映画『二十日鼠と人間』(1992)ネタバレ感想・考察|ジョージとレニー、二人で一人だった男たちの夢と喪失

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映画『二十日鼠と人間』(1992)ネタバレ感想・考察
ジョージとレニー、二人で一人だった男たちの夢と喪失

ゲイリー・シニーズ監督、ジョン・マルコヴィッチ主演。スタインベックの名作を映画化した『二十日鼠と人間』。無垢な心が併せ持つ残酷さ、夢を信じることの美しさ、そしてラストに待ち受ける喪失。四半世紀ぶりの再見で、あらためて心を揺さぶられた傑作だ。



そんな映画『二十日鼠と人間』を四半世紀ぶりに観た。

以前観たときも感動した記憶がある。しかし、今回の再見では、観終わってしばらく呆然としてしまった。

あまりに良すぎて、感想がうまくまとまらない。

人間の持っている弱さ、美しさ、切なさ。そして、誰かと生きることの喜びと苦しみ。それらが、カリフォルニアの美しい風景の中に、実に静かに、しかし容赦なく描かれている。

この映画は、途中から結末が見えてくる。なんとなくだけど。
だからこそ、観ていてザワザワしてくるんだ。
「どうか、そんな結末にならないでほしい…。」
そう願いながら観ているのに、物語は少しずつ、取り返しのつかない場所へと進んでいく…….。

そして、ラストが、効いた。

胸の奥に、ずしりと何かを残された。

僕の評価は、満点の五つ星。あまり知られていないのが悔しいくらい、素晴らしい映画だと思う。


映画『二十日鼠と人間』作品情報・スタッフ・キャスト

原題:Of Mice and Men
製作年・国:1992年/アメリカ
監督:ゲイリー・シニーズ
原作:ジョン・スタインベック『二十日鼠と人間』(1937年)
脚本:ホートン・フート
撮影:ケネス・マクミラン
音楽:マーク・アイシャム
編集:ロバート・L・シニーズ
上映時間:115分(カンヌ国際映画祭資料)

出演
ゲイリー・シニーズ/ジョージ・ミルトン
ジョン・マルコヴィッチ/レニー・スモール
レイ・ウォルストン/キャンディ
シェリリン・フェン/カーリーの妻
ケイシー・シーマツコ/カーリー
ジョン・テリー/スリム
ジョー・モートン/クルックス

原作は、アメリカの文豪ジョン・スタインベックが1937年に発表した同名小説だ。

大恐慌時代のカリフォルニアを舞台に、農場を渡り歩く二人の季節労働者の友情と悲劇を描いている。

1992年の第45回カンヌ国際映画祭コンペティション部門にも出品された作品だ。


映画『二十日鼠と人間』ネタバレあらすじ途中まで〜二人が夢見た小さな農場

※あらすじはネタバレになります。映画を見る方はスルーしてください。

1930年代、アメリカ・カリフォルニア。

ジョージとレニーは、農場から農場へと渡り歩きながら働く季節労働者だ。

小柄で頭の切れるジョージに対し、レニーは大柄で力持ちだ。しかし知的障害があり、自分の行動がどんな結果を招くのか、十分に理解することができない。

レニーは柔らかいものが大好きだ。

レニーの無邪気な欲求は騒動をまき起こす原因にもなる。

二人は以前働いていた町を逃げ出してきたばかりだった。

そんな二人には、ささやかな夢があった。

いつか自分たちの土地を手に入れ、小さな農場を持つことだ。

野菜を育て、家畜を飼い、誰にも命令されずに暮らす。

そしてレニーは、大好きなウサギの世話をする……。

ジョージがその夢を語るたび、レニーは目を輝かせる。

新たな農場で働き始めた二人は、老牧童キャンディと出会う。

片手に障がいを持ち、老後に不安を抱えるキャンディは、二人の夢を聞いて、自分の蓄えを出すから仲間に入れてほしい……と申し出る。

夢は、にわかに現実味を帯び始めた。

しかし、農場には不穏な空気が漂っていた。

その空気の元は、攻撃的な農場主の息子カーリー。そして、孤独を抱え、話し相手を求めて農場を歩き回るカーリーの妻の存在だ。

ある日、レニーはカーリーとの争いで、相手の手を握り潰してしまう。

レニーは自分の力を制御できないのだ。

ジョージはレニーを守ろうとするが、またしても事件が起こる。

レニーの元へ現れたカーリーの妻が、かつて映画女優になる夢を持っていたことを語り、レニーに自分の柔らかな髪を触らせる……。


映画『二十日鼠と人間』あらすじラストまで〜完全ネタバレ閲覧注意

しかし、レニーは力加減を誤り、恐怖に怯える彼女。

彼女の叫び声にパニックを起こしたレニーは、彼女を黙らせようとして、首を折ってしまう。

取り返しつかないことをしでかしてしまったレニーは、茫然自失、牧場から逃げ出す。

殺された妻を見たカーリーは、銃を手に牧童たちを従えレニーを追う。

このままではレニーは残酷なリンチで命を落としてしまう……ジョージもレニーを追いかける。

ジョージは以前、レニーに教えていた川辺の秘密の隠れ場所へ向かう。

そこには、怯えながらジョージを待つレニーがいた。

落ち着こうとするレニーは、ジョージに対していつものように「二人で手に入れる農場の夢」を語って欲しいとせがむ。
二人の夢を語り始めるジョージ。

自分たちの小さな農場……。
野菜畑……。
そして、レニーはウサギたちの世話をする……。

幸せそうに夢の続きを聞くレニー。

そして一発の銃声。地面に倒れ伏すレニー。
撃ったのはジョージ……。

二人の夢は、そこで終わった。


映画『二十日鼠と人間』感想・考察

時として恐ろしい純真さ〜無垢は諸刃

この映画の素晴らしさは、人間の弱さや美しさを描きながら、観客を絶えずハラハラさせるところにあると思う。

その緊張感を生み出しているのが、レニーという人物だ。

レニーの心根には、誰もが憧れるような優しさがある。

嬉しいときは嬉しい。怖いときは怖い。好きなものには、ただひたすら手を伸ばす。

そんな、大人になるにつれて、僕たちがいつの間にか失ってしまったものをレニーは持っている。

心の奥では、僕自身も「レニーのように素直な子供でありたい」と思っていた自分に気づかされる。

しかし、レニーの純真さは、決して美しいだけではない。

子供の無邪気さが、時として残酷さを併せ持つように、レニーの無垢にも恐ろしい一面がある。

本人に悪意はなくても、力加減がわからず、取り返しのつかない結果を招いてしまうのだ。

無垢は、諸刃でもある。

レニーの純真さをただ美化してしまえば、この物語のテーマをうわべだけ撫でて終わってしまうだろう。

映画は、その危うさを、実は冒頭から描き、匂わせている。

だから僕たち観客は、レニーの優しさに心を寄せながらも、彼が何かをしでかすのではないかと、ずっと不安を抱えて観ることになる。

この優しさと恐ろしさの同居こそが、映画『二十日鼠と人間』の持つ独特の緊張感であり、人間ドラマの核なんだと思う。


ジョージとレニーは、二人で一人だった

ジョージは、そんなレニーにいつも手を焼いている。

「レニーさえいなければ、もっと自由に暮らせるのに……」と、怒鳴り、叱り、愚痴をこぼす。

それでも、ジョージはレニーを見捨てない。

 

それは、なぜだろう?

 

ジョージには、夢を実現させるための知恵があった。

同時にレニーには、夢を信じ続ける力があった。

ジョージは、ちっぽけな個人に対する世間の辛い現実を知っている。

一方のレニーは、ジョージの語る夢を疑うことなく信じている。

自分たちの土地を持つこと。
ウサギを飼うこと。
誰にも邪魔されず、つましく暮らすこと。

レニーが嬉しそうに夢の話をせがむたび、ジョージもまた、その夢を「叶えることができるかもしれない」と、確かめていたんじゃないだろうか。

レニーに対し語っているつもりで、実は自分自身のためにも語っていた。

そう考えると、ジョージがレニーを支えていたのと同じように、レニーもまた、ジョージの心を支えていたことになる。

そう、二人は互いに足りないものを補い合っていたのだ。

僕には、ジョージとレニーは、二人で一人だったように思えるのだ。

 

そして、途中からその夢に加わる老牧童キャンディも、同じだった。

年老いて、片手を失い、いつ働けなくなるかわからない。
そんな彼にとって、二人の夢は、失いかけていた未来そのものだった。

三人でなら、実現できるかもしれない。

その希望がさらに重なったからこそ、この物語の結末はあまりにも切ないんだ。


サリナスの美しい風景と、埃まみれの人間たち

それにしても、なんと空気感の美しい映画だろう。

まるで、ワンカット、ワンカットが絵を見ているようだ。

広大な農地。
陽光を浴びる麦畑。
川辺の木々。
土埃を上げながら働く男たち。

スタインベックは、故郷カリフォルニアのサリナス峡谷を舞台に、数々の物語を書いている。
実は、僕が好きな作家の一人だ。(『二十日鼠と人間』も原作を読んでいる)

この映画は、スタインベックが描いた世界観を、実に見事に映像化しているとぼくは感じている。

画面から、自然美のみならず働く男たちの埃と汗の匂いまで漂ってきそうなのだ。

しかし、そこに広がる自然は、どこまでも美しい。

人間たちがどれほど苦しみ、傷つけ合っていても、風景そのものは変わらずに美しい。

その対比が、なんとも切ない。

広大な土地で働いているのに、ジョージたちには自分の土地がない。
目の前には豊かな大地が広がっているのに、自分たちの居場所はどこにもない。

その距離が、彼らの夢と現実の距離でもあるのだろう。

そして、汚れのない自然の美しさが、逆に人間たちの心の弱さや醜さを浮かび上がらせているようにも思える。

美しい風景の連なりの中で繰り広げられるのは、切なすぎる喪失の物語だ。

この映画の映像美は、単なるBG背景ではない。

物語の悲しみを、浮き彫りにするための装置でもある。


スタインベック原作との違い〜カーリーの妻にも夢があった

映画版で印象的なのは、カーリーの妻の描き方だ。

原作でも彼女は孤独を抱えた人物だが、映画ではその孤独や、かつて抱いていた夢が、より共感しやすい形で描かれている。

映画の設定での彼女の夢は、映画女優になることとして描かれている。
しかし、今は亭主からも相手にされず、農場で満たされない日々を送っている….そんな設定だ。

誰かと話したい。自分の話を聞いてほしい。
そんな思いでレニーに近づいたことが、悲劇につながってしまう。

ジョージとレニーが小さな農場を夢見たように、キャンディが安らかな老後を夢見たように、彼女も今とは違う人生を夢見ていた。

そう、彼女もまた、夢を持っていた一人として描かれたことは大きい。

原作に比べて映画では、黒人労働者クルックスをめぐる差別の描写などが簡略化されている。

また、原作終盤にあるレニーの幻覚も映画では省略され、彼の恐怖や戸惑いを俳優ジョン・マルコビッチの名演によって伝えている。

その一方で、カーリーの妻の孤独をより丁寧に描くことで、ジョージやレニーだけではなく「夢を持ちながらも叶えられない人々の姿」が、いっそう際立っている。

考えてみれば、この物語に登場する人々の夢は、どれもそれほど大きなものではない。

自分の土地を持つこと。
誰かと暮らすこと。
安心して年を取ること。
自分らしく生きること。

それなのに、そんなささやかな夢さえ、簡単には叶わない。

スタインベックが伝えたかったのは、そんな現実社会と、もがく人間たちの姿だったのだろう。

映画は、そんな意味でもスタインベックの小説の持つ本質を、しっかり捉えていると思う。


ラストの銃声が意味するもの〜ネタバレ注意

そして、”あのラスト”である。

ジョージは、レニーにいつもの夢を語りながら、まるで何かを断ち切るように銃声が響く。
引き金を引いたのは、ジョージ。
それは、あっけないほど、一瞬だ。

なぜ、ジョージはレニーを撃ったのだろうか?

カーリーに捕まれば、レニーは凄惨なリンチに合う。
世間を知るジョージは、それを誰よりもよく理解していた。
リンチで苦しまないように、撃った。
そう捉えることもできる。

しかし、レニーを救うためだった、と簡単に言い切ることもできない。

なぜなら、その引き金を引いた瞬間、ジョージは自分自身の夢をも撃ち抜いてしまったからだ。

レニーがいたからこそ、ジョージは夢を語り続けることができた。

レニーがいたからこそ、ジョージは自分たちの未来をほのかにでも信じることができた。

そのレニーが、もういない。

僕には、レニーを失ったジョージの喪失感が、そのラストから痛いほど伝わってきた。

しかし、ジョージの心の中にあった夢を信じるともしびは、すべて消えてしまったのだろうか。

僕は、そうは思わない。

ラスト、汽車に乗るジョージの姿がチラリとうつる。

そのカットから僕が感じたのは、絶望ではなかった。

終わりははじまり。レニーの分も、生きていく…。

そんな意思が、ジョージから伝わってきたような気がした。

ラストカットは、単なる別れの場面ではなく、一人になったジョージの”物語のはじまり”にも見えてきたのだ。


ゲイリー・シニーズとジョン・マルコヴィッチ、二人の名演

それにしても、ゲイリー・シニーズとジョン・マルコヴィッチの共演は、素晴らしい。

二人の間に流れる空気が、実に自然なのだ。

ジョージがレニーを叱る場面にも、レニーがジョージに甘える場面にも、長年連れ添ってきた者同士の親密さがある。

どうしてこれほど息が合うのだろうと思っていたら、二人は映画化よりずっと前、1980年にシカゴのステッペンウルフ劇団でも同じ役を揃ってを演じていたという。

なるほど!と思った。

ゲイリー・シニーズ演じるジョージは、決して聖人ではない。
苛立ち、怒鳴り、愚痴をこぼす。
しかし、その奥にレニーへの深い愛情が見える。

一方、ジョン・マルコヴィッチのレニーは、優しさと恐ろしさを同時に感じさせる。
子供のような笑顔のすぐ隣に、何をしでかすかわからない危うさがある。

この二人の演技があってこそ、物語は単なる感傷的な悲劇に終わらず、人間の複雑さを描く作品になっているのだと思う。


映画『二十日鼠と人間』感想・評価|★★★★★ 5.0

四半世紀ぶりに観た『二十日鼠と人間』だったけれど、以前とは、感じる”悲しみの質”が違っていた。

かつてはレニーの側から物語を観ていたんだと思う。

それが今回は、ジョージの側から観ていたことに気がついた。

同じ映画なのに、切ない悲しさと、違って見えたのだ。
映画が変わったわけではない。
変わったのは、僕自身なのだ。

年齢を重ねたことで、ジョージの愚痴も、怒りも、そして最後の決断も、以前とは違う重さで胸に迫ってきた。

ジョージとレニーは、二人で一人だった。

現実を生きるジョージの知恵と、夢を信じるレニーの心の二つがあったからこそ、彼らは未来を語ることができたのだ。

あの美しいカリフォルニアの風景の中で、二人が繰り返し語った小さな夢。
それは叶わなかった。
けれど、lostした何かを胸に、人は生き続ける。nothingには決してならない。

そんなことを、あの汽車のラストシーンから受け取った。

文句なしの五つ星。
あまり知られていないのが悔しいくらい、いい映画です。

優しくなりたい人。
喪失感を抱いている人。
日常に押し流され、夢を忘れかけていた人。
そんな人に、観てほしい一本です。

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