- 『雪風 YUKIKAZE 』ネタバレ評価レビュー
あらすじ・感想〜戦後80年・戦争映画のゆくえ
こんにちは!映画好き絵描きのタクです。
「戦後80年」の節目に公開された戦争映画『雪風 YUKIKAZE 』を見てきました。太平洋戦争が終わってちょうど80年目の終戦記念日・8月15日の公開初日・1回目の上映です。
駆逐艦雪風の存在は、子供の頃から知っていました。ぼくの子供の頃〜昭和40年代は、いまと違ってジュニア向けに太平洋戦争の軌跡をしめす様々な文学が出版されており、気がつけば好んで戦記物を読んで育ってきました。(多分、それは「時代」の流れだったんだと思います)
「ゼロ戦と戦艦大和」といった戦争タイトルの本が本棚にはゾロゾロと並び、そんな本の中に、駆逐艦の所属する水雷戦隊の戦いぶりを書いた本があったのです。たしか「壮烈!水雷戦隊」という題と記憶しています。
雪風の活躍、そしてたどった運命を知ったのは、その本でだったと思います。雪風が幸運艦と呼ばれていたことも、そんな流れで知っていました。
この映画『雪風』は、実話をもとに脚色、再構成された映画です。劇中の戦いや艦長などは史実をもとにしています。
戦争が終わって80年。もはや当時の戦争をリアルに体験し語る人も少なくなってきました。
そんな中「戦後80年」に合わせて公開された映画『雪風 YUKIKAZE 』に、ぼくは、雪風を舞台に戦争という化け物をどのように描いてくれるのか?…そんな思いを抱きながら、上映館の席に座りました。
駆逐艦『雪風』とは?

水彩で描いた『雪風』 画・ブログ著者古山拓
『雪風』とは、大日本帝国海軍の駆逐艦です。当時の駆逐艦には同型艦が多数あり、いわゆる型ーシリーズごとに艦影艤装が異なっていました。雪風は陽炎型と呼ばれる38隻中の8番艦です。生まれは1938年。呉の海軍工廠で竣工しています。
駆逐艦は巡洋艦、戦艦、空母群護衛する役割を担っていました。それゆえに損耗率が高かい艦船でした。
そんな中雪風は15回をこえる海軍作戦に参加しましたが大きな損害を受けずに終戦まで生き残り、奇跡の駆逐艦、幸運艦と呼ばれていました。
太平洋戦争後は、雪風は賠償艦として中華民国に引き渡されました。「『雪風』という艦名は『丹陽』と名づけられ、中華民国海軍の主力艦として働き続けます。しかし台湾において1971年台風による被害で退役、解体され、その艦命を終えました。
余談ですが、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』でも放送一回めに宇宙巡洋艦として「ゆきかぜ」が登場しています。
映画では、雪風が実際に参加した15を越える海上作戦のうち、「ミッドウェイ海戦」「ガダルカナル戦役」「レイテ沖海戦」「坊ノ沖海戦(沖縄特攻)」に絞った脚本になっており、終戦後の大陸からの引き揚げ船としての役割までが描かれます。
絵は筆者が「船の水彩画展」用に描き下ろした雪風です。
『雪風 YUKIKAZE 』あらすじ
舞台は1942年。ミッドウエー海戦から始まる。ミッドウエー海戦とは日本海軍が完敗を喫した太平洋戦争のターニングポイントとなった戦いだ。
駆逐艦雪風は、炎に包まれ沈みゆく巡洋艦から逃げ延びた水兵たちを救出していた。最後の救出された水兵は井上壮太(演:奥平大兼)。助けた先任伍長は早瀬幸平(演:玉木宏)だ。
先任伍長早瀬は、雪風初戦から艦に乗り組んでいる男だ。部下や同僚から厚い信頼を受けている。
呉軍港にいっときの帰還のおり、転属で雪風にやってきた二等水兵井上の姿があった。先任伍長早瀬を探す井上。彼はミッドウエーで救助された恩を先任伍長早瀬に伝える。
同時に雪風に巡洋艦最上の副長だった寺澤一利(演:竹野内豊)が新任の艦長として赴任してくる。
沈着冷静を絵に描いたような気質の寺澤艦長は、初戦で見事な操艦をし、乗組員の信頼を得る。
しかし、太平洋戦域でハルゼー提督率いる米艦隊は、破竹の勢いで日本軍を押し戻していた。
1942年ガダルカナル島の玉砕をきっかけに、マリアナ沖海戦、ソロモン沖海戦、フィリピン沖海戦と日本海軍は次々に艦を失い、壊滅寸前となる。雪風はそんな激戦をくぐり抜け、沈まずに生き抜いて幸運艦と呼ばれていた。
サイパンが米軍におち、日本本土はB29の空襲圏内となり日本各地の町は焦土と化していった。
1945年沖縄に米軍が上陸する。4月7日、寺澤艦長は雪風をもって、戦艦大和を旗艦とした沖縄特攻作戦・天一号作戦への参加を命じられる…。
といったあらすじです。太平洋戦争の史実に基づいていますので、実話を元にしたフィクションストーリーです。
『雪風 YUKIKAZE 』感想
ではここからぼくの感想です。あくまで一個人の受け取りかたです。決して映画を誹謗するものではありません。受け取り方は人によって千差万別だと思いますので、ご了承ください
戦争史実はわかりやすい?
戦争映画って、一つの戦いをテーマにしていたりするとわかりやすいですが、えてして作戦名がいくつも出てくると、混乱しがちです。
たとえば名作『プライベートライアン』だとノルマンディ上陸作戦からの数日間ですから見ていて混乱することはありません。
しかし、この映画では1942年から1945年の4年間のできごと=幾つもの海戦を敷板として描いています。ですのでヘタすると戦史に疎い観客には「なんだかよくわかんない..」となってもおかしくありません。いや、観客の大半は80年前の太平洋戦争の海軍作戦前知識を持っていない人の方が圧倒的に多いと思います。
映画『雪風』ではそんな旧日本帝国海軍のミッドウェイ海戦以降〜壊滅までが、わかりやすく時系列を追って描かれていました。
なので、戦争の知識がない若い人でも、旧帝国海軍がどんなふうに追い詰められていったのか?が、混乱せずに見られたのでは、と思います。
それはなぜでしょうか?
理由は『雪風』の「説明セリフの多さ」によっているから。。。と思います。
時の流れや戦況を、登場人物に「セリフ」として語らせているんですね。
この繰り返し使われる「説明セリフ」が、史実を理解する上では役に立っていたのですが、ドラマとしては逆に、クセモノでした。
映画が伝えたいメッセージまでをも、説明セリフでやってしまっているのです。
冒頭の雪風による海に投げ出された水兵たちの救助シーンから、映画が伝えたいメッセージをセリフ言葉に言わせてしまっているのですね。
それが劇中、非常に多いのです。使い方を間違えると見ている方がドラマから気持ちが引いてしまいます。
ぼくは、冒頭からエンディングまで、引きっぱなしでした。
たとえば「一人でも多く救いたい」というメッセージが映画『雪風』のいくつかのテーマの中の一つだと思います。
もしそうであるならば、それを連呼したら観客は、それまで没頭していたドラマから、すっと引き、客観視してしまいます。
たとえば「がんばれ」「あきらめるな」というセリフもそう。
ぼくな全編通して「わかりやすいセリフ」「説明的なセリフ」を使う難しさを感じていました。
俳優陣の押さえた演技の妙
と、頭から辛口レビューになってしまいましたが、俳優陣の演技のチカラは素晴らしかったです。
二等水兵・井上を演じる奥平大兼がナチュラルでよいのです。一部ナレーションも担当していますが、媚びがなくてよかったです。
さらに先任伍長・早瀬も玉木宏も戦争映画にありがちな情に訴えるような強い演技は一切しません。
艦長役の竹野内豊もまた、グッと溜めを効かせた抑えた演技でもって艦長の沈着冷静さを、終始醸し出していました。
たぶんその演出目的は、「艦長の性格が部下たちとの信頼関係が強め、雪風を「幸運艦」たらしめていたんですよ…」と表現したかったから…なんだと思います。(勘違いかもしれませんが、ぼくはそう捉えた)
しかし、そんな俳優陣の精一杯の気合いも、残念なことになぜかストーリーに圧をかけてこないのです。
見えてこないメッセージ
「薄い物語性と、響いてこないメッセージ…。」
正直に『雪風』のぼくの感想を書いてしまうとそうなります。
この映画は、駆逐艦雪風が主人公なのか?
雪風乗組員が主人公の群像劇なのか?
寺澤艦長の武士道精神にのっとった生き様が柱なのか?
残念ながら、ぼくの感度が鈍いせいか、どれも理解はできても深く心に刺さってきませんでした。
これは、、脚本と演出の力不足=責任でしょう。
もちろん雪風と艦長を過去の出版物や資料にあたり、調べて脚本をかいたに違いありません。それは史実表現する場合最低限必要な仕込みでしょうから…。
しかしぼくには「史実のココとココをうまく繋げて、ファミリーを登場させ、そしてイマに繋げて平和を問えば、観客は感動してくれるんじゃないか?」という、脚本・演出の浅さが透けてなりませんでした。
映画制作の現場の内情は、ぼくは分かりません。脚本家と監督の意思の疎通がうまくいかなかったとか、予算の都合とか、いろいろあるのかもしれません。
が、エンタメ映画は、見た感想が全て。
ぼくはこの映画に感じたのは、そんな脚本演出のツメの甘さでした。
安易な絵作り
絵作りも平板と感じてしまいました。
少なくとも駆逐艦雪風の名前を冠しているのですから、雪風の姿をどう捉えるか?が大事なことだとぼくは思うのですが、しかし、その構図アングルには、工夫やこだわりがあまり感じられません。
停泊している雪風の姿なんて、ガダルカナルであろうが呉軍港であろうが、全く同ポジションのフロントビュー構図…。もちろんVFXでしょうから、もしかすると予算が足りなくなってのデータコピペなのかもしれません。しかしそれには、空いた口が塞がりませんでした。
VFXによる海戦シーンも「画コンテをそのまんまトレースしているだけではないか?」とさえ思ってしまいました。
まとめます
ドラマの主役が人間だった場合、その主人公の心のうちをどうオモテに表すか?が大事だとおもうのです。
それは外見、歩き方、表情、陰影という総力戦で表現し、そして観客に迫ってきます。
それが、人ではなくてモノである駆逐艦であっても、同じだと思います。艦の表情が心に残らなかった『雪風』でした。
どこまでも辛口になってしまいましたが、「伝えたいこと」と「表現方法」が滑っているように感じたのが映画『雪風』でした。
平和に対するメッセージ、反戦へのメッセージは、確かに発せられているのです。
しかし、ぼくは残念ながら、そのメッセージを心で深く受け取る=感じとることはできませんでした。それはぼくのアンテナの鈍さゆえ…キャッチボールのヘタさゆえ、なのかもしれませんが…。
『雪風 YUKIKAZE 』評価
戦争と平和、兵と家族、そして普遍的なことをどう表現するのか?あまりの表現感覚の違いに、残念ながら評価外です。星はナシです。久々にかなりな残念ムービーでした。
「戦後80年の節目を刻む戦争映画です」…とは、お世辞にもぼくは言えません。
とはいえ、ぼくの見方、評価はあくまで「ぼく」という目と心を通した一つの視点です。『雪風』を別の視点で見る方もいると思います。
それは実際に太平洋戦争の近くに生きてきた方や、雪風関係者の方々、そして全く戦争知らない若い世代の視点です。
戦後80年。まだご存命の雪風の元乗組員もいらっしゃるのでは…と思います。そんな、実際の雪風を、そして戦いを体験してている方は、この映画をかならずや見るでしょう。そんな元乗組員の方々からは、この映画『雪風』がどう見えるのか?そして、どう語るのか?…
戦争体験を実体験としてもっている方、あるいは経験者が身近にいて当時の話を聞いた方は、『雪風』のメッセージをどう受け止めたのか?
逆に全く太平洋戦争を知らない若い世代はどんな視点でもってこのドラマを見たのだろう?
今後もぼくは、そんな証言や感想・視点にアンテナを立てておきたいと思います。
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