こんにちは!映画好き絵描きのタクです。今回、取り上げる映画は、『マイ・インターン』。2015年公開のアメリカ映画です。
主役はロバート・デ・ニーロ演ずる、パソコンも苦手なロートル初老な男、ベン。彼の再就職先はeコマースイケイケ企業。
ベンはロートル嫌いな美人女性社長(アン・ハサウェイ)の秘書室に配属され、チグハグで噛み合わない。そんな二人の、周りを巻き込んでの物語です。
ところで『マイ・インターン』では何度か日本語の「サヨナラ」が主人公たちの間で使われます。ネット上では「なぜサヨナラと日本語が使われるの?」といった疑問も見られます。
その「なぜサヨナラ?」疑問にも答えつつ、「老いた人生も捨てたもんじゃないストーリー」を還暦オーバーの運営人がレビューします。
どんな時オススメ?『マイインターン』解説
今や、時代の進む速さは超絶すぎますよね。
昨日の最新技術は今日には過去の遺物…は言い過ぎかもしれないけど、デジタル社会は日進月歩すぎて、それは怖いくらい。
でもでもひと昔まえには考えられない便利な世の中になっています。手からスマホを離すなんて考えられません。
しかしぼくは、こうも思います。
「いつまでコイツラの進化に付き合わなきゃならないんだ?」
意外とコレ、ホンネの方、多いんじゃないでしょうか?
また、新学期、進学、就職で「新しい世界」に一歩を踏み出そう!とする時、ハラハラドキドキ、「馴染めるかな?」「うまくいくかな?」
と不安になるのも、誰もが経験しているんじゃないでしょうか?
「新世界で、ワタシ、大丈夫かな?やっていけるかな?」と感じる春や「時代の早さについていくのが疲れるよ…」と、一歩立ち止まりたくなった時。そんな時にオススメで、背中をおしてくれる映画。それが『マイ・インターン』です。
映画の中では、なぜか日本語の『さよなら』というセリフが効果的に使われ、妙に心にのこる映画でもあります。
世代間の交流、そして友情。女性の社会進出、ワークライフバランスなど、いまの社会における様々なテーマを描きながら、温かい感動をくれる映画です。
『マイ・インターン』かんたんあらすじ
詳しい物語は映画で楽しむから、ざっくりストーリーだけかいつまんで教えて!というアナタ。はい、では、『30秒でわかるかんたんあらすじ』をどうぞ。
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定年退職し、妻も亡くし、人生でやることをやり尽くしたはずの初老の男ベン(ロバート・デ・ニーロ)が、主人公。
現役時代の輝きが忘れられずに、履歴書を出し、再就職した先はeコマースイケイケ企業。
生馬の目を抜くネットビジネス最先端の職場で、パソコンのスイッチさえわからない彼。
そんな彼の持つ武器は、電卓、ハンカチ、そして経験から出る言葉のみ。
こともあろうに、彼の配属先は、やり手の美人社長ジュールズ(アン・ハサウェイ)の直属だった。
ワンマンでネットスキルと効率最優先の社長ジュールズにとって、アナログなベンの存在は、ただうざいだけ。
しかし、ジュールズがぶつかるトラブルのたび、さりげなく的確なアドバイスをくれるべン。
仕事に、家庭に翻弄され、毎日が疲労困憊のジュールズは、次第にべンの存在が気にかかるようになってゆく。
ある日、会社の将来とジュールズの家庭に、暗雲が立ち込める…。
…と、そんなスジです。
あらすじネタバレ結末まで〜閲覧注意!
さらに詳しいあらすじはこちらです。完全ネタバレですので映画を観たい方は閲覧注意ですよ。
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舞台はニューヨーク。ジュールズ・オースティン(アン・ハサウェイ)は、自身が創業したファッション通販サイト「About The Fit」を、わずか1年半で大成功させた若きCEO。仕事に情熱を燃やし、常に忙しい日々を送っています。しかし、会社の成長とともに、彼女は周囲からのプレッシャーや孤独を感じ始めていました。
そんな中、「About The Fit」は地域貢献の一環として、シニア・インターンシップ制度を導入します。応募してきたのは、70歳のベン・ウィテカー(ロバート・デ・ニーロ)。長年勤めた電話帳会社を引退し、妻に先立たれた彼は、第二の人生に何か意義を見出したいと考えていました。
最初はジュールズをはじめ、若い社員たちはそんなベンを戸惑いながらも受け入れます。アナログなベンは、最新のITツールを使いこなせず、最初は周囲から浮いた存在に見えました。
しかし、彼は持ち前の穏やかさ、豊富な人生経験、そして紳士的な態度で、徐々に社内に溶け込んでいきます。
ジュールズは当初、ベンを単なる「お飾り」のように思っていましたが、彼の細やかな気遣いや的確なアドバイスに助けられるうちに、次第に信頼を寄せるようになります。
ベンは、ジュールズの運転手を買って出たり、彼女の仕事の悩みを聞いたり、時には厳しい意見を言ったりしながら、かけがえのない存在となっていきます。
ジュールズは、夫のマットとの関係がうまくいかず悩んでいました。仕事に没頭するあまり、家庭を顧みることができず、マットはキャリアを諦めて主夫となり、二人の間にはすれ違いが生じていたのです。
中盤
ベンは、ジュールズの仕事ぶりを間近で見て、彼女の抱えるプレッシャーや孤独を理解していきます。彼は、ジュールズの母親代わりとなって娘を学校へ送迎したり、彼女のオフィスを整理整頓したりと、公私にわたってサポートします。
ジュールズは、投資家からのプレッシャーを受け、外部から経験豊富なCEOを招くことを検討し始めます。自分の会社を手放すことになるかもしれないという不安と、会社の成長を願う気持ちの間で葛藤します。
そんな中、ジュールズはベンに自分の悩みを打ち明けます。ベンの温かい励ましと、人生の先輩としての的確なアドバイスは、ジュールズの心を支えます。
ベンは、ジュールズにとって単なるインターンではなく、信頼できる友人、そしてメンターとなっていきます。
結末
ジュールズは、最終的に外部からCEOを招くという決断を下そうとします。しかし、ベンとの交流を通して、彼女は自分自身が会社のリーダーとして成長してきたこと、そして何よりも会社を愛していることに気づきます。
重要な会議の直前、ジュールズはベンに電話をかけ、自分の気持ちを正直に伝えます。「私はこの会社を手放したくない。自分でこの会社を大きくしていきたい」と。ベンの励ましを受け、ジュールズは会議で自分の決意を表明し、CEOのオファーを断ります。
一方、ジュールズの夫マットは、彼女の仕事への情熱と、自分自身のキャリアへの不満から、一時的に他の女性と関係を持ってしまいます。しかし、ジュールズが自分の気持ちと向き合い、会社への愛情を再確認する中で、マットもまた自分の過ちを認め、ジュールズとの関係を修復しようとします。
映画のラストシーンは、ジュールズとベンが公園で会うシーンです。二人の間には、年齢を超えた深い友情と信頼関係が築かれており、ジュールズはベンというかけがえのないメンターを得て、自信を持って未来へと歩み出します。
エンドロール
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『マイインターン』ではなぜ日本語の「サヨナラ」が使われた?
日本びいきの『サヨナラ』なのか?
ネットで『マイ・インターン』への疑問ナンバーワンの「なぜサヨナラ?」へのぼくの答えを最初に書きますね。
映画の中で、日本語の「サヨナラ」が何度か使われたと思います。
シンプルな推測は、、アン・ハサウェイ演じるジュールズが、実は「日本好き=日本びいき」というキャラの裏設定があるのでは??という推測です。
「日本好き」が匂わされるシーンは「サヨナラ」ということばが使われる以外にこんなシーンがあります。
それは、ジュールズがベンと残業中にビールで乾杯するシーンです。
その乾杯カットでテーブルの上に置かれているデリバリーが、「寿司」なのです。
大方の映画で登場するデリバリーシーンではイタリアンピザや、中華料理のテイクアウト=焼きそばが定番です。
あまり「寿司」がデリバリーで登場する映画は見たことがありません。(日本料理レストランシーンはたまに登場しますけど。)
脚本・監督を手がけたナンシー・マイヤーズが『マイ・インターン』の中で、あえて「スシ」設定したのはなぜでしょうか?
「さよなら」を日本語で言わせている上にデリバリーが「寿司」とくれば、どう考えても脚本家が「ジュールズは日本好きなのですよ…」という裏付けを忍ばせた、、、としか思えません。
多分ナンシー監督も日本好きなんだと思います。
クリエイターって、手がけた作品にはどうしたって自分が出てしまうものですから。
さらにもう一つ、大事なポイントがあります。それは映画に登場する
「日本語の響きがいいんだ」
というセリフです。
では、日本語って、外国人にはどう聞こえるのか?響くのか??を以下の章で考察してみます。
『サヨナラ』の語感は外国人にどう響くのか?
「日本語のコトバの響きのよさ」を、セリフに入れ込むなんて、かなり日本語にラブを入れているように思えます。
監督がジャパンリスペクトを持っているゆえに『サヨナラ』を使ったのは間違いないでしょう。
それとは別角度で『サヨナラ』を考察してみます。
ぼくには外国人の『サヨナラ』に関する思い出がひとつあります。
それは、大昔にトランペッター『ニニ・ロッソ』のコンサートを聞きに行った時のことです。ニニ・ロッソがステージでこう言いました。
「私は日本語の『サヨナラ』の響きが大好きです。前回来日した時、スタッフと空港で別れる時、『サヨナラ』と言ってもらえるのをワクワクと期待しました。ところが発せられたのは『チャオ』でした。悲しかったです」…という笑いを誘うステージトークでした。
外国人にとって、『サヨナラ』という響きは、ぼくらネイティブ日本人にはわからないスペシャルな語感なのかもしれません。
そんなことを思ったので、「外国人に『サヨナラ』はどう響くのか?」を調べてみました。
調べてみたところ、「これこそが、答えじゃないか!」という、とても丁寧な考察に出会いました。
軽井沢病院院長先生・稲葉敏郎先生の考察です。
プレジデントオンラインに掲載されていましたので、一部を転載します。
『マイインターンの』の『サヨナラ』が気になった方、ぜひご一読ください!
間違いなくベンとジュールスが『サヨナラ』と日本語を使った意味が解かれている…と僕は感じました。
プレジデントオンラインのリンクを貼っておきます。

以下、リンク先から稲葉俊郎先生の文を一部転載します。
「さよなら」考察、鳥肌ものですよ。
「別れ言葉」の3パターンに分類できない
世界の別れ言葉の語源として、一つには「神のご加護を祈る」という意味があります。英語の“good-bye”はもともと“God be with you”が短くなった言葉で、「神があなたとともにあらんことを祈る」という意味です。スペイン語の“adios”も「神のご加護を祈る」という意味の言葉が、別れの言葉として使われています。他によく使われるのが、「また会いましょう」という意味の別れ言葉です。英語の“see you again”や中国語の「再見(ツァイチェン)」などです。それ以外には、「お元気で」という意味の別れ言葉もあります。英語の“farewell”や韓国語の「안녕히계세요(アンニョンヒケセヨ)」などもそうした意味合いの言葉です。
世界の「別れ言葉」は、「神のご加護を祈る」、「また会いましょう」、「お元気で」と言った三つのパターンに分類されます。ところが、日本語の「さようなら」はどのパターンにも当てはまらない特殊な言葉なのです。「さようなら」に似た日本語としては、「さらば」「それでは」「じゃあ」「ほな」などもありますが、いずれも上記のカテゴリーに当てはまりません。日本語は、世界中の言語表現の中でも極めて珍しい言葉を別れ言葉として採用しているようです。
では、「さようなら」は、どういう意味を含んだ言葉なのでしょうか。「さようなら」と似た「さらば」は、「左様であるならば」を略した言葉です。「左様であるならば」は、「そのようであるならば」という意味であり、言葉の分類としては接続詞にあたります。つまり、日本語は接続詞を別れのあいさつとして転用しているのです。
別れの痛みを「再会の希望」で紛らわさない
別れは、儚く、悲しく、せつないものです。そのようにして自分の中に流れる感情や自分と相手の間に流れる感情を、お互いの関係性の中で起きたことを「そのようであるならば」と、ありのまま受けとめる。そうした態度が「左様であるならば」、つまり「さようなら」という言語表現として伝えられてきました。こうした日常的な言葉の中にこそ、日本人の感性やものごとの受け止め方、考え方や哲学が特徴的に表れています。アメリカの紀行作家でアン・リンドバーグという人がいます。彼女の夫は1927年に単独で大西洋無着陸横断飛行をしたチャールズ・リンドバーグでもあり、アン・リンドバーグもまた世界中の国を渡り歩きながら旅をして、行く先々で多くの出会いと別れを繰り返しました。世界中を旅する中で日本語の「さよなら」という言葉が最も琴線に響いたようで、その体験を『翼よ、北に』(みすず書房・2002年)という著作で記しています。
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「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。
これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉をわたしは知らない。
〈Auf Wiedersehen〉や〈Au revoir〉や〈Till we meet again〉のように、別れの痛みを再会の希望によって紛らわそうという試みを「サヨナラ」はしない。
目をしばたたいて涙を健気に抑えて告げる〈Farewell〉のように、別離の苦い味わいを避けてもいない。
……けれども「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。
それは事実をあるがままに受け入れている。
人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。
ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしないGood-byeであり、心を込めて握る暖かさなのだ――「サヨナラ」は。AnneMorrowLindbergh(著)、中村妙子(訳)『翼よ、北に』(みすず書房・2002年)
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受け止めた過去を、未来へとつなげていく言葉
アン・リンドバーグは、日本で言われた「さよなら」という不思議な語感を持つ四文字の別れ言葉にすごく惹かれたと記しています。別れを紛らわせたり、悲しんだりするのではなく、ありのまま受け入れる。しかも「そうならなければならないなら」というのは、受け止めた過去を未来へとつなげていく言葉なのだと記述しています。
もっと詳しく読みたい方はプレジデントオンラインでどうぞ

『マイ・インターン』ぼくの感想
『マイ・インターン=サヨナラ考察』が長くなってしまいましたが、ここから、映画の感想です。
定年オヤジを演じさせてもすんごいロバート・デ・ニーロ
冒頭15分で描き出される、『時代の最先端企業』と、忘れられつつある『旧式』=主人公ベンの対比が、絶妙なスピード感でぐいぐい引きこまれました。
ロバート・デ・ニーロの演技力には、毎度のことながら、舌を巻きます。最小限の言葉で、ちょっとした表情や仕草で『旧式』を表現しちゃうのが、すごい。
『マイインターン』の冒頭シーンに「太極拳の練習シーン」がありますが、その表情で掴んじゃいます。
デジタル社会乗り遅れ組会社人間の末路…おっと、失礼、アフター還暦の切なさを、見事ワンカットで印象づけてます。
アンハサウェイ、新進気鋭のeコマース経営者なりきり
対してアン・ハサウェイはeコマース会社の社長なのですが、持ち前のファニーフェイスが、「新進気鋭のeコマース経営者」を演ずるにピッタリきていました。
まわりをかためる若い脇役達もとても良いです。
社長秘書のけなげさと弱さ。トムと同期入社した若者たちの、愛すべき世間知らずさに、「わかるよなあ、あるよなあ..」と、共感するのです。
劇中、トムの「化石のような生活スタイル」が、時代の突端を切り拓く若者達には逆に「めっちゃ新鮮」に映るところなんて、ぼくのようなロートル世代=デ・ニーロ『タクシードライバー』リアル体験世代=のツボにどハマりします。(ロートルって、よく聞くけど、中国語です。漢字で「老頭児」ようは年寄りって意味なのです。)
若者たちの生活や価値観を、デ・ニーロが知らず知らずのうちに変えていく様は、観ていて微笑ましくなりました。
そんなところに感動してしまうのは、なぜだろう?と、以下、ぼくなりに考えてみました。
『マイ・インターン』なんで心に響くんだろう?
時代のスピードアップとともに上がっていく『マイインターン』の価値
腕組みして考えた結果は、こうです。
結局、ぼくらも、気づかないうちに『次々とくり出される新様式』と『忘れ去られゆく旧タイプ』を、日常の中で体験し、無意識のうちに新様式にあらがっているから…なのではないだろうか?
どんなにハイテクについていくのがうまい人、早い人でも、ストレスが大きい世界。それが『今』。
だから、この映画は響くんだと思います。
時代の進み方が早くなればなるほど、この映画の価値はあがっていく。そんな映画だと思います。
楽屋ネタ発見!『マイ・インターン』に「アンタッチャブル」
フフフなシーンは『アンタッチャブル』
ロバート・デ・ニーロが床屋さんで顔剃りしてもらうカットがワンシーンあります。
たぶん、脚本家(監督か?)の、デ・ニーロ作品へのリスペクトが込められているようで、ニヤっとしました。
その映画は『アンタッチャブル』。(ブライアン・デ・パルマ監督作品/ケヴィン・コスナー主演)
アンタッチャブルで、禁酒法時代のシカゴを牛耳ったアル・カポネを演じたのがデ・ニーロです。
その作品の中に、ちょうど同じようなカットがあります。こういう楽屋ネタ的ニヤリを見つけると、嬉しくなってしまいます。
『マイ・インターン』ぼくの評価は?
起承転結しっかり踏んで、ワクワクもハラハラもきっちり畳み掛けて、ロバート・デ・ニーロの演技も楽しめて、ハッピーな時間をもらえました。
休日にグラス傾けながらおすすめムービーです。僕の評価は星4つ。
星ひとつが欠けた理由は、デニーロが過去働いていたところは、一体どんなところだったのか?
劇中その点が明かされ、映画の中で大きなポイントになるのですが、明かすに至る「伏線シーン」がイマイチはっきり描かれません。そこがマイナス星一つなのでした。
『マイ・インターン』スタッフ・キャスト
監督さんは女性です。ナンシー・マイヤーズといいます。脚本も彼女です。
素敵な映画を撮った彼女は、どんなキャリアだろう?と、ちょっと調べました。
過去、コメディやラブストーリーを何作も手掛けている方でした。
有名なところで、『プライベート・ベンジャミン』『ハート・オブ・ウーマン』『恋愛適齢期』
といった作品を撮っていました。『プライベート・ベンジャミン』なんて懐かしい、、好きな映画です。
キャストは以下、wikipediaの『マイ・インターン』より転載しておきます。
ベン・ウィテカー – ロバート・デ・ニーロ
ジュールズ・オースティン – アン・ハサウェイ
キャメロン – アンドリュー・ラネルズ
ベッキー – クリスティーナ・シェラー
ジェイソン – アダム・ディヴァイン
デイビス – ザック・パールマン
ルイス – ジェイソン・オーリー
フィオナ – レネ・ルッソ
マット – アンダーズ・ホーム
『マイ・インターン』予告編
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