戦争映画は数あれど、軍隊の爆発物処理班にクローズアップした映画は『ハート・ロッカー』までなかったように思う。
公開当時、その視点に「これは映画館で見たい!」とぼくの足を劇場に向かわせた映画だ。
砂塵の向こうに描かれるのは、砂と汗と爆発物コードと向き合うアメリカ軍爆弾処理班の現実(と言っても実話ではないのでフィクション)。
当時の記憶はキャスリン・ビグローのアクションセンスへの脱帽と、アメリカらしい映画だな…だった。
アクション映画好き、戦争映画ファンなら、避けて通れない映画の一本だと思う。
公開から15年以上たち、世界のパワーバランスが次々変わって行くいま、久々に配信で再見した『ハート・ロッカー』をレビューしよう。
『ハートロッカー』解説
『ハート・ロッカー』(The Hurt Locker)は、イラクを舞台としたアメリカ軍爆弾処理班を描いた戦争映画だ。キャスリン・ビグロー監督。2008年公開・アメリカ映画。
第82回アカデミー賞では作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞、編集賞、音響効果賞、録音賞の6冠。
出演/ジェレミー・レナー アンソニー・マッキー ブライアン・ジェラティ ガイ・ピアース レイフ・ファインズ デビッド・モース 他
タイトルの意味=日本語訳は?
『ハート・ロッカー』原題は『The Hurt Locker』。
日本人が「耳」でハート・ロッカーとタイトルを聞くと「心閉ざすもの」かな?なんて感じたくなるけど、答えはノー。
ハートは「heart:心」にあらず、「hurt:痛み」だ。
映画タイトルの意味は、「棺桶」「苦痛の極限地帯」を意味する軍隊スラングだ。
『ハート・ロッカー』予告編
『ハート・ロッカー』あらすじ
舞台設定は2004年のイラク戦争・バグダッド郊外だ。
サンボーン軍曹とエルドリッジ技術兵らアメリカ軍の爆発物処理部隊のチームは、路上に仕掛けられた爆弾の解体、爆破の作業を進めていた。だが、任務は失敗、一人の兵士が命を落とす。
戦死した兵士に代わり、舞台に背足されてきたのは「命知らず」のウィリアム・ジェームズ軍曹だ。
現場では安全対策も行わず、まるで死を恐れないかのように振る舞うジェームズ。
補佐するサンボーン軍曹とエルドリッジ技術兵は不安を募らせていく。
彼らの不安とは関わりなく、果敢に任務に従事し処理していくジェームズ。
ある時は砂漠での静かな持久戦。
またある時は、敵アジトでの人体爆弾の処理と、処理班と爆発物を仕掛けた姿なき敵との戦いが続く。
『ハート・ロッカー』あらすじ結末ラストまで〜ネタバレ閲覧注意!
任務明けまで数日と迫ったある日、身体中に爆弾を巻きつけられた一般人が街路に現れた。
巧妙な起爆装置にギリギリまで対応するジェームスとサンボーン。しかし時間切れで舞台は撤退、一瞬後に一般人は跡形もなく吹き飛んでしまう。
任務があけて本国アメリカに帰国したジェームズ。しかし心は、虚ろだ。幼い息子と愛する妻のもとにいられることは幸せなはずなのだが、満たされない日々。
休暇が終わり輸送機でバクダッドへ再赴任するジェームズ。
その目には、生と死がギリギリの境目を生き抜くことへの喜びにも似た輝きがある。
単身、市街戦に荒れた街路を爆弾処理に向かうジェームズの後ろ姿でエンドロール。
『ハート・ロッカー』感想考察
描かれるのは爆弾処理のプロの現場
さて、そんな『ハートロッカー』だが、爆発物処理部隊に焦点を当てたという点が他の戦争映画と大きく異なるところだ。
たとえば『プライベート・ライアン』や『戦争のはらわた』『アウトポスト』にしても、いわゆる歩兵目線だ。
ところが爆発物処理部隊という特殊技能で戦場に臨む兵士を描いた映画は、過去、他に見たことがない。
駆け出しが見事だ。
映画冒頭は爆発物処理シーンではじまるが、部隊兵士たちが処理しているのは榴弾だ。
その作業の中で、彼らは「榴弾爆発時の衝撃の方向、被害想定」を、さらっと言ってのける。
そのセリフだけで、スクリーンに登場した彼らが爆発物のプロ中のプロだってことが暗に示される。
その上で、キャスリン・ビグロー監督の持つアクションセンスでもって、特殊技能を持つ兵士たちの現場のリアルや葛藤をうまく畳み掛けていく。
「いつ爆発するかわからない」というハラハラ感が当たり前の状況。限界ギリギリのシーンの演出、捉え方は見事としか言いようがない。
爆発シーンひとつとっても、「ただのドカン」ではない。
爆発の衝撃が影響与える周辺物の瞬間の動き=例えば、「車の上に積もった埃が、ブルリと震えて舞う」超クローズアップのスローモーションカットをさしはさむなど、今まで見たことがない(公開当時はそうだった)爆発シーンを作り上げている。
また爆風の強烈さの表現も独特だ。
爆風の襲われた人体など、ふにゃふにゃの肉風船でしかない現実を、防爆服を着てはいても兵士のバイザーが血で真っ赤になる瞬間カットを差し込むことで、爆風の怖さを表現している。
そう、シーンの造り込みが細かなところまで徹底しているのだ。
なぜそこまでこだわったのか?
それは『ハート・ロッカー』が、よくある歩兵部隊の戦争映画ではなく、爆発物に常時対峙している部隊の話であること。それに尽きるだろう。
もちろん爆発のリアリティ・怖さは徹底リサーチした上で撮影に臨んだと思われる。
しかしリサーチはあくまでリサーチに過ぎない。
その怖さを、どう映画というフィクションに反映させるかが映画人の腕の見せ所だ。
一般人にとってはほぼ未体験ゾーンの「爆発遭遇の怖さ」をわからせる工夫が随所に施されている。
静かな砂漠の戦闘
主人公達が砂漠で敵のスナイパーと渡り合うシーンも、爆発物処理シーンとは違い、逆に動きを極力控えたカットで印象的だった。
爆発物処理シーンが「動」なら、こちらは「静」。
決して激しいドンパチで見せるだけではなく、例えば、延々ずっと同じ姿勢で敵と対峙し、次第に砂塵に汚れていく顔をひたすらに見せ続ける…そんな「静」の演出もまた見事だった。
なぜジェームス軍曹は「命知らず」か?
爆発物処理のシーンや戦闘シーンはそんなふうに「すごいな」と感じた『ハートロッカー』だけれど、では、ドラマとしてはどうだったろう?
主役は、命知らずのジェームズ軍曹だ。ルール無視で爆発物処理に当たってゆく彼は、当然、仲間達の反感を買う。何度も忠告されるものの、そんな忠告は無視だ。
何が彼をそうさせるのだろうか??と映画を見ていてぼくは思ってしまったのだが、それに対する明らかな答えは明示されない。
唯一答えらしいシーンがあるとすれば、本国に帰国し家庭に入った時のジェームズの「虚ろさ」だ。
最前線では目に見えない何かに脅されるかのように危険任務をこなし、作戦を展開するジェームス軍曹が見せる、戦場を離れた時の「虚ろさ」。
多分、その表現の意図するところは、PTSDだろう。
戦場という極限が心に及ぼす影響は様々だろう。
ジェームズ軍曹を危険物処理に駆り立てる原動力がPTSDだとすれば、チームの皆からどう忠告されようと、カラダのベクトルが本能的に爆発物処理という危険=死に向いてゆく、その理由づけになる。
スリルを知った人間が極限を越えると平凡な日常に違和感を覚えてしまう、戦場病。
『ハート・ロッカー』のタイトルが「苦痛の極限地帯」という意味を持っていることを考えても、ジェームズ軍曹は「苦痛の極限地帯」で戦場病=PTSDに心を蝕まれていたのではないか、、、。
と、これがぼくの推測だ。
『ハート・ロッカー』ぼくの評価は?
この映画で一番印象に残ったのは、ジェームズ軍曹が本国で休暇をとっている時に見せる虚ろさと、そして部隊復帰していくときの、ギラギラした目だ。
ぼくはそのラストから、作品の裏側に込められた「アメリカは世界の警察なんだ。アメリカ陸軍万歳」という意図が見え隠れしてダメだった。(戦場病をシッカリ表現している反戦思想があるじゃないか、という反論も聞こえてくるが)
確かにアカデミー6冠はスコアとしては素晴らしい。だが、アカデミー賞と言っても世相や時代を反映している。なので、ぼくの評価は、星三つ。
あくまで、世相はイラクで陸軍が展開していた2008年、アメリカ人がアメリカ人のために作った映画、という視点を忘れてはならないと思う。
『ハート・ロッカー』配信先
U-NEXT hulu Star EX で配信中。
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