映画『戦場0地点』ネタバレ感想・評価|なぜ僕は戦場の映像を観ながら眠くなったのか?

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映画『戦場0地点』感想・評価|2000メートルの進撃が教えてくれた、戦争という「クソつまらない現実」

※このレビューはネタバレを含みます。映画をご覧になる方はご注意してください。

戦争映画を観て、眠くなった。

しかも、これが普通の戦争映画ではない。

ウクライナの最前線で、兵士たちが実際に撮影した映像を使ったドキュメンタリー映画『戦場0地点』だ。

目の前で砲弾が炸裂する。土塊が飛び散る。兵士が撃たれ、負傷した仲間が叫び声をあげる。さっきまで話していた上官が、次の瞬間には命を失っている。

そんな映像を観ながら、僕は映画の後半、ところどころでコックリコックリと居眠りをしてしまった。

どうしたんだ、僕は?

映画を観ていて眠くなることなど、めったにないのに。

ところが、劇場を出てからその理由を考え続けていた僕は、あることに気づいた。

戦争って、クソつまらないものなんだ。

その瞬間、僕の中でこの映画の評価が星3つから星4つ半に跳ね上がった。

なぜ、そんなことになったのか?

今回は、その話をしてみたい。




『戦場0地点』はどんな映画?|ウクライナ最前線、2000メートルの記録

『戦場0地点』は、ロシアによるウクライナ侵攻が続く2023年、ウクライナ軍によるアンドリーウカ村奪還作戦を記録したドキュメンタリー映画だ。

監督は、ウクライナのジャーナリストであり映像作家でもあるムスチスラフ・チェルノフ。

兵士たちが携行するカメラや、ヘルメットに取り付けられたウェアラブルカメラなどによって撮影された映像を使い、戦場の最前線を映し出している。

目指すのは、ロシア軍に占領されたアンドリーウカという小さな村。

そこまでの距離は、わずか2000メートル。

たったの2キロだ。

普通に歩けば、30分もかからない距離だろう。

しかし、その2000メートルを進むために、兵士たちは命を賭けなければならない。

映画はこの進撃を500メートルごとに区切りながら、少しずつ目的地へ近づいていく過程を描く。

前進する。身を伏せる。砲撃を受ける。負傷者を救護する。そして、再び前進する。

そこには、戦争映画でおなじみの勇壮な音楽も、観客の胸を熱くするように計算された英雄的な演技もない。

ただ、戦場に置かれた人間たちが、生き延びながら前へ進もうとする姿がある。

これは戦争を「見る」だけでなく、兵士の視点から「体験」させる映画なのだ。

もちろん、観客が受け取るのは、あくまでスクリーンを通した疑似体験でしかない。

それでも、この距離感は凄まじい。

『戦場0地点』感想|2000メートルの果てにあったもの

映画の冒頭、ヘミングウェイの言葉がスクリーンに浮かび上がる。

「聞くに堪えない言葉があふれ、最後には地名しか尊厳を持たなくなる。」

そんな趣旨の一節だった。

僕は、この言葉がずっと引っかかっていた。

「地名しか尊厳を持たなくなる?どういう意味だろう?」

 

映画の中では、銃弾飛び交う戦場で、兵士たちが罵声をあげる。怒鳴り合う。叫ぶ。

飛び交う言葉は荒々しい。そこに詩情など入り込む余地はない。

戦場で人間が発する言葉とは、こういうものなのだ。

そして、映し出される風景もまた、凄惨だ。

かつて森だったはずの場所には、砲撃で引き裂かれた木々が残っている。

折れ、ささくれ立った幹。

地面をえぐる砲弾の穴。

舞い上がる土埃。

そこには、自然の美しさなど微塵もない。

画家として、いつも風景を見つめてきた僕には、この光景がことさら痛々しく映った。


人間の営みだけでなく、風景そのものが破壊されているのだ。

兵士たちは、その破壊された大地を少しずつ進んでいく。

100メートル進むことが、どれほど困難なことなのか。

画面を観ている僕には、その恐怖の本当の大きさなど分からない。

けれども、兵士たちの視線が地面を這い、次の遮蔽物を探し、負傷した仲間を救おうとする姿から、ほんのわずか、その恐怖を想像することはできる。

そして、ついにアンドリーウカに到達する。

ところが。

そこには、村がなかった。

いや、正確には、村だった場所があった。

建物は破壊され尽くし、かつて人々が暮らしていた集落の面影さえ見つけることが難しい。

これが、兵士たちが命を賭けて奪還しようとしていた村なのか。

ここで、僕は冒頭のヘミングウェイの言葉を思い出した。

最後には、地名しか尊厳を持たなくなる。

 

ああ、、、そういうことだったのか…。

 

建物がなくなっても、村の名前は残る。

暮らしの痕跡が消えても、そこが祖国の一部であるという事実は消えない。

アンドリーウカ。

その名前が示す土地を取り戻すことが、ウクライナ兵たちの任務だった。

兵士たちにとって、それは単なる地図上の位置を奪い返すことではなかったのだろう。

そこは祖国の一つの標(しるし)だったのだ。

何もなくなってしまった場所だからこそ、その地名に託された意味が、強烈に浮かび上がってくる。

僕はそう受け取った。


『戦場0地点』なぜ僕は眠くなったのか?|戦争には脚本がない

色彩と構図

さて、ここからが今回のレビューの本題だ。

実は僕は、映画の後半から眠くなってしまった。

これには、自分でも驚いた。

 

なにしろ、目の前で映し出されているのは、実際の戦場なのだ。

負傷した兵士がいる。命を落とす人間がいる。砲弾が降り注いでいる。

これほど緊迫した映像を観ながら、なぜ眠くなるのか。

 

映画館を出てから、僕はずっと考えていた。

なぜ眠くなったのか。

思い返してみると、僕は映像に慣れてしまっていたのだと思う。

兵士のヘルメットに取り付けられたウェアラブルカメラ。その視点は、驚くほど単純だ。

兵士は映画の観客のためにズームアップなどしない。劇的な構図を探してカメラを動かすこともない。

ただ、生き延びるために前を見る。

膨大な映像を編集してつなぎ合わせているとはいえ、基本的には兵士の目線から捉えられた、単一視点の映像が続く。

そして、もう一つ。

色だ。


画家という仕事柄、僕はどうしても映像の色彩や構図に目が向く。

この映画の戦場は、ほとんどモノトーンなのだ。

いや、正確には、榴弾によって掘り返された土の色。

焦茶色。

画面を覆い尽くすのは、そんな暗く沈んだ後退色ばかりだ。

かつて森だった場所には、折れささくれた木々が残り、地面は砲撃で掘り返され、どこまでも似たような光景が続く。

色彩の変化も、構図の変化も乏しい。

そして、僕の視覚はその繰り返しに慣れていった。

映画ならば、監督はここで画面を切り替えるだろう。カメラの位置を変え、色彩や光を使い、観客の感情を揺さぶろうとするだろう。

しかし、実際の戦場はそんなことをしてくれない。

戦争は、観客のために風景を変えてはくれないのだ。

僕が眠くなったのは、そんな映像の単調さに慣れてしまったからなのだろう。

そして、ここから僕の考えは、もう一歩先へ進んでいった。


現実の戦場にないものとは?

そもそも、現実の戦争にはあらすじなんてないよな。

そして、はっと気づいた。

現実の戦場には、脚本がないのだ。

僕たちが普段観ている戦争映画には、物語がある。

脚本家がストーリーを練り上げ、監督が演出を考え、俳優たちが一つひとつの場面に意味を与えていく。

勇気、恐怖、友情、裏切り、犠牲、そして生還。

それらが起承転結を持った物語となり、観客の心を揺さぶる。

例えば『プライベート・ライアン』。

あの冒頭のノルマンディー上陸作戦は、凄まじい迫力だった。

しかし、あれほどリアルに見える戦闘シーンでさえ、映画人が緻密に計算し、構築した映像なのだ。

カメラがどこを見るのか。

どの兵士に感情移入させるのか。

どの瞬間に観客を驚かせ、どこで悲しませるのか。

すべてが映画としての意味を持っている。

ところが『戦場0地点』は違う。


もちろん、108分の作品として構成し、編集されている以上、そこには映画作家の意図がある。

しかし、カメラの前で起きている出来事そのものには、脚本がない。

砲弾がどこに落ちるかなど、誰にも分からない。

さっきまで元気だった仲間が、次の瞬間には死んでいる。

ある兵士の死が、次の場面で何か劇的な展開を生み出すわけでもない。

悲しみを味わう暇さえなく、ただ前へ進まなければならない。

同じような風景が続く。

同じような恐怖が続く。

土埃、銃声、罵声、負傷者、破壊された木々。

そして、また前進する。

それが延々と続く。

映画として観れば、単調に感じられる瞬間もある。

でも、それこそが、戦争というものの現実なのだろう。

戦場は、観客を楽しませるために存在しているわけではない。

 

当たり前だ。

あまりにも当たり前すぎる。

 

しかし、僕たちは映画という娯楽を通して、戦争をドラマとして観ることに慣れすぎてしまっているのかもしれない。

もちろん、僕が眠くなった理由には、単純な疲労だってあったかもしれない。

でも、眠くなったことをきっかけに、僕は当たり前すぎるあることに思い至った。


居眠りが教えてくれた当たり前なこと

戦争というものは、そもそも 面白いはずがない。

そこには娯楽としての起承転結もなければ、観客を満足させる結末もない。

ただ恐怖と破壊と、繰り返される生存のための行動がある。

戦争って、クソつまらないものなんだ。

この「つまらない」は、退屈だからどうでもいいという意味ではない。

むしろ、その正反対だ。

人間の命と尊厳を奪い、風景を破壊し、何ひとつ面白いことなど起こらない。

それなのに、人間は戦争を繰り返す。

僕は自分の居眠りを通して、そんな当たり前のことに、改めて気づかされたのだった。

『戦場0地点』評価|星3つから星4つ半へ

映画を観終わった直後、僕の評価は星3つだった。

映像の迫力は凄い。

記録としての価値も十分に分かる。

でも、途中で残念ながら眠くなってしまった。

映画として、どうなのかな?…。

そう思っていた。

ところが、劇場を出てから、なぜ眠くなったのかを考え続けているうちに、評価が変わっていった。

映画がつまらなかったのではない。

戦争という現実が、娯楽として面白いものではなかったのだ。

そして、そのことを考えるきっかけを与えてくれたのが、この映画だった。

これは僕にとって、実に大きな発見だった。

 

もちろん、監督が観客を眠らせようとして作ったわけではないだろう。

また、すべての観客が僕と同じように感じるわけでもない。

それでも、劇場を出たあとに、映画の意味が自分の中で変化していく。

これもまた、映画を観る醍醐味だと思う。


僕は、映画を観ている時間だけが映画体験だとは思わない。

観終わってから考え、思い返し、ある日突然、映画の中に隠れていた何かに気づく。

そんな映画が好きだ。

そして、今回の『戦場0地点』も、まさにそういう一本になった。

最後に、もう一度アンドリーウカのことを考えてみる。

2000メートル。

たった2キロの距離を進むために、兵士たちは命を賭けた。

そして、たどり着いた村には、ほとんど何も残されていなかった。

それでも、その場所には名前があった。

アンドリーウカ。

建物を破壊することはできても、その土地が人々にとって持つ意味まで消し去ることはできない。

冒頭のヘミングウェイの言葉が、最後になって胸に響く。

戦争とは、人間が作り出した、なんと愚かで、つまらないものなのだろう。

 

僕は、この映画を劇場で観てよかった。

居眠りまでしてしまったけれど(笑)。

いや、居眠りしてしまったからこそ、この映画を別角度から観ることができたように思えるのだ。

僕の評価は、星4つ半。

非常に意味のあるドキュメンタリー映画だった。

評価:★★★★☆(4.5/5.0)





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