映画『ワイルドバンチ』ネタバレあらすじ・感想・解説|血と埃の西部劇に魅せられる理由【サム・ペキンパー傑作】

西部劇

『ワイルドバンチ』
評価:星五つ🌟🌟🌟🌟🌟
贅肉なし!血と埃のバイオレンスウェスタン

画家タクの運営する映画ブログ・ムービーダイアリーズ、今回取り上げる映画は、1969年公開のサム・ペキンパー監督作『ワイルドバンチ』。

「バイオレンス・ウェスタン」という新しい言葉を生んだ本作は、西部劇の常識をくつがえし、今なお映画史に残る傑作として語られている。

血と埃にまみれ、時代遅れの男たちが自分の居場所を探して最後に選ぶ道。その潔さが、50年以上経った今でも胸を打つ。

ぼく自身、この映画は万人におすすめできるタイプではないと思っている。けれど、だからこそ愛してやまない一本だ。

この記事では、あらすじからネタバレラストまで、そして感想と考察を交えて『ワイルドバンチ』の魅力を探ってみたいと思う。


『ワイルドバンチ』解説|どんな映画?

公開年:1969年(アメリカ)

監督:サム・ペキンパー

ジャンル:西部劇/アメリカン・ニューシネマ

特徴:暴力をリアルに描き、従来の西部劇に挑戦状を叩きつけた問題作。「スローモーションによる銃撃戦」の演出はのちの映画や漫画に多大な影響を与えた。

物語の舞台は1913年、すでに西部開拓時代が終わりを迎え、時代遅れとなった無法者たちが居場所をなくしていく時代。彼らの最後の選択が、壮絶な名クライマックスへとつながっていく。


『ワイルドバンチ』スタッフ・キャスト

監督:サム・ペキンパー

脚本:ウォロン・グリーン、サム・ペキンパー

撮影:ルシアン・バラード

音楽:ジェリー・フィールディング

主なキャスト

パイク・ビショップ … ウィリアム・ホールデン

ダッチ … アーネスト・ボーグナイン

ディーク・ソーントン … ロバート・ライアン

ライル・ゴーチ … ウォーレン・オーツ

テクター・ゴーチ … ベン・ジョンソン

エンジェル … ジェイミー・サンチェス

サイクス … エドモンド・オブライエン

マパッチ将軍 … エミリオ・フェルナンデス


『ワイルドバンチ』あらすじは?

時は1913年、ところはテキサス州南部の町サン・ラファエル。隣はメキシコだ。
パイク・ビショップ率いる強盗団の“ワイルドバンチ”は、騎兵隊を装い鉄道事務所の銀貨強奪を図る。
その町の家の屋上にはパイクらを待ち伏せている賞金稼ぎたちがいた。
賞金稼ぎたちをまとめているのはパイクのかつての仲間、ディーク・ソーントン。かれは牢獄からの釈放を見返りに鉄道事務所のオーナー社長に雇われていたのだ。

パイクらは銀貨強奪に失敗。
賞金稼ぎたちとの銃撃戦で生き残ったのは、パイク、ダッチ、ライルとテクターのゴーチ兄弟、メキシコ人の若者エンジェルの4人だけだった。パイクらはメキシコへと逃げのびる。

合流地点で仲間のサイクスと合流したパイクたちは、メキシコの南部、エンジェルの故郷の村に辿り着く。

村が政府軍のマパッチ将軍に脅かされていることを知るエンジェルは、恋人テレサまでもマパッチ将軍に連れて行かれたことを知って怒りを露わにする。

ソーントンの指揮する賞金稼ぎたちの追跡は執拗だった。
逃げる場所のなくなったパイクたち一団は、マパッチ将軍のメキシコ政府軍が本拠地とするアグアベルデに逃げ込むことになる。

そこでエンジェルは、テレサがマパッチと酒を飲むところを目の当たりにし、彼女を射殺してしまう。
エンジェルはマパッチ暗殺を企てたとして政府軍に捕らえられるが、誤解は解け釈放される。

エンジェルを引き取ったパイクは、アメリカの軍用列車から武器を奪うようマパッチから依頼される。報酬は1万ドルだ。

列車強盗は難なく成功。すべてはうまくいったかに見えたが…


『ワイルドバンチ』あらすじ結末まで〜ネタバレ閲覧注意

パイクらは、約束通り政府軍にライフルやガトリング銃を引き渡そうとする。
武器を一度に渡すと、金は払われずに殺されておしまいだと踏んだパイクらは、武器を小分けに渡すことで身の安全を図る。
渋々報酬を支払うマパッチ。
しかし、ダッチとエンジェルが交渉に向かった時に問題が起きる。

エンジェルが武器の一部を反政府ゲリラに渡したことがマパッチ将軍に漏れていたのだ。
マパッチはエンジェルを捕らえ、容赦ないリンチを加える。

パイクは、ワイルドバンチの残党、ダッチ、ライル、テクターの4人でメキシコ政府軍の砦に向かう。
エンジェルの解放を求めるパイク。
しかしマパッチはパイクたちの目の前でエンジェルを切り殺す。
すかさずパイクはマパッチを射殺。
マパッチの相談役参謀が拳銃を手にするが同時にパイクら4人の銃口が火を吹く。
そして、数百人のメキシコ軍対4人の銃撃戦=死のダンスが始まる。

戦闘後に砦に到着するソーントンら賞金稼ぎたち。

パイクら皆斃れてしまった。砦はメキシコ政府軍の兵士たちの死体の山となっている。

ソーントンは城門に座り込む。と、そこにサイクスがメキシコ革命派のメンバーを引き連れ現れる。

サイクスはソーントンに「共に来ないか?」と誘う。ソーントンはニヤリと笑い、サイクスや農民たち革命派と共に砂塵の向こうに去って行く。エンドロール。



『ワイルドバンチ』感想

映画の舞台は、アメリカとメキシコ国境付近。時代はメキシコ革命を起こしたパンチョビラがセリフに出てくることから推測するに、1910年から1913年あたりだろう。今から100年くらい前の設定だ。日本では大正デモクラシーなんて言葉が当てはまる頃だ。(確認したところ、時は1913年です)

万人にオススメできない5つの理由

最初に言っておくけれど、サムペキンパーの映画は誰にもオススメと言えるタイプじゃない。

この映画も評価こそ高いけれど、「万人プリーズ♩是非見てムービー」とは言いがたい。

1〜まず、主人公たちは、銀行強盗でしか生きていけない、人さまの金に手をつけないと生きていけない、いわゆるギャングだ。

2〜さらには、彼らは時代遅れだ。
舞台は、すでに西部開拓時代も終わり、メキシコでは英雄パンチョビラが反乱を指揮していたアメリカメキシコ国境のあたりだ。主人公たちをを一言で言うなら、時代に乗れずに、隣の国の革命のおこぼれに預かろうという、食い詰めギャングといったところ。

3〜ついでに言うと、そのギャング団を追う追手たちも時代遅れだ。
おおかた映画において「追手」というのは、人を寄せ付けないキリングマシーンやその道のプロというのが定番だけど、こいつらだって主人公となんら変わりない食い詰め者たちだ。イケイケの鉄道会社の社長から金で雇われた、これ、また時代遅れのはぐれ者。

4〜おまけに汚い。清潔感なんてまるでない。
全編どこまでも埃っぽさや汗の匂いがくっついてきて離れない、そんな感じ。
(それがまたペキンパースパイスで一度ハマると抜け出せない)

5〜極めつけは、死の舞踏とまで呼ばれるラスト、過去のハリウッド映画西部劇に反旗を翻すような終わり方だ。まあ、これはアメリカンニューシネマの時代に作られているから、当然といえば当然なのだけれど。

まあ、血まみれサムと異名を取るペキンパー監督の全力投球作品なので、万人向けでないことは明らかな映画がこの『ワイルドバンチ』だ。


それでも愛してしまう5つの理由

そんなふうに文章で書くと、「どこがいいんだ?」と叱責されそうだが、それでも何度でも繰り返し観たくなってしまうのが『ワイルドバンチ』なのだから仕方がない。たぶんぼくのツボにハマっているのだろう。

どこがそんなにイイのか?を挙げてみよう。

1〜それは主人公たちが、自分たちが何者か?を知っている潔さだ。

ギャング団の面々は本当にクソくだらないような連中ばかりだ。けれども、彼らは自分たちが全然大した人間でないことを、しかと理解している。要するに潔よいのだ。逃げていないのだ。
人間って、ちょっとばかりお金を持ったり有名になったり賞をもらったりすると、途端に「ひとかどのニンゲン」になった「つもり」になるものだ。

社会的名声?資金力?受賞歴?ちょっと待ってくれ、勘違いも甚だしい。

仮に死んだあの世で神様にあったとして、神様から「あなたは立派なことやってきましたね」と褒め称えられるニンゲンなんて、いるだろうか?いたとしても、たぶんほんのひと握りだろう。

自分が何様か?をわきまえているかどうかが大切なことであり、それを「潔い」というんだとぼくは思う。

『ワイルドバンチ』のギャング団の面々はそう言った意味で、自分が何様でもないことを知っているのだ。

時代の進み方が極端に速くなりすぎた今、SNSで「オレ、すごいだろ」「ワタシってなんてステキ」なシャワーを浴びつづける昨今だからこそ、『ワイルドバンチ』な彼らに会いたくなって、ついDVDに手が伸びてしまうのだ。

2〜舞台がメキシコ付近、そしてメキシコ革命が絡んでくるのが『ワイルドバンチ』なのだが、メキシコ革命なんて、日本人は知らない人の方が多いだろう、たぶん。
パンチョビラという名の英雄が農民や貧しい層を率いて立ち上がった革命だ。

仲間の一人にメキシコの貧しい村の出の若者がおり、彼には、他のメンバーと違い金を得る大義がある。
彼が物語のハブの一つになって、主人公らは時代の流れに、否応なく呑み込まれていくのだ。

その流れは、ともすればクサくなりがちな「一人の仲間のために、主人公たち4人が敵の巣窟に乗り込む」という、よくある流れだ。
そうなんだけど、まったくクサくない。
だけどかっこいい。
これはもう見事な脚本と演出というしかない。

3〜世の中のあれこれすべて笑い飛ばせ
『ワイルドバンチ』の面々はクセのある6人だ。何かにつけてぶつかりケンカとなる。
だが、すべて笑い飛ばすことでケリをつけてしまう。
どこまでも、なんであっても「ゲラゲラと笑い飛ばすこと」で何事もなかったかのように元に戻るヤツらなのだ。
これを「ステキ」と言わずなんと言おう。

ここでもう一つ「笑い」で見てほしいポイントを書いておきたい。

こちらの笑いはゲラゲラ笑いではない。アーネスト・ボーグナイン扮するダッチのニヤリとした笑顔だ。
アクの強い俳優アーネスト・ボーグナインのスマイルが、不思議とこの映画の大いなる救いとなっている。
特に後半の列車強奪時にダッチが見せるスマイルがあるのだが、妙に心に刻まれる笑顔なのだ。

4〜馬に乗れないヤツはもうダメだな

過去、主人公が馬に乗る時にコケる映画なんて、あっただろうか?そんな前代未聞のシーンが『ワイルドバンチ』にはある。

ギャングのリーダー格のパイクが、痛めた古傷のせいで乗馬時にコケるのだ。
ウィリアムホールデン演じるパイクに仲間からかけられるセリフがこの「馬に乗れないヤツはリーダーの資格がない」という冷めた言葉だ。

アメリカ人にとって、西部劇の主人公は最後までカッコよくあらねばならない存在だろう。そんな常識にさえペキンパーはNoを突きつけるのだ。

馬が自動車に取って代わられる時代を描くこの映画の中では、ひときわざっくりと心に残る言葉だ。
当然この言葉の「馬に乗れないヤツ」の「馬」を、今の時代の必須アイテムに置き換えると、『ワイルドバンチ』に新しい視点が見えてくる。
それはどういう視点か?
人間の新しいものを追い求めることへの「新しいものへの従属はは永遠に続くゲームにすぎない。くだらない」と言い切ることにも似ているとぼくは思う。

ネタバレになるけれど、メキシコ人の仲間エンジェルがメキシコ軍に捕らえられ、市中引き回し(引き摺り回し)のリンチに遭うのだが、エンジェルを引き摺り走り回るのが、馬ではなく当時最新のモービル=自動車なのだ。

5〜今見ても空前絶後なラスト「死のダンス」
はい、ここからは思い切りネタバレ。映画を見たい方はスルーすること。

クライマックスへの序章となる、4人の敵陣への乗り込み方が振るっている。
『四人揃い踏みで敵地へ乗り込む』のは『真昼の決闘』のラストに敬意を評してのシーンだと思うのだが、確か、西部劇の決闘シーンにあるような音楽♩〜🎵は、なかったと記憶している。

さも近所に買い物にでもいくかのように四人が歩いていく様はクール以外のなにものでもない。
そしてはじまる大銃撃戦はペキンパー監督の面目躍如だ。

時代からはみ出てしまった男たちが、弾丸を身に受けながら、最後まで引き金を引き続ける。
スローモーションと細かなカット割で畳み掛けるその「死の舞踏」は、やはり映画史に刻まれる名シーンだと思う。

おまけに激烈なシーンの中にあっても、パイクが撃つのをためらった女から逆に撃たれるという、伏線回収つきという丁寧な「死の舞踏」だ。

ちなみにこの大銃撃戦でキモになる兵器が、市場に出回ったばかりでメキシコ軍に手渡された機関銃というところも、ペキンパーのこだわりだろう。
1発ずつ撃つピストルの時代を生きてきたパイクは、銃弾を大量にばら撒く機関銃のグリップを握ったまま絶命する。
その姿から滲んでくるのは、時代は変わりゆくと、時代の変化にすり寄ることをしなかった男たちの潔さでもある。

死のダンスクライマックスでのセリフは、ただ一言と記憶している。それは体じゅうに銃弾を浴びたパイクに駆け寄りダッチが叫ぶ「パイク、死ぬな」だけだ。

この言葉は、時代を越えて、「潔く生きて死ね」という裏メッセージとして発せられているように、ぼくは思う。

以上がぼくの感想だけれど、要は、ほぼ「オススメできない」の裏返しとなってしまったようだ…。そう、ぼくはただ文句なしにこの映画が好きなのだ。


『ワイルドバンチ』画家的ペキンパー考察

ペキンパーと子どもたち

絵本画家として仕事をしたり、子どもの絵を描いたりしていると、子どもへのラブアンドピースに満ちたヒトと思われがちだが、それは大きな誤解、勘違いだ。

ぼくは子どもは天使なんかじゃない、と思っている。

子どもは生き抜くエゴ、残酷さ、理不尽さ、大人のウソへの鋭いアンテナを併せ持って持って生まれてくる。逆にそれがあってこそ、子どもらしいのだ。
だから彼らの前ではウソがつけないのだが。

ペキンパーの映画ではそんな子どもたちがさまざまな暗喩を含んで登場する。
たとえば『戦争のはらわた』ではオープニングからかわいい子どもの歌声ではじまり、少年兵が鍵となるし、『わらの犬』でも子どもこそ出て来ないけれど、子どもの知能で発達が止まった男がキーマンとして存在する。

『ワイルドバンチ』の冒頭シーンは、なんとサソリをアリの大群に襲わせる子どもたちの無邪気な好奇心丸出しの眼だ。
また、マパッチ将軍を憧れだけの眼差しで純に見あげる幼年兵の存在もまた強いスパイスとなっている。

ハリウッドで問題児とされ、最後はアルコールに溺れてズタボロになっていったペキンパーだけれど、彼は「子どもこそウソをつけない怖い相手だ」と思っていたに違いないとぼくは思う。
この映画のオープニング、サソリとアリをもて遊ぶ子どもたちから伝わってくるのは、人の命をもて遊ぶ神の別の姿だ…という暗喩の気がしている。
もちろんそのサソリとアリは、クライマックスにおけるパイクたちとメキシコ軍の銃撃戦の伏線だ。
サソリはワイルドバンチのギャング団であり、群れとなってサソリを殺すアリの大群はメキシコ軍の大群なのだ。


ペキンパーの決めポーズ

スローモーションとの美学とまで言われるペキンパー作品だ。
彼の作風がその後の映画人やジャンル違えど漫画家に与えた影響ははかりしれない。
絵を描くということは一瞬を切り取る行為なわけだけれど、ぼくが人間を描くとき、そのポーズに対するこだわりは、ペキンパーから受けている。自分自身がそういうのだから間違いない。
ペキンパーのスローモーションカットで使われるヒトの動きは、すべからく「想定外」なポーズなのだ。

「ナルホド、こんなふうに倒れていくのか」
「慌てて走るって、思ってるような走りポーズじゃないよ」

と、目をさらのようにして見てしまう。何度見ても発見がある。
その絶妙なリアルさは、のちのペキンパーチルドレンの演出とは一線を画していると思う。

ちなみに『AKIRA』で巨匠となった漫画家大友克洋もペキンパーのスローモーションシーンを目をサラにして見入った一人じゃないか…とぼくは思っている。…本人に聞いたわけじゃないからわからないけれど。


ペキンパーの埃と絵画的空気感

スクリーンから汗や埃のにおいが匂ってきそうだな、と、ペキンパーの映画を観るといつも思う。

絵の描き手として絵を見てくれた人からの最高の褒め言葉は、「音が聞こえてきそう」とか「この絵からは描かれた森のの匂いがしてきそうだ」といった、実際にはありえない五感を揺らぎを伝えられたときだったりする。

まさしくペキンパーの映画には、それがあるのだ。.,..あまりいい匂いじゃないけれど。

もちろんそれはペキンパーひとりの力なんかじゃなく、衣装やメイク、カメラマンの腕による総力戦の結果だと思うけれど、匂ってくる映画って、そうあるものではない。

世間には「血と汗の結晶」という褒め言葉がある。

ペキンパー作品も、映画スタッフキャストのそんな結晶なのだ。しかし、もしペキンパーが生きていて、彼にそんな言葉を伝えたならどういう反応を示すだろう?
「知ったような口きくんじゃねえ!オマエなんかに何がわかる!」と怒鳴られ、アルコールくさいパンチで追い出されるのがオチなんだろうな。


『ワイルドバンチ』ぼくの評価は?

長々と書いてしまった『ワイルドバンチ』、ぼくの評価は五つ星🌟🌟🌟🌟🌟
万人うけする映画ではないけれど、推しの傑作映画であることに変わりはありません。

『ワイルドバンチ』配信情報

U-Next・Prime Videoで配信中です。(2025年8月現在)






コメント

タイトルとURLをコピーしました