『1917 命をかけた伝令』ネタバレ考察|実話?ワンカット撮影とラストの意味を画家目線で読み解く

戦争・歴史・時代

『1917 命をかけた伝令』ネタバレ考察|実話?ワンカット撮影とラストの意味を画家目線で読み解く

こんにちは!映画好き画家のタクです。

今回レビューする映画は、サム・メンデス監督の『1917 命をかけた伝令』。

第一次世界大戦の戦場を舞台に、二人の若いイギリス兵が「攻撃中止」の命令を届けるため、敵地を越えてゆく物語です。




公開当時、

「全編ワンカット!」

という宣伝文句を見て、

「どういうことだろう?」

と思ったことを覚えています。

観て納得しました。

正確には、本当に最初から最後まで一度もカメラを止めずに撮影したわけではありません。複数の長回しを撮影し、それらを巧みに接続することで、一本の連続したショットのように見せています。

ところが映画が始まると、そんな撮影技術のことはどうでもよくなってくる。

気がつけば、ぼくら観客も主人公たちと一緒に塹壕を歩き、泥に足を取られ、銃弾から逃げ、川へ飛び込んでいる。

そして画家であるぼくが、この映画でもっとも心を奪われたところはどこだったのか?

それは意外にも、戦闘そのものではありませんでした。

戦場の「風景」だったのです。

破壊と殺戮が続く第一次世界大戦の戦場が、なぜこれほどまで美しく見えてしまうのか?

そこから『1917 命をかけた伝令』を考えてみます。

※ここから先は物語の結末を含むネタバレがあります。ご注意ください。

『1917 命をかけた伝令』作品解説・スタッフ・キャスト

監督はサム・メンデス。

『アメリカン・ビューティー』『007 スカイフォール』『007 スペクター』などを手掛けた監督です。

脚本はサム・メンデスとクリスティ・ウィルソン=ケアンズ。

そして、本作を語るうえで忘れてならないのが、撮影監督のロジャー・ディーキンスです。

『ブレードランナー2049』などでも知られる名撮影監督ですが、『1917』では、第92回アカデミー賞撮影賞を受賞しました。

主人公ウィル・スコフィールドを演じるのはジョージ・マッケイ。

トム・ブレイク役にディーン=チャールズ・チャップマン。

ほかにもコリン・ファース、マーク・ストロング、ベネディクト・カンバーバッチ、リチャード・マッデンらが出演しています。



『1917 命をかけた伝令』あらすじ【ネタバレ】

1917年、第一次世界大戦下のフランス。

西部戦線ではドイツ軍が後退。

イギリス軍はこれを好機とみて、追撃攻撃を仕掛けようとしていました。

ところがドイツ軍の撤退は敗走ではなく、イギリス軍を誘い込むための罠でした。

このまま攻撃すれば、多数の兵士が待ち伏せしているドイツ軍の前へ飛び込むことになる。

即刻攻撃を中止させなければならない。

しかし通信線は切断されています。

そこで司令部は、二人の若い兵士に命令書を託します。

ウィル・スコフィールドとトム・ブレイク。

二人に与えられた任務は単純です。

敵地を突破し、翌朝の攻撃開始までに命令書を届けること。

しかも攻撃部隊には、ブレイクの兄も所属していました。

二人は塹壕を出て、無人地帯を越え、撤退したドイツ軍陣地へ入ります。

しかし、途中で墜落したドイツ軍機のパイロットを助けようとしたブレイクが、逆にパイロットから刺され、命を落としてしまう。

残されたスコフィールドは、たった一人で伝令を続けます。

しかし彼のいく手には、次々と

狙撃兵。

燃え上がる街。

追ってくるドイツ兵。

激流。

死線をこえ、スコフィールドはようやく目的の部隊へたどり着きます。

しかし、攻撃はすでに始まろうとしていました。

果たして命令は間に合うのか?

以上が『1917 命をかけた伝令』の物語です。



『1917』は実話?〜サム・メンデスの祖父の戦争体験

この映画を観ると、

「これって実話なの?」

と思う人も多いでしょう。

結論から言えば、スコフィールドとブレイクの物語そのものはフィクションです。

ただし、完全にゼロから作られた話でもありません。

物語の原点にいるのが、サム・メンデス監督の祖父、アルフレッド・メンデスです。

アルフレッドは17歳で第一次世界大戦に従軍しました。

そしてメンデス監督が聞いた祖父の体験談の中に、霧に覆われた無人地帯を一人で進み、伝令を届けたという話があったそうです。

メンデス自身、「祖父についての映画」ではなく、祖父がいたから生まれた映画だという趣旨の説明をしています。つまり人物や出来事をそのまま映画化した「実話映画」ではないんですね。

ここは大事だと思います。

祖父が語ったのは、勇敢な英雄物語ではなかったようです。

隣にいた兵士が死んで、なぜ自分は生き残ったのか。

生と死を分けるのはちょっとした偶然でしかない…。

そんな祖父の体験を聞いたことが『1917』の脚本と演出の底を流れています。

だから、この映画の兵士たちは、いわゆる「戦争ヒーロー」とは違う。

描かれた主人公たちは、生き延びようとする普通の人間なんですね。



『1917』のワンカット撮影はどうやって撮った?

『1917』最大の特徴が、映画全体が一本のショットのように見える撮影です。

実際には長回しで撮影した複数の映像を、VFXなどを使って上手い具合につないでいます。

でも、ぼくは「どうやってつないだのか?」という技術テクニックよりも、

「なぜ、こう撮ったのか?」

のほうが大事だと思っています。

メンデス監督は、

「二人と観客との関係を切らず、時間が刻々と過ぎていく感覚を共有させたかった」

と説明しています。

これが、抜群に効いている。

普通の映画ならば、

カット。

別のカット。

さらに別のカット。

というふうに、編集によって時間も空間も飛び越えられます。

『1917』には、その「逃げ」がほとんどない。

主人公が歩けば、ぼくらも歩く。

主人公が走れば、ぼくらも走る。

角を曲がれば、その向こうに何があるのか、ぼくらにもわからない。

例えが悪いかもしれませんが、旅先で素敵な街を歩いているとき、

「あの角を曲がったら、どんな風景があるんだろう?」

と思う感覚にちょっと似ています。

ただし、この旅で角を曲がった先にあるのは、美しい広場とは限らない。

死体かもしれない。

狙撃兵かもしれない。

死かもしれない。

それでもカメラは進む。

この「ひたすらに前へと進む」感覚こそ、『1917』のワンカット撮影の凄さだと思います。



なぜ『1917』の戦場はこんなにも美しいのか?画家目線で14の風景を考察

ここからが、ぼくが『1917』で一番書きたかったところです。

この映画には、わずか2時間ほどの中に、驚くほど異なる「戦場の風景」が登場します。

ぼくが映画を観ながら感じたものを、時系列に並べてみます。

1.オープニング――美しい田園

まず見えるのは戦争ではなく、穏やかな自然。

ここから地獄への旅が始まります。

2.塹壕を出る――黒い泥の世界

クレーターだらけの大地。

泥。

死体。

最前線の色は、ぼくには「黒」に見えました。

3.撤退したドイツ軍陣地――物量消耗の虚しさ

積み重なる空薬莢。

人間が莫大な物資と労力を注ぎ込んで作ったものが、殺し合いのあとにはゴミのように残されている。

4.地下壕――閉塞

暗い地下。

さらに仕掛けられた罠。

空間そのものが人間を押し潰してくるようです。

5.再び平原へ――開放

地下から抜け出した瞬間、風景が一気に開く。

閉塞から開放へ。

これが、気持ちいい。



6.無人の農家――生活の痕跡

ついさっきまで、ここには普通の暮らしがあったのだろうと思わせる農家。

戦争によって人だけが消え、景色だけが残されています。

7.川と狙撃兵――恐怖

美しい景色の中にも、どこから弾丸が飛んでくるかわからない。

緊張感に風景を見る目そのものが変わってしまいます。

8.燃え上がる市街――闇と炎

ここは圧巻。

暗闇の中で燃え上がる廃墟。

炎の光によって巨大な影が生まれ、街そのものが悪夢の舞台装置のようになります。

恐怖の色です。

だけど、画としては猛烈に美しい。

ここで「美しい」と感じてしまう自分に、ちょっと戸惑いました。

9.赤ん坊を抱く女性――小さな光

殺し合いの世界の中で現れる、母親と赤ん坊。

ほんの短い場面なのに、人間の温もりが戻ってくる。

ほのかな、だけど厳然とした命の輝きを放つ色です。



10.川――死

スコフィールドは川へ飛び込みます。

流されながら、生と死の境目をさまよう。

絵になる川辺に、皮肉にも戦争によって失われた命が押し寄せる。

11.森――歌

森の中。

一人の兵士が歌っている。

周囲には大勢の兵士たち。

誰も騒がない。

ただ静かに歌を聴いている。

ぼくの好きな場面です。

これから死ぬかもしれない若者たちが、ほんの短い時間、一つの歌を共有している。

そこには凛とした美しさがあります。

12.大隊の塹壕――白

大体の塹壕の土色は、白です。

映画前半の「黒い泥」とは違う、白色大地〜明るい地面なんです。

前半の黒に対してクライマックス近くに白を設定したのは、制作側のこだわりでしょう。

この色の違いに何を受け取るかでこの映画の印象は変わってくると思います。

13.突撃――野の花

クライマックスの突撃シーンの野の花たち。

ぼくが画家として一番衝撃を受けた風景の一つです。

兵士たちが塹壕から飛び出し、次々と倒れていく。

その足元には、野の花が咲いている。

カメラはどんどん引く。

畳み掛けられる殺戮。

それでも花は咲いている。

戦争なんて知ったことじゃない。

自然は、人間の愚かさとは無関係に美しい。

その対比が、痛いほど目から心に刺さってきました。

14.そしてラスト――再び静けさへ

ラスト、地獄を抜けてきたスコフィールドに、再び静かな時間が訪れます。

その景色は、大声で主張する景色ではありません。

ただ、一人の人間を見つめます。

この14の風景を通して考えると、『1917』は、ただ単に「一兵士の戦争をリアルに描いた映画」ではないように、ぼくには思えます。

自然の美しさや色が無言で訴えてくるのは何なのかというと、

それは、

人間の醜悪さ、です。



トム・ブレイクの死がスコフィールドを変える

映画の大きな転換点が、ブレイクの死です。

ブレイクは、自分たちを攻撃した敵側のパイロットを助けようとして、逆にナイフで刺されます。

なんとも皮肉です。

でも、彼の死はショッキングに描かれません。

ここからスコフィールドが背負うものがじわじわと変わったように僕には思えました。

最初は「命令を届ける」というシンプルな軍務だった。

しかしブレイクが死んだ瞬間から、

「ブレイクがそれまで命をかけたものを無駄にしない」

というプライベートな約束へと変わっていく。

さらにその先の陣地には、ブレイクの死を伝えることになる兄がいる。

このドラマの中で、兄弟という血のつながりを設定した理由を考えてみると、

そこには「兄弟が生きてきた時間」という小さいけれど厳然とした二人の歴史が見えてきます。

戦争という巨大な仕組みの中で、命令書はたった一枚の紙です。

でも、その紙の向こう側にいるのは、泥と血にまみれながらも歴史を背負った、

一つ一つの命の輝きなのです。

綿々と二人の兵士を追うことで戦場をスケッチした『1917』。

この映画が伝えたかったのは、命の色を消す権利は誰にもない、、、ということだったんじゃないか、、、ぼくはそう思いました。



燃える街、森の歌、野の花――戦争の醜悪さと「美」

この映画を観終わったあと、ぼくは数日考えました。

なぜ戦争映画を観て、これほど「美」を感じたんだろう?

人が殺される。

街が焼かれる。

若者たちが泥の中で死んでいく。

そんな内容からして美しいはずがありません。

それなのにロジャー・ディーキンスのカメラは、その世界の中から何度も「美」を拾います。

燃える街。

赤ん坊。

森の歌。

水面。

野の花。

そして木。

スクリーンで展開するシーンには、いくつもの美が隠されているんです。

そこで、ぼくなりに一つの答えにたどり着きました。それは、

人間がどれほど世界を壊しても、美は完全に消すことはできない。

というアンサーです。

戦争という人間の醜悪さの対極に配置された美は、

「世界は美しい。どうしようもない人間にも、まだ救いがある」

と語りかけているように感じられました。

もちろん、これはサム・メンデス監督がそう言ったという話ではありません。

一人の画家として、この映画からぼくが受け取ったものです。

ぼくにとって『1917』は、

「美しさ探し」をさせられた戦争映画

でした。

こんなタイプの戦争映画は、ちょっとありません。



『1917』ラストの意味|一本の木から始まり、一本の木で終わる

そして、あらためて強く感じたのがラストのとあるカットです。

映画の冒頭カットで主人公のスコフィールドは、一本の木にもたれて休んでいます。

そして長い長い一日を生き抜いたラストでも、彼は再び、一本の木にもたれる。

始まりと終わりが呼応しています。

でも、同じスコフィールドではありません。

友人を失った。

死体の横を歩いた。

人を殺した。

川を流された。

何度も死にかけた。

そして、ようやく命令を届けた。

冒頭では、木は単なる休息場所だったかもしれません。

でもラストの木は違って見える。

ぼくには、

「人間がどれほど狂ったことをしても、自然はそこにあり続ける」

という映画全体の象徴のように思えました。

そしてスコフィールドは、そこで家族の写真を見る。

ここも大切です。

彼が命をかけて帰ろうとしている場所。

それは軍隊ではありません。

新たな塹壕でもありません。

「家=Home」なんです。

壮絶な戦争映画の最後に残されるのが、「勝利」ではなく「帰るべき場所」だというところに、この映画の優しさを感じました。



ワンカット撮影は「技術自慢」ではなかった

公開当時は「全編ワンカット」という言葉ばかりが注目された映画だったと思います。

でも、改めて考えると、これは技術自慢の映画じゃない。

撮影監督ロジャー・ディーキンス自身、最初に脚本を読んだとき「ギミックにならないか」と心配したそうです。

しかし物語を読んで、この撮影方法に意味があると理解した。

ぼくも同感です。

カメラが切れないから、観客はスコフィールドから逃げられない。

「さて、そのころ別の場所では……」

と安全な場所へ連れていってもらえない。

スコフィールドが苦しければ、観客も苦しい。

そして、彼がようやく木の下に座ったとき、

ぼくらもようやく座れる。

そこまで含めて、あえてのワンカット風撮影だったのだと思います。



『1917 命をかけた伝令』感想・評価

ぼくの評価は、★★★★☆+ 星4.5です。

これは「好きな映画」というより、

「良い映画」

です。

ぼくの中では、「スキ」と「ヨイ」はちょっと違うんです(笑)。

何度も繰り返し観たくなるタイプの映画ではありません。

でも、映画表現として圧倒的に優れている。

ワンカット風撮影。

ロジャー・ディーキンスの映像。

ジョージ・マッケイの身体性。

刻々と迫る時間。

そして、戦争という醜悪さの中に置かれた、どうしようもなく美しい風景。

戦争映画というジャンルに、新しい一本の道を作った作品だと思います。

そして画家であるぼくが、この映画から一番強く受け取ったもの。

それは、

戦場と人間たちの醜悪さ。
それでも静かに人間を見守り続ける、自然の美。

人間が戦争をしていても、花は咲く。

川は流れる。

木は立っている。

そのことが救いなのか、それとも残酷なのか。

たぶん答えはありません。

だからこそ『1917 命をかけた伝令』は、観終わったあとにも残る映画なのだと思います。








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