『ほどなく、お別れです』レビュー|葬祭プランナーの仕事を通して描かれる、死者と遺された人々の物語。

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お涙頂戴の感動作だろうと思って観始めた僕が、最後まで一気に引き込まれてしまった。
2ヶ月前に母を見送ったばかりの僕にとって、この映画は単なるフィクションではなかった。
人は、大切な人を失ったとき、必ずしも納得のいく別れができるわけではない。
伝えられなかった言葉もある。
「あのとき、こうしていれば」という後悔もある。
この映画は、そんな行き場のない気持ちに、そっと赦しをくれるような作品だった。
映画評価:★★★☆(3.5/5.0)
※この記事には映画『ほどなく、お別れです』のあらすじと、物語の内容に触れる感想が含まれています。また、評価はあくまで僕個人のものです。
『ほどなく、お別れです』作品情報・スタッフ・キャスト
- 公開:2026年2月6日
- 製作国:日本
- 上映時間:124分
- 監督:三木孝浩
- 原作:長月天音『ほどなく、お別れです』シリーズ(小学館文庫)
- 脚本:本田隆朗
- 脚本監修:岡田惠和
- 音楽:亀田誠治
- 主題歌:手嶌葵「アメイジング・グレイス」
- 配給:東宝
主なキャスト
浜辺美波/清水美空
就職活動に失敗続きの大学生。亡くなった人の声を聴くという不思議な能力を持ち、葬儀会社で働き始める。
目黒蓮/漆原礼二
葬儀会社「坂東会館」の葬祭プランナー。仕事には厳しく、冷徹に見えることもあるが、故人と遺族に対して深い思いやりを持つ。
森田望智/赤坂陽子
坂東会館で働く葬祭プランナー。
光石研/坂東稔
坂東会館の社長。
そのほか、古川琴音、北村匠海、志田未来、渡邊圭祐、新木優子、原田泰造、永作博美、夏木マリらが出演。
原作は長月天音による同名小説シリーズ。第19回小学館文庫小説賞の大賞受賞作を映画化した作品。
ちなみに僕は原作未読なので、映画と小説の違いについては触れないでおきます。
『ほどなく、お別れです』あらすじ〜ネタバレあり
就職活動で連戦連敗。
自分の居場所を見つけられずにいる大学生、清水美空(浜辺美波)。
彼女には、誰にも打ち明けられない秘密があった。
それは、亡くなった人の声を聴くことができるという不思議な能力。
そんな美空の能力に気づいたのが、葬儀会社「坂東会館」で働く葬祭プランナー、漆原礼二(目黒蓮)だった。
漆原に誘われ、インターンとして葬儀の仕事に携わることになった美空。
しかし、そこで待っていたのは、想像以上に厳しい世界だった。
葬儀には失敗が許されない。
なぜなら、それは故人にとっても遺族にとっても、二度とやり直すことのできない別れの場だからだ。
漆原の指導は容赦がない。
だが美空は、彼が故人と遺族に向き合う姿を通して、その厳しさの裏側にある深い思いやりを知っていく。
それぞれの葬儀には、それぞれの人生があり、別れがあり、伝えられなかった想いがある。
美空は死者の声を聴く能力を生かしながら、故人と遺族の間に残された想いをつなごうとする。
やがて彼女は、葬祭プランナーという仕事の本当の意味を知り、自らもその道を志すようになる。
一方、いつも冷静沈着な漆原にも、過去の別れにまつわる心の傷があった。
葬儀とは何なのか。
大切な人を見送るとは、どういうことなのか。
そして、人は悲しみや後悔を抱えながら、どうやって生きていけばいいのだろうか。
物語は、そんな問いへと静かに踏み込んでいく。
感想・評価|引き込まれた浜辺美波の「感情を溜める演技」
正直に言ってしまおう。
葬祭プランナーが主人公の葬儀モノ。
最初は、お涙頂戴の感動作なんだろうなあ、なんて思って観始めた。
そもそも僕は、この手のジャンルがあまり得意ではない。
人の死を扱い、悲しみを積み重ね、最後に観客の涙を誘う。
そんな定番の感動ドラマを想像していたわけだ。
ところが、観始めてしばらくすると、思いがけず引き込まれてしまった。
その理由のひとつが、主演の浜辺美波の演技だった。
彼女の演技が、実によかった。
感情を大きく表に出すのではなく、ぐっと内側に溜め込んで、ほんの一瞬だけ見せる。
悲しみも、戸惑いも、驚きも、そして人を思いやる気持ちも。
そのすべてを、台詞で説明しようとしない。
表情や視線の動き、ちょっとした間合いの中に、感情がちらりと顔を出す。
僕はこういう演技に弱い。
人間の感情というのは、いつだって言葉になって表れるわけではない。
むしろ、本当に心が動いたときほど、言葉が出てこなくなるものだ。
浜辺美波の演技には、そんな人間らしさがあった。
そして、彼女を厳しく指導する目黒蓮。
こちらは対照的に、感情を表に出さない人物を演じている。
しかし、その無表情とも思える態度の奥には、故人と遺族に対する強い責任感がある。
葬儀という、感情が激しく揺れ動く現場で、あえて感情を抑える。
そのことが、どれほど大切なのか。
僕には、それがよくわかった。
なぜなら、数ヶ月前に母を亡くした僕自身が、葬儀社の方にまったく同じ安心感を覚えたからだ。
葬儀は、リハーサルのない「ぶっつけ本番」なのだ
ここからは少し、僕自身の話をさせてほしい。
実は僕は、数ヶ月前に母を見送ったばかりだ。
突然の死だった。
だから、この映画で描かれる葬儀の場面は、僕にとってかなりリアルに迫ってきた。
葬儀というのは、考えてみれば不思議なものだ。
誰もがいつか経験する可能性があるのに、その段取りを知っている人は案外少ない。
葬儀って、ぶっつけ本番なんです。
当然だけれど、リハーサルなんてない。
昔だったら、近所のおっちゃんや親戚に、世話人的な人がいたりした。
何をどうすればいいのか、教えてくれる人がいたわけだ。
ところが今の時代、そういう人が身近にいるとは限らない。
何から手をつけていいのか、右も左もわからない。
僕もそうだった。
病院で医師から「ご臨終です」と告げられる。
その瞬間から、悲しみに浸る間もなく、現実的な手続きが始まるのだ。
病院のベッドを空けなければならない。
母をどこへ搬送するのか。
葬儀社はどうするのか。
僕は思わず病院の方に尋ねた。
「すぐに葬儀社を決めなきゃいけないんですね?」
返ってきた答えは、
「はい、そうなんです。なるべく早くお願いします」
だった。
いやあ、参りましたよ。
頭の中は真っ白。
そこで僕が最初にしたことは何だったか。
控え室に戻って、スマートフォンを取り出し、AIに相談したのである(笑)。
「今、母が病院で臨終となった。どうしたらいい?」
するとAIは、今すべきことを順番に教えてくれた。
おかげで、どうにか葬儀社を決めるところまでたどり着いた。
そして、程なく葬儀社の方が病院へ登場。
ここで初めて、僕には「相談できる人」ができたのだ。
葬祭プランナーという仕事のすごさを、僕は知った
葬儀社の方が来てくれたときの安心感を、今でもよく覚えている。
こちらは身内を亡くしたばかりだ。
悲しみと驚きと混乱で、頭の中はパニックに近い。
ところが、何を尋ねても、きちんと答えが返ってくる。
しかも、実に穏やかに。
こちらの気持ちを急かすこともなく、必要なことは的確に伝えてくれる。
本当に安心するのである。
あらためて職種を尋ねることなどなかったから、僕は単に「葬儀社の人」と認識していた。
でも、映画を観て気がついた。
「あの方が、葬祭プランナーだったんだな」と。
今生の別れという現場で、迷いを見せず、絶妙な間合いを取りながら人を支える。
すごい仕事だな、と、改めて思った。
そして僕には、もうひとつ、忘れられない出来事がある。
母が亡くなったのは、大きな個展の搬入前日だった
母が急逝したのは、東京で開催する大きな個展の搬入前日だった。
画家として準備を重ねてきた展覧会。
しかも、初めての会場だった。
そんなところへ突然の母の死。
驚きと憔悴。
「明日の搬入をどうしたらいいんだ?」という困惑。
その三つが、音を立ててくしゃくしゃになり、心の中をぐるぐる回っていた。
母を亡くしたばかりなのに、展覧会のことを考えなければならない。
そんな自分に対する後ろめたさもあった。
でも、現実は待ったなしだ。
僕は葬祭プランナーの方に、思い切って相談した。
「明日の搬入と、個展初日、二日目は、どうしても展覧会場にいなければなりません。葬儀をどう運んだらいいでしょう?」
正直、眉をひそめられることを、覚悟していた。
母親が亡くなったというのに、仕事を優先するのか。
そう思われても仕方がない。
ところが、返ってきた言葉は、まったく違っていた。
「それは大変ですね。お気持ち、わかります。個展三日目には戻って来られますか? その日に葬儀と火葬をしましょう」
それはそれは、穏やかな口調だった。
僕は、どれほど救われたことだろう。
仕事を優先したことを責めるでもなく、悲しみを大げさに慰めるでもなく。
ただ、僕が置かれている状況を受け止め、できることを一緒に考えてくれた。
今振り返っても、感謝しかない。
映画の中で、漆原が故人と遺族に向き合う姿を観ながら、僕はあのときの葬祭プランナーの方を思い出していた。
葬祭プランナーという仕事は、葬儀を滞りなく進めるだけの仕事ではない。
遺された人が、どうにか次の一歩を踏み出せるように支える……そんな仕事でもあるのだろう。
(※個展と母の葬儀のことは別記事でNoteに書いています)https://note.com/fultark09/n/ndfd2c9d7c00b
人は大切な人を失ったとき、必ず後悔する
葬儀が終わったからといって、悲しみが終わるわけではない。
むしろ、その後になって押し寄せてくるものがある。
後悔、そして、やるせなさだ。
さらには、自分自身を責める気持ち。
あるいは、亡くなった人に対してさえ、どうしても許せない気持ちが残ることだってあるかもしれない。
人の死は、必ずしも美しい思い出だけを残してくれるわけではないのだ。
この映画が描いているのは、まさにそうした感情との葛藤だった。
『ほどなく、お別れです』が描くのは、葬儀の裏側ではなく「赦し」だ
この映画には、亡くなった人の声を聴くことができる、というファンタジーの設定がある。
現実には、そんなことはできないし、
死者に尋ねたいことがあっても、答えは返ってこない。
だからこそ、人は後悔するのだろう。
しかし、映画はその不思議な能力を使って、死者と残された者の間に横たわる思いをつないでいく。
僕は、この設定が実によくできていると思った。
死者と会話ができるという奇跡そのものが重要なのではない。
伝えられなかった言葉があっても、人はその先を生きていかなければならない。
そこにこそ、この物語のテーマがある。
そして、僕が最も心を動かされたのは、この映画が「後悔をなくそう」とは言っていないように感じられたことだ。
後悔があってもいい。
伝えられなかった言葉があってもいい。
どうしても許せない気持ちが残っていてもいい。
それらを抱えたまま生きていくことを、赦そうよ。
僕には、そんな物語に思えた。
「ほどなく、お別れです」という言葉の意味
映画のタイトルにもなっている「ほどなく、お別れです」。
これは葬祭プランナーの漆原が、出棺の際に告げる言葉だ。
なんと穏やかな言葉だろう。
「いよいよ、お別れです」と言ったって間違いじゃない。
ほどなく=もう少しで=いよいよ、お別れです。…ということだろうから。
けれども、この言葉には、別れを急かさない優しさがある。
わずかな間合いの中に、遺された人が心を整える余白がある。
僕は、この言葉の持つ「間」が好きだ。
絵を描いていると、余白というものの大切さをいつも考える。
描かれていない部分にこそ、観る人の想像や感情が入り込む。
人の別れにも、同じことが言えるのかもしれない。
『ほどなく、お別れです』まとめ・評価
『ほどなく、お別れです』。
僕の評価は、星四つに近い星三つ半です。
★★★☆(3.8/5.0)
僕のまとめ
正直に言えば、映画としての構成には、感動を誘うための定番の仕掛けもあります。
主人公が死者の声を聴くことができるという設定も、取り立てて目新しいものではありません。
全体のトーンも単調といえば単調です。
けれども、それを差し引いても、僕には十分に心に残る映画でした。
浜辺美波の、感情を内側に溜めるような演技。
目黒蓮の、抑制された佇まい。
そして、葬儀という現場を通して描かれる、人間の後悔と赦し。
もし二ヶ月月前に母を亡くしていなかったら、僕はこの映画を観なかったかもしれません。
観たとしても、ここまで心を動かされることはなかったかもしれません。
全くもって映画というものは、不思議な表現コンテンツです。
同じ作品でも、観る人がどんな人生の時間を生きているかによって、まったく違うものに見えてくる……。
今の僕にとって、この映画は、心の中に残っていた後悔ややるせなさを、少しだけ鎮めてくれるクスリのような作品でした。
「やるせなさを抱えたまま生きていってもいいんだよ」
そう言われた気がしました。
赦しをもらえる映画って、そう出会ったことがありません。
いい映画でした。
