです。
実生活では結婚して夫婦となっている安藤サクラと柄本佑がダブル主演です。監督は俳優・映画監督の奥田瑛二。奥田瑛二は安藤サクラの父でもあります。…ということは柄本佑の義理父になりますね。
東日本大震災が大きな意味では映画の背景とはなっていますが、被災地で話が進むタイプの「震災映画」ではありません。
さらに2人は同じ町出身という設定です。しかし知り合いなわけでもありません。
共通しているのは、心に大きく傷を負っているということ。
そんな2人はどこからきてどこへいくのか?ネタバレあらすじから感想までレビューします。
『今日子と修一の場合』解説
題材として2011年3月11日に起こった東日本大震災を扱ったフィクションです。
故郷”が”被災してしまった女と男の物語ですが、二人に関係性はありません。
ぼくが『今日子と修一の場合』を観たきっかけは、シンプルでした。今、個人的イチオシ女優、安藤サクラが出ているから。
初めて安藤サクラ出演作品を観たのは『万引き家族』。その後、『100円の恋』を観て、その演技に惚れ、この映画はぼくにとって3本目のサクラ出演映画でした。
主役の2人のバックボーンが東北・宮城の海辺の町という設定も、映画を見ようと思ったきっかけでした。
期待たがわず、その出身地・南三陸町が、ドラマの深いところで2人の行動に絡んできます。
二人別々の全く関係ないような行動が、観るものにさまざまな問いを残しておわる、オープンエンド=その先はどうなるのか??という構成をとっています。
『今日子と修一の場合』あらすじは?
以下、大雑把なあらすじです。
+ + +
父殺しの過去を負う秀一(柄本佑)は服役後、保護観察のもと、とある町工場で仕事に就く。
町工場の社長は、秀一の他にも少年院上りの若者たちを引き受けている。
町工場でともに働く女性との淡い交流、そして少年院上りの若者たちとの罪への確執が静かに進む。
同時に他の町で別の人間関係がすすむ。
訳ありで田舎から上京した、今日子(安藤サクラ)のドラマだ。
暮らしのためにある男のもとに転がり込んだ今日子は、地震発生のはずみで刺し、死に至らせてしまう。
2人の故郷は宮城の海辺。津波で流されてしまった町だ。
育った町が消え、心に傷を抱えた2人。帰るに帰れない日々の日常が描かれる。
接点が全くない2人の、2つの物語。
その二つのストーリーが、それぞれに進んでいきます。
『今日子と修一の場合』キャスト・スタッフ
スタッフ
監督・企画・脚本 – 奥田瑛二
撮影 – 灰原隆裕
音楽 – 稲本響
キャスト
今日子/演 – 安藤サクラ
東京都内のマンションで一人暮らしをする女性。デリヘル嬢。
今日子の関係者
有賀トオル/演 – 和田聰宏
今日子の恋人。仕事は風俗の仕事を紹介するキャッチ。常に今日子に金を無心する。
保険会社の上司/演 – カンニング竹山
今日子の上司。
修一/演 – 柄本佑
少年刑務所から仮釈放になったばかりの若者。町工場で働く。
修一の関係者
修一の父/演 – 平田満
酔った勢いで妻や修一に対し暴力を振るい、修一により殺される。
修一の母 演 – 宮崎美子
家族想いな性格。震災で行方不明に。
工場の女性従業員/演 – 柴田理恵
工場で働くおばさん。感受性豊かな性格。ケンイチが演奏するピアノのファン。
ミキ/演 – 小篠恵奈
修一の同僚。後から一緒に働くことになった修一を気にかける。
『今日子と修一の場合』感想〜ネタバレあり
以下、感想はネタバレ含みますので、ご注意ください。
震災があぶり出す人間関係
『今日子と修一の場合』、この映画、見終わった後の突き放され感が独特です。
ぼくの心に何が迫ってきて、何が突き刺さったのか?感想として書いてみましょう。
ぼくの観劇後の感想は
「震災をリアルに経験している人間が観るのと、そうでない人では、感じかたが変わってくる映画じゃないかな…」
でした。
震災を体験した人は、当時、見たくもない人間関係を、良きにつけ悪しきにつけ、ぶつけられたと思います。仙台で震災体験をしたぼくもそうでしたし。
震災のみならず、被災経験のある人は、わかると思います。
(震災をキーワードに制作され、別記事で試写会レビューしている映画「最後の乗客」でもそのことに触れています)
そんな覗きたくもない人間関係は、もし、震災が起こらなかったら経験せずにすんだことかもしれません。
もちろん被災地へは支援や温かいヘルプの心もたくさん届けられるのですが、この映画では、そうではなく、災害の場に現れるマイナスベクトルを取り上げています。
被災をきっかけに突きつけられる体験が、人を変えていってしまう…。そんな現実を『今日子と修一の場合』は静かに描いていました。
静けさと当たり前さがスキ
『今日子と修一の場合』でぼくがたまらなく「いいな」と思ったシーンがあります。
一つは、食堂にはいって、ラーメンを注文して啜るシーン。
秀一と町工場の社長が、「普通のラーメン屋」に入り、ラーメンを啜ります。
そんな、なんてことなさすぎのシーンです。
なんだけど、ググググーっと引き込まれてしまった自分に、もう一人の自分が驚いてました。
「当たり前すぎる普通さ」って、実は当たり前じゃなくてスペシャルなことなんだ、奇跡のようなものなんだな、、、とも、感じていました。
『今日子と修一の場合』は全体通して、主役の2人の、激しくも静かな演技とシーンが連なってゆきます。
さらには「殺人」という重いキーワードが主役ふたり=今日子と修一には、ずっしりと大きな岩のように乗っかっているのですが、物語の日常の描写が、逆に重くなく至って静かです。
その起伏は監督の「当たり前は当たり前じゃない」という思いから、反語的に現れた表現なのかな、と、感じていました。
映画では、静けさの中に響く「生活音」にも、しっかりと演技をさせています。
先に挙げた静けさを、ちょっとした音が際立てて波紋を生み出し、映画に独特のトーンを出しています。
この「静けさと音の交錯」が、ぼくは好きでした。
感想・まとめ
『今日子と修一の場合』の二人の主人公の人生を変えたのは、大地震と津波という自然災害がもたらす死と破滅でした。
「人の命を突然消し去る」という意味においては、主人公たちが『殺人』で奪ってしまった命と、自然災害による大勢の人の無慈悲な死は、命が消えたという意味においては、悲しいかな同列です。
『今日子と修一の場合』は、決してハッピーエンドで大団円はない映画ですし、2人のストーリーはラストも絡み合うことがありません。
けれどもぼくは、2人が絡み合わなかったことに、「人間の生きている世界のリアルはこういったものだよ」という説得力を感じましたし、「生きる、って、絡み合わなくたって、それでも捨てたもんじゃないよな」と深い余韻をもらいました。
いや、もしかするとこの先、2人の男女のドラマは、いずれつながるのかもしれません。見事なオープンエンドです。
+ + +
東日本大震災のみならず、突然の自然災害では、否応なく死の影を背負わざるをえなかった、大勢の被災者、またその被災者につながる人たちがいます。
『今日子と修一の場合』は、そんな多くの心に傷を負った人々の「再生への道筋」と、「それでも明日はやってくる」という希望を滲ませた視点を2人に重ねて描いているように、ぼくは感じました。
『今日子と修一の場合』安藤サクラのこと
安藤サクラ、やっぱりすごい、と思っていたら、コマーシャルに出たり、テレビ連作に出演してたり(あまりテレビ観ないので、気がつかなかっただけか…)引っ張りだこです。
でも、でも、わかるなあ。
はるかはるか昔、桃井かおりがスクリーンに登場して一世風靡した時に「なんなんだ、このひとは!」と思った時に似てます。(古くてすいません)
外国の俳優に例えるなら、ロバート・デ・ニーロやダスティン・ホフマンみたいな印象かもしれません。
次は安藤サクラの何を観ようか…と思ってしまう。
これからどんどん出演してくれるんだろうな。とても楽しみです。
『今日子と修一の場合』ぼくの評価は?
独特のクセがある『今日子と修一の場合』でした。
はたしてぼくが20代とか30代という若い頃に観たら、心に響いたんだろうか??…正直、自信ないです。
年齢層、観る人が育った「地域」でも、受け取り方が全く異なる映画じゃないか?と、感じました。
ぼくは、好きな映画です。
ぼくの評価は星4つ⭐️⭐️⭐️⭐️でした。
いい映画をありがとうございました。
レビューあとがき
奥田瑛二監督の他の作品を調べてみたら、『長い散歩』という映画でモントリオール世界映画祭グランプリを撮っているんですね。
奥田瑛二が監督した他の作品も観てみよう、と思わせる作品でもありました。
また、当サイトで被災地宮城出身の監督が撮った、震災テーマの映画『最後の乗客』を別記事でレビューしています。良かったらどうぞ。
『今日子と修一の場合』配信先
『今日子と修一の場合』は以下サービスで配信されています。
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